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第35幕
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レラは目を覚ました。
薄暗い天上が見える。空気は冷たく、水流の音がどこまでも響いていく。
ここは地下水路だ。
「私は……」
「良かった。目が覚めたんだね、レラ」
優しい瞳の青年が、彼女の顔を覗き込んでいた。
「ユコニス……」
あの日の、幼いながら必死で彼女を守ってくれた少年の面影が重なる。
「急に倒れたから驚いたよ」
どうやら彼に膝枕をしてもらっていたらしい。
「また守ってもらっちゃったみたいね」
「お安い御用だよ。それより気分はどう?」
「もう平気」
レラは上体を起こした。
「私……いえ、お母さんの記憶を見たわ」
「サンドラ伯母さんの?」
「この場所に残っていた、残留思念のようなものね。きっとこれが私を呼んでいたのよ」
脇を見ると、床に置かれた松明はまだ燃えていた。気を失ってから、そんなに時間は立っていないようだ。
「……そうでしょ、お母さん?」
レラは白骨と化したサンドラの骸に、にじり寄った。
記憶のなかでは、あんなに美しかった母。骨だけになってしまった母。
手を伸ばし、サンドラの額に触れる。冷たい感触がしたが、ちっとも不快ではなく、穏やかな気持ちになった。
するとそこから、骨がサラサラと崩れだした。
「えっ!」
ユコニスが驚きの声をあげる。
「お母…さん……?」
二人の目の前で、サンドラの骨はみるみる崩れて、灰の山と化した。
その灰が、風もないのに浮き上がり、渦を巻きながら上昇していく。まるでひとつの生き物のように。
やがて上昇した灰の塊は、パッと弾けた。
「あっ!」
その灰がレラの体に降り注いだ。
「これは……」
灰がレラの体のなかに吸い込まれ、淡い光を発した。
薄暗い地下水路で、レラの体は月の如く輝いた。
「奇麗だ……」
ユコニスは我知らず呟いていた。お伽話に出てくる妖精を見ているようだった。
「お母さん」
暖かい。
レラは両腕で、自分の体を抱きしめた。
「お母さん」
母の笑顔が浮かぶ。
「お母さん」
困ったような顔が浮かぶ。驚いた顔が浮かぶ。喜ぶ顔が浮かぶ。
「お母さん」
楽しそうな声が聞こえる。叱られたときの声が聞こえる。枕元で歌ってくれた子守唄が聞こえる。
カボチャのタルトができたときの、レラを呼ぶ声が聞こえる。
怖い夜にベッドで抱きしめてくれたときの、優しい温もりに包まれる。
降り注ぐ灰のひと粒ひと粒が、大切な思い出を蘇らせていく。
記憶の枷が外れていく。
「お母さん」
私は、サンドラの娘。
大好きなお母さんの……たった一人しかいないお母さんの娘。
「忘れてて、ごめんなさい」
レラの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「遅くなって、ごめんなさい」
ずっと流すことさえ忘れていた涙が、いく筋も。
「おかあさん」
レラは呼んだ。
「おかあさん」
愛しい人を。
「おかあさん!」
大好きな人を。
「レラ……」
ユコニスはレラの元に歩み寄り、彼女の肩を抱き寄せた。そうしないと、また彼女が倒れてしまいそうだったから。
レラが、ユコニスの胸にしがみついた。
「おかあさん……」
小さく嗚咽を漏らしながら、レラは何度も母を呼ぶ。
「おかあさん……」
「レラ……」
ユコニスは、震える幼子の体を、優しく包み込んだ。
とうとう松明の火が消えてしまった。それでも、例え世界が暗闇に包まれても、この子を決して放さないとユコニスは心に誓った。
薄暗い天上が見える。空気は冷たく、水流の音がどこまでも響いていく。
ここは地下水路だ。
「私は……」
「良かった。目が覚めたんだね、レラ」
優しい瞳の青年が、彼女の顔を覗き込んでいた。
「ユコニス……」
あの日の、幼いながら必死で彼女を守ってくれた少年の面影が重なる。
「急に倒れたから驚いたよ」
どうやら彼に膝枕をしてもらっていたらしい。
「また守ってもらっちゃったみたいね」
「お安い御用だよ。それより気分はどう?」
「もう平気」
レラは上体を起こした。
「私……いえ、お母さんの記憶を見たわ」
「サンドラ伯母さんの?」
「この場所に残っていた、残留思念のようなものね。きっとこれが私を呼んでいたのよ」
脇を見ると、床に置かれた松明はまだ燃えていた。気を失ってから、そんなに時間は立っていないようだ。
「……そうでしょ、お母さん?」
レラは白骨と化したサンドラの骸に、にじり寄った。
記憶のなかでは、あんなに美しかった母。骨だけになってしまった母。
手を伸ばし、サンドラの額に触れる。冷たい感触がしたが、ちっとも不快ではなく、穏やかな気持ちになった。
するとそこから、骨がサラサラと崩れだした。
「えっ!」
ユコニスが驚きの声をあげる。
「お母…さん……?」
二人の目の前で、サンドラの骨はみるみる崩れて、灰の山と化した。
その灰が、風もないのに浮き上がり、渦を巻きながら上昇していく。まるでひとつの生き物のように。
やがて上昇した灰の塊は、パッと弾けた。
「あっ!」
その灰がレラの体に降り注いだ。
「これは……」
灰がレラの体のなかに吸い込まれ、淡い光を発した。
薄暗い地下水路で、レラの体は月の如く輝いた。
「奇麗だ……」
ユコニスは我知らず呟いていた。お伽話に出てくる妖精を見ているようだった。
「お母さん」
暖かい。
レラは両腕で、自分の体を抱きしめた。
「お母さん」
母の笑顔が浮かぶ。
「お母さん」
困ったような顔が浮かぶ。驚いた顔が浮かぶ。喜ぶ顔が浮かぶ。
「お母さん」
楽しそうな声が聞こえる。叱られたときの声が聞こえる。枕元で歌ってくれた子守唄が聞こえる。
カボチャのタルトができたときの、レラを呼ぶ声が聞こえる。
怖い夜にベッドで抱きしめてくれたときの、優しい温もりに包まれる。
降り注ぐ灰のひと粒ひと粒が、大切な思い出を蘇らせていく。
記憶の枷が外れていく。
「お母さん」
私は、サンドラの娘。
大好きなお母さんの……たった一人しかいないお母さんの娘。
「忘れてて、ごめんなさい」
レラの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「遅くなって、ごめんなさい」
ずっと流すことさえ忘れていた涙が、いく筋も。
「おかあさん」
レラは呼んだ。
「おかあさん」
愛しい人を。
「おかあさん!」
大好きな人を。
「レラ……」
ユコニスはレラの元に歩み寄り、彼女の肩を抱き寄せた。そうしないと、また彼女が倒れてしまいそうだったから。
レラが、ユコニスの胸にしがみついた。
「おかあさん……」
小さく嗚咽を漏らしながら、レラは何度も母を呼ぶ。
「おかあさん……」
「レラ……」
ユコニスは、震える幼子の体を、優しく包み込んだ。
とうとう松明の火が消えてしまった。それでも、例え世界が暗闇に包まれても、この子を決して放さないとユコニスは心に誓った。
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