灰の瞳のレラ

チゲン

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第43幕

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 靄が晴れたように、王は覚醒した。
 城内の外れに、彼は独りで立っていた。
「ここは……?」
 周囲に目を配る。
 どうやら離宮の庭のようだった。
「いつの間に……」
 明かりもなく、夜の離宮は沈黙と闇に包まれていた。ここまでは、舞踏会の喧騒も届かないようだ。
 兄が健在の折りは、ここに愛妾の姉妹と、その娘たちが住んでいた。しかしかつては栄華を誇ったこの場所も、主を失った現在は廃墟のようにうらぶれていた。
 あの出来事があってから、王は意図的にこの場所を避けていた。忘れられた……忌まわしき地。
『会いたかったぞ、我が弟よ』
 闇のなかから、どす黒い声が響いた。
「!」
 王はびくりと身を強張らせた。
 いつの間に。いつの間に彼は、自分の目の前に立っていたのだろう。
「そんな……兄上……」
 十年前に死に別れた、彼の、そしてこの国の黒歴史を象徴する人物。
 先代ミューキプン王その人。
「兄上、死んだはずでは……」
『我が魂は死なぬ。例え悪霊あくりょうに成り果てようとも』
「ばかな……」
 王はおののきながら、無意識に後退りをした。
『ようやく、積年せきねんの恨みを晴らすときが来た』
 先王が短剣を抜いた。
「あ、兄上、何を……」
『知れたこと。私を殺し、国を奪った罪。そのさばきを、今ここで下すのよ』
「お待ちください。あれは……あれは違うのです」
『何が違う』
「そもそも私は、兄上をしいするつもりなどなかったのです」
『この期に及んで、まだそんな戯れ言をほざくか』
「いいえ。あれは……あれは奸臣かんしんを討つためにやったことなのです」
『……なんだと?」
「当時の我が国のまつりごとは、一部の奸臣どもの欲しいがままにされておりました。兄上が、その……政務にご熱心ではなかったのをいいことに」
『…………』
「このままでは我が国は腐敗し、いずれは隣国の餌食えじきとなる。その前に奸臣どもを討って、兄上に政へ戻ってきて頂かねばならなかったのです」
『ならばなぜ、私の命を奪った。あまつさえ、貴様は我が妻子をも手に掛けようとしたではないか』
「それは、手の者が思い違いを……」
『かような言い訳が、まかり通ると思うてか』
 先王が短剣を振りかざす。
「兄上、お待ち下さい、私の話を……」
『黙れぇ!』
 わななく王の胸に、刃が振り下ろされる。
 キィン。
 だが甲高かんだかい音を立て、それは弾き返された。
『なにッ!?』
 二人の間に割って入り、左手の短剣で凶刃を防いだのは、灰色の瞳と髪の娘……レラだった。
「もう終わりにしましょう、母様」
 先王に向かって……変わり果てた父の亡霊に向かって、レラが静かに言った。
『やはり来ましたか』
 先王のいかつい声色が、突如女のそれに変わった。
「これはいったい……」
 王が、文字通り目を白黒させている。
「親子そろって……いいから、さっさと目を覚ましなさい」
 レラが短剣の柄で、いきなり王の顔を殴りつけた。
「ぐあっ!」
 もんどり打って倒れる王。
 額が切れて、少し血が流れでた。
「……ちょっと強すぎたかしら。でも、それくらいの権利はあるわよね」
 冷たい目で、王を見下ろすレラ。
「元々あなたを助ける義理なんてないんだし」
「そなた、先程の……」
「父上!」
 そこに、ユコニスが駆けつけてきた。
急拵きゅうごしらえの術では、時間稼ぎにもなりませんでしたか』
 先王の姿が掻き消え、その下からリヨネッタが姿を現した。
「な……」
 王が絶句する。
「そなたはまさか……リヨネッタ殿!?」
「覚えていて頂けたとは光栄ですわ」
 リヨネッタが、大仰おおぎょうに礼をしてみせる。ドレスが風に舞い、美しいネックレスが月夜に光った。
「ならば、今まで私が見ていたものは……」
「恐らくリヨネッタ伯母さんの魔術でしょう」
 ユコニスが王を支えて、立ち上がらせた。額の傷が痛むのか、王が呻き声をあげた。
「魔女という噂は、まことだったのだな」
 王がリヨネッタを睨みつける。
「私をたばかったというのか。いったいどういうつもりだ。事と次第によっては……」
 なおも糾弾きゅうだんしようとした王の言葉を、レラが遮った。
「母様やお母さんを捕らえ、始末しようとしてた人がよく言うわね」
「なに……そなたはいったい何者なのだ」
「レラです、父上。サンドラ伯母さんの娘の」
「なんと……」
 レラは、愕然とする王の前に、懐から取りだした皮紙を投げつけた。サンドラとリヨネッタの手配書だ。
 王が苦々しげに目を逸らした。
「私は、二人を探しだし丁重に保護するよう命じたのだ」
「へえ」
「それが結果的に兄上の命を奪ってしまったことへの、唯一の贖罪しょくざいだと思い……」
「言い訳にもなりませんわ」
 リヨネッタの、氷の国から吹いてくる風のような声が割って入る。
「我が夫を……自らの兄を手に掛けておきながら、贖罪などと何を抜け抜けと」
「違う。聞いてくれ。私は決して兄上を手に掛けてなどおらぬ。あれは……」
「あれはお父さんが……先王が自ら命を断った。そうでしょう?」
「!?」
 レラの言葉に、一同は息を呑んだ。
「どうして、そなたがそのことを……?」
「お母さんが教えてくれたから」
 あの謀反の日。
 離宮は、襲撃者たちによって狂乱の坩堝るつぼと化していた。
 元々が警備の薄い離宮である。襲撃者たちは女と見れば襲い、金品と見るや奪いあった。そこかしこで悲鳴や怒号が飛び交い、血と死の匂いが充満していた。
 サンドラは、離宮にある王の居室へ急いだ。
「あの日、お父さんは……先王は狩りの予定を急遽きゅうきょ取り止め、この離宮にいた。家臣の誰にも告げずにね」
 王が悲痛な声をあげる。
「私も、てっきり兄上は不在とばかり思っていた。だからこそ、あの日に決行させたのだ。まかり間違っても、兄上に危害が及ばぬようにと」
「そして城に賊を引き入れたのは、母様、あなただった。賊の仕業しわざに見せかけて、私のお母さんを暗殺するために」
「……それも知っているのですね」
 リヨネッタはサンドラ暗殺の計画を練り、当時の兵士長や出入りの商人らを抱き込んで周到しゅうとうに準備をしていた。
 だが、その情報を何らかの形で入手した謀反側の陣営に、兵士長や商人はあっさり買収されてしまった。そして彼らは、リヨネッタに協力する振りをして、警備の手薄な離宮へ反乱の徒を手引きしたのだ。
 謀反側の目的は、あくまで奸臣の誅殺ちゅうさつである。故に彼らは、離宮を素通りして城内へ向かっていった。
 だが私欲に駆られた者も一部にいた。何しろ離宮には、美しいメイドや財宝がごろごろ転がっている。邪心を抱くには充分すぎる環境だった。
 あるいは、当初からそれが目的だったのかもしれない。リヨネッタを裏切った兵士長や出入りの商人らは、そのとき得た戦利品を元手に出世していったのだから。
「失敗しても私に嫌疑けんぎが及ばぬよう、家臣たちは計画の詳細までは報せてくれなかったのだ。もう少し私が目を配っていれば……」
 王は項垂れる。
 当然、先王の居室にも襲撃の手が及んだ。欲望に支配された賊徒どもには、相手が国主であることなど気付くよしもなかった。
 手傷を負いつつも、先王は賊徒ぞくとを返り討ちにした。だがそこで気付いてしまったのだ。この謀反の首謀者が実弟であるということを。
 政に苛まれ心を病んでいた先王は、その事実に絶望した。すでに城内は、実弟の手勢で溢れている。
 もはや逃げ場はない。
「だから、自ら命を……?」
「お母さんが駆けつけたときには、もう手遅れだったようです」
 弟の元にその知らせが届いたのは、全てが片付いた後だった。
 やむなく先王は急な病で崩御ほうぎょしたことにして、事態の沈静化を計った。
 それと同時に、逃亡したリヨネッタたちに対して秘密裏に追っ手が放たれた。証拠を抹消するため。そして賊徒どもが、略奪や暴行を隠蔽いんぺいするために。
「私も利用されただけだったのだな」
 様々な思惑が絡みあい、現実は意図せぬ方向に転び、そして現在に至る。
「それでもあなたは」
 レラは、リヨネッタに向かって問いかけた。
「王の命を奪いますか?」
「……例えいかなる手違いがあったとしても、この男が私たちの幸せを奪ったのは事実。その罪から逃れることはできません」
「では母様は? あなたは、私のお母さんを死に追いやった。あなたのわがままがきっかけで、この離宮にいた人たちが犠牲になった」
「だとしてもです、レラ。なぜなら」
 リヨネッタは一旦言葉を切り、そして強く言い放った。
「もはやわたくしには、この男を討つことしか残されていないからです。魔女リヨネッタの名に懸けてね!」
 突然、大地が揺れた。
「!」
「地震!?」
 急激な揺れに、レラもユコニスたちも思わず身を屈める。
 リヨネッタだけは、微動だにせず堂々と立っていた。
「この離宮ごと……いえ、この城ごと奇麗に掃除してあげましょう」
 彼女の体から黒色の魔力が溢れだす。今までレラが見たことない、憎悪に満ちた膨大ぼうだいな魔力だった。
「くっ……」
 リヨネッタの額に脂汗が浮かび、その表情が苦しげに歪む。文字通り、体から魔力を搾りだしているようだ。
「がはっ!」
 その口から、黒い血が飛び散った。
「母様!?」
「この程度の痛み……あの日の屈辱くつじょくに比べればやすいものです」
「そんなことをしたら、母様の体がもちません!」
「言ったでしょう。魔女リヨネッタの名に懸けると」
「母様……」
「あなたはどうするのです、レラ」
「…………」
 レラは唇を結んだ。
 覚悟は、とうにできている。
「ならば私は、お母さんの仇を取ります。魔女レラと……魔女サンドラの名に懸けて」
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