虚構の幻影

笹森賢二

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#08 理想郷

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    ──彼女の。


 浮かれていた。今は後悔している。同じ大学に通う細身の美人。余り接点は無かった筈だが、学食で安い飯をついばんでいると話しかけて来た。
「それ、一番安いメニューよね。」
「金欠の学生にはこれで良いんだよ。」
 値段の割には充実している。白飯に一番安い細身の魚。日替わりの味噌汁の具は大根とネギ。漬け物もついている。それで飲み物を買ってもワンコインでお釣りが来る。文句を言う方が間違っている。
「ふぅん。晩ご飯もそんな感じなの?」
 頬杖をつくと長い黒髪が揺れて良い匂いがした。注文はしていないようだが、何がしたいのだろう。
「適当。炊飯器と米があればなんとかなる。」
 そいつは笑顔のまま続ける。
「じゃあ、私が作ってあげる。お金は取らないから安心して。」
 そう言うとそいつは席を立った。その時に気付くべきだったのだろう。それでも間抜けな俺は気付かないまま講義を終えて部屋に帰った。時計の針が回る。そろそろ夕飯の支度を思ったら呼び鈴が鳴った。出るとビニール袋を下げたそいつが居た。
「お邪魔しても良い?」
「ああ。」
 下心は当然あった。それ位の淑やかな美人だった。
「すぐ作るわね。」
 そいつは当然のように台所に食材を並べた。いい加減鈍い俺も気付き始めた。そいつは迷いもせず調理器具を取り出し、食器を揃える。確かに自分が使い易いように揃えているが、そいつは余りにも迷い無く取り出している。そもそも、なんで俺の部屋を知っていた? 友人にでも訊いたのだろうか。共通の友人はいないが、喋りそうな奴はいるか。
「どうかした?」
「いや。」
 料理はすぐにできあがった。ナポリタンスパゲッティにキャベツの千切りにトマト。スープは卵が入った中華風だった。
「どうぞ、召し上がれ。」
 一つ気になった。左の薬指に絆創膏が巻かれている。最初から巻いていたか?
「ん、ああ、いただきます。」
 考えても仕方がないか。そいつの作った料理は旨かった。普段質素な晩飯しか食っていないせいもあってか一気に食べ切ってしまった。
「美味しかったかしら?」
「ああ、旨かった。」
 そして、そいつは俺を後悔させる言葉を吐いた。
「そうでしょ? だって、パスタのソースにも、ドレッシングにも、スープにも、私の血が入ってるんですもの。」
 絆創膏は、そう言う事か。吐き出せば何をされるか分からない。幸い胃は落ち付いている。けれど、この狂気じみた奴をこれからどうすべきか、俺は途方に暮れていた。
(了・鮮血の夕餉)



「あんまり遅くまで起きてちゃダメだよ?」
 隣の席の女子に呆れ顔で言われた。それ程仲が良い訳ではないと思う。三年に上がって同じクラスになって、初めて顔を見た。そんな奴に言われる位だから余程疲れた顔でもしているのだろうか。確かに昨日もあまりよく眠れなかった。毎日山の様に出される宿題と最早授業の前提になっている予習に時間を取られているせいと、疲れてベッドに潜り込んだ後に聞こえる異音の所為だ。その他にも家に帰ると微妙に家具の位置が変わっている気がする時もある。色々と積み重なって、結局睡眠時間が削られて行った。
「英語の訳、未だでしょ? ほら、移しなよ。」
 そいつは言いながらノートを差し出して来た。受け取りながら見ると、意外と可愛い顔をしている。背の低い童顔。か。男どもより女子に人気がありそうだ。
「あ、ああ。ありがと。」
「どう致しまして。」
 小首を傾げて笑う仕草は、少しあざとい。何か間違えばイジメの標的になりそうだが、髪型も装飾も地味にまとめていて、周りからは妹のように扱われている。チャイムが鳴った。時間が無い。五分後にもう一度チャイムが鳴ると担任が入って来る。埋め切れなかった部分をそのまま書き写して、二度目のチャイムが鳴り終わる前にノートを返せた。
「後でジュース奢ってねー。」
 こづかいに余裕はないが、仕方がない。放課後に食堂でイチゴ牛乳を奢った。
「んふっ、おいし。」
 少し苦労してストローをさしてパックのイチゴ牛乳を飲む姿は、小動物のようだった。
「んじゃ、これで良いだろ?」
「え? もう帰っちゃうの?」
「ああ。これでも忙しいんでね。」
「そか。妹さんも心配しちゃうもんね、じゃ、また明日。今日は早く寝るんだよー?」
 適当に言葉を交わして食堂を出た。校庭や体育館では部活動に精を出す生徒で溢れていたが、俺には関係ない。余裕があるくせに共働きの両親の代わりに妹と分担して家事をしなければならない。それがまた時間を削られる一因でもあった。俺達の学費だの老後の資金だの偶には旅行だの言っているが、こっちから見れば家事が面倒なのか、家に居るのが嫌なのか、そういう風にしか見えない。
「ただいま。」
「お帰りー。」
 妙に重く感じられる玄関の扉を開けながら言うと、リビングから返事が返って来た。見ると妹は制服のまま洗濯物を畳んでいた。鞄もソファに置かれている。
「着替えぐらいしろよ。」
「取り込みながら家に入ったらこうなるっしょ? あ、それより手紙来てるよ。今時珍しいね。」
 テーブルの上に色気の無い茶封筒が置かれていた。表に俺の名前が書いてあるだけで切手さえ貼られていない。それどころか封さえされていない。
「何? ラブレター?」
 手を止めずに茶化す妹を横目に中を覗く。白い何かが入っていた。引き出して見ると、これまた色気の無い白い便箋だった。これでもかというくらい丁寧に折られたそれを開くと、たった一文。
『今夜、午後十時、カーテンを開けて下さい。』
 首を傾げる。
「何それ?」
 いつの間にか隣に居た妹が便箋を覗き込みながら言った。俺にも分からない。少し前に何とか流星群とかあったが、その類だろうか。
「んー? 今夜は普通に三日月だと思うよ? 昨日そうだったし。他も、何もないと思う。」
 妹は天体に詳しい。家事をこなして外で遊ぶ時間がない分本や実際の夜空で学んだらしい。
「まぁ、悪戯か。」
「かもね。あ、ご飯お願いね。私今日宿題多くてさー。」
「ああ。ちゃんと着替えろよ。」
「はいはい。」
 俺も着替えをして適当に晩飯を用意した。妹は呼べばすぐ来るが、両親はいつ帰って来るか分からない。時間がかからず、温めればすぐ食べれるものしか選択肢が無い。案の定父は早めに、母は遅めに帰宅した。慣れた物だ。洗い物だけは両親に押し付けて部屋へ戻る。二人の片付けが終わる頃には風呂が沸いて、俺の宿題が終わる頃には風呂が空く。濡れた髪をタオルで拭きながら部屋に戻ると十時に近かった。これから予習分を片付けて、寝るだけだな。趣味の時間なんざ取れやしない。六時前には起きて朝食の準備をしないといけない。
 それでも少しは余裕ができたのか、ため息が出た。今日も一日無事終わる。その時になって、ようやく気づいた。あのノートを貸してくれた、名前も知らない女子は、なんで俺に妹がいる事を知っていたんだろう。机の上に放り投げていた便箋の文字を見る。流石に今日の事だ。似ているかどうかぐらいは分かる。確か、女にしては整った、というか角ばった文字だと思った筈だ。
 コンコン、と窓を叩く音がした。その音は、よく知っている。時計を見ると、午後十時を回ろうとしていた。俺の部屋は二階で、ベランダは無い。柵があって、その向こうは瓦屋根だ。顔が引きつる。その間も窓を叩く音は続いている。生唾を飲み込み、窓辺へ向かう。カーテンを掴む手が震えた。一気に引くと、そこにはアイツが居た。昼間と変わらない、いや、目だけが笑っていない。笑っているのか、つり上がっているだけなのか分からない唇が動いている。俺は、一体どうするべきなのだろう。
(了・彼女が始める物語)
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