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#14 漆黒と白
しおりを挟む──凍える夜に。
秋を感じていた時間はどれ程だったか。気が付けば虫の声は消え、窓に結露が張り付き、寒風と共に雪が降り始めた。街灯の中を落ちる光の粒のような雪は綺麗なものだったが、どうやら、それだけはないようだった。
(了・序)
十二月になると急に寒くなった。押し入れに押し込んでいたストーブを引っ張り出し、慌てて灯油を買いに行った。台所にあったヤカンを乗せて湯を沸かす。まぁ、それで飲むコーヒーは二、三杯で、すぐに酒を飲み始めるのだったが。
すっかり夜も更けた頃、酒が空になった。そのまま寝てしまっても良かったが、少し飲み足りないし、明日は休みだ。小瓶か、小さなパック酒とつまみを買いに行っても良いだろう。幸いなのか悪い事なのか、歩いて数分の場所にコンビニがある。コートを着込んで、外の空気よりは温かいポケットに財布を押し込み、手袋をはめた。こんな事ばかりしているからいつまでも貯金は貯まらずボロアパート住いなんだろうとか思いながら外に出た。風は吹いていなかったが、小雪がちらついていた。空気は真冬のように冷たい。手袋をはめた手をポケットに突っ込んで歩く。アスファルトには薄く雪が積もっていた。明日はどうなるだろうな。休みだからどうでも良いか。そんな事を考えながら買い物を済ませて帰り道を歩いていると踏切に差し掛かった。運悪く丁度遮断機が下りた所だった。時間的に最終だろう。なんともついていない。二つの赤いライトが交互に点滅し、やかましい音が響く。ため息をつきながら空を見上げる。真っ黒な空から落ちて来る白い雪がライトの色を受けて赤く染まる。妙に不気味な気がした。単線の汽車が走り抜ける。赤い雪が風圧で舞い散る。二両編成の汽車があっと言う間に通り抜ける瞬間、「私、ここで死んだの。」と後ろから囁かれた。驚いて振り返ると、そこには俺がつけた薄い足跡が続くだけだった。気のせいだ。そう言い聞かせて部屋まで走った。玄関先、クモの巣だらけの照明の下、払った雪が少しの間赤いままだったのは、きっと酔いのせいだろう。
(了・赤い雪)
やりがいの無い仕事を終えて、バスに揺られて家に一番近いバス停で降りた時には辺りはすっかり暗くなっていた。前日から降り続いた雪は轍がはっきり見えるくらいに積もっていた。面倒な季節だ。夏の雨の夕方にも同じような事を言っていた気がする。兎に角、さっさと帰ろう。田舎の道は雪が降っても人の足跡は少ない。ほとんどの人が車を使うし、川から吹き上がってくる風と雪がすぐに足跡を消してしまう。律儀に公営バスなんぞ使うのは余程交通手段に困っている学生ぐらいだ。そんな訳で、俺のあばら屋に続く小道は車の轍くらいしかない。ハズだった。ぽつぽつと立てられている街灯の下、埋もれかけた二本の轍の他に妙な足跡があった。靴が汚れるのが嫌なら轍の上を歩くだろうし、雪で遊びながら歩くなら、蹴飛ばしたり、手ですくったりするぐらいだろう。けれど、その足跡は左右に蛇行したり、確か草地になっている部分を選んで歩いたり、まるで猫か犬のように気紛れだった。サイズや形は、小学生程度の長靴といったものだった。妙だったのは、轍は風に吹かれて形が崩れているのに、それははっきりと残っていた。今通ったばかりなのだろう、と思ったが、それにしては時間が遅い。考えても仕方がない。そのまま轍の上を歩いて行くと、神社の裏手に続く脇道にさしかかった。俺は、何も見なかった事にして足を速めた。蛇行する足跡は脇道へ続いていて、そこで急に犬か猫か、いや、狐だろう。あの神社の裏手には、稲荷を祀った社があったハズだ。俺はそれ以上考える事を止めた。
(了・足跡)
正月の休みボケも抜けようかと言う頃だったと思う。職場も平常運転に戻り、普段しないような簡単なミスも減った。さて今年も一年、と思いかけた時に限って大雪が降った。外回りも物品の配送も遅れがちになり、仕方なく残業をする日も出てきた。
「天気ばかりは仕方ないっスねぇ。」
後輩は呑気にエナジードリンクを飲んでいた。
「ああ、この辺狭い割りに雪だまり多いからなぁ。」
俺はホットの缶コーヒーを飲みながら応える。俺と後輩は最後の配送が遅延との事で倉庫近くの待合所で待っていた。時刻は定時少し前。運ばれてくる荷物は少量だし、二人で待つ事もないか。
「お前、先に上がって良いぞ。来たら伝票切って明日片付けるわ。」
「いいんスか?」
「ああ。このままだとお前何本飲むか分からんからな。ついでに俺のタイムカードも切っといてくれ、また伝票書くのに残業か? って小言くらうからな。」
ブラックとまでは言わないが、現実主義の上司には感情と言うものが無い。
「先輩も大変っスねぇ。」
「慣れれば大した事ねぇよ。それに、この時期だけだしな。」
「んじゃ、お言葉に甘えて、お疲れ様でした。」
「ああ、お疲れ。」
後輩を見送り、空になった缶をゴミ箱に放り、テレビの天気予報を見ていると小型のトラックが駐車場に入って来た。中型のダンボールが数箱。大した量ではないが、明日の朝一で使うものだ。
「いやぁ、すみません、こんなに雪が凄いとは思わなくて。」
運転手はこの町の冬に慣れていないようだった。そう言えば夏に新しく契約した運送会社の運転手だったか。チェーンを巻くのに手間取ったらしい。
「いえ、誰がやってもこうなっちゃうんですよ。時期だから仕方ないです。」
品番と数量を確認し、伝票を切る。
「それじゃ、気を付けて帰って下さいね。」
「ありがとうございます。」
一応倉庫に入れて、施錠をした。事務が数人残っているようだし、最後は警備員が巡回する。問題無いだろう。タイムカードも後輩に切らせたから、俺はそのまま会社を後にした。
徒歩で十数分、一人暮らしの部屋に帰り着くと全身雪まみれになっていた。適当に払って、暖房を入れる。適当に飯を作って風呂に入った。酒でも飲もうかと思ったが、明日は少し早く出て帳尻合わせをしなければならない。片付け、明日の支度と済ませていくともう良い時間になっていた。
「寝るか。」
呟いて電気を消した。闇に慣れていない目には何も見えないはずだったが、カーテンの向こうにぼんやりと赤い光が見えた。緊急車両かと思ったが、何の音も聞こえない。まさか火事かと思ってカーテンを開けると、ベランダの柵の上に小さな雪だるまが置いてあった。当然覚えはない。部屋は一階だから外から置く事は可能だ。子供の悪戯だろうと思い、手を伸ばし、止めた。その雪だるまの両目は赤いビー玉のようなものだったが、赤い光はそこから出ていた。辺りに反射するような光源は無い。冷たい風と大量の雪が舞い込んでくる。いつまでも固まっていたら凍えてしまいそうだ。俺は意を決してビー玉に触れ、その雪の塊から抉り出した。瞬間、雪の塊は熱湯でもかけられたようにどろりと溶け、もう一つのビー玉は外のアスファルトに落ち、砕け散った。手に残ったビー玉は闇夜の吹雪の中に放った。
「あれ? 先輩、怪我でもしたんスか?」
翌日、指先に絆創膏を貼ってキーを打つ俺に気付いて後輩が言った。
「ああ、ちょっとグラス割っちまっでな。」
「ふぅん、そっスか。気を付けないとですね。」
あの赤いビー玉を抉り取った時にできた傷だとは、言えないだろうなと、人差し指と中指の先に巻いた絆創膏を眺めながら思った。
(了・赤と白の呪い)
ゆらり、ふらり、雪が落ちる。まるで何かを隠すように、暗闇を白く染めて行く。それなのに、いや、その分だけ、それは鮮明になっていくようだった。
(了)
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