虚構の群青

笹森賢二

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#10 玩具

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   ──悲しき。


 家鳴りとは質の違う音だった。何かが軋むような音。それも決まって電灯を消した後に鳴る。どうやら電灯の辺りから音が鳴っているようだ。常夜灯に目を凝らすと、天井から伸びる手が電灯の笠に絡みついて居た。


 やたら事故の多い交差点だった。原因の殆どは歩行者の信号無視。光の辺り具合や機材の不具合も考えられ、何度も点検や修繕が行われたが、さして効果は無いようだった。噂を知って迂回する人も多かったが、偶然通りかかっただけの者、仕方なく通る者、噂自体知らない者と人通りは途切れず、事故は増える一方だった。
 或る夜、交通量の少ない夜間帯なら大丈夫だろうとその交差点を使った。一応信号を確認すると青に変わったばかりだった。念の為少し間を開けて青信号を眺めながら渡ると、けたたましいクラクションが鳴り、飛び退いた。見ると信号が赤に変わっている。走り去る車を見送りながら、二度とこの道は使わないと決めた。


 真夜中、目を閉じると様々な声が聞こえる。多くは他愛の無い会話だが、時折混ざり込む声には耳を塞ぐ。
「貴方もここで死にましょう。」


 安価のエンジンオイルを買って自分で入れ換える事にしてみた。何度かやり方は教わっているし、実際にやった事もある。作業は上手く行ったが、手にオイルの匂いがこびりついてしまった。洗剤で洗っても中々落ちないので妻にスプレータイプの消臭剤を持って来て貰った。
「それ、人に使う物じゃないわよ?」
「大丈夫だろ。」
 多少手が荒れても気にならない。
「知らないからね?」
 数回スプレーのトリガーを引いた妻が悲鳴を上げた。俺の手首から先が綺麗に消えていた。


 書類の端が破けてしまった。町内で使うさして重要な物ではないし、コピーをすれば後も目立たないだろう。できるだけズレないよう丁寧にセロハンテープを貼ってやると、継ぎ目から赤い何かが滲みだして来た。コピーを取る頃には色は抜けていたが、紙にも血や命の様なものがあるのだろうか。


 滅多に使わなくなった固定電話が鳴った。取って見ると返事が無い。仕方なく受話器を置くと、数分してからまた鳴った。また無言。心当たりは無い。番号を知っている人は居るが、今やスマホを使うだろう。悪戯だろうと思っているとまた鳴った。面倒に思い電話線を抜いた。どうせ碌に使う事の無い物だ。それでも電話は鳴った。これは、何だろう?


 雨が降れば水溜りができる。土の上、コンクリートの上、アスファルトの上。当然だ。なら、今ぱっくりとアスファルトが口を開き、黒い歯と舌を覗かせながら水溜りを丸ごと飲み込んだのは、何だったのだろう。


 帰り道は夕暮れの色で満たされていた。家々の壁に当たる山吹色の陽、街灯の橙、夜よりは少し薄い闇。風は緩く背の高い草を揺らしていた。前方からスーツ姿の男性が歩いて来た。見知った顔ではなかったが、一応会釈だけした。
「赤い服の女性にお気を付けて。」
 会釈を返しすれ違いながら男性が言った。足を止めて振り返る。男は何事もないかのように歩き去って行った。
 暫く歩くと今度は女性が歩いて来た。赤いシャツを着ていた。男の言葉を鵜呑みにした訳ではないが、少し離れて会釈をした。
「猫には気を付けた方が良いわよ。」
 またすれ違いざまに言われた。足を速めた。流石に気味が悪い。漸く家に帰り着くと門口に猫が居た。人懐っこい性格なのだろう。俺の足に頭を擦りつけている。
「エサなんか持ってないぞ。」
 頭を撫でるだけでいなしてやって、漸く玄関に立った。呼び鈴を鳴らす。鍵は持っているが、念の為暗くなったらチェーンは掛けるように妻に言ってある。
「ただいま。」
 インターホンに告げるとパタパタと足音と、チェーンと鍵が外れる音が聞こえた。開いた扉の向こうで妻は凍りついた顔になっていた。視線は俺の後ろに向けられている。振り返ると、半分透けたスーツ姿の男、赤いシャツの女、猫が居た。


 入院も長引くと退屈の方が大きく鳴って来る。する事も無く昼間眠ってしまったせいで時計が天井を過ぎても眠れなかった。四人部屋で、残りの三人は眠れたらしい。小さな灯りはあるし、カーテンも引いてあるが、邪魔になるような事はしない方が良いだろう。目を閉じたり、天井を見上げたり、寝返りを打ってみたり、眠気より退屈ばかりが大きくなって行く。どれぐらいそうしていたか、足音が聞こえて来た。見周りの時間ではない。それに、不規則な音だった。一歩踏み出して、逆の足は引き摺るような音。部屋の扉が開く音がして、足音は隣のベッドの前まで進んで止まった。暫くしてまた足音。どうやら一人一人見て回っているらしい。俺は目を閉じ眠ったフリをしてやり過ごした。最後の一人、窓辺のベッドの前でそれは言った。
「こりゃぁ、もう駄目だねぇ。」
 翌朝、窓辺の患者は急変を起こして亡くなった。あの皺枯れた声の主は誰なのか。そして、それは今夜も訪れるのだろうか。
 
 



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