虚構の群青

笹森賢二

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#14 夜の窓

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   ──近く遠く。


 窓に映る自分の顔。影。君の顔。手。他にもある。仄白い、その影達。


 すっかり夜だと言うのにカーテンは開いたままになっている。休日だからと昼から呑むべきではなかったか。泥酔して眠ってしまっていたらしい。簡単にインスタント食品でも食べて、シャワーだけでも浴びて寝直そう。考えながら目をこすり、カーテンを掴み、そのまま離してそのまま動けなくなった。残っていた酔いも一気に飛んだ。蛍光灯の光が窓に反射して室内を映している。その向こうに顔がある。女だ。こんな時間にと思う前に気が付いた。女の顔はベランダではなく俺の後ろにある。
「やっとみーつけた。もう離さないよ?」
 冷たい汗が体中から噴き出した。


 散々遊びに付き合わされた。正直何軒呑み回ったのかさえ覚えていない。すっかり深夜と呼べる時間になっていた。
「いやぁ、惜しかったなぁ、あの女、後一押しだったぜ?」
「好みじゃねぇんだよ。」
「お前髪染めたの嫌いだもんな。」
 帰りのタクシーで酒臭い息を吐きながらそんな事を言っていた。当然三割増しだが、相乗りだし、今月は未だ余裕がある。
「運転手さんの好みは?」
「はぁ、私は昔の人間なので、妻の黒髪が一番好きですね。」
 失礼かとも思ったが、酔っ払いの口を止めると機嫌が悪くなるし、慣れているのか運転手さんも楽しげな声だった。静かそうな人だし仕事柄気は使うだろうがそういう席が嫌いと言う事もなさそうだった。
「お、ノリ良いね。」
「ええ、安全には気を使いますが、黙っていても退屈ですし。」
 他愛の無い会話が始まった。家族や、家庭の愚痴。好きな食べ物、週末の趣味。
 そう言えば。
「運転手さん、あの話知ってます?」
「ここらであの、と言うと、怪談ですね?」
 街から町への継ぎ目。車なら十分程度で抜ける田園風景だが、妙な噂が多い。
「お、良いね。でも良いの? 運転手さん、戻る時一人でしょ?」
「ええ。なので、お客さんが捕まらなくても遠回りで戻ります。」
 三人で笑った。色々な含みがあって面白い。
「一番目撃例が多いのは白い傘の女性ですね。真夏の晴れた夜、蒸し暑い筈なのに、真っ白な袖の長いフリルだらけのシャツに、地面に着きそうな程長いスカート。そして、上は星空なのに、真っ白な傘を差してるんですよ。傘の骨の尖端に何かぶら下げて。」
「なんでだ?」
「さぁ、何故でしょうねぇ? けれど。」
 運転手さんは一度言葉を切った。後部座席の二人は前のめりになってオチを聴こうとする。
「無いんですよ。首から上だけが無いんです。」
「は?」
「ええ。ライトが当たって、髪や装飾は見えるんです。ほら、周りが明るいと暗い所が見えないとか、そうじゃなくて、髪の毛も判るし、傘の骨に付いた装飾も見えるんです。でも、顔だけは真っ黒で、無いんです。」
 二人揃って似たような姿を想像したらしい。大きく息を吐きながらシートに背中を押し当てた。
「一説には事故にあって、顔に大怪我をしてしまった女性の霊、一説には地元に伝わる妖怪の類。様々ですね。」
「へへっ、今度使ってみっかな。」
 不謹慎とは思うが、結構な数の男が使う手だ。娯楽は少しでも多い方が良いのだった。
「真夏の夜、秋口の長い夜、語り継ぐ事もまた供養かも知れませんね。」
「コイツの場合は邪な使い方ですけどね。」
「うるせぇ、ネタは多い方が良いんだよ。」
「でしたら、貴方は運が良い。」
 先程まで話に合わせて何度か背後を見るように首を動かしていた運転手さんが真っ正面だけを見た。
「私もまだ三度目です。」
 覗き込んだ前方に影があった。それはふわりと浮きあがり、タクシーに向かって動き出した。固まった二人をよそにタクシーは平然と走る。影もそのまま向かって来る。風に煽られるように影は動く。形を変えながら俺の座席の横まで来た。ちらりと見えたのは、白い肌と真っ赤な血、髪の黒が混ざり合った女の生首だった。


 最終電車。車窓を見ていた。何もかもが憂鬱だ。映り込んでいる疲れた顔のサラリーマンも、外を通り過ぎた世を捨てた人の身体の断片も。


 夜。外は雨だった。予報では明日の午後まで降り続くらしい。外仕事だから休みになるか、休憩所で待機になるか。ベランダから見下ろす非現実を眺めながらぼんやりと思った。誰も気付いていないのだろうか。時折通り過ぎる車のヘッドライトが照らす光の中、膝から下だけの足達が行進していた。


 カーテンを閉めた。食事が出来上がっていた。席に着き、ため息を吐く。微笑する、顔も知らない君のせいで。
 
 



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