虚構の群青

笹森賢二

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#20 朝焼けを待ちながら

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   ──夜明けを探して。


 夜の時間が過ぎて行く。朝が近付く。東から空の色が変わり始める。黒から濃紺、紫へ。仄かに明るく成り始めた世界にも、其れは居る。


 明け方、呼び鈴の音で目が覚めた。辺りは白々と明るくなり始めているが、余りにも早い時間だ。性質の悪いイタズラかとも思ったが、一応ドアスコープを覗いてみた。もう陽が昇ったのか、赤く染まった廊下があるだけだった。やっぱりイタズラか。時計を見るとまだ一寝できそうだった。
 気付いた。カーテンの隙間から覗き見ると、まだ朝焼けは始まっていなかった。


 夜の闇が薄れ始めた。弱く流れる風が清々しい。人影も無く散歩には丁度良い。猫が一匹、道の先でこっちを見て居た。近付いたら逃げるだろうか。後十歩程猫が背を向けた。ひらりと飛んだ猫は街灯の光と僅かに残った夜の隙間に消えて行った。


 朝焼けが眩しい。早起きしたまでは良かったが、食べ物はおろか酒も煙草も無かった。仕方なく近所のコンビニで調達した。どうせ連休だ。これで良かったのかもしれない。今日は一日だらだらと潰してしまおう。用事はあるが明日買い物がてら済ませれば良いし、朝の心地良く冷えた空気をたっぷり味わうのも久しぶりだ。誰も居ない道も新鮮な感じがする。信号機が律儀に仕事を始めていたから付き合う事にした。急ぐ必要は何一つ無い。
 足音がした。何気なく視線を向ける。女だった。長い黒髪、ワンピースは、眩しい朝日が当たっていて色は良く分からないが柄があるな。
 信号が変わるのを待たずに走り出した。足音はどこから来た? それ以前に、あれは柄じゃない。血だ。


 最近幻視が増えた。夜明け前は特に多い。今朝も小さなライトで照らすデスクの上、闇から溶け出した小人の様な影が行列を作っている。幻視にも個体差があるらしい。一定のペースで進むもの、速いもの、遅いもの、不規則なペースで歩くもの。はぐれてしまった一人が座りこんでいる。小指で押して列に戻してやる。何度か躊躇うような仕草をして列に戻った。
 暫くすると辺りが白み始めて来た。眠気もやって来た。レポートも目処が立った。少しこのまま微睡んでしまおうか。

「弟君まだ見付からないの?」
「うん。財布もスマホもそのままで、部屋もそのままなんだけど。」
「どこ行っちゃんたんだか、早く見つかると良いね。」
「だね。」
「幻覚の方は?」
「偶に出る感じかな。」
「小人みたいなのが机の上歩くんだっけ?」
「うん。最近見慣れちゃったのか、ちょっとカワイイんだけどね。」


 仄かに青い部屋。何の事は無い。朝日が昇る前、白み始めているだけだろう。身体は動かない。布団に仰向けになったまま天井を見上げるだけ。真横に気配があって、声が聞こえる。誰かの日常か妄想か、それを延々と聞かされる。トーンは高いが穏やかな口調の、恐らく女の声だろう。内容もそれらしい。昼の公園の出店でクレープを、午後の街でウインドウショッピングを、夕飯は外食にしようとしたが店が決まらず結局自宅で自炊。そんな下らない話を朝焼けが訪れるまで続けられる。穏やかな口調は好みではあるし、苦しいような感覚もないから黙っている。そもそも口も動かないが。
「ね? 今度一緒に行こ?」
 返事をする術は無い。口は動かず頷けもせず、指の一本も動かない。
「ねぇ? 良いでしょ?」
 不意に身体が動いた。声も気配も消えている。朝になったらしい。身体を起こして見渡しても誰も居ない。布団に触れてみると、僅かに温かかった。頭を掻く。困っている。もう眠れそうにないし、煙草を吸いに外へ出るのも、シャワーを浴びるのも近所迷惑になる時間帯だ。ケトルで湯を沸かす位か。コーヒーを飲みながら、時間が過ぎるのを待つか。
 日常は淡々と過ぎる。時間を待ってシャワーを浴びて、飯を食って、大学へ行く。帰って来てまた食べて片付けてシャワーを浴びて、軽く酒を飲みながら調べ物や書き物を済ませて寝る。
「あれ? ご飯レトルトだけ? 身体に悪いよ?」
 振り返る。狭い部屋を見渡す。誰も居ない。
「仕方ないなぁ、明日作ってあげるから、ちゃんと食べてね?」
 あの声が肩越しに聞こえた。僅かな熱もある。姿だけがどこにも無かった。
 その日は声もせず朝まで眠れた。適当に朝食を済ませて坦々とした日常へ向かう。

「仮に出されたとしても、食べない方が良いと思うがね。」
 セミロングに丸眼鏡。目付きの悪い我が幼馴染はカフェオレを飲みながら言った。
「黄泉戸喫。」
「よもつ?」
「黄泉戸喫。簡単に言うと、あの世の物を食べてしまうと、此の世に戻れなくなる、と言う話だね。」
 コイツは昔からこの手の話に詳しい。
「この世の物で作ってもか?」
「さぁ? 先ず見分けがつくか否か、そして境界と言うのはね、思ったよりも曖昧なものなのだよ。そして、」
 ストローがぐるり、円を描いた。
「無用な面倒は避ける。君の言葉だろうに。」

 部屋に帰り着くと良い匂いがした。六畳一間の真ん中、小さなテーブルに料理が並んでいる。白米、焼き魚、野菜の煮物に漬け物と味噌汁。どうみてもあの世のものには見えないが。
「ほら、座って座って。」
 背後の声が言う。ヨモツヘグイ、だったか。過ぎった言葉は頭の隅から零れ落ちるように消えて行き、誘われるように座布団に座った。
「さ、召し上がれ。」
 箸を付け口に運ぶ。旨かった。あっという間に全ての皿が空になった。
「ふふっ、食べちゃったね。これでずっと一緒だよ。」
 背中が温かい。首を動かす。色白の顔があった。やや垂れた切れ長の目、高くは無いが形の良い鼻、深紅の唇。
「ほら、もうすぐ、だから、ね?」
 意識が薄れて行く。頬に触れる。次はもう、朝焼けが来ても変わらないだろうな。俺はもう、この世から消えて行く。


 空が焼けた。風が一つ抜けて行った。新しい朝、一日、人と人ならざるものと、さぁ、次は何を書こうか。
 
 



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