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#02 小さな灯の中
しおりを挟む──二人。
高名な小説家、脚本家なら高級で雰囲気のある照明機材と目玉が飛び出るような額のデスクと椅子を使うのだろう。文字を書きつける万年筆も最高級品だろう。
──所詮は文字の列に過ぎないのに?
原稿用紙もそうだろう。俺が使う安物の倍もする値段の物を使う。そこに意味のありそうな、価値の無い言葉を書き綴る。そして僅か数行書いただけの、白紙に近い紙をくしゃくしゃに丸めて放り投げる。難しそうな顔に憤怒と葛藤を混ぜ込めば一流の出来上がりだ。
──そうして心の中で呟くのだね。自分は文学者だ、こんな物を書きたいのではない! ってね。そんなに下らない事、他にあるかねぇ?
けれどそれを言うなら何もかもに価値は無く何もかもが下らない。
──それでも貴方はそれになりたいのかい?
勿論。金を稼いで安いペンと紙を山程買う。安いクリアファイルと小さな辞書を持って公園へ行く。妹が使い終えたスケッチブックを木のテーブルに乗せる。
──下敷き代わりだね。
四百字詰めの原稿用紙は二つ折りになっている。
──君は逆に折り曲げたり、ボールペンで擦ったりして何とか書き易いようにする。
折り目があると書き難いからな。何度も繰り返して漸く書き始める。
──何を書くんだい?
何でも良いさ。どうせ何もかも下らない文字の列だ。プログラミングと一緒だよ。間違ってさえいなければ良い。
──陽射しがなくなった。雲が太陽を隠したようだね。少し涼しくなった。
紅葉には未だ少しだけ早いけれど、それでも気の早い葉が一枚紙の上に落ちた。
──季節は夏から秋へ。かな。
綺麗とは思えなかった。色合いも中途半端だし、虫に食われた跡もある。胸ポケットから煙草の箱を取り出す。
──けれど、君は悪い気はしていない。
求めているもの合致している。ふらり公園へ、偶然持っていたノートにアイデアを書きつけようと思い開いたら、その上に鮮やかな色の葉が落ちた。では余りにも作り物染みている。
──確かに。さて、休日の公園だ。遠くに親子が見える。仲がよさそうな、父と娘だね。近付いて来る。
仕方なく煙草の箱をポケットに戻す。自分には無く、これからも得られないだろう光景に嫉妬する。
──君には私が居るだろう? それに、父と娘は直ぐに通り過ぎて行く。
また煙草を取り出して、今度こそ一本咥えて火を点ける。原稿用紙には同じような光景の作り話を書きつける。現実と紙の中の風景では煙の動きが違っている。
──脚色だね。物語の中では遠くへ流れていた煙は、現実では君の顔に纏わりついて目に沁みる。
全く、風の気紛れは困ったものだ。
──それは君もそうだろう? だとすれば風は意図して君に纏わりついている訳だ。
お前のように?
──そうかもね。見方によっては。
事実はそこにあるが、観測者がいる以上真実とやらはその分だけ存在する。
──それは必要な物?
必要な分だけ存在させれば良いだけの話だ。どうせ当事者でなければ真贋なんざ興味すら持てない。何万キロも離れた先で事実とは違う真実があろうが俺には関係ない。
──知識という欲は満たせるよ。
なら、それは必要な分、なんだろう。俺には興味がないが。
──君は不思議だね。
何が?
──君は如何やって君を満たすんだい?
その必要もないよ。伽藍堂だ。風が吹いて桶屋が儲かろうが、雨が降って傘屋が儲かろうがどうでも良い。
──原稿用紙は満たされたようだけれど。
スケッチブックの下に敷いておく。何度も続ける。途中で他の話が書きたくなったら纏めて二つ折りにしてクリアファイルに入れておく。とりあえず、混ざる心配はなくなる。
──そうしていれば、少しずつ満たされて行くのかね?
そうかもな。
寝床を整え目覚まし時計をセットする。少しずつ薄くなる、デスクの小さな光の中の君とおやすみを言い合って電気を消す。夢の中には何があるだろう。明日は何を話そう。そんな事を考えながらベッドに滑り込み、目を閉じた。
(了・灯)
今は季節の狭間か。其れさえ曖昧だ。大まかな枠だけ作って置いて、後はその日の天候と気分で決める。意味など何処にも無い。言い張る人間の身勝手な理由が在るだけだろう。
「っくっく、何れ君には其の理由さえ無いのだろうね。」
窓辺の柱に背を当てるモスグリーンのボブカットに片眼鏡。スーツのようだがスカートは長く広がっている。中性的、と表現が一番似合うだろう。其れが湯気を上げるカップを手にしたまま嗤った。貴様も同じだろう。テーブルの上で冷えた珈琲と同じ程度の温度で眺めてやる。
「いや? 私には見えて居るよ。」
カップで外を指した。通りに面した二階の部屋からは秋雨に咲く傘の花が見えるだけだ。
「相も変わらず夢がないなぁ。」
一度私の目の底を見てからカップに口を付ける。そうしてまた嗤う。もう何度も見た仕草だ。
「深紅の薔薇に寄りそう幸福の青い羽根、実に素敵じゃないか。」
赤い傘と青い傘が並んで歩いて居るだけだ。意味など無い。理由は、その二人の間にだけ在るのかも知れない。
「君の堅い頭にしては上出来じゃないか。理由がなければ赤でも青でも意味は無い。あの二人で、赤と青だから意味が在るのさ!」
彼女が大袈裟に動くものだからカップから珈琲が零れた。どうせ掃除をするのは俺だ。そして、其の言葉だって詭弁だ。人は納得したフリをして生きる物だ。其れを理由と言い、意味が有ると言い、真実だとか其れこそ意味の無い言葉を並べる。
「実にいじらしくて可愛らしいじゃないか! 嗚呼、何とも儚く綺麗なのだ!」
如何やら彼女の頭からは主要な部位のネジが外れて仕舞って居るらしい。其れさえ如何でも良い。俺は床に散らばった珈琲を拭き取り、どんな季節も変わらない量の仕事をこなして生きて行くだけだ。人が何処にどんな線を引こうが興味すら湧かない。
「そうかい? 夜風に芒。月に兎。眺める老女と少女、七輪と秋刀魚。如何だね?」
ため息を吐いた。相変わらず本心は言わない性分なのだろう。実際、誰もそうなのかも知れない。なら尚の事曖昧で複雑だ。まぁ、良いさ。秋雨の午後は静かに過ぎて行くだけだ。
(了・雨の日)
朝陽を迎える青色と夕暮れを終えようとする青色はまるで性質が違う。朝の青が街に在る頃、多くの人は未だ眠りの中に居る。勿論、朝の支度を始める者も在るだろうが、静寂の度合いの方が大きい。やがて来る喧騒を迎える準備をしているようだ。夕暮れが終わった後の青は喧騒の中に在る。昇る月に惑わされるように喧騒はその度合いを増して行く。そして、それは真夜中、人々が眠りに落ちるまで続く。
「どちらも同じ凪と呼んで良いのだろうか。」
君は薄く紅を引いた唇でグラスの縁に触れた。中身は水割りのウイスキーだろう。それも上物だ。隠していた筈なのに、何時の間にかテーブルの上に瓶や水差し、氷入れが並んで居て、俺のグラスも在った。
「朝は朝凪、夕は夕凪。莫迦正直に分類すればそうだ。陸風と海風の入れ変わり。まぁ、違うと言えば違うが、向きだけだろうな。」
君は手際よく俺の分の水割りウイスキーを作って呉れた。言葉に納得はできなかったが、出されたものには口を付けた。
「まぁ、君にとっては、」
君は其処で言葉を止めた。俺も何も応えなかった。対応は正しかったらしい。君はそんな眼をして居た。
「さ、凪も終わりだろう? 肴も出そうか。」
電灯が灯る。カーテンが閉まる。すっかり夜になっていたようだ。
(了・夕闇の頃)
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