虚構の砂塵

笹森賢二

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#03 駅

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    ──薄闇の中で。



 狐につままれたような気分、とはこういう事なのだろうか。いつも同じ午後六時。いつも同じ駅、いつもと同じ革靴で踏むコンクリートのホーム。それなのに、音が無い。電車のドアが開く音は聞いた。ホームを踏む自分の足音も聞いた。そこから音が途切れた。一斉に溢れる他人の足音、それをだるそうに遮るドアの閉まる音、さらにだるそうな発車音とアナウンス。その全てが無い。振り返ると、電車はまるで最初から止まっていなかったかのように消えていた。仕事の疲れでも溜まっているのだろうか。いや、それにしてもこんな所につっ立ていたら後ろから押し出されているだろう。考えても仕方がないか。夕暮れも終わりに近いが幸い電灯の類は点いている。定期券もある。改札を抜ければ外に出られるだろう。そうすればきっと。そんな楽観はあっさりと打ち砕かれた。改札機が反応しない。駅員も居ない。簡単に乗り越えされそうなゲートが、何故か抜けられない。見えない壁がある感じはしない。頭では抜けられると思っているのに体が動かない。
 途方に暮れてベンチに座った時、気がついた。時計の針が無い。時刻表の文字が無い。空もいつの間にか真っ黒になっていて、電灯の明かりだけが見慣れたはずのホームを照らしている。
「ん? 小父さん、じゃ失礼か。お兄さん、此処に居るべきじゃないよ。」
 振り返ると小学生の高学年か、低学年か、間に居る様な少年が立っていた。
「何がだ? 俺は家に帰りたいだけだ。」
「んじゃあっち。だね。僕はもういくけど。」
 少年は微笑みながら今通って来た路線の先を指した。
「トンネルに入ったら振り向いちゃダメだよ。ずっと真っ直ぐ。トンネルを抜ければ終わるから。」
 線路の上に降りる。枕木の間隔が悪く、敷き詰められた石も歩きにくい。
「ああ、それから、絶対に転んじゃダメだからね?」
 礼を言うべきか迷った。このまま歩いたところでどこに着くのか、そもそもこの足元の悪い中、明かりも乏しい中を転ばずに歩けるのか。いや、それ以前に列車が来たら。だがそれは考えても仕方がない。結局あの駅からは出られなかった。藁にも縋る、とはこんな事を言うのだろう。
 暗がりに足を踏み入れる。不気味な程の静けさの中に、自分の足音だけが響いている。何度か躓きながら、進む。どれくらいか、強い眩暈を感じた後で、俺の意識は一瞬途絶えた。
 気が付けば見慣れた駅のホームにあるベンチに座っていた。悪い夢でもみていたのだろうか。駅名は、普段降りる駅だった。なんとも情けない。駅員に見られる前で良かった。俺は今度こそ改札を抜けて家路についた。

 翌日、地方紙の片隅に少年の自殺を告げる記事が載った。写真や名前は伏せられていたが、年齢だけ記されていた。俺に残された現実はそれだけだった。
(了・幻の駅)


 ジリジリと音を立てて蛍光灯が不安定そうな光を投げる。昔はこんなじゃなかったのにな、と思いながら煙草を灰皿に放った。これもいずれ撤去されるのだろうな。ろくに整備もされないような僻地の駅だから蛍光灯も雨ざらしの錆びた灰皿も、階段の剥がれかけた滑り止めも残っているのだろう。ため息を吐きながら歩き出す。空はすっかり暗くなっている。あの時と時刻はさして変わらないが、学生から社会人に変わる時間は経った。今にも崩れそうなコンクリートの階段を登る。跨線橋は木造で、壁のペンキは何箇所か剥がれている。
 遅くまで部活に明け暮れていた頃より、階段登りが辛くなったな。
 虚ろに思う。歳を喰ったというより、環境が悪化したように思う。気楽な学生生活は、それが終わってから価値に気づくものらしい。
 まぁ、良いか。階段を登りきり切り、平坦なひび割れたコンクリートの上を歩く。ジリッと音を立てて中央付近の蛍光灯が点滅した。その先に誰かが立っている。階段の前、どこかで見た様な学校の制服を着ている。さっさと降りれば良いのに、と思いながら歩を進める。長い黒髪に、端正な横顔が薄暗い跨線橋に浮かび上がって来る。はっきりと見える距離まで歩くとそいつは体をこちらに向けた。見慣れた、というより懐かしい少女だった。少女は愛らしい顔を微笑ませて、ゆっくりと唇を動かした。
「助けようとしてくれて、ありがとう。」
 俺が反応する前に少女はまた階段の方を向いて、そのままコンクリートを蹴った。俺は知っている。学生の頃、丁度こんな時間、部活帰りに彼女は足を滑らせてコンクリートの階段を転げ落ちて行った。もうこの時間になると駅員はいない。慌てて階段を駆け下り、救急車を呼び、警察にも連絡した。一応心肺蘇生もしたけれど、少女は助からなかった。階段を途中ぐらいで気づいていた。少女の首はあらぬ方向に曲がり、夏服から露出している肌からは傷だらけだった。
 結局、階段の端にある滑り止めが剥がれ、そのまま足を滑らせた事故、という事になった。唯一の目撃者だった俺は長い時間警察に話を訊かれたが、結局は駅側の整備不十分、過失という話で落ち着いた。
 けれど、俺は知っている。
「大丈夫よ、これからはずっと一緒だから。」
 滑り止めは元から壊れていた。彼女は、俺に押されて階段から転げ落ちたのだ。自室、ベッドの上、寝転んだ俺に覆い被さる、口元を血で染めた少女はにやりと笑った。
(了・死でさえ別つ事の無い呪い)



 理由を問われても、漠然としか答えられない。いつもの怠惰。いつもの逃避行。それ以上何を言っても、誰も理解しないだろう。そもそもその気が無いのだから当たり前だ。適当にできるだけ遠くの駅へ向かう列車に乗り、宿は着いてから決める。
 最終に近い列車から見える景色はすっかり夜景になっていた。街場にある多くの光が徐々に少なくなり、山間に入れば殆ど何も見えなくなる。そこからまた街に近づけば光が増えていく。時折トンネルをくぐる時だけは規則的に並んだライトが流れる。そういえば誰かが言っていた。人柱が立てられたトンネルがあるとか、中程から防空壕に続く横道があるとか。
 虚ろに思う。
 生きながら埋められた者は、望んだにせよ望まずにせよどんな心理状態だったのだろう。理不尽な死への絶望を感じていたのか、妄信的な義務感に支配されていたのか、あるいは他の何か、誰かの為に? それとも。
 そこまで考えた時、列車がトンネルに入った。くすんだ色の光が車内に陰影を作る。その隙間、照明の光と影の間から青白い手が俺の首元へ伸びてきた。

「ねぇ、聞いてるの?」
 白昼。
「ねぇってば。」
 女の声を無視して考える。消えた友人。不思議なのは、誰もその失踪を警察に届けなかった事だ。辞表は受理されており、社員寮も綺麗に引き払われていた。親兄弟さえ、まるでそれが当然であったかのように受け止めていた。
「おい。」
 隣の女に問いかける。
「何?」
「人が消えるって、どう思う?」
 漠然とした問いだ。当然まともな答えなど期待していない。
「んー、悲しい? かな?」
 ぼんやりと思う。あの男には、そんな風に思われる事は期待さえしていなかったのだろう。そんな男は、どこへ、どんな思いで消えていったのだろう。
(了・人柱)



 吞みすぎた。上司に仕事上の不満はないが、給料が出た週末に連れまわすのだけは勘弁してほしい。一軒、二軒ならば付き合うが、家が近いという理由だけで俺だけ終電ギリギリまで連れまわされる。タクシー代は出すと言われるが、残念な事に決まって最後に呑む店も、俺の安アパートも駅から近い。わざわざ倍以上の金を払うより、それを理由に終電ギリギリまで付き合った方が楽だ。
 最終電車が目的の駅に辿り着く。ため息を吐きながら開いたドアを潜り、改札を抜けるとすぐに待合室がある。さほど広くはないが、小さな駅にしては多く思えるベンチと自動販売機が数台並んでいる。駅員の性格なのか、暇なのか、いつも綺麗に掃除されていた。
 少し休んでから行こうか。どうせ明日は休みだ。一人暮らしのアパートの一室で待っている人もいない。紙コップのコーヒーを買い、ベンチの隅に座る。時計を見ると針はどちらも天井に近い。酔いのせいでそれがふらふらと回って見える。
 冷たいコーヒーを飲み、ゴミ箱に放ると、妙なものが目についた。過剰に思える程明るい待合室のベンチ、その一角に少女が座っていた。あどけない顔に可愛らしい服装。まるで似合わない。迷い込むような時間帯ではないし、元よりあの勤勉な駅員が黙って見逃している訳がないだろう。視線を巡らせると、駅員は今夜の終了作業にかかっていた。作業に集中しすぎているのか? そう思い視線を戻すと、少女は消えていた。
「呑みすぎたかな?」
 呟き視線を上げると駅員と目が合った。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでも。悪いね、今出るよ。」
「ああ、まだ清算作業があるのでもう少しお休みになってても構いませんよ。」
 適当に言葉を交わして駅を出た。週末ではあるが、それ程大きな町ではない。こんな時間にはまばらに人がいるだけだった。この近辺にも数件居酒屋がある。その客だろう。そう思えば益々あの少女、いや、あれは泥酔の末の幻覚か。考えても仕方がない。俺はやや涼しくなり始めた夜風を浴びながら歩き出した。

 週明けの朝、俺は駅のホームの隅で電車を待っていた。世知辛い世の中で、灰皿は隅へ隅へ追いやられている。それならいっそ禁煙にしてしまえば良いと思う。もしそうなっていたら、あの赤い花を見つけることもなかっただろう。ホームの一番端、二本の赤い花が添えられていた。一本は長く、もう一本はその半分程度の長さで、もう一本に寄り添うように並んでいた。
 ふと、あの少女を思い出して、止めた。あれは幻覚だ。仮に現実だとしても、俺にできる事など一つもない。

 日々は過ぎていく。忙しく、面倒に、時間が過ぎていく。そしてまた俺は終電に揺られて深夜の駅に降りた。そして、またあの少女を見つけた。先月と同じ場所、同じ服装。俺の酔い具合も同じ程度。
 けれど、俺は何気なく声をかけていた。素面で考えたら警察を呼ばれそうな気もするが、そんな考えはすっぽりと抜け落ちていた。
「こんな時間に一人か?」
 顔を上げた少女は困惑したような顔をしていた。当たり前か。
「うん。」
「何してるんだ? 親は?」
 少女が笑った。
「もうすぐおかあさんがくるの。いっしょにりょこうにいくんだ。えへへ、いいでしょ?」
「ああ、おじさんもどこかに行きたいよ。」
 少しの間他愛のない話をした。五分か、十分か、少女が母親と一緒に旅行した場所々々の話を聞いた。
「あの?」
 唐突に声が飛んできた。少女に合わせていた目線を上げると、怪訝そうな駅員の顔があった。
「誰と話してるんですか?」
「誰って、」
 視線を戻す。そこには誰もいないベンチがあった。
「いや、酔ったかな、悪い、一人言だよ。」
 怪訝そうな顔が一瞬引きつった後、何か合点がいったような表情に変わった。
 昔、よくこの駅から旅行に出る母子がいたらしい。詳しい事情は分からないらしいが、父親の姿を見たことはないという。そんな二人が、夜間の急行に飛び込んで亡くなったそうだ。この駅員が赴任する前、俺がこの路線を使い始める前の話らしい。
「またお母さんと旅行に行きたくて、そこにいるんですかねぇ。」
 駅員はどこか遠くを見ながら言った。俺は、俺にはどうしようもない。ただ、この駅がなくなる日まで、少女はここで母親を待ち続けるのだろうか、とだけ漠然と思った。
(了・待ち人)
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