虚構の砂塵

笹森賢二

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#02 ガラス越しの風景

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   ──滲んだ影。



 安アパートの一室。築三十年程度だろう。木造建築で外観の傷み具合はそれなり。内部は無理やりリフォームをしたのだろう。幾つか不便な点もあるが、壁紙や床は綺麗だった。近くにコンビニもあるし、少し足を延ばせば大型のショッピングモールや駅もある。二年住んで特に不便な事もなかったのでもう二年契約を更新した。男の一人暮らしには充分な広さだし、今更他の物件を探すのも面倒だった。つまるところ、惰性に任せて生活しているうちに根を張ってしまっただけの事だ。
 だからだろうか。
 多少の面倒には目を瞑るようになっていた。例えば、時折聞こえる大きな音。扉を閉める音に近いが、どうも天井に近い位置から聞こえる。恐らく雑なリフォームのせいだろう。キッチンとリビングに使っている部屋とは重い木製の格子がついたガラス戸だが、狭いベランダに続く戸は軽いアルミサッシのガラス戸だ。重い木製の戸と同じ感覚で開け閉めをすると、力が入りすぎて大きな音がする。二階の角にある我が家にはその音がよく反響して来るのだろう。まぁ、深夜や住民が出払っているような時間帯でも鳴るのだが。
 珍しく遊びに来て、その音に驚いた友人にそう説明した。
「そんなもんなのか?」
 佐倉秀久は金色に染めた髪を掻きながらコップの中のビールを煽った。季節は夏に近く、木製の戸と、ベランダの戸は開けたままにしていた。佐倉は台所を背に座っている。俺はその向かいに座っていた。開け放った木製の戸の向こうには微妙に使いにくいシンク台があり、その先は磨りガラスになっている。廊下、と言っても行き止まりな上にガス給湯器と電気、ガスのメーターがあるだけだが、一応外に面しているから、という事だろう。
「それに、この部屋なんか寒くないか?」
 つい先日桜が散り終えた頃だ。涼しい事はあっても寒いという事はないだろう。それよりも、俺の視線は磨りガラスの向こうへ吸い込まれていた。玄関先には蛍光灯があって、時間になると勝手に点灯する。その光の中を黒い何かが通り過ぎて行った。時刻は午後七時を回った辺り。業者がメーターを確認するような時間ではないし、言った通り先には何もない。
「何だよ?」
 俺の視線の先が気になったらしい佐倉が問いかける。
「いや?」
 ごまかすようにカップに口を着けた。二年も住んでいれば、その影が戻らない事、覗きに行っても誰も居ない事位は知っている。それが無害な事も。けれど、佐倉にとってはそうではないだろう。だから俺は黙っている事にした。
(了・ガラス越しの影)


 六畳の畳張り。押し入れはその部屋にしかないし、他の用事はリビングと狭いキッチンで足りているから、結局物置部屋兼寝室と言う事で落ち着いた。安アパートで男が一人暮らしをするにはそれで充分だった。初めはカーテンすら要らないと思っていたが、深夜まで部屋の隣を走る汽車と、もう一つ、ある理由でカーテンだけはかける事にした。
 それはこの部屋に越してから最初の冬の夜。月明かりが長く差し込んで来ていて、壁を青白く染めていた。それだけなら別段気にする事でもなかったのだが、丁度眠りかけた頃、汽車が走り閃光が部屋を横切っていった。線路はなり近く、部屋が少し揺れる。まだそれに慣れていなかった俺は眠り損ねてしまい、体を起こした。冬とはいえまだそこまで冷えるわけではない。一度タバコでも吸おうかと布団に手をかけた瞬間、見えた。壁の中の月明かりに影が混ざっている。恐らくは手、だろう。街灯の光の中に二本の手が蝶々の形を作ると、それはゆらりと羽ばたき、しばらく壁の中を飛び回った後、影の中へ消えていった。寝酒もしていないのに幻覚でも見たのかと思ったが、それ以前に、背後が気になった。月明かりは俺の背後から壁に向かって差している。もし幻覚でないのなら、その影を作っている人物は恐らく俺の背後に居る。
 以来、その部屋のカーテンは夜になると必ず閉めるようになった。
(了・そこにいるもの)


 安アパートの騒音を気にしていつもイヤホンをしているが、それでも音は控えめにしている。そうしないとスマホの着信やインターホン。雨音に気づかないからだ。猛暑も終わりかけていたが未だ暑い日が続いている。すっかり暑さになれてしまっていたし、電気代も気になったので窓は半分ほど開けていた。そんな日の夕暮れ過ぎ、低くかけていた音楽の隙間に妙な音が混ざり込んできた。とりあえずイヤホンを外して確認してみる。ざらざらという音は、恐らく雨だろう。確か予報も夜には雨が降ると言ってたっけ。とりあえず風は無いようだから放っておいても良かったが、そろそろ暗い。カーテンを閉めるついでにと立ち上がり、ガラス戸の前に立つと、ベランダに何かが居た。身構えるより早く戸を閉め鍵を掛けてカーテンを閉めた。心臓が喉から飛び出るかと思った。そこに居たのは恐らく髪の長い女だった、と思う。ただ、二つしかしないはずの瞳が横並びで三つあった。
(了・どこまでも見えるような)
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