虚構の砂塵

笹森賢二

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#06 遮断機

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    ──夢か幻。



 虚ろに眺めていた。交互に赤い光を放つ二つの円、黒と黄色の長い棒。街灯の下、ディーゼルの排煙にくすんだアジサイ。夏の闇夜の湿った風に揺れる葉、遠くの空に浮かぶ月、そして。寸断された僕の体。

 此れは誰の感情だろう。此れは誰の痛みだろう。此れは誰の記憶だろう。音が近付いて来る。其れは少しずつ大きく成って行く。五月蠅いと思える程に成ると地面が振動し始める。周囲に人は居ない。後は停車されない様に動きを合わせるだけだ。其れを待つ脳裏に苦痛、煩悶、嫉妬、憎悪、殺意、自己への嫌悪、そして後悔が巡る。酷く漠然と、まるで一瞬だけ眼を塞いだ霧の様に流れ去った。
 瞬間。
 遮断棒を越えて飛び込んだ。

「って言う夢。」
 昼飯の弁当をつっ突きながら友人に言った。有馬という痩身長身、目付きの悪い友人はその手、奴に言わせれば言葉の意味が違うらしいが、オカルトや占いの類に詳しい。
「菊地君。最近また怖い話の動画でも観たかい?」
 暴力的な味のする安っぽい赤いソーセージを口に放り込みながら考える。
「ああ、そう言えば総集編みたいなの見たな。」
 有馬は女性にしても長い前髪をかき上げ、独特の口調で語る。
「菊地君。夢とは脳が情報を整理して居る時に認識する物だ。」
「いや、偶に変な夢も見るだろ。」
 盛大な溜め息が聞こえた。
「誰が理路整然した情報の整理と言ったかね。良いかね? 情報はベクトル量かつ順列だ。君は四方八方に散らばった情報を一切の齟齬無く、つまりは一切間違い無く、」
 有馬は一度言葉を切って見事に焼き上がった卵焼きを口に放った。
「量、向き、順番を揃える事ができるかい? それもたった一度で、だ。」
 考えるまでもない。
「無理だな。」
「しかも、実体験、とも言って居ない。情報は実体験の外、伝聞、本の知識、妄想全てが情報に成り得る。その上、そのベクトルは一定では無い。」
「つまり?」
 まとまらない情報を整理しながら僕は有馬に答えを訊く。
「そうだねぇ、情報が足りないが、恐らくは、踏切、階段、君の豊かな想像力が作りだした夢、で良いんじゃないか? 何かやましい事が有るならば別だがね。」
 有馬は好物らしいブロッコリーを口に放って弁当箱を閉じた。
「ああ、そう言えば、」
 そう言って有馬は野菜ジュースのパックにストローを刺した。
「いや、恐らく関係無いか。」
「何だよ。」
 切れ長かつ釣り上がった目が僕を見た。
「時代が違う。まぁ、古い話だよ、二十年前だったかな、電車、ではないね、汽車への飛び込みがあったという記事を見たな。近所のご老人も覚えて居たよ。」
 情報と怪異を結びつけたがる有馬は古い新聞や書物、老人たちの話をよく訊いている。
「ま、何処にでも在る話さ。有名なのはテケテケかな?」
「ああ、上半身だけで追いかけて来る奴だろ?」
「そうそう。ああ、悪いね、余計な情報を与えてしまった。」
 空になった弁当箱を丁寧に包み直し、鞄にしまう。見た目や口調に対して所作は丁寧なのだった。どうやら祖母の影響らしい。情報の云々かんぬんも。
「ま、気に病む事は無いよ。」
 そうだろうか。そうなんだろう。有馬のように考えられない僕にはそう思うしかなかった。

 帰り道。部活を終えて、街灯が並ぶ道を歩く。この地方ではそれなりに優秀な学校が近くて良かった。一つだけ不満があるとすれば、目の前に降りている黒と黄色の棒だ。最近妙に捕まる。しかめっ面を作りながら汽車が通り過ぎるのを待つ。今時珍しいと思う。隣県まで繋がるこの路線はディーゼルエンジンの汽車なのだった。昼間に見れば薄い煙を上げている姿が見える。当然沿線の近くにはその匂いと煙の色が残る。まぁ、僕にとってはどうでも良い事なのだが、最短ルートを歩いているのに、足止めを食らうのは気分が良くない。
「これじゃ意味無いよなぁ。」
 誰にとなく呟く。鳴り響くカンカンという音を聞きながら、混ざり込む声を聞く。ねぇ、とか、さぁ、とか、そんな声。しかめっ面を作って汽車を見送る。重そうな車輪は高速で回転しながらこれまた重たそうな車体を運んで行く。
 そして。
 囁く声が聞こえる。

「ふぅん? で?」
 有馬はサンドイッチを頬張りながら応える。
「私はカウンセラーでは無いよ。知って居る事は教えられるが、其れより上を求められても困る。」
 野菜ジュースを吸いきった有馬はなんだか不機嫌そうだった。それでも訊く必要がある。
「自殺の理由。」
 呟いた言葉に有馬は目を釣り上げた。
「菊地君よ、莫迦も程々にし給えよ。死は何も産みやしない。其れとも、否、其れは如何でも良い事か。」
「有馬?」
「兎に角、幻聴に惑わされて死ぬなんて莫迦のする事だよ。」
 幻聴、なのだろうか。あれ程はっきり聞こえる幻聴などあるのか。
「菊地君。人の脳はあっさり騙される。君はそう成らないで呉れ給え。」
 ラッピングと紙パックを丁寧に畳み、ビニールの袋にしまった。
「夢々忘れない様に。」
 けれどその言葉は、青い空に吸い込まれて行くように僕の脳には馴染まなかった。

 黄色と黒の棒が降りる。後はタイミングだけだ。高速で走る鉄の塊が減速する間もなく飛び込むだけ。光と音が近付いて来る。そして僕は地面を蹴った。
(了)
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