虚構の砂塵

笹森賢二

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#07 白昼の悪夢

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   ──貴方の隣に。



 気にしても仕方がない事だろう。気にしない方が良いのか。良い同僚、程度に思っていた女の子の部屋に呼ばれた。まだ陽は高いが、一つ年下、細身で黒髪の清楚な女性の部屋。二十代半ばの男としては期待しないはずもない。
「お待たせしました、先輩。」
 白い陶器のコーサーに同じく白地に青い模様の入ったカップ。梅雨前のやや涼しい午後に湯気を上げるのはコーヒーだろう。隣には数枚のクッキーが乗った小皿が添えられていた。一つだけ気になったのは、彼女の指先だった。微かに血が滲んでいるようだ。確か来た時にはなかったはずだ。コーヒーを入れている間、皿が割れる音はしなかったし、刃物は使っていないだろう。
「どうかなさいましたか?」
「いや、指、どうかしたのか? 少し血ぃ出てるぞ。」
 瞬間、彼女が目を逸らした。
「ついでに晩御飯の支度もしようと思いまして、その時でしょうか、あ、ご迷惑でしたか?」
 そんな訳はないのだが、やはり気にしても無駄だろう。
「いいや? んじゃ、頂きます。」
「はい、どうぞ召し上がれ。」
 何かに似ている。コーヒーは味も香りも良かった。それでも、そんな俺を眺めている目が何かに似ている。そうだ、これは。

 ほんの少しだけ味は濃い目に仕上げた。本当はクッキーの生地にも練り込みたかったけれど、優しい先輩は私が指に絆創膏を巻いているだけでも気が付くだろう。余計な心配をかけてしまいたくないし、焦る必要もない。蛇がゆっくりと、そっと、気付かれないように巻き付くように、ゆっくりと、ゆっくりと、近づいていけば良い。
 そして一滴、私の指先からカップの中へ、真っ赤な血が落ちた。その時の私は、きっと蛇のような目をしていたのだろう。
(了・コーヒー)



 安アパートの古びた部屋。通販で買った棚に一体の人形が置かれている。少し前に流行ったアニメのキャラクターをデフォルメしたもので、大学の先輩に貰った。
「いい年して子供っぽい趣味だよな。」
 呟いて笑った。単にオタク気質なだけだ。資金の都合で部屋中漫画やグッズまみれとまではいかないが、少しばかり集めたものは棚の一段を占領している。いつだったか先輩にその事を話したら、どうやら先輩も同じような状態らしく、趣味で作っていたらしいぬいぐるみ作りの延長として作ってくれたらしい。
 それだけなら、次の展開を期待していたのだが、最近妙な事が起き始めた。デフォルメした人形なら髪などフェルト生地か何かで済ませそうなものだが、毛糸でもない、細い糸が丁寧に編み込まれていた。衣装が着物だからそれに合わせたのかと思っていたが、それが日に日に伸びている、気がする。
「君の家って線路の近くでしょ? 振動で折り返した分が落ちてるんじゃないかな?」
 先輩の話では髪に使っている糸はしっかりとは固定されておらず、長い糸を通して髪の毛二本分に見えるようになっているらしい。それならば、逆側は短くなっているのだろうか。好奇心に負け、髪に触れてみる。特に短い部分は無いように思えた。それに、これは全く知らない感触ではない、似たようなものなら毎日触っている気がする。そう言えば、と思い出して悪寒がした。先輩は少し前に失恋したとか言って髪を切った。結構な長さだったと思う。それに、俺の家の話なんぞした覚えは無い。恐る恐る人形を棚に戻した時、呼び鈴が鳴った。
(了・いつも傍に)



 心臓は裂けそうな程高い音を立てている。彼は気づかずにルーズリーフに書きためた言葉をパソコンに移している。少しお腹を押さえた。空腹なのだろう。何も無ければ私が何か作るのに。
「そいや卵がやばいか。」
 立ち上がってキッチンへ向かう。そんなの、私に言ってくれれば良いのに。近所のスーパーで安売りしている。
「ベーコンもかよ。炒り玉子だな、米は、」
 未だあるよ。シーズニングはパセリ? バジルかな? ご飯に乗せるならケチャップでも良いかもね。
「あー、どうすっかな。」
 カツオの顆粒出汁と昆布を見比べている。
「白米で良いと思うよ?」
「……てめぇ、また。」
 彼はそれ以上言わなかった。私は笑みを作る。いいえ、気づいてくれた事が嬉しくて勝手に笑っていた。
(了・クローゼットから)



 午後五時十二分、誤差十分程度で職場から出て来る。水曜日はお肉が安いスーパーでお買い物をする。後はチラシを見て野菜や足りない調味料を帰り道にあるお店で揃える。お家のコンビニは三日に一度、煙草とお酒を買いに行く。偶に別の物も買っているみたいだけれど、これは読めない。それが彼の帰宅時の行動パターン。
 それなのに。
 今日は何も無いハズ。そんな時は真っ直ぐ家に帰る。それなのに、珍しく二日続けてコンビニに寄っていた。気づかれないように物影伝いに背中を追う。レジに居たのはいつもの中年男性の店員ではなかった。新しく入ったのだろうか、見慣れない、若い女性が立っていた。
 私は適当に飲み物を買って、心なしか足取りが軽いような彼を見送った。少しだけ時間をおいてスマホを取り出す。

 ──店員の子、可愛かったね。新人さん?
「何の話だ?」
 ──帰りに寄ったコンビニの。
「ああ、見ない顔だったな。つか、何で知ってんだ?」
 ──だから今日も寄ったの?
「違うよ、マヨネーズを切らしてたから。」
 ──本当?
「何なら画像送るか?」
 ──うん。

 空のマヨネーズの容器と、買ったばかりの未開封品、今日の日付の入ったレシートを並べて画像を送った。これで納得してくれればいいが、どうだろうな。うすら寒い感覚の中、俺は深いため息を吐いた。
(了・監視者)
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