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第三話
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「悪い。またしばらく来られないかもしれない」
二晩泊まって三日目。ヴォルフが申し訳なさそうに言った。
「何? やっぱり白夜の迷宮に行く気になった?」
「いや。別の用事だ。どうしても王都まで行かなきゃならなくて」
「そっか……」
ヴォルフは自分のことを語りたがらない。僕にくらい相談してくれたらいいのにと思うけど、冒険者には訳ありの人間が少なくないから、あまり踏み込んだことは聞けずにいる。ヴォルフも以前「今は言えない」と言っていた。時期がくれば話してくれるということだ。それでいい、今は。
「ここに顔を出すように、ハーラルトに言っておくか?」
ハーラルトは僕とヴォルフの知り合いで、冒険者だ。ヴォルフは僕が寂しくないかと気にしてくれたのだろう。
「大丈夫だよ。ハーラルトにも仕事があるだろうし」
「十日もあれば戻ってこられる予定だ」
「わかった。気を付けてね」
「……ここで待っていてくれるか?」
切なげな顔をしたヴォルフに微笑む。
「どうせ僕はどこにも行けないよ」
ぎゅっと抱きしめられて、頬にキスを受けた。
「必ず戻る。色々とけりをつけてくる。それが済めばもっと一緒に居られるから」
ヴォルフはヴォルフなりに、僕とのことを考えてくれているのだろう。
「待ってる。あんまり、無理はしないで」
「ああ……いや、少しは無理もさせてくれ」
剣を持つ手が僕の髪を撫でた。
「説明できなくて悪いな。でも、俺にとっては重大な問題があるんだよ。全部終わったら、ちゃんと話すから」
ヴォルフについては、僕も噂を聞いたことがある。本当は育ちが良いんじゃないかとか、新人の頃から良い装備を持っていたとか、金には困っていないみたいだとか。こいつが自分のことを話さないのは僕に対してだけじゃない。誰もヴォルフの家族のことを知らない。出身地についても。
ヴォルフが抱える問題に、早く決着がつけばいい。でも、僕にできるのは待つことだけ。力になれないのが歯がゆかった。
「待ってるから、ちゃんと無事に帰ってきて」
そう言って、僕は自分から恋人に口付けた。行き先が王都なら、魔物と戦うことはないだろう。けど、何があるかなんてわからない。人間が魔物より危険な存在になることもあるんだから。
十日間ひとりで過ごすのは確かに寂しい。でも、待っていれば必ずヴォルフが帰ってきてくれるとわかっている。それなら待てると⸺思っていた。
拠点に設置されている、魔力流計測器。それが異常値を示したのは、ヴォルフが立ち去ってからわずか二日後の朝。迷宮再構の兆しだった。白夜の迷宮の再構があったばかり。でも、迷宮再構は特に周期もなく突然起きるものだ。
僕は慌ててギルド本部にそのことを知らせた。この時のために連絡手段を持たされていたのだ。ただし、一度しか使えない貴重品。転送便箋と呼ばれるもので、手紙を書き終えた後に魔力を流すと、対になる箱に自動で転送される。こちらからは返事を受け取ることができず、届いたかどうかも確認できない。便利なようで不便である。
とにかく。再構が迫っている。普段は穏やかに凪いでいる泉の水面が波打ち、水が濁り、空は暗く黒っぽい雲に覆われて、いつになく風が強い。魔力の流れがおかしくて、僕が張っている魔物避けの結界が勝手に揺らいでいる。魔法が使いづらい。
僕はギルドから支給されている魔法鞄に入るだけの物を詰め込んでいった。迷宮再構が起きれば地形も何もかもが変わる。建物だけじゃない。備品も私物もここに残していけば迷宮に呑まれて消えてしまう。
大きな家具は魔法鞄には入らない。テーブルや椅子、ベッドなどは、家具職人たちがわざわざここに来て作ってくれたものだと前任者から聞いている。まだまだ使えるものばかりだ。もったいないとは思うけれど、仕方がない。
僕が自分の手で耕し、種を蒔いて水をやって、管理してきた畑。その畑の最後の収穫も、可能な限り鞄に詰めた。別に金になるものでもないけれど、置いていくにはなんだか、惜しくて。
迷宮再構が起きる時、迷宮の中にいる人間は入口付近に転送される。そして数日は誰も迷宮に入れなくなる。ここからならルキオンの町が近い。僕の場合、ここに住んでいたから、いきなり寝床を失くすことになる。
ルキオンの町の宿とは、非常時についての取り決めがある。僕がギルドの名前を出せば、部屋を借りられるはずだ。そこは心配していない。
ただ、迷宮再構ではごく希に行方不明になる者がいるという。それが再構の転送による事故なのか、魔物にやられているのか、はっきりとしたことは誰にもわからない。そもそもこうして迷宮に関わっている以上、常に危険があることは承知しているけど……
少し迷って、僕はいつも通り椅子に座った。落ち着かないものの、もうできることもない。あとは再構が起きるのを待つだけ。
ヴォルフとはすんなり再会できるだろうか。再構が起きると人も物も忙しなく動く。僕は再構直後にはギルドから休暇をもらえる契約ではあるけれど、ここで待つことはもうできない。
いや……きっとヴォルフは僕を見つけてくれる。あいつが戻るまで、ルキオンの町にいればいい。それほど大きな町でもないのだから。
一際強い魔力の乱れが生じ、くらりとめまいに襲われた。視界が白く染まる。転送だ。半年以上暮らした建物と大事にしてきた畑、それから二人分の重さによく耐えてくれたベッドに、心の中で別れを告げた。
二晩泊まって三日目。ヴォルフが申し訳なさそうに言った。
「何? やっぱり白夜の迷宮に行く気になった?」
「いや。別の用事だ。どうしても王都まで行かなきゃならなくて」
「そっか……」
ヴォルフは自分のことを語りたがらない。僕にくらい相談してくれたらいいのにと思うけど、冒険者には訳ありの人間が少なくないから、あまり踏み込んだことは聞けずにいる。ヴォルフも以前「今は言えない」と言っていた。時期がくれば話してくれるということだ。それでいい、今は。
「ここに顔を出すように、ハーラルトに言っておくか?」
ハーラルトは僕とヴォルフの知り合いで、冒険者だ。ヴォルフは僕が寂しくないかと気にしてくれたのだろう。
「大丈夫だよ。ハーラルトにも仕事があるだろうし」
「十日もあれば戻ってこられる予定だ」
「わかった。気を付けてね」
「……ここで待っていてくれるか?」
切なげな顔をしたヴォルフに微笑む。
「どうせ僕はどこにも行けないよ」
ぎゅっと抱きしめられて、頬にキスを受けた。
「必ず戻る。色々とけりをつけてくる。それが済めばもっと一緒に居られるから」
ヴォルフはヴォルフなりに、僕とのことを考えてくれているのだろう。
「待ってる。あんまり、無理はしないで」
「ああ……いや、少しは無理もさせてくれ」
剣を持つ手が僕の髪を撫でた。
「説明できなくて悪いな。でも、俺にとっては重大な問題があるんだよ。全部終わったら、ちゃんと話すから」
ヴォルフについては、僕も噂を聞いたことがある。本当は育ちが良いんじゃないかとか、新人の頃から良い装備を持っていたとか、金には困っていないみたいだとか。こいつが自分のことを話さないのは僕に対してだけじゃない。誰もヴォルフの家族のことを知らない。出身地についても。
ヴォルフが抱える問題に、早く決着がつけばいい。でも、僕にできるのは待つことだけ。力になれないのが歯がゆかった。
「待ってるから、ちゃんと無事に帰ってきて」
そう言って、僕は自分から恋人に口付けた。行き先が王都なら、魔物と戦うことはないだろう。けど、何があるかなんてわからない。人間が魔物より危険な存在になることもあるんだから。
十日間ひとりで過ごすのは確かに寂しい。でも、待っていれば必ずヴォルフが帰ってきてくれるとわかっている。それなら待てると⸺思っていた。
拠点に設置されている、魔力流計測器。それが異常値を示したのは、ヴォルフが立ち去ってからわずか二日後の朝。迷宮再構の兆しだった。白夜の迷宮の再構があったばかり。でも、迷宮再構は特に周期もなく突然起きるものだ。
僕は慌ててギルド本部にそのことを知らせた。この時のために連絡手段を持たされていたのだ。ただし、一度しか使えない貴重品。転送便箋と呼ばれるもので、手紙を書き終えた後に魔力を流すと、対になる箱に自動で転送される。こちらからは返事を受け取ることができず、届いたかどうかも確認できない。便利なようで不便である。
とにかく。再構が迫っている。普段は穏やかに凪いでいる泉の水面が波打ち、水が濁り、空は暗く黒っぽい雲に覆われて、いつになく風が強い。魔力の流れがおかしくて、僕が張っている魔物避けの結界が勝手に揺らいでいる。魔法が使いづらい。
僕はギルドから支給されている魔法鞄に入るだけの物を詰め込んでいった。迷宮再構が起きれば地形も何もかもが変わる。建物だけじゃない。備品も私物もここに残していけば迷宮に呑まれて消えてしまう。
大きな家具は魔法鞄には入らない。テーブルや椅子、ベッドなどは、家具職人たちがわざわざここに来て作ってくれたものだと前任者から聞いている。まだまだ使えるものばかりだ。もったいないとは思うけれど、仕方がない。
僕が自分の手で耕し、種を蒔いて水をやって、管理してきた畑。その畑の最後の収穫も、可能な限り鞄に詰めた。別に金になるものでもないけれど、置いていくにはなんだか、惜しくて。
迷宮再構が起きる時、迷宮の中にいる人間は入口付近に転送される。そして数日は誰も迷宮に入れなくなる。ここからならルキオンの町が近い。僕の場合、ここに住んでいたから、いきなり寝床を失くすことになる。
ルキオンの町の宿とは、非常時についての取り決めがある。僕がギルドの名前を出せば、部屋を借りられるはずだ。そこは心配していない。
ただ、迷宮再構ではごく希に行方不明になる者がいるという。それが再構の転送による事故なのか、魔物にやられているのか、はっきりとしたことは誰にもわからない。そもそもこうして迷宮に関わっている以上、常に危険があることは承知しているけど……
少し迷って、僕はいつも通り椅子に座った。落ち着かないものの、もうできることもない。あとは再構が起きるのを待つだけ。
ヴォルフとはすんなり再会できるだろうか。再構が起きると人も物も忙しなく動く。僕は再構直後にはギルドから休暇をもらえる契約ではあるけれど、ここで待つことはもうできない。
いや……きっとヴォルフは僕を見つけてくれる。あいつが戻るまで、ルキオンの町にいればいい。それほど大きな町でもないのだから。
一際強い魔力の乱れが生じ、くらりとめまいに襲われた。視界が白く染まる。転送だ。半年以上暮らした建物と大事にしてきた畑、それから二人分の重さによく耐えてくれたベッドに、心の中で別れを告げた。
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