好きの手前と、さよならの向こう

茶ノ畑おーど

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〇序章【始まりと予感】

1節~初めまして、よろしくお願いします。~ 4

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その日、ヒロトは昼休みにプロジェクトの進行資料を確認するため、会議室にノートPCを持ち込んでいた。

ドアのすぐ外で、誰かの足音が止まったのが聞こえる。
ノックの音とともに、ドアが少しだけ開いた。

「……中町先輩、ここにいらしたんですね」

振り向くと、そこに立っていたのは明坂だった。
休憩時間のはずなのに、ファイルを胸に抱えたまま立っている。

「ああ。どうした、何かあった?」

「いえ……昨日のミーティングで指摘されていた部分、少し修正してみたので、確認をお願いしたくて」

「……もう修正したのか。早いな」

ファイルを受け取り、目を通す。
要点が簡潔にまとまり、かつ構成も練られている。
技術資料としては、申し分ない仕上がりだった。

「……これ、相当詰めたろ。正直驚いた」

「……ありがとうございます」

 そう返したキリカの声は、いつもより少しだけ柔らかかった。

「でも、昼休みはちゃんと休めよ」

「……それ、先輩が言うんですか」

「……確かに」返す言葉もない。しかし、キリカの声色は、初日よりも棘がない……ような気がした。

「……あれ」
ヒロトがふと視線をあげると――いつもきっちりと結われている彼女の髪が、今日に限って下ろされていることに気づく。

「明坂って、いつも髪結んでたよな?」
彼が自然に漏らすと、キリカは一瞬だけピクリと反応し、視線を逸らした。

「……今日は風が強かったので、結び直す時間がなくて……」

言い訳のような、どこか落ち着かない声音。
それでも、彼女の黒髪が肩にふわりと触れる仕草は、妙に印象に残った。



資料のフィードバックを伝えた後、キリカが部屋を出ようとしたとき。
ヒロトが「そういえば」と、気まぐれのように声をかけた。

「……なあ、明坂って、前のチームではどうだったんだ?」

立ち止まったキリカの背中が、わずかに揺れる。
「……仕事は、ちゃんとやってましたよ」

「そういう意味じゃなくて。ほら、周りとの連携とかさ。
正直、あそこのチーム、昼休みまで仕事するようなヤツいなかったろ」

数秒の沈黙。
そして、ぽつりと落ちた声。

「……あまり、話す相手はいませんでした。自分がそういうの、苦手なので」

ヒロトは何も言わなかった。
「ふぅん」と、息を吐くように漏らしただけ。
ただ、それを責めることも慰めることもせずに、ほんの一瞬だけ視線を落とした。

彼の中に、なにか説明できない感情がわずかに灯る。

(……どうしてだろうな)

不器用で、ちょっとトゲがあって、
それなのに――その言葉の奥に、寂しさのようなものが見える気がした。

キリカは、ドアに手をかけながら、ふと振り返る。
「……中町先輩が、今の私をどう思うかは、別に気にしていませんけど」

「そうかよ」

「……でも、前よりは……うまくやれるようになりたいです」

その一言を残して、彼女は小さく頭を下げて出ていった。
ヒロトはしばらくそのドアを見つめたまま、コーヒーを口に運んだ。

「ふぅん……」
小さく息を吐くように漏れた声に、自分でも気づいていなかった。
苦味だけが、やけに強く感じた。



その日の夜。
帰宅したヒロトは、スーツを脱いでソファに体を投げる。

「はぁ……」

スマートフォンを手に取り、画面を開くと――
朝にヒカリから来ていたメッセージが、そこに未読のまま残っていた。

『そろそろ暖かくなってきたね。覚えてる? 昔、一緒にお花見したよね』

一年前なら、手放しで喜んだはずの言葉。
今はどうしても、それが『戻りたい』というサインに見えてしまう。
もちろん、嬉しくないわけじゃない。
ただ、心の整理がつかなかった。

「…………」
ヒロトは、少し考えてからスマホをタップする。

『覚えてるよ。あの時、ヒカリが選んだ場所、すごく綺麗だった』

送ってしまってから、ため息とともにスマホを伏せて、天井を見上げた。

胸の奥で、何かがまた揺れていた。
誰かの声と、小さな背中が――そこに重なって、消えていく。

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