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3章 FLOW

20. 開幕開戦、諸人こぞる、最悪敗戦、滅びの序曲

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◇◇◇
20. 開幕開戦、諸人こぞる、最悪敗戦、滅びの序曲 


本戦会場は一般観覧席を売りに出しており、予選時とは比べ物にならないほど混雑していた。


逆に試合場には参加者と関係者以外は入ることができず、予選よりはゆとりがあった。
手練の魔法師ほど、手の内を晒さないよう人前に現れなかったりする。
その意味で本選は化かし合いだった。

「もしかして…ケイジさん、あんまり寝られなかったんですか…? 昨夜はさすがに私は――あっ、いえ、その―」
「大丈夫大丈夫、もうやる気しかないくらいだぜ!」
「さすがはケイジさんです!」

開場の2時間前から並んでしまったほどの高揚感は、コンディションなど凌駕する。
シチュエーション次第で、精神は肉体をいつでも超えてゆける。
肉体が精神を超えると大体不倫をすることになるが、精神が肉体を超えると人は空を飛ぶかのように、やる気だけになる。

そして魔法戦にもMCバトルにも、必要なのはやる気、すなわち精神力だった。


逸る心。

当代最高クラスの相手とあっては、ケイジも抑えられないものがあった。

今の自分がどれだけ通用するのか、どうしても試したい。
ボロ負けするかもしれない、死ぬほど落ち込むかもしれない、身の程を知らされるかもしれない。

昨日兜の緒を占め直したケイジは、賭場を出てから対戦相手を研究し、本当の実力者だということを知って、年下ながら敬意を抱いていた。

本当の天才児を相手にした大人が凹まされることは、ままある。
否、相手が天才であろうとなかろうと、大人は若者に対して羨望を抱く。

「時代遅れのオヤジの念仏」、
「あふれ出る社会の犬感」、
「敗北者」、
「何一つ心に響かないw」、
「なんかの呪文?(笑)」、

ケイジの遠い記憶が脳の裏側を打つ。

若さ。
それは取り返しのつかない、しかし人類に平等なものであり、いかなる有能な人材もが期を見て次世代に譲り渡してきたものだ。

だが、抑えられない。

後藤啓治は、どれほど自分のリリックを否定されようと、自分のフロウを罵倒されようと――



ラップをやめたいと思ったことはない。



「HIP HOPってさ、無敵とか最強とか言ってるバカをぶち倒すための、なんて言うか、まあ、HIP HOPなんだぜ」


ケイジは試合場の仕切りロープを潜る。

そこは圧倒的な量の空気を収縮したような、会場の緊張全てを受け止める異空間だった。
これまでのWACKSとの野試合など比べるべくも無い。

「これより、第6ブロック第1試合を開始いたします!」

主審の声。
対面に、真っ黒なローブで真っ赤な髪に金色の瞳の、小柄な少女が現れる。
昨日見ただけのその姿は、ケイジにとってはもう何年も前からの宿敵のようだった。

「K.G? 知らない下々の名前ね…まあ緒戦なんてただの作業だから、この先も永遠に必要ない情報だわ」

少女の視線は対戦相手には一瞬も向いておらず、おそらく5回戦くらいのことを考えている。
賭場で、というか昨日一度会っているということを全く思い出さないあたり、他人を覚えるつもりがないことはケイジにもわかった。

逆に言えば、面と向き合ったフロウはケイジから見て、昨日会った時の印象より小さいし幼い。
15歳とのことだが、中学3年生だとすれば発育の遅いタイプだ。
実物より大きく見えるイメージは、本人のオーラや威圧感による部分が大きかった。

(――あれで天才の名を欲しい侭にしているとは…。)

会場の、少女に対する熱烈な声援に、ケイジもほんの少し呑まれかける。
初登場の天才児に寄せられた期待と好奇の視線は厚くて熱かった。


――が、この試合において自分は、あくまで大人として子供に諭す立場だ。

  目下の相手にムキになってしまい、屈辱の敗北を喫するベテランは見てきた(TVで)。

  余裕、余裕、大人の余裕。
  本気になっても、必死にはなるな。


そう自分に言い聞かせる思いが、より自分を追い詰めるというのもよく見る場面だった。
プレッシャーを感じないようにしよう、という感覚がプレッシャーになっていく。

結果、目上は格下に負け、目下は調子に乗って度胸をつける。
MCバトルでは珍しくもない風景だ。


実のところ、この世界に来て初めて、ケイジは昨夜あまり眠れていなかった。

逆に言えば、それまでは圧倒的な世界の変革を経たにもかかわらずなぜか眠れていた。
昨夜はむしろ例外的で、本人は遠足前小学生シンドロームだと理解していたが、ともすると一端の大人としてのプレッシャーなのかも知れなかった。



本選第1日目、ケイジの初戦の競技形式は「デトリュイズオベリスク」。

競技者自身の後ろに石柱が立てられており、その場から動かずに魔法で相手の柱を先に倒した方の勝利。
平たく言えば魔法を使った“棒倒し”である。

貫通力と防衛力を同時に発揮できる複合的な魔法の構成が肝とされている。


ただし本戦からは、相手自身への魔法による直接攻撃が容認される。

勿論、術者より柱を倒す方が難易度として低いが、術者が倒された場合もアウトとなる。
つまり術者本人と柱に同時防御を張りながら、敵方オベリスクを攻撃するという高等テクニックの応酬である。


昨夜の夕食時に、ライムが話していたことを思い出す。

「フロウさんの得意魔法の属性は、火炎・熱変化系です。国防の中枢に実用されているほどの技術力を持った家系のホープですから、その破壊力と侵略力はこの国でも屈指ですよ。

「なるほど、燃えるような熱いイメージのラッパーってことか…スカしたクールな奴より好感が持てるな」

ケイジは未だに魔法属性を個々人の音楽性くらいにしか理解していない。
本来MCバトルでは、人生経験の少ない若者相手ならば、言葉の重みが無い分、スカしてる系のスタイルの方がくみし易い。
若さに任せて熱く来られたら、相手の大人もカッとなってしまうことがざらにあった。


「広範囲呪文が多いので、対戦者を攻撃しながらそのまま背後や左右の対象物も狙えます。競技内容が“デトリュイズオベリスク”とかだったら最悪ですねぇ…」

裏目裏目に事が運んでいた。


試合の審判は3人。
副審が開始時間を告げる。

「では先攻後攻を決めるクジを―」
「名も無き下々の素人相手に私が後攻を取るだなんてありえないわ! 先攻よ先攻! アタシが先攻!」
「…対戦者K.G、異論は?」

一般的に不利とされる先攻だからと言って、一方だけの意見で決められるものではなく、ケイジにも同意が求められる。稀だが先攻を好む術者もいる。
フロウとしては、圧倒的な呪文詠唱量で先攻から畳み掛け、家系の力を誇示するのが常套戦法だった。

当然ケイジは認めない。

「子供相手に後攻を譲ってもらうみたいな真似ができるか。却下だ。」

「…愚物!ああ愚物!彼我の実力差もわからないのね、下々しもじもじもは。
 お前の蚊のような呻き声なんて聞く筋合いはないの。さっさと叩き潰されてゴミ虫のように這いつくばって田舎の実家へ帰りなさいよ、クズが」


フロウは自家製の魔威倶マイクを眼前にかざす。


―という姿を見て、ケイジは思わず口元を押さえる。


フロウが突きつけたのは、玩具会社が作って女児向けアニメで販促するような、魔法少女のステッキであった。

多分どこかスイッチを押せば、先端とかそこらがピカピカ光ったり回ったりするに違いない。
それを、幼い顔とは言え中学生相当の相手が真顔で振りかざす姿は、笑うなと言う方が無理だった。


しかしケイジの内心とは裏腹に、会場には一斉に緊張感が走る。
ライムも口元を押さえているが、表情は青ざめていた。

「あれは――まさか“天魔覆滅ブリューナク”…!
 ケイジさん、やっぱり逃げてください!あんなの、魔威倶どころか魔宝具ですッ!あんなものをこんな場所で使われたら会場ごと…ッ!!」

セコンド位置のライムが、コートに乱入しそうな勢いで叫ぶ。
脇の係員に制止され踏みとどまるその姿は、最初から対戦者の目には映っていない。

「一回戦の見せしめとしてはちょうどいいわ。これは試合じゃない、蹂躙という名の勧告よ。これを見て無意味な出場者の辞退が増えるといいわね、効率化されて。」

フロウの手中のステッキが光を放ち、ボトル状の胴部分がクルクルと回転し始める。
と同時に、見守る観客全員の脳内に、その光に連動したビートが流れ出した。


「お前の敗因は――生まれてきたことよ」


フロウは上体から順に足元まで、ビートに合わせて揺らし始める。
それに呼応するように、観客たちも足を打ち鳴らしてビートを刻み始める。

ケイジの合意を他所に、バトルが開始されてしまう。


「(クソッ、笑いで平常心を奪う作戦か…!悔しいがおもしろいぜ…ッ!!)
 …だが――」


ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ


ケイジの高鳴る心音がビートに重なる。


「生まれてきたおかげで、お前の言い分バースを聞いてやれる」



ケイジは予定の戦術を全て捨て、昨日考えた押韻ライムも全て忘れ、無になった。



◇◇◇
(第21話に続く)
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