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第2章:苫小牧の記憶と揺れる信念――懐かしさの中に潜む影
第1話:パンの記憶
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短い夏を惜しむように──北海道の大地は、静かに緑の衣をまとっていた。
どこまでも続く牧草地の向こうには、白い雲をまとった山々が静かに佇み、風に揺れる花々の香りが窓の隙間からふわりと車内に入り込む。
朝は早起きの和聖は、樽前パーキングエリアのトイレに歯ブラシを咥えたまま、首にタオルを巻いて向かった。
青空を切り裂くようにカラスが「カァー、カァー、カァー」と鳴いた。
「カラスか……彼女とのせっかくの旅なのに、もう少し風情があってもいいよな」と歯磨きをしながら和聖はつぶやいた。
和聖が歯磨きを終えて車に戻ると、恵子も目を覚ましていた。彼女は静かに身支度を始めていた。
準備が整ったので、和聖は車中泊した樽前パーキングエリアから次の目的地を目指して東へ。目的地は苫小牧に定め、道央自動車道に乗って車を走らせた。
「どこに行くの?」と恵子が聞いた。
「高校一年の時に初めて北海道にヒッチハイクで来たとき、トラックの運転手さんに出会ったんだ。その人がパン屋に連れて行ってくれてね。そのパン屋のパンを、恵子さんにも食べてもらいたいと思ってさ」
「そんなに美味しかったの?」
「うん。子どもの舌だったからかもしれないけど、本当に美味しくてね。それに懐かしくて」
「そんな思い出があるんだね。何ていうお店なの?」
「三星っていうんだ。その時は今みたいに喫茶スペースはなくて、運転手さんが『君、パンは好きか?』って聞いてくれて、『はい』って答えたら連れて行ってくれたんだ」
「そんな親切な人がいるんだね。そういえば……『YOUは何しに日本へ?』っていう番組でも、日本人が見ず知らずの外国人に親切にしてるよね」
「うん。その運転手さんは親切で、パンをご馳走になっただけじゃなくて、その夜はアパートに泊めてもらったんだ」
恵子が窓の外を見ながら言った。
「あそこにも三星って看板があるけど?」
「このパン屋さんは北海道にたくさんあるんだけど、俺が連れて行ってもらったのは春日店っていうところなんだ」
「よく覚えてるわね?」
「うん。俺は中学の頃からずっと日記をつけてるからさ」
「今はつけてないんじゃない?」
「いや、ほら、ちゃんとつけてるよ。」と言ってスマホを見せた。
「本当だ。箇条書きにしてるんだね。ところで、大丈夫だったの?」
「えっ、何が?」
「例えば……」と恵子は言いにくそうにした。
「何?」
「例えば……その運転手さんが、もし……同性愛者だったりして、襲われたりしなかった?」
「それはないよ。奥さんもいたし、中学生の娘さんもいたから」
「だったら良かったね」
「うん。温かい夕飯もご馳走になったし、お風呂にも入れてもらって、ふかふかの布団で寝かせてもらったよ」
「他には何かなかったの?」
「うん、あったよ」
恵子は大げさに驚いて言った。
「なになに? 何があったの?」
「運転手さんの娘さんが美咲さんって言うんだけど、今でもラインで話してるよ。もちろん、運転手さんとも電話で話すし、お盆や年末には餃子をたくさん送ってるんだ」
「もしかして、その子と恋に落ちたりして?」
少し嫉妬したような口調で恵子が言った。
「それはないよ。だって俺は年上の女性が好きだから」
「その美咲さんとは餃子屋さんの話をしてるの?」
「うん、してるよ」
「レシピとか教えたりしてるの?」
「うん、教えてるよ」
「いいなぁ!」
「店の秘伝のレシピは教えてないけど、二番目に美味しいレシピは教えたよ」
「だったら私には秘伝のレシピを教えてよ?」
「それはダメだよ。門外不出のレシピだから」
「だって私と白川さんはこうして婚前旅行に行くような仲なのに、教えてもらえないのは寂しいな」
「たぶん、俺が恵子さんと結婚しても教えないよ。これだけは誰にも教えないって決めてるから」
どこまでも続く牧草地の向こうには、白い雲をまとった山々が静かに佇み、風に揺れる花々の香りが窓の隙間からふわりと車内に入り込む。
朝は早起きの和聖は、樽前パーキングエリアのトイレに歯ブラシを咥えたまま、首にタオルを巻いて向かった。
青空を切り裂くようにカラスが「カァー、カァー、カァー」と鳴いた。
「カラスか……彼女とのせっかくの旅なのに、もう少し風情があってもいいよな」と歯磨きをしながら和聖はつぶやいた。
和聖が歯磨きを終えて車に戻ると、恵子も目を覚ましていた。彼女は静かに身支度を始めていた。
準備が整ったので、和聖は車中泊した樽前パーキングエリアから次の目的地を目指して東へ。目的地は苫小牧に定め、道央自動車道に乗って車を走らせた。
「どこに行くの?」と恵子が聞いた。
「高校一年の時に初めて北海道にヒッチハイクで来たとき、トラックの運転手さんに出会ったんだ。その人がパン屋に連れて行ってくれてね。そのパン屋のパンを、恵子さんにも食べてもらいたいと思ってさ」
「そんなに美味しかったの?」
「うん。子どもの舌だったからかもしれないけど、本当に美味しくてね。それに懐かしくて」
「そんな思い出があるんだね。何ていうお店なの?」
「三星っていうんだ。その時は今みたいに喫茶スペースはなくて、運転手さんが『君、パンは好きか?』って聞いてくれて、『はい』って答えたら連れて行ってくれたんだ」
「そんな親切な人がいるんだね。そういえば……『YOUは何しに日本へ?』っていう番組でも、日本人が見ず知らずの外国人に親切にしてるよね」
「うん。その運転手さんは親切で、パンをご馳走になっただけじゃなくて、その夜はアパートに泊めてもらったんだ」
恵子が窓の外を見ながら言った。
「あそこにも三星って看板があるけど?」
「このパン屋さんは北海道にたくさんあるんだけど、俺が連れて行ってもらったのは春日店っていうところなんだ」
「よく覚えてるわね?」
「うん。俺は中学の頃からずっと日記をつけてるからさ」
「今はつけてないんじゃない?」
「いや、ほら、ちゃんとつけてるよ。」と言ってスマホを見せた。
「本当だ。箇条書きにしてるんだね。ところで、大丈夫だったの?」
「えっ、何が?」
「例えば……」と恵子は言いにくそうにした。
「何?」
「例えば……その運転手さんが、もし……同性愛者だったりして、襲われたりしなかった?」
「それはないよ。奥さんもいたし、中学生の娘さんもいたから」
「だったら良かったね」
「うん。温かい夕飯もご馳走になったし、お風呂にも入れてもらって、ふかふかの布団で寝かせてもらったよ」
「他には何かなかったの?」
「うん、あったよ」
恵子は大げさに驚いて言った。
「なになに? 何があったの?」
「運転手さんの娘さんが美咲さんって言うんだけど、今でもラインで話してるよ。もちろん、運転手さんとも電話で話すし、お盆や年末には餃子をたくさん送ってるんだ」
「もしかして、その子と恋に落ちたりして?」
少し嫉妬したような口調で恵子が言った。
「それはないよ。だって俺は年上の女性が好きだから」
「その美咲さんとは餃子屋さんの話をしてるの?」
「うん、してるよ」
「レシピとか教えたりしてるの?」
「うん、教えてるよ」
「いいなぁ!」
「店の秘伝のレシピは教えてないけど、二番目に美味しいレシピは教えたよ」
「だったら私には秘伝のレシピを教えてよ?」
「それはダメだよ。門外不出のレシピだから」
「だって私と白川さんはこうして婚前旅行に行くような仲なのに、教えてもらえないのは寂しいな」
「たぶん、俺が恵子さんと結婚しても教えないよ。これだけは誰にも教えないって決めてるから」
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