現(うつつ)の夢

しらかわからし

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第1章 夏の始まりと塀の向こうの少年

第8-5話 手を離す距離、心を離す痛み

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龍児が綾香に歩み寄った。
「じゃ、帰ろうか」と龍児が手を差し出してきた。
しかし綾香は拒み、「大丈夫、一人で帰れるから」と目に涙を浮かべて言った。
「帰れないだろうよ」と龍児は首を傾げながらも、長老が余計な事を言った事に怒っていた。
綾香は頭を振りながら「大丈夫だって!」
「何でそんな事を言うんだよ。いいから行くぞ!」と、龍児が少し苛立った声を出した瞬間に彼の姿は真っ白から真っ黒にそして真っ赤に色を変えて羽の生えた龍と化したのを見た綾香はビクッと首を縮ませると、また龍児は人間の体に戻った。
「う、うん……」と綾香は素直に頷くと、龍児は綾香に手をさらに突き出してきた。
綾香は恐る恐る、その中指だけを握り、長老に深々とお辞儀した。

「お邪魔しました」と綾香。
「また遊びに来なさいよ。お土産、ありがとうな!」と長老がヒラヒラと手を振った。

 ◇◆◇

 薄暗い山道を歩いた。龍児は、真っ直ぐ前を向いてこちらを振り向かない。
「ごめん。急に帰りたいって言って」と綾香がすまなそうに言った。
 声をかけると、龍児は少し間を置いてからこたえた。
「別にいいよ。体調、悪くなったんだろ」とまたぶっきら棒に言った龍児。
「うん」と綾香。

 また、沈黙が訪れた。木々の間からオレンジ色の夕焼けの空が見えた。少しだけ冷えた空気の中で、カナカナカナとヒグラシが鳴いていた。その寂しい啼き声と踏みしめる足と葉っぱが擦れる音だけが耳に聞こえていた。
 龍児の茶色い後ろ髪を眺めながら、あれだけもどかしかった手の距離が、今度は近過ぎて怖かった。
 無言に耐えかねたのか、龍児がまた、会話を切り出した。
「長老の話、あんまり気にするなよ。本人も言っていたけど、妖怪あやかしらしく人間をからかいたかっただけで、別に綾香のことが嫌いだった訳じゃないんだからさ。綾香だけでなく人間のこともさ。妖怪あやかしは人間ほど心は狭くないから。それにあの女子の事もな」と龍児。
「うん、そうみたいだね。ありがとう」と綾香。

 綾香は濡れた斜面に目を落として言った。
「人間が妖怪あやかしに酷いことをしたんだもんね。本当に知らなかったよ」と力なく綾香。
「んー、それは妖怪あやかしにだけじゃないな。人間って奴は、自然を壊して色んな動植物にも迷惑をかけているよな。だけど、強者というものはそういうものじゃないのか」

「勝った者、奪った者が正義みたいなところがあるじゃない。ある程度仕方ないんじゃないのか。終戦の日の日本だけど一九四五年八月十五日に敗戦国となったらアメリカの属国となってしまい、アメリカ様々の状態がこれから未来永劫続く事になるんだろうからさ」
「でもその事で日本の経済は上向きになるんだよ。これは人間が生きている間だけは続くと約束されているんだから。でもアメリカの核の下に守られていると思っているのは、日本人だけだからな」
「いざとなったらアメリカは日本を守る事はないから。それは綾香が生きている時代までは何とかって感じだからな」
「これからだって次から次にアメリカは大統領が代わるけど、二〇二五年一月二〇日にトランプ大統領っていう人が二度目の就任をしたら今まで以上に日本は大変になるからさ」と龍児は静かにそして続けて言った。
 龍児のそれは皮肉なのか、人間を許しているのか分からない言い方だった。

「そんなことより、なんでさっき、一人で帰るなんて言ったんだよ。迷子になる癖にさ」と龍児。
「龍児が他の女子と付き合ったって聞いたから」と綾香が切なそうな声で言った。
「それでか?」と龍児は意に介さなかった。
「私だけだと思っていたから」と綾香。
 龍児が先を歩きながら訊いた。綾香は震える手を、そっと彼の手から離したので、急に違和感を覚え龍児が振り向いた。
「どうした?」と龍児。
「うん。でも手がなくても大丈夫だから」と綾香は強気で言った。
「そうか。転ぶなよ。転んだら綾香、お前も妖怪あやかしになるんだからな!」とまた言った龍児。
 龍児はもう、手を差し出してはこなかった。

「私だけの龍児じゃないって事だよね?」と綾香は目に涙を溜めて言った。
「でもその子には俺が妖怪あやかしという事は言ってないから」と龍児。
「そんな事は関係ないよ」と綾香は今にも声を上げて泣きそうになったのをぐっとこらえた。
「……」龍児は綾香の気持ちは分かっていたが敢えて無反応でいた。
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