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あなたの生まれてきた理由
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プロローグ
幼馴染が結婚した。小さい頃からずっと一緒だった、あの正晴が。
覚悟はしていたけれど、結婚式に出席し、正晴を見た瞬間、胸が詰まった。
幸せそうに笑う正晴。隣には、綺麗なお嫁さん。白いドレスがよく似合っていて、正晴のスーツ姿も見慣れないくらい大人びていた。
結婚したことは、本当に嬉しい。だから、心から「おめでとう」と言った。長く付き合っていた彼女だったし、きっと幸せになるだろう。 そう願っている。
でも―― ほんの少しだけ、寂しくて。
心臓が、チリチリと焦がされたような痛みを残していた。焼けるほどじゃない。 でも、確かにそこにある。 言葉にするには小さすぎて、でも無視するには大きすぎる感情。
何かを失ったわけじゃない。 何かを奪われたわけでもない。 ただ、これまで当たり前だった距離が、とても遠くなった気がした。
思い返せば、正晴とはずっと一緒だった。 ランドセルを背負って、毎日同じ道を歩いた。 部活の帰り道、くだらない話で笑い転げた。 進路に悩んだときも、恋に落ちたときも、そばにいた。
でも、それだけ。 それ以上も、それ以下もない。
自分はただの「幼馴染」だから。
この世界では、人は「第二の性」を持って生まれてくる。 それは、男女という性別とは別に、もうひとつの“本能”に関わる性質だ。
人々は、α(アルファ)、β(ベータ)、Ω(オメガ)のいずれかに分類される。
α(アルファ)
支配的で、身体能力も高く、社会的にも優位に立つことが多い。 番(つがい)を持つ本能が強く、Ωの発情期に反応する性質を持つ。 番になった相手を守ろうとする欲求が強く、独占欲も強い。
β(ベータ)
最も一般的な性質で、αやΩのような特殊な本能は持たない。 発情期もなければ、番の本能もない。 ただし、社会的には安定していて、αやΩと関わることもある。
Ω(オメガ)
発情期という特有の周期を持つ。 その期間中はフェロモンを強く放ち、αを惹きつけてしまう。 男女問わず“子を宿す”ことができる。
番(つがい)
それは、運命的な結びつき。 一度番になれば、心も身体も深く結びつき、他の誰にも代えられない存在になる。
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「新田先生……? なんでここに……?」
料亭の静かな一室。 畳の上に置かれた座布団にぎこちなく座りながら、保科宗一は目をしばたかせた。 目の前にいるのは、職場の公民教師――新田功史朗。 スーツ姿で背筋を伸ばして座るその姿は、いつもの学校で見る彼とは少し違って見えた。
「ああ、保科さんか」
新田は驚いた様子もなく、むしろ落ち着いた声でそう言った。 宗一は、状況が飲み込めずにいた。
ここは、宗一のお見合いの席だった。 母親の志津が話を持ってきたのは、ちょうど1カ月前のこと。
「もうすぐ28になるのに、付き合ってる人の一人や二人いないの?!」
そう言われ、「いない」と答えたら、すぐにお見合い話が持ち上がった。 宗一は、女手一つで育ててくれた志津のことを思い、断ることができなかった。
暴力的だった父親が亡くなってから、志津は懸命に働き、年の離れた弟たちを育ててきた。 宗一も、母の手助けをしたくて、中学を卒業してから必死に働いた。 恋愛なんて、二の次だった。
一番下の弟が中学に入学し、志津はふと長男のことが心配になったのだろう。
顔には、父親からつけられた傷痕が残っている。 そのせいで、女性から怖がられることも多く、好かれた経験もほとんどない。 だからこそ、母が心配する気持ちもわかる。 「せめて一度くらい、お見合いしてみたら?」 そう言われ、写真も見ずに承諾した。
どうせ、この顔を見れば振られる。 そう思っていたのに――
まさか、相手が新田先生だとは。
「お知り合いなの?」
志津が、興味津々といった様子で尋ねる。
「えっと……職場が一緒で」
宗一が答えると、志津はぱっと顔を明るくした。
「まあ、じゃあ話は早いわね!」
(……母さん、絶対知ってたな)
宗一は、心の中でため息をついた。
新田先生とは、同じ中高一貫校で働いている。 とはいえ、宗一は用務員、新田は公民教師。 立場も違えば、仕事内容も違うため、これまでほとんど接点はない。
ただ、新田は学校にいる誰よりも背が高い。 それだけで、とにかく目立つ存在で、宗一は彼のことを知っていた。 生徒からの人気も高く、物静かだが、頼れる先生という印象だった。
そんな彼が、なぜこの席にいるのか。 しかも、まるで当然のように。
「どうした? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
新田は、少し笑った。 その笑顔に、宗一はますます混乱した。
「あの……写真とか、見なかったんですか?」
「…? きちんと見て、ここに来た。君は見なかったのか?」
新田は不思議そうな顔をしている。宗一は、ふと志津の顔を見た。 どこか満足げに微笑んでいる。
(やっぱり、知ってて黙ってたな……)
同じ職場の先生なら――と、思ったのかもしれない。
宗一は、もう一度深く息を吐いた。
会食は穏やかに進んだ。 お互いの自己紹介や世間話を交わしながら、料理を口に運ぶ。 とはいえ、会話の主導権を握っていたのは、ほとんど母親同士だった。
志津は、明るくてよく喋る。 新田の母は、落ち着いていて品がある。 二人の母親は、まるで旧知の仲のように笑い合いながら、食事を終えた。
そして、最後にお決まりのようなセリフが飛び出す。
「じゃあ、あとは二人でごゆっくり♥」
そう言って、志津と新田の母は席を立ち、部屋を出ていった。 障子が閉まる音が、やけに静かに響いた。
二人きりになると、途端に沈黙が流れる。 料亭の静けさが、余計にその沈黙を際立たせた。
先に耐えきれなくなったのは、宗一だった。
「あの……なんで、こんなとこにいるんですか……?」
新田は眉を少し上げ、目をしばたかせる。
「ああ……何度かお見合いをしているんだが、恥ずかしい話、いつも断られてしまってな。 この身体の大きさのせいか、怖がらせてしまうのかもしれない。 それに、体に持病があってな……相手に負担をかけるのも申し訳なくて。 だから、結婚はもう諦めていたんだが、それでもお見合いだけでもと、親に頼まれてしまってな。 早く安心させてやりたいのだが、なかなかうまくいかない」
新田は淡々と語った。 年齢を聞いたことはないが、30代半ばくらいだろうか。その声には、どこか諦めと優しさが混じっていた。
宗一は眉間に皺を寄せる。 なんとも見当違いなことを言っている。
「いや、そうじゃなくて……」
「ん?」
「お見合い相手……俺、ですよ……?」
新田は一瞬、言葉の意味を理解できなかったようで、首を傾げた。
「俺は、Ωだけど、男で……見た目が怖いから、生徒や保護者にも怖がられてるし……」
宗一は、言葉を絞り出すように言った。珍しいΩで、しかも男。男のΩはとりわけ需要がない。しかも、Ωとわかり、父は宗一にいっそう辛く当たるようになった。
『Ωの男なんて必要ない』
『生きている価値がない』
『死ねばいい』
そう言って、顔には父親からつけられた傷が残っている。 そのせいで、女性からも距離を置かれがちだった。 もちろん、男に好かれたこともない。自分が誰かに好かれるなんて、考えたこともなかった。
「そうか……?」
新田は少し考えるような素振りを見せてから、静かに言った。
「保科さんは、生徒に慕われているように思う。先生たちとも仲がいいだろう?」
「少しはまあ……」
仲がいいというより、物珍しさからなのか、宗一を怖がらずに近づいてくる、ちょっと変わった連中がいることは確かだ。
「生徒たちからも、保科さんのことを聞いている。それに、康二くんからも。家族思いの優しい兄だと」
「え……?!」
宗一は思わず赤面した。 弟の康二は、学校の生徒だ。 いつそんなことを話していたのか――想像するだけで、顔が熱くなる。
「保科さんこそ、どうしてお見合いを?」
「それは……母親を安心させたくて。どうせ振られると思っていたし……」
宗一は俯いた。 その言葉に、新田は優しく微笑んだ。
「優しいんだな」
「そんなことは……」
また、沈黙が流れる。 けれど、さっきよりも少しだけ、柔らかい空気が流れていた。
次に沈黙を破ったのは、新田だった。
「……付き合ってみるか?」
宗一は驚いて顔を上げた。
「へ……?」
「試しに、付き合ってみないか?」
「いや……俺なんかで、いいんですか?」
宗一は目を丸くして聞いた。 自分にそんな価値があるとは、思えなかった。
「私は、君なら構わない。職場も一緒で、信頼もあり、安心する。 君さえよければだが……私も親を安心させたくて。……その、形だけでもいいんだが」
宗一はしばらく黙っていた。
(多分、この人と付き合えば、母さんは安心するだろう。信頼できるし、優しそうだし……)
断る理由が見つからなくて、気がつけば頷いていた。
「え……と、よろしくお願いします?」
宗一がそう言うと、新田はまた優しく微笑んだ。
「ああ……」
その笑顔は、どこかほっとしたようで、宗一の胸の奥に、静かに灯がともった気がした。
2
「え……?! 上手くいったの……?!」
宗一が「新田先生と、付き合うことになった」と告げた瞬間、志津はまるで信じられないものを見たかのように、目を丸くして驚いた。 隣にいた弟の康二も、口をぽかんと開けて固まっている。
「よかったわ~!!」
志津は、両手を胸元でぎゅっと握りしめ、涙ぐみながら声を上げた。
「私はもうダメかと思ってたのよ……。でも、優しそうな人だったし、宗一を幸せにしてくれそうで、本当によかった……!」
その言葉に、宗一の胸が少しだけ痛んだ。 まだ“本気の恋”というにはほど遠い。 形だけの交際――それでも、母はこんなにも喜んでくれている。罪悪感がチクチクと残る。
(……ごめん、母さん)
けれど、その痛みも一瞬で終わった。
「……あっ! いいこと思いついた!」
志津が突然、ぱっと顔を輝かせた。
「え……?」
宗一は嫌な予感を覚えながら、志津の顔を見つめる。
「もう結婚を前提に、一緒に暮らしなさいよ!」
「は、はぁ……?!」
今度は宗一が目を丸くする番だった。 思わず眉間に皺を寄せ、低い声で抗議する。
「いやいやいや……ちょっと待って……!」
「なに? だめなの?」
志津は、まるで子どもにお菓子を取り上げられたような顔をする。
「む、向こうの迷惑になるから……!」
「聞いてみないとわからないじゃない! 善は急げよ!」
「ちょっ……!」
宗一の制止もむなしく、志津はスマホを手に取り、すでに連絡先を検索し始めていた。
「母さん、待って! まだ何も話してないし!」
「でも、付き合うってことは、そういうことでしょ? だったら、早めに話を進めたほうがいいのよ。タイミングって大事なの!」
「いや、そういうタイミングじゃなくて……!」
康二はというと、隣で静かにアイスを食べながら、兄と母のやり取りを見守っていた。
「……がんばれ、兄貴」
ぽつりと呟いく。
(くそ、他人事だと思って…!)
志津はというと、すでに電話をかけていた。
「もしもし~? あ、新田さんのお母様? 先日はありがとうございました~! 実はですね、うちの宗一と功史朗さんが、なんと! お付き合いすることになりまして~!」
宗一は頭を抱えた。
(……おいおいおい。いくらなんでも非常識だろ)
「それでですね、ちょっとご相談なんですけど~、結婚を前提に、同棲なんてどうかしらって思って~!」
電話の向こうで何を言われているのかは聞こえない。 ただ、志津が「まあ! そうですか~!」と嬉しそうに返しているあたり、まんざらでもない様子なのだろう。志津は上機嫌で電話を切った。
「母さん……俺の意思は……」
「もちろん、宗一の気持ちも大事よ。でもね、こういうのは勢いも大事なの。功史朗さんもきっと、宗一のことを大切にしてくれるわ。あの人、すごく誠実そうだったもの」
宗一は、もう何も言えなかった。 彼女の暴走は、いつものことだ。
(……新田先生、どう思うかな)
そう考えながら、宗一はそっとスマホを取り出した。 「すみません、うちの母が……」と送るかどうか、指が迷っていた。
話は――宗一を他所に――トントン拍子に進んだ。 志津と新田の母親が電話で盛り上がった翌日には、すでに「同居」の話が現実味を帯びていた。 宗一が何か言う暇もなく、気づけば新田の一人暮らしのマンションに転がり込む形で、同居が決まっていた。
新田の住まいは、職場から徒歩圏内の静かな住宅街にある、2LDKのマンションだった。 一人暮らしにしては広めで、内装も落ち着いていて、清潔感がある。
引っ越し当日。 荷物はそれほど多くなかった。 志津が知り合いから軽トラックを借りてくれて、康二が荷運びを手伝ってくれた。
「兄貴、緊張してる?」
「……してない」
「顔、めっちゃこわばってるけど」
「……してないって」
康二は笑いながら荷物を運び終えると、「じゃ、がんばれよ」とだけ言って帰っていった。
宗一は、志津に持たされた手土産の紙袋を手に、新田の前に立った。
「すみません、母が勝手に……」
紙袋を差し出しながら、宗一は申し訳なさそうに言うと、新田はそれを受け取りながら、穏やかに笑った。
「気にすることはない。部屋は空いているから、大丈夫だ」
その言葉に、宗一は少しだけ肩の力を抜いた。
部屋の中は、シンプルで落ち着いた雰囲気だった。 家具も最小限で、生活感はあるのに、どこか静かで整っている。 宗一は、あてがわれた一室に荷物を置いた。
夕方になり、荷物の整理もひと段落した頃。 宗一は改めて、新田の前に立った。
「今日から、よろしくお願いします」
新田は微笑んだ。
「私は自分のことはできるから、君は気を遣わず、普通に暮らしてくれればいい」
「はい……」
「何か聞きたいことはあるか? まあ、わからないことは追々聞いてくれ」
「……あの」
宗一は少し言い淀んでから、口を開いた。
「新田先生に……他に好きな人とか、恋人とか……できたら、遠慮なく言ってください。すぐに出ていくんで……」
その言葉に、新田は一瞬驚いた顔をして、それからふっと笑った。
「今のところ、そんな予定はないな。君こそ、遠慮なく言ってくれ」
「……あ、はい。俺も、そんな予定ないですけど……」
「敬語は使わなくていい。今日からよろしくな」
「……あ、はい……」
宗一は、遠慮がちに小さく頷いた。
新田の声は、いつも通り穏やかだった。
宗一と新田の同居生活が始まった。 それは、思いのほか穏やかな日々だった。
新田は持病があるとはいえ、時々病院に行き、毎日薬を飲む以外には、普通の生活と何ら変わらなかった。 きちんとルーティンが決まっていて、同じ時間に起き、同じ時間にごはんを食べ、出勤し、帰ってくると風呂に入り、洗濯し、テレビを見たり、持ち帰った仕事をしてから寝る。 掃除は休日にする。宗一自身も、夜出かけたりなどしない、規則正しい生活だったので、そんなに実家での生活と変わらず、なんだか落ち着いた。
ただ唯一、新田の苦手なことがあった。
それは料理だ。
持病のせいで、食事制限もあるらしいが、そこまで厳密なものではない。それでも、「片付けならまたできるんだが、料理はやってみてもてんでダメでな…。センスがないんだろう」と言う。
「今まではどうしていたんですか?」
「週に2度母親に来てもらい作り置きをしてもらったり、あとは弁当を買ってきているな…」
ばつが悪そうに彼は言う。なんでもできそうなのに、苦手なことがあるんだなと、宗一は思った。
「それなら俺が作りますよ」
「え…?」
「料理はずっと家でもやっていたので。簡単なものなら作れます」
「いや、君にそんな負担をかけるつもりは…」
「いえ、やらせてください」
宗一は食い下がった。 母の手伝いをしてきた日々が、身体に染みついている。 誰かの役に立てるなら、それが一番落ち着く。
新田はしばらく考えてから、困ったように頷いた。
「……わかった。無理のない範囲で頼む。君だって仕事をしているんだから、疲れたときには無理せず弁当を頼もう。二人なら、たまには外食するのもいいな」
「はい!」
宗一は早速、彼の母に、彼の好きな食べ物や嫌いな食べ物を聞いた。
「食事は何でもいい」と言いながらも、宗一が簡単な和食を作って出すと、新田は目を輝かせて喜んだ。 味噌汁に焼き魚、煮物に卵焼き――どれも特別なものではない。 けれど、新田は「うまいな」と言って、何度も箸を運んだ。
「和食、好きなんですね」
「そうだな。とても美味しい。君は料理が上手だな」
その言葉に、宗一は少しだけ嬉しくなった。
時には、一緒に買い物にも出かけた。 スーパーの野菜売り場で、宗一が「これは煮物にすると美味しいですよ」と教えると、新田は真剣な顔で頷いたりする。 その姿が、なんだか微笑ましくて、宗一はつい笑ってしまう。
「笑うなよ」
「いや、真剣すぎて……」
そんなやり取りも、いつしか日常になった。
通勤は、職場である学校からあまりにも近い。 だからこそ、生徒たちにバレないように、時間差で出勤することにした。 宗一は少し早めに家を出て、新田は数分遅れて出る。 帰りは、誰もいないことを確認してから、二人で並んで歩いて帰ることもあった。
夕暮れの道を、肩を並べて歩く時間は、宗一にとって少し不思議な感覚だった。 言葉は少なくても、隣に彼がいるというだけで、心が落ち着いた。
学校では、今まで通りあまり接点はなかった。 必要以上に話すことはない。
けれど、昼休みにふと職員室の新田を見ると、彼が宗一の作った弁当を食べているのが見える。 それだけで、なんだか不思議な気持ちになる。
(ああ、あれ、俺が作ったんだよな)
美味しそうに食べる姿を見ると、心の中でほんの少し誇らしくなった。
休日の夜は、決まってゆったりとした時間が流れる。 テレビの音も控えめで、部屋の灯りも少し落として、食後の余韻に浸るように、他愛もない話をする。
「ご両親は、βなんですよね?」
宗一がふと尋ねると、新田は頷いた。
「そうだ。君もそうだったよな?」
「ええ。両親ともβです」
お互い、少し似ているところがある。 両親がβでも、時々こうしてαやΩが生まれることがあるという。 それは遺伝というより、確率のようなものだと聞いた。
「αならモテるでしょう?」
宗一が軽く冗談めかして言うと、新田は笑った。
「どうかな。特に私はイケメンでもないしな」
確かに、世に言われる“イケメン”という顔ではない。 けれど、眉が太く、骨格がしっかりしていて、どこか誠実さを感じさせる顔立ちだ。 “男前”という言葉の方が、よほど似合っている。
「俺も…、Ωは、美人だったり、かわいいって言われますけど……俺はそうじゃないですし」
宗一は、少し苦笑して言った。 自分の容姿に自信があるわけではない。 それでも、こんな話しができる相手がいることが、少し驚きだった。
「多分、求められてるαの男は、社長だったり、エリート社員だったり、まあ高収入・高学歴な男なんだろうな。それに比べれば、私はただの教師で、エリートでもない。だからかな。あまり女性が寄ってきたことがない」
新田がおどけて言うので、宗一は思わず笑ってしまった。
「それに、生まれつき心臓が弱くて、スポーツ全般は医師から止められていた。若い頃はもっとひょろひょろだったんだ。まるでもやしみたいだったよ」
そう言って、若い頃の写真を見せてくれた。 確かに、今とはまるで別人のように細くて、どこか儚げだった。
「全然違う。でも今は結構筋肉ついてますよね」
宗一が彼の腕をちらりと見ると、確かに逞しい。 どちらかと言えば肉体労働の宗一よりも、むしろガタイは良い。
「今では適度に肉もついてきて、筋トレも少しずつできるようになった」
「羨ましいです。俺、あんまり筋肉つかねえから」
「君は、付き合っていた人はいないのか?」
新田がふと尋ねると、宗一は少し言いにくそうに言葉を濁した。
「すまない。言いたくないなら、言わなくていい」
「いや、大丈夫ですけど……。中学の頃に親父が死んで、中卒で働いてたんです。康二や弟たちもいたし、なんか全然それどころじゃなくて……」
自分は、低学歴で、低収入で、しかもΩ。 そんな男に寄ってくる人なんていない。 自分だって、そんな自分と付き合いたいとは思えなかった。
「学もないし、金もない。こんな男に寄ってくる女なんていませんよ。かといって、αと付き合うのも難しそうだし。まあ、縁がなかったですね」
宗一は、少し自嘲気味に笑った。 けれど、新田は真っ直ぐな目で言った。
「君はこんなに優しくて、落ち着くのにな」
「そんなこと言うのは、あなただけですよ」
2人で笑い合う。 不思議な出会いだと思った。 ずっと存在は知っていたのに、彼のことは何も知らなかった。
今こうして、同じ部屋で、同じ時間を過ごしている。 それが、なんだかとても大切なことのように思えた。
それから、一緒に暮らしていて、わかったことがある。 新田は、泣き上戸だった。
宗一が見ていた映画を、隣で一緒に見ていると、静かに涙を流していることがある。 感動的なシーンでも、ちょっと切ない場面でも、すぐに目元が潤んでいる。
「……泣いてるんですか?」
「……うん」
「早くないですか?」
「……うん」
その素直な返事に、宗一はつい笑ってしまう。
「可愛いですね」
「……からかうな」
新田は照れたように顔を背ける。 その仕草がまた、宗一には可愛くて、つい笑ってしまう。
こんなふうに、少しずつ、ふたりの距離は縮まっていった。 特別なことは何もない。 ただ、同じ空間で、同じ時間を過ごす。 それだけで、心が少しずつ温かくなっていく。
宗一は、ふと考える。
(……この暮らし、悪くないな)
そう思えるようになったのは、きっと新田の隣にいるからだ。
3
小学校の高学年で、自分がΩだということがわかった。バース診断で告げられた事実だった。 けれど、それを聞いた父親の態度は、急にきつくなった。
元々、ギャンブルばかりしていて、母・志津に対して気に入らないことがあると暴力を振るっていた。 その矛先が、今度は宗一にも向けられるようになった。
「どうしてうちにΩが生まれるんだ?! 浮気したんだろ?!」
怒鳴り声が家中に響き、食卓の茶碗が震えた。 志津は必死に訴えた。
「宗一は、あなたの子どもです!」
けれど、父は信じようとしなかった。 その目は、まるで自分を“異物”でも見るようだった。
殴られ、蹴られ、首を絞められたこともある。 「死ね」と何度も言われた。 男のΩなんて、気持ち悪い、生きている意味などない――そう突きつけられた。
中学生になり、少しは体も大きくなってきた。 腕力も、以前よりは強くなった。 それでも、父の暴力は止まらなかった。 むしろ、宗一が抵抗できるようになったことで、父はさらに苛立ちを募らせていった。
ある夜、父はついに包丁を持ち出してきた。 台所から無言で取り出し、握りしめたまま、ゆっくりと歩いてくる。
「やめて!!」
志津が叫び、宗一の前に立ちはだかった。 その背中は、小さくて、震えていた。
「母さん!!」
宗一は、思わずその志津を庇って、前に出た。 包丁が目の前に迫った瞬間、父の腕を掴んだ。
だが、まだ父の方が力は強かった。 もみ合いの末、顔や腕を切られ、最後に包丁の刃先が宗一の腹に突き刺さった。
一瞬、時間が止まったようだった。
痛みは――なかった。 ただ、鉄のにおいがした。 温かい液体が、服の内側を濡らしていく。
「宗一!!」
志津は血相を変えて叫んだ。 父は、笑った。 そして、包丁から手を離し、何事もなかったかのように玄関から出ていった。
「救急車を!」
志津が慌てて電話を取ろうとしたのを、宗一は止めた。
「呼んだらダメだ……」
こんな父親でも、弟たちにはまだ“父”だった。 警察沙汰になれば、家族はもっと壊れてしまう。 自分だけが傷つけば、それで済むなら――そう思った。
だが、志津は震える手で電話をかけた。 宗一の顔を見て、涙を流しながら言った。
「たまたま転んで刺さっただけだって、言って…」
かすれる声でお願いし、病院でも、そう言い張った。 医師は怪訝な顔をしていたが、宗一と志津の必死さに、それ以上は何も言わなかった。
顔や腕、腹の傷は今も残っている。 鏡を見るたびに、その痕が目に入る。
(もう、この家にはいられないな…)
そう思い、中学を卒業したら家を出ようと思っていた。
けれど、父はその数ヶ月後、あっけなく事故で死んだ。 酔っぱらって階段から落ちたんだという。
一気に肩の力が抜けた。 安堵と、虚しさと、少しの罪悪感。 いろんな感情が混ざって、涙も出なかった。
父が生きていた頃から、父は自分の稼ぎは自分で使っていたので、元々志津のパート代で細々と暮らしていた。 しかし、弟たちも食べ盛りだ。我慢させるには忍びない。宗一は中学を卒業したら働こうと決めた。
だが、中卒で働けるところなんて限られている。 しかも、自分はΩだ。 数か月に一度はヒート休暇を取らなければならない。 差別も偏見も、当然のようにあった。
なんでもした。 けれど、体だけは売らなかった。 それだけは、どうしても越えられない一線だった。
「αに売ってやる!」「体で稼いで来い!」―― 父に言われたこともある。Ω専門の風俗店もあることは知っていた。それでも踏みとどまれたのは、母の愛情があったからだ。志津は宗一に惜しみない愛情をくれた。そんな母を裏切るわけにはいかなかった。
それに、自分はΩと言っても美人でもかわいいわけでもない。
(俺は、親父に似ているのにな)
鏡を見るたびに、父の面影がちらつく。 眉の形も、目つきの悪さも、骨格も、声の低さも。 それが、時々嫌になる。
でも―― 俺は、あんなふうにはならない。 誰かを傷つけるような生き方は、絶対にしない。 そう、心に誓っている。
いくつかの職場を転々としながら、最後に行きついたのが、今の学校の用務員だった。 前任の男性が高齢で引退することになり、交代する形で採用された。
いわば、学校の雑用係だ。 設備の点検からトイレットペーパーの補充、蛍光灯の交換、草刈り、掃除、メンテナンス―― やることは多岐に渡る。
それでも、ヒート休暇は前もって申請しておけば良いということで、ありがたかった。 休む時には養護教諭の小谷先生が色々と仕事をしてくれた。小谷自身もΩで、第2性について勉強しているということで、時にはΩ男性の気持ちだったり、Ω男子の対応について聞かれたり、 何かと体よく使われている気もする。それからだんだんと話をするようになった。
不思議と悪い気はしなかった。 誰かの役に立っている実感がある。
ようやく見つけた、自分の居場所だった。
***
「来週から、しばらく実家に帰ります」
朝の食卓。 湯気の立つ味噌汁と焼き鮭、炊きたての白米。 いつも通りの朝ごはんを挟んで向かい合いながら、宗一はふとそう言った。
箸を止めた新田が、目を見開いた。
「え……?! わ、私は何か、君の気に障ることをしてしまっただろうか……?」
その言葉に、宗一は思わず吹き出した。 新田はあまりにもオロオロしていて、目を泳がせながら手元の茶碗を持ち直している。
「いやいや、違いますって。落ち着いてください」
「でも、急に実家に帰るなんて……私が何か……」
「違いますってば」
宗一は笑いながら、箸で鮭の身をほぐした。
「違いますよ。もうすぐヒート(発情期)が来るんで…」
「ヒート…。それは、実家に帰らないといけないのか…?」
「え…?」
「ここにいればいいだろう」
「え、でも…、俺たちはそんな関係じゃ…」
『ない…』と言おうとしたが、お見合いをして、結婚を前提に付き合って、同棲している…。十分にそんな関係だ。
最近は2人でごく普通の暮らしをしていたから、自分がΩで、相手がαであることを忘れていた。
むしろ、ヒートだからと言って実家に帰る方がおかしいだろう。帰ったら志津に『ヒートなんだから、がんばって子作りしなさい』などと、追い返されるかもしれない…。
宗一にはその有様が容易に想像できて、思わず頭を抱えた。
「保科…?」
「…俺、…抑制剤は飲んでるけど、時々意識飛んで、記憶がなくなるし…、あなたに迷惑かけるかも…」
「私なら大丈夫だ。むしろ、ご実家にいる方が何かと心配だ…。今までは大丈夫だったのか?」
優しい声で言われる。
「えっと…まあそれはなんとか…」
いつものヒートは、抑制剤を飲んで一週間寝込むのが常だ。辛いが仕方がない。
相手はいないし、自分のような男のΩを抱いてくれるαがいるとは思えなかった。
危ない目にもあったことはあるが、相手を殴って逃げてきた。
だが…、宗一は新田の身体を見つめる。
(この人に襲われたら、逃げられねえだろうな…)
そう思う。自分より背が高く、筋肉もあり、力では勝てそうもない。
「私といるのは嫌か…?」
「えっ、嫌、じゃないですけど…、あなたは、嫌じゃないんですか…? 男のヒートなんて…、俺が、その、…もし、盛ったりしたら…?」
「君なら、私は嫌じゃない」
真面目な顔で言われて、宗一は恥ずかしくなって赤面した。なんとなく顔を隠す。
「ちょ、ちょっと考えさせてもらえませんか…?」
「わかった」
(え…? ウソだろ…? ヒートのとき一緒にいても嫌じゃないってことは、…セックスすんの?)
(本気か…? それとも俺が勘違いしているだけ…?)
(いや、付き合ってる、けど、そういうんじゃないし…。でも実家には帰れないし…)
(どうすればいいんだ…)
その日、宗一の頭の中で色んな問がぐるぐるとして、仕事が手につかなくなった。
***
「最近、楽しそうだな!」
開口一番、久野正晴はそう言った。 宗一は、思わずグラスを持つ手を止めた。
『やっほー! 今日飲みに行こうぜ!』
そのメッセージが届いたのは、仕事中だった。 正晴から連絡が来るのは久しぶりだった。 結婚してからというもの、なかなか会う機会も減っていたが、こうして突然誘ってくれるのが、昔からの彼らしい。
宗一は、新田に「今日は飲みに行ってきます」とlimeを送り、実家の近くにある居酒屋へ向かった。 暖簾をくぐると、懐かしい匂いが鼻をくすぐる。 カウンター席に座る正晴は、すでにビールを片手に笑っていた。
「え……?」
宗一は、正晴の言葉の意味がすぐには飲み込めなかった。
「なんかさ、お見合い相手と付き合って、同棲してるんだろ? 上手くいってる?」
「は……?! なんでそれを……?!」
宗一は思わず声を上げた。 正晴はニヤニヤしながら、枝豆をつまんでいる。
「え、志津さんから聞いたよ? すっごく大きくて優しい人だって。その人も同じ職場で、先生なんだって?」
「……なんでも筒抜けかよ……」
宗一はグラスを口元に運びながら、心の中で叫んだ。
(康二も止めろよ……!)
志津の情報網は、昔から侮れない。 近所の人にも、親戚にも、そして幼馴染にも、宗一のことはすぐに伝わってしまう。
「で、どうなの? その先生とは」
正晴は、興味津々といった様子で身を乗り出してくる。
「……まあ、普通に暮らしてるよ」
「へえ~。宗一が誰かと一緒に暮らすなんて、ちょっと想像できなかったな」
「俺だって、想像してなかったよ」
宗一は苦笑しながら、焼き鳥を口に運んだ。
「でもさ、なんか顔が柔らかくなったっていうか、雰囲気変わったよ。前よりずっと、いい顔してる」
「……そうか?」
「うん。志津さんも言ってたよ。“宗一がなんだか楽しそうだ”って」
その言葉に、宗一は少しだけ胸が熱くなった。 自分では気づかない変化を、周りが見てくれている。
「なあ、その先生、どんな人なの?」
「……真面目で、穏やかで…、ちょっと泣き虫だ」
「泣き虫?!」
正晴は思わず吹き出した。
「映画とか見てると、横で静かに泣いてるんだよ。俺が笑ってると、“からかうな”って言うし」
「それ、めっちゃ可愛いじゃん」
「……まあ、そうかも」
宗一は苦笑した。 正晴はその笑顔を見て、またニヤニヤした。
「なんかさ、宗一がそうやって誰かのこと話してるの、初めて見たかも」
けれど、宗一はグラスを置いて、少し真面目な顔になった。
「……でも、正晴。俺たち、別にそういう関係じゃないんだ」
「え?」
「お互いに親を安心させるための、政略同棲っていうか……。好きとか、そういう気持ちはない。最初から、“形だけでもいい”って話してる」
正晴は驚いたように目を見開いた。
「マジか……?」
「……」
しばらく喋りながら(ほとんど正晴が喋っているのだが)飲んでいると、程よく酔いが回ってきて、宗一の口から思わず今朝の問題が零れた。
「……、今度のヒート、一緒にいたいって言われた…」
「へ~! いいじゃん!!」
「いいわけないだろ! お互い好きなわけじゃないのに……」
宗一は、グラスを置いて少し語気を強めた。 正晴は驚くでもなく、ただ優しく微笑んだ。
「でも、嫌いじゃないんだろ……?」
その言葉に、宗一は思わず目を逸らした。 視線をテーブルの端に落としながら、小さく「まあ……」と答える。
「ハグはできる?」
正晴が、冗談めかして聞いた。 宗一は少し考えてから、こくりと頷いた。
「キスは?」
今度は、宗一は首を傾げて黙り込んだ。 キス――くらいなら、できるかもしれない。 でも、その先はどうにも想像できない。 身体を重ねること。触れ合うこと。 それ自体も初めてなのだ。
正晴は、そんな宗一の表情を見て、ふっと笑った。
「なんか、初恋みたいだな」
宗一は、笑い返すことができなかった。 代わりに、心の中でそっと呟いた。
(……お前だったらいいのに)
言えるわけがない。 言ったところで、どうにもならない。 正晴はもう結婚していて、幸せそうで―― それに、宗一のことをそんなふうに見ることは、きっとない。
「まあ、なるようになるって!」
正晴は、明るく言った。 その無邪気さが、時に残酷に感じる。
「俺はβだからわかんないけど、αとΩって“運命の番”とかあるんだろ? そこんとこはどうなの?」
「んなの、都市伝説だろ……」
宗一は、少し苦笑しながら答えた。 運命なんて、信じたことはない。 そんなものがあるなら、もっと早く誰かに救われていたはずだ。
「え~! でもさ……」
正晴が何か言いかけたとき、宗一は顔を上げた。
「あ……?」
「宗一が大切にされてて、幸せそうで、よかった」
その言葉に、宗一の胸がズキンと痛んだ。 正晴の笑顔は、昔から変わらない。 優しくて、まっすぐで、どこか無防備で―― だからこそ、宗一はずっと惹かれていたのかもしれない。
その痛みを隠すように、宗一はグラスを手に取り、酒を流し込んだ。 喉を通る熱が、胸の奥の痛みを少しだけ鈍らせる。
(……あの人に抱かれたら、こいつのことなんて忘れられんのかな)
そんなことを考えてしまう自分が、少し嫌だった。 でも、どうしようもなかった。
正晴は、何も知らずに笑っている。 宗一は、その笑顔を見つめながら、黙っていた。
4
「ヒートの間、迷惑かけるかもしれねえけど、よろしくお願いします」
宗一がそう言ったのは、ヒートに入る前日の夜だった。 夕食を終えた後、洗い物をしながら言った。
新田は、食器を拭きながら少し驚いたように顔を上げ、そして、すぐに優しく微笑んだ。
「もちろん、いいに決まっている。私にできることがあれば、何でも言ってくれ」
その言葉は、いつも通りの穏やかさだった。 けれど、宗一の胸には、やはりどこか引っかかっていた。
(……無理せずに、実家に帰った方が良かったか?)
そう思う。 ヒートの間、新田に迷惑をかけるのは、やはり気が引ける。 でも、実家に帰れば、また母や弟たちを心配させるのは明らかだ。 お互い「親を安心させたい」という気持ちがあるからこそ、 ヒートのたびに実家に戻るという選択肢は、現実的ではなかった。
宗一は、少しだけ視線を落とした。 そして、言葉を選びながら、ゆっくりと口を開いた。
「あの……もし俺が誘ったり、あなたがしたいと思えば、好きなようにしてください」
新田は、皿を持ったまま、宗一の顔を見つめた。
「……好きなように……?」
よく意味がわからなかったようで、少し戸惑いながら聞き返してくる。
宗一は、一息ついてから、覚悟を決めたように言った。
「セックスするなり、番にするなり…、男だから孕む心配はあまりないと思うけど…、まあ適当に、あなたが良いようにしてください」
それだけ言うと「じゃあ、もう寝ます」と、さっさと自室に入ってドアを閉めた。
残された新田はポカンとしていた。
***
宗一は、ヒートの一週間は仕事を休む。 それは、学校の誰もが知っているわけではない。 新田も、宗一と暮らすようになるまでは、そんな事情すら知らなかった。
ヒートは、だいたい三ヶ月に一度。 新田は、宗一が三ヶ月に一度学校を休んでいたことなど、まったく気に留めていなかった。 それまでは、本当に接点のない、ただの“用務員さん”だったのだ。宗一が休んでいる間の仕事は、養護教諭の小谷先生が代わりにこなしていた。 静かに、何事もなかったかのように。
けれど、宗一と暮らすようになってから、学校でも彼のことを自然と気にするようになった。 職員室で似た名前が出ると、耳がそばだつ。 校内ですれ違うと、つい目で追ってしまう。
彼の仕事はいつも丁寧だった。 誰よりも校内の隅々まで気を配り、細かなところまで目が届いている。 それでも、決して目立つことはなかった。 毎日、黙々と業務をこなしながら、まるで空気のように、皆が安全に過ごせるように学校を支えてくれている。
今まで気づかなかったことが、少しずつ見えてくる。
新田は、長く一人暮らしをしていた。 だから、誰かと同居することには、正直不安もあった。 生活リズムの違い、価値観のズレ、距離感―― それらが、静かにストレスになるのではないかと思っていた。
でも、宗一との暮らしは、思いのほか心地よかった。
それは、宗一が優しい人間だからだ。 無理に踏み込んでこない。 でも、必要なときにはそっと寄り添ってくれる。 食事のとき、何気なく好みを覚えていてくれる。 疲れて帰った日には、黙って湯を沸かしてくれる。
そして、宗一も少なからず、自分といることで安心してくれている―― 新田は、そう感じていた。
ヒートの3日目。 仕事を終えてマンションに戻ると、玄関を開けた瞬間、宗一の匂いが鼻をついた。 甘く、熱を帯びたような香り。 それは、玄関まで漂っていた。
新田は、そっと靴を脱ぎながら、息を整えた。 宗一は、マンションにいるとは言っていた。 けれど、抑制剤や食べ物――ゼリー飲料、スポーツドリンク、新田用には作り置きのおかずやレトルト食品まで――を事前に大量に準備していたことを思い出す。
まるで、誰にも頼らず、ひとりでやり過ごすつもりだったかのように。
実際、1日目も2日目も、宗一は自室に籠っていた。 ドア越しに「大丈夫です」とだけ返され、顔を見ることもなかった。
(そんなに……私は頼りないだろうか)
新田は、少し落胆した。 宗一が自分を頼らないことが、寂しかった。 心配をかけたくないのかもしれない。 迷惑をかけたくないのかもしれない。
でも―― 一緒に暮らしているのに、扉の向こうで苦しんでいる人がいるのに、 何もできない自分が、もどかしかった。
宗一の部屋の前に立ち、ノックしようとして手を止めた。 中からは、物音ひとつしない。 静かすぎて、逆に不安になる。
(寝ているだろうか…?)
そっと、ドアに耳をつけて中の様子を伺う。 開けるべきか、待つべきか。 その判断すら、迷ってしまう。
宗一は、強い人だ。 誰にも頼らず、傷ついても黙って耐える。 でも―― そんな彼だからこそ、誰かに甘えてほしいと思ってしまう。
そのとき、部屋の中からガンッと何かが落ちる音がした。
「保科…?!」
思わず新田がドアを開けると、今まで嗅いだことのないΩの匂いがした。新田も一応α用の抑制剤を飲んでいるものの、それでも一瞬ぐらついた。スポーツドリンクが床に転がっていた。
宗一は息があがり、苦しそうに呻いているので、新田はかがんで手のひらを宗一の額に当てると、宗一の身体がビクッと痙攣した。熱が高い。
「大丈夫か…?」
「あ、にったさん…?」
宗一は新田の手のひらに頬ずりをした。
「…わっ」
宗一が手を伸ばして新田の首に抱き着き、新田は危うく倒れそうになる。
「さわって…っ…」
熱い吐息が新田の耳にかかり、新田はゴクリと生唾を飲み込んだ。
彼は求めるように自分から唇を寄せた。口を開き舌を絡ませて、角度を変えて口づけをする。口の中も熱くて甘い。
彼の首には、項を守るためのカラー――番防止用の首輪は、つけられていない。 それは、彼自身が望んでいないからだった。
『首につけるものは、苦手なんです』 以前、そう話していた。 ネクタイも、マフラーも、首を絞められるようで嫌だと苦笑していた。
新田は、その言葉を思い出していた。 彼が一体どんな目にあってきたのか―― どれほど心に傷を負っているのか―― その輪郭が、少しずつ見えてくる気がした。
彼が何を恐れているのか。 それは、過去の記憶なんだろう…。
(彼を大切にしたい……)
新田の中に、そんな気持ちが芽生えていた。 宗一は「好きにしていい」と言った。 でも、それはきっと――本音ではない。 そのことはわかる。
(君は好きにしていいと言ったが、私は君を酷い目には合わせたくない……)
(本当に君が『番になりたい』と思ってくれたときに、番になりたい)
そう思った。 無理強いするつもりなど元々ないが、彼が心から望んだときに、初めてその絆は意味を持つと思った。
新田は、彼を抱き上げた。 宗一は、驚いたように目を見開いたが、すぐに目を閉じて身を委ねた。自分の寝室へと向かい、そっとベッドに彼を下ろす。そして抱きしめた。
***
ヒートも5日目となり、宗一はやっと身体が落ち着いてきて、でもまだぼうっとした頭で目覚めた。
(ここ…、新田先生の部屋…?)
身体はだるく重い。動こうとすると関節が軋んだ。
宗一は明らかに自分のサイズより大きなシャツを羽織っているのに気づく。新田の匂いが残っていて、なんだか安心した。
宗一は、またうとうとと眠りに落ちた。 ヒートの熱に浮かされながら、意識はゆっくりと沈んでいく。 まどろみの中で、おぼろげな記憶が蘇った。
夢の中で、新田が宗一の顔に触れていた。 指先が、古い傷跡をそっとなぞる。
『この傷は、どうしたのか聞いてもいいか…?』
その声は、静かで、どこかためらいがちだった。
『聞いても面白くないですよ…』
宗一は、少しだけ笑って答えた。 けれど、新田は残念そうな顔をした。
その表情が、あまりにも素直で、宗一は思わず新田の頭を撫でた。
『昔、親父が包丁で…。俺は、母を守らなきゃいけないと思って…。それだけで…』
言葉にすると、過去が少しだけ遠くなる気がした。 それでも、胸の奥にはまだ痛みが残っていた。
新田は、宗一の言葉を聞いて、何も言わずに目を伏せた。 そして、静かに涙が零れた。
『も、泣くなよ…』
宗一は、少し笑って、新田の涙を指で拭った。 その指先は、優しく震えていた。
『痛かっただろう。辛かっただろう…。私が守ってやりたかった…』
その言葉に、宗一の胸がじんわりと熱くなった。
『親父はもういないから、大丈夫ですよ…』
そう言いながらも、心の奥では、誰かにそう言ってもらえることが、ただ嬉しかった。
前にも、こんなふうに自分のことを想って泣いてくれた人がいた。 何もできなくてごめん、と言いながら、ずっと傍にいてくれた人。 その人の涙が、宗一の孤独を少しずつ溶かしてくれた。
(きっと、この人のことを好きになる)
宗一は、そんな予感がした。 夢の中で、優しく笑いかけてくれる新田の顔が、ぼんやりと浮かんでいた。
5
「保科、おは……え?」
一週間ぶりに出勤した宗一が職員室の前で宇佐美と鉢合わせると、彼は目を丸くして立ち止まった。
「なんだ?」
「なんか匂いが違う…」
宇佐美は、宗一の周囲をくんくんと匂いを嗅ぎながら言った。
美術教師でありながら、アーティストとしても活躍している宇佐美は、もちろんα。 美術室の備品を壊したり、突飛な作品を持ち込んだりと、何度か関わることがあり、なぜかちょくちょく話しかけられる。
驚くべきことに、宇佐美は一夫一妻制の日本で、なんと3人の妻を養っているという破天荒な男だ。 しかも、そのうち2人は養子にしているらしい。変人もここまでくると、もはや尊敬に値する。
さらに驚くのは、妻たちの性質――α、β、Ωと、それぞれ異なること。 まるでバランスを考えたかのような構成に、宗一は思わずあっけにとられた。
そんな宇佐美が、真顔で言う。
「それ、αの匂いだろ…?」
宗一は慌てて自分の腕の匂いを嗅いでみるが、自分ではよくわからない。宗一は、顔が熱くなるのを感じた。 ヒート明けの身体に、何か変化があるのかもしれない。もしかしたら誰の匂いかまでわかるのか?――そう思うと、少しだけ不安が胸をよぎる。
「いつから番がいたんだよ? ええ?」
宇佐美がニヤニヤしながら詰め寄ってくる。
「番じゃねえ…」
宗一がそう言うと、宇佐美はまた目を丸くし、宗一の項を覗き込んだ。
「あ、ほんとだ! 噛まれてねえな。お前、首スカスカなのになあ…」
「うるせえっ…!」
「…にしても、こんだけマーキングするなら、番にしそうなのに…」
「あ…?」
言葉の意味がわからず、宗一が眉をひそめると、宇佐美はニヤリと笑って言った。
「『俺のΩだ。触るなよ』って匂いだな。愛されてるねえ~!」
「……っ、んなんじゃねえよ!」
宗一が慌てて否定するのを見て、宇佐美は肩をすくめながら職員室の扉を開けた。
「早いとこ、番にしてもらえよ~」
宇佐美は、いつもの軽い調子でそう言い残す。 冗談のような、応援のような、そんな言葉だった。 けれど、宗一の胸には、ずしりと重く響いた。宗一は、項を手で隠すようにしながら、深くため息をついた。
(番に……してもらえよ、か)
その言葉を繰り返すたびに、心の奥がざわついた。 本当に、そんなふうになれるのだろうか? 自分が“番”になれるなんて、現実味がなかった。
男だから。 Ωだから。 自分だから――
番にはしてもらえないのだろうか。 そう思ってしまう。
いくら新田が優しいと言っても、 それはただの同情かもしれない。 一緒に暮らしているのも、情からかもしれない。
(やっぱり……俺なんて、嫌だよな)
宗一は、そっと目を伏せた。
掃除中、鏡に映る自分の顔が、どこか薄暗く見えた。
過去の傷。 父の言葉。 社会の偏見。 自分自身の諦め。
それらが、心の中で静かに積み重なっていた。
新田の優しさは、確かに本物だ。 それでも、宗一は時々怖くなる。 この人の隣にいていいのか。 この人の未来に、自分がいてもいいのか。
番になりたい。 でも、なれない気がする。 なってはいけない気がする。
そんな思いが、胸の奥でぐるぐるとループしていた。
ヒート以降、また普通の生活が続いた。 朝になれば目を覚まし、食卓を囲み、仕事に出かけて、夜には帰ってくる。 そんな日々が、淡々と流れていく。
ヒートの週だけは、少しだけ特別だった。 それは、きっと優しさなのだろう。
―― それ以外は、特に何の触れ合いもなかった。
手を握ることもない。 抱きしめられることもない。 ましてや、番になるような気配は、どこにもなかった。
次のヒートも。 新田は、宗一を番にはしてくれなかった。
宗一は、何も言えなかった。 言ってしまえば、この穏やかな日常が、崩れてしまいそうで。
(やっぱり、俺なんかじゃダメなんだろうな)
そう思うたびに、胸が少しだけ痛んだ。 新田は優しい。 だからこそ、はっきりと拒絶されることはない。 でも、はっきりと求められることもない。
その曖昧さが、宗一を静かに傷つけていた。
夜、ふたりで並んでテレビを見ていても、距離は変わらない。
宗一は、そっと自分の手を見つめた。 この手を、誰かが握ってくれる日は来るのだろうか。 誰かが自分を必要としてくれる日は――
新田の隣にいるのに、どこか遠く感じる。 それが、何よりも寂しかった。
***
その日は、新田が「実家に用事があるので、帰るのが遅くなる」と言っていた。 冷蔵庫の中身を思い出しながら、夕飯をどうするか考えていたところに、宇佐美から話しかけられた。
「今日、飲みに行こうぜ。いい店あるんだ」
誘われるままに、宇佐美の行きつけだという居酒屋に連れて行かれた。 店内は賑やかで、煙と笑い声が混ざり合っていた。 カウンター席に並んで座り、ビールを注文する。
程よく酔いがまわってきた頃、宇佐美が唐突に首を傾げて言った。
「で、なんでまだ番になってねえの…?」
宗一は、ビールのジョッキをドンッと音を立てて置いた。
「知らねえよ…」
「まあ、オレに話してみろよ」
枝豆をつまみながら宗一はぼそりと漏らした。
「ヒート以外は全然触ってくんねえ…。普段は仲のいい友達ってとこだ。ヒートは一緒にいるのに番にしてくれねえってことは、俺じゃダメだってことだろ…」
宇佐美は、焼酎を口に含みながら、少しだけ眉をひそめた。
「それって……拒まれてるってことか?」
「わかんねえ。拒まれてるわけじゃないと思う。でも、求められてる感じもしない」
宗一は、ジョッキをもう一度傾けた。 喉を通る冷たい液体が、胸の熱を少しだけ冷ましてくれる。
「男だからか、それとも、俺だからか……」
「……うーん…、お前、相手に何て言ってんの?」
宗一は、空になったジョッキを見つめながら答えた。
「……『番にしたいなら、どうぞ』って…」
「はぁ?!」
宇佐美は眉間に皺を寄せ、大声で言った。 店内の数人が振り返るほどの勢いだった。
「そんなんじゃダメに決まってんだろ…!!」
「うるせえな…」
宗一は顔をしかめて耳を押さえる。
「こんだけマーキングされてるってことは、向こうは絶対お前のことが好きだってことだぜ? それでも番にしないってことは、お前から『番になりたい』って言うのを待ってんだろ。 大事にされてるじゃねえか…?!」
宇佐美が宗一の肩をバンバンと叩く。 宗一は「痛ぇ!」と跳ねのけた。
(大事にされてることは、わかってる…)
宗一は、ぽつりと呟く。
「でも、あの人はすげえ優しいから、俺に同情してるだけかもしれねえ…。俺は可哀相な男のΩってとこだろ。それなのに、こっちから『番になりたい』なんて言えるかよ…」
宇佐美は、焼き鳥の串を置いて、宗一の顔を覗いた。
「お前、その人のこと、好きなんだろ?」
その言葉は、あまりにもストレートで、宗一の胸を突いた。 苛立ちが、じわりと湧き上がる。
「……しらねえよ」
言い返すように、低く呟いた。 本当は、わかっている。 でも、認めたくなかった。 認めてしまえば、期待してしまう。 期待してしまえば、傷つくかもしれない。
「好きなら言えよ! 言わなきゃわかんねえだろ!」
宇佐美の声が、店の喧騒の中でもはっきりと響いた。 宗一は、ため息をついた。 頭の中は、ぐるぐると同じことを考えていた。
(……あの人を、これ以上困らせたくない)
新田はいつも穏やかで、宗一のことを気遣ってくれる。 ヒートの間も、そばにいてくれた。 こんな自分を抱いてくれた。過去に踏み込んでこようとせず、ただ静かに寄り添ってくれる。
(もう、このままでいいのかもしれない)
番にならなくても、十分に優しくしてもらっている。 それ以上を望むのは、わがままなのかもしれない。 男のΩである自分に、これ以上何を求めるというのか。
「どうせ無理だ…」
「いやいや、絶対いけるって!」
隣の席から、宇佐美が唐突に声を上げた。 宗一は眉をひそめて、ちらりと横目で見る。
「ほんとかぁ……?」
いまいち宇佐美の言うことが信用できず、宗一はまた顔をしかめた。
「保科はどうなりたいんだよ?」
「俺は……」
言いかけて、言葉に詰まる。 自分の気持ちが、うまく言葉にならない。
「あ?」
「俺は別に……」
「なあ、一度、相手と腹割って話してみろよ」
宇佐美の言葉は、いつもストレートだ。 宗一は曖昧に「ん……」と返事をしたが、心の中では答えが出せずにいた。
すると、宇佐美は机をバンッと叩いた。
「あ~もう、早く番になれよ! なんかこっちがイライラするわ!」
「はぁ?! 余計なお世話だ!」
宗一は思わず声を上げた。 周囲の客がちらりとこちらを見たが、宇佐美は気にしない。
「だってさ、お前、絶対好きだろ。顔に出てるし」
「出てねえし!」
「出てるって。てか、匂いにも出てるし」
「……うるっせえ!」
宗一は顔を赤くして、「ビールおかわり!」とカウンター越しに店員に頼んだ。
「まあ、俺は応援してるからな。お前、今まで苦労してきたんだろ。幸せになってほしいよ…」
その言葉に、宗一は少しだけ目を細めた。 宇佐美の言葉は、いつも軽いようでいて、どこか本音が混じっている。
(……俺は、どうしたいんだろう)
新田のことを思うと、胸が温かくなる。 でも、同時に不安もある。 このままでいいのか。 それとも、もっと踏み込んでみるべきなのか。
居酒屋を出て、宇佐美と別れたあと。 宗一は一人、駅の方へ向かって歩いていた。 夜風が少し肌寒くて、酔いがじわじわと引いていく。
ふと、前方に見覚えのある背中が見えた。 背が高く、他の人より頭ひとつ分飛び抜けている。 すぐにわかった。
(……新田先生)
思わず声をかけようとしたその瞬間。 隣にいる人影を見て、宗一は息を飲んだ。
新田の隣には、養護教諭の小谷里佳子がいた。
その小谷と、新田が並んで歩いている。 楽しそうに話しているようにも見える。 距離は近すぎず、遠すぎず――けれど、宗一にはその距離がやけに近く感じた。
(今日は実家に用事があるって言ってたのに……)
胸の奥が、ズキズキと痛んだ。 嘘をつかれた。 小谷と一緒にいた。 それだけのことなのに、どうしてこんなにショックを受けているのか、自分でもわからなかった。
今まで、殴られても、首を絞められても、切りつけられても―― どんなときも、こんなに傷ついたことはなかった。
(……なんで、こんなに苦しいんだ)
宗一は、思わず足を止めた。 声をかけることもできず、ただその場に立ち尽くす。
新田が笑っている。 小谷が頷いている。 その光景が、まるで自分の知らない世界のように見えた。
これは――嫉妬、なのか?
どす黒いものが、腹の中をじわじわと広がっていく。 気づけば、胸の奥まで覆いつくしていた。 ぐつぐつとマグマが煮えたぎるような感情。 今、言葉を発すれば、きっと罵詈雑言しか出てこない。 言ってはいけない言葉も、きっと自分でも止められない。
こんな感情、初めてだった。 いや――もしかしたら、昔にもあったのかもしれない。正晴のときは最初から諦めていたし、見ないふりをして蓋をした。でも、新田は…
父は、こんな気持ちだったのだろうか。 自分に対して、母に対して、どうしようもない怒りと憎しみを抱えていた。 それが、暴力という形になっていた。
今、自分の中にあるこの感情は、あの頃の父の目と、重なる気がした。
苦しい。 息が詰まる。 責めたいわけじゃないのに、責めずにはいられない。 自分でも、どうしてこんなに苦しいのか、わからない。
ただ―― 新田が笑っているのを見るたびに、 その笑顔が自分以外の誰かに向けられていると感じるたびに、 胸の奥が、焼けるように痛む。
(俺は、こんなふうになりたくなかったのに)
父のようには、絶対にならないと誓ったはずだった。 誰かを傷つけるような生き方は、しないと決めたはずだった。
なのに、今―― この感情は、確かに自分の中にある。
それでも、言葉にはしない。 あの人を傷つけるくらいなら、黙っていた方がいい。 この苦しみは、自分だけが抱えていればいい。
そう思いながら、宗一は拳を握りしめた。 爪が掌に食い込むほど、強く。
宗一は、そっと身を翻し、遠回りして駅へ向かった。 新田に見つからないように。 小谷にも、気づかれないように。
夜の街は静かで、足音だけが響いていた。 今にも涙が零れそうだったけれど、ぐっと堪えた。 俯いたまま、誰にも顔を見られないようにして、向かったのは実家だった。
6
降ってきた雨はしばらく降り続く。 空は重く、街灯の光も滲んで見えた。
傘は持っておらず、足元は水たまりでぐしゃぐしゃになり、服はずぶ濡れ。気づけば涙が零れていた。それでも、止まれなかった。自分が壊れそうで、怖かった。
実家の玄関チャイムを押すと、すぐに母の志津が出てきた。 その顔は、驚きに満ちていた。
「宗一……? どうしたの?」
「……」
「ずぶぬれじゃない。入りなさい。待ってて、タオルを…」
黙っている宗一に、志津はすぐにタオルを取りに行こうとしたが、先に康二がタオルを差し出してくれた。 下の弟たちも「兄ちゃんだ!おかえり!」と、誰も、追い返そうとはしなかった。 そのことが、胸に沁みる。
「寒くない? 大丈夫?」
志津は、深くは聞こうとしなかった。 ただ、宗一を風呂に入れ、温かいお茶を淹れてくれた。 その手つきは、昔と変わらない。 優しくて、何も言わなくても気持ちを察してくれる。
宗一はしばらく黙っていた。 けれど、心の中に渦巻いていたものが、どうしても言葉になってしまった。
「……どうしていいか、わからないんだ」
「何かあったの?」
「新田先生が、今日は実家に用事があるからと言ってたのに、」
「うん」
「小谷先生っていう、女の先生と歩いていて……」
その言葉に、志津と康二は目を見開いた。
「……嫉妬したんだ。何をするかわからないくらい。 俺、父さんみたいになってしまったらどうしようって……。 そうなったら、きっと、あの人に嫌われてしまう……」
思い出すと湯呑を持つ手がカタカタと震えて、慌てて湯呑を置いた。志津は、宗一の手に自分の手を重ね、少しだけ笑った。 優しい笑顔だった。
「そのくらい好きなのね。好きだから、嫉妬するのよ」
「え……?」
「……愛してるのね」
「あい……?」
宗一は、志津を見つめた。 父は母を愛していたのだろうか? だから、あんなふうになったのだろうか?
「だったら、母さんは父さんを許せるのか……?」
志津は、ゆっくり首を振った。
「暴力は、絶対にダメ。でもね……嫉妬っていう感情は、止められないのよ。 だからこそ、ちゃんと話すの。素直に『こう感じてる』って伝えて、 それで、どうしたらいいかを一緒に考えるの。 母さんと父さんは、それができなかった……。 父さんが宗一にまで手を出してしまって、止められなくて……本当に、ごめんなさい」
志津は、深く頭を下げた。
「か、母さんは悪くないだろ!」
宗一は、思わず声を荒げた。 けれど、志津は静かに言葉を続けた。
「でもね……父さんも、ある意味かわいそうな人だったのよ。 身内に男性のΩの方がいて、父さんも子どもの頃ひどい差別を受けたって聞いたわ。 それがずっと心に残ってたんだと思う。 でも、だからって暴力は絶対に許されない。 世の中には、差別を受けても暴力に頼らず、 むしろ世界を変えようとしてる人だっている。 でも、父さんは……そうじゃなかった」
宗一は、言葉を失った。 ずっと父を憎んでいた。 でも、そんなことは今初めて聞いた。だからといって、許せるわけではないけれど。
志津は、宗一の手をそっと握りながら言った。
「でもね、宗一は違う。宗一は、強くて優しい子。母さんの自慢の息子よ。 だから、大丈夫。ちゃんと向き合える」
少し間を置いて、志津は微笑んだ。
「まずは、二人で話してみなさい。 何も言わずにこちらに帰って来たんでしょう? 功史朗さんだってびっくりするわよ」
宗一は、黙って俯いた。
すると、隣で話を聞いていた康二が、突然声を上げた。
「兄貴が親父みたいになるわけないだろ!!」
「康二……」
「兄貴は、ずっと家族を守ってくれたじゃねえか。 こんな優しい兄貴がいるのに、浮気するなんて、新田の方が許せねえよ! 俺が一言言ってやろうか?!」
康二は怒っていた。 目を真っ赤にして、拳を握りしめていた。 宗一のために、怒ってくれていた。
「康二、これは宗一の問題よ。 まずは、きちんと話したら、わかってもらえるかもしれない。功史朗さんなら」
志津の言葉に、宗一は目を伏せた。 自分の感情が、誰かに受け入れてもらえるなんて、思っていなかった。新田なら、受け止めてくれるのだろうか…?
「嫉妬して、少しくらいケンカしたっていいのよ」
「……?」
「だって、付き合ってるんだから。それくらい、あるわよ。 どうしてもダメなら、いつでもうちに帰っておいで」
その言葉に、宗一は胸が詰まった。
***
それから数日間、宗一はいつも通り通勤はしていたが、新田とは距離を置き、仕事が終わると逃げるように実家へ帰った。 新田からは何度も電話やLimeのメッセージが届いた。 けれど、何と返せばいいのかわからなかった。 言葉が見つからない。気持ちが追いつかない。
新田は、仕事が終わると宗一の実家まで足を運んでくれた。 玄関の前に立ち、「話がしたい」と静かに声をかけてくる。 その声は、いつもと変わらず優しくて――でも、どこか寂しげだった。
宗一は、そのたびに「帰ってください!」と新田を追い返してしまった。 顔を見るだけで、胸が痛む。 彼の優しさが、苦しかった。
話そうとしても、言葉より先に涙が出てきてしまう。 喉が詰まって、声にならない。 どうしてこんなにも、話すことが怖いのだろう。
今日もまた、新田は来ていた。 雨が降りそうな曇り空の下、傘も差さずに玄関の前に立っていた。 ぽつぽつと雨が降り始めても、帰ろうとしない。
しびれを切らした宗一が玄関を開けると、 そこには、少し困ったような顔をした新田がいた。
「話をしてくれないか?」
その言葉に、宗一はとうとう口を開いた。
「……俺、あなたのことが、好きなんだと思います」
新田は、驚いたように目を見開いた。 そして、静かに微笑んだ。
「だったら……」
その声に、宗一は首を振った。
「でも……あの日、あなたは俺にウソをついて、小谷先生と一緒にいた。偶然、見かけてしまって…。小谷先生は女だし、美人だし、優しいし……俺なんかより、よっぽど小谷先生の方がいいのはわかります。だから、俺のことは気にせずに、彼女と番になって暮らしてください。 俺は出ていきますから……」
宗一の声は震えていた。 言葉にすることで、感情があふれ出しそうだった。新田の顔を見ずに続けた。
「こんな俺が、あなたを好きになってごめんなさい。 あなたは、ただ優しくしてくれただけなのに……勘違いして、ごめんなさい。 俺、小谷先生にも、あなたにも何をするかわからない。 あなたに迷惑をかけたくない。だから――」
宗一は、絞り出すように言った。
「別れてください……今まで、お世話になりました」
その言葉に、新田は珍しく大きな声を上げた。
「ま、待ってくれ! 誤解だ!!」
宗一は驚いて顔を上げた。 新田の表情は、必死だった。
「ウソをついたのは悪かった。だが、小谷先生には、相談していただけだ……!」
「はぁ……?! 何を?!」
新田は、少し息を整えてから言った。
「君への誕生日プレゼントだ」
「たっ……誕生日……?」
あまりにも、この場に似つかわしくない単語が飛び出してきて、宗一の頭は一瞬うろたえた。そういえば、来週は自分の誕生日だった。 すっかり忘れていた。 それどころか、祝われることなど考えてもいなかった。
「……誕生日、もうすぐだろう? 君が何を喜ぶか、わからなくて……小谷先生に少し相談していたんだ。彼女は君とよく話すと聞いていたから…」
宗一は、言葉を失った。 胸の奥が、じんわりと熱くなる。 あの光景が、まるで違う意味を持っていたことに、ようやく気づく。
「……なんで、そんなこと……」
「君を驚かせようと思って…、でも軽率だった。誤解させて悪かった」
新田の声は、静かで、真っ直ぐだった。
宗一は、そっと目を伏せた。 涙が、また零れそうになる。
新田はカバンの中から、手のひらに乗るくらいの小さな箱を差し出した。
「気に入ってもらえるといいんだが…」
そう言って、新田は宗一の手の上に小さな箱を乗せた。 宗一は戸惑いながらも、そっと蓋を開ける。
中には、繊細な光を放つ指輪が静かに収まっていた。 シンプルなプラチナの輪に、ひと粒だけ小さなダイヤが埋め込まれている。 派手すぎず、けれど優しく輝いていて――まるで、新田のようだった。
宗一は、言葉が出なかった。 胸の奥が、じんわりと熱くなる。 でも、何も言えないまま黙っていると、新田が少し不安そうに口を開いた。
「だ、ダメか……? 気に入らなかったら、無理につけなくていい……」
その言葉に、宗一は思わず声を荒げてしまった。
「なんで……?」
「……?」
「なんでこんなことするんですか?!」
手の甲で、目に滲んだ涙を拭う。 感情が溢れて、抑えきれなかった。
「え……?」
「また、勘違いするから、やめろよ……!」
「勘違い……?」
新田はしばしポカンとしていたが、やがてふっと微笑んだ。
「勘違い、してくれないのか?」
その笑顔は、いつも通り穏やかで、でもどこか決意がこもっていた。
「保科……いや、宗一」
新田は、宗一の手をそっと包み込む。 その手は温かくて、優しかった。
「……」
「私の番になってくれないか?」
「……っ?!」
宗一は目を見開き、顔を上げた。 そこには、真っ直ぐに自分を見つめる新田の顔があった。
「私は、君と、きちんと番になり、結婚したい。誕生日にこの指輪を渡して、そう言うつもりだった」
「な、なんで……?」
声が震える。 宗一は、信じられないような気持ちで問いかけた。
新田は、迷いなく答えた。
「君が好きだ」
その言葉に、宗一は思わず俯いた。 顔が熱くなって、目を合わせられなかった。
こんなふうに、誰かに真っ直ぐに「好きだ」と言われたのは、初めてだった。 しかも、それが新田から――
「……お、俺なんかのどこが好きなんですか……っ?! あんたは優しいから、俺に同情してるだけだろっ……?!」
宗一の声は震えていた。 心の奥にずっと沈めていた言葉が、堰を切ったように溢れ出す。
「可哀相な男のΩに……!俺なんて、生まれてこなければよかった……!」
父親に何度も言われた言葉が、頭の中でこだまする。 『死ねばいい』―― その言葉は、宗一の心に深く刻まれていた。 暴力も、罵声も、ずっと自分を否定するものだった。
「そんなことを言うな……」
新田の声は、静かで、でも力強かった。 次の瞬間、宗一の身体は新田の腕の中にすっぽりと包まれていた。 決して小さくない自分の身体が、大きな体に抱きしめられる。 新田の匂いに包まれて、宗一は少しだけ安心した。
「君の優しいところが好きだ。 一緒にいると安心するし、とても居心地がいいし、楽しい。 きっと、君の心が美しいからだ」
新田の声が、宗一の耳元で静かに響く。
「家族思いで、私のこともさりげなく気遣ってくれて、私の好きな和食を多めに作ってくれる。 君が笑ってくれると嬉しい。 君を守り、助けたい。私が幸せにしたい。愛しい。 私のものにしたい……」
その言葉に、宗一の目から涙が零れ落ちた。 新田が宗一の髪をそっと撫でる。
「私は、感謝している。君が生まれてきたことに……」
「……っ」
「きっと、私と出会うために生まれてきたんじゃないか?」
(……そんなこと、言ってもらったの初めてだ)
誰かに、自分の存在を肯定してもらえるなんて。 こんなふうに、まっすぐに言ってもらえるなんて。 想像もしていなかった。
もしかして、夢じゃないだろうか―― そう思ったけれど、新田の温もりと、静かに響く心臓の音が、 『これは夢じゃない』と教えてくれていた。
「私と番になろう……」
「いや、でも……俺には返せるものが何も……」
「君からは、いつもたくさんもらっている」
「……あなたは、いい人すぎですよ……」
宗一は、涙を拭いながら呟いた。 新田は、少しだけ笑った。
「今すぐじゃなくていい。ゆっくり考えてくれればいいから。……だから、別れるなんて言わないでくれ……」
そう言って、ぎゅっと強く抱きしめられたあと、 新田の身体がゆっくりと離れていく。
その瞬間、宗一は名残惜しさに耐えきれず、新田の腕を掴んだ。
「い、いや……」
「ん……?」
「俺も……番に、なり、たい……です。……すぐに……」
宗一の消え入りそうな声に、新田は優しく微笑んだ。
「おいで。一緒に帰ろう」
そう言われ、宗一はコクリと頷いた。
7
『俺も……番に、なり、たい……です。すぐに……』
そう、思わず言ってしまったものの、宗一の身体は緊張で強張っていた。
番になるには、性行為中に項を噛む必要がある。
宗一は自分の意識があるときに、セックスするのは初めてなのだ。
ヒートのとき、意識があるときはできるだけ自分の部屋に籠ってやり過ごし、無意識に自分で部屋を出たのか、それとも新田に連れて行かれたのかわからないが、ヒートが終わる頃には新田のベッドで眠っていた。だが、行為中の記憶はほとんどない。
(心臓、破裂しそう…)
二人でマンションに帰っている間も、新田の耳にも聞こえるんじゃないかと思うくらい、心臓の音がうるさい。
手を引かれるままに、新田の寝室のベッドに2人で並んで座り、そっと肩を抱き寄せられ、優しく口づけされた。
「ん…、わ、あ…っ」
新田の舌が口内に入ってきたものの、宗一が驚いて少し身体を引くと、無理には追ってこず、安心させるように髪の毛や頬を撫でられ、首や鎖骨にも口づけされた。
まるで自分が、新田の大切なものにでもなったように、優しく優しく触れられる。
ベッドに倒され、大きな手が宗一の胸や腹を触る。こそばゆくて、宗一は身を捩った。
「んっ…、ぅっ…、ん…」
甘ったるい声が出るのが嫌で、自分の腕を噛んで我慢していると、新田が宗一の腕を掴んでシーツに降ろし、指を絡めた。
「声が聞きたい…」
「やっ…、あっ…! だ、だって、…俺の声なんて、萎えるでしょ…」
「いや、かわいい…。もっと聞かせてくれ…」
「かわ…?! や、やだぁ…っ!」
極限まで甘やかされ、緊張を解かれる。
服や下着を脱がされ、宗一の隠れた場所に新田の指が触れると、身体が跳ねた。
新田の指が宗一の中に入り込んで、気持ちいいところを刺激する。
「あ、ひっ…」
宗一の中がぐちゅと恥ずかしい水音を立てて、羞恥で泣きそうになった。
「も、いい…、からァ…っ!」
「もう少し、慣らしておかなければ…」
新田は真剣にそう言うが、宗一は首を横に振る。
身体のもっと奥が期待して、次の刺激を待っていた。
「も…、早く…」
「はぁ…」
新田はひとつ溜息をつき、宗一の足を大きく開き、新田の大きくなったものを、宗一の後孔にあてがう。
宗一の身体がビクリと震えた。
「怖いか…?」
震えに気づき、新田は宗一の頬を触って聞いた。
怖くないと言えばウソになる。でも、身体は繋がりたがっている。この人は絶対に酷いことをしないと、知っている。
「だいじょうぶ、です…」
「無理はするな…」
「はい…」
宗一が返事をすると、指とは比べ物にならないくらい大きなものが、狭い壁を広げてゆっくりと押し入ってきた。
「っん…、くっ!」
「大丈夫か…?」
「う、んーっ…!」
あまりの圧迫感に、宗一は首を横に振る。
「やはりまだ…」
そう言って腰を引こうとする新田。だが、宗一は足を絡めて離さなかった。
「やっ…! 抜くな…!」
新田はシーツをきつく握っていた宗一の指を解いて、自分の首に回した。
「ゆっくりと息をして…、少し、力を抜けるか…?」
無意識に力んでいた身体。宗一は新田の身体にしがみついて、息を吐いて力を抜くよう努めた。
「あ、はぁ…、はぁ…っ」
「ん、いいこだ」
髪の毛を撫でられ、頬に口づけされる。まるで小さい子どものようにあやされる。
男が大股を拡げて、恥ずかしい。痛い。苦しい。でも、新田に求められていることが嬉しい。
新田がゆっくりと腰を動かす。
「宗一…」
「んっ…、あ…っ!」
耳元で名前を囁かれ、身体がまた反応する。
「本当に噛んでいいのか…?」
「は、い…」
宗一は頷いて、新田の背中を強く抱きしめた。新田の唇が、宗一の首筋に当たる。宗一が新田とは反対方向に首を捻ると、新田は宗一の項を優しく食んだ。
「ひゃぁ…っ!」
「宗一、愛している…」
そう言って、宗一の項に歯を立てた。
「お、俺も…、ん、んあぁっ…!」
痛みと、快感が同時に身体を駆け巡る。びりびりと感電したように全身が痺れ、宗一は達した。無意識にぎゅうっと中を締め付け、新田も宗一の中で達する。
2人とも脱力し、ただベッドの上で重なり合い、ドクドクと、お互いの心臓の音が早いのが伝わった。
暖かい。気持ちいい。幸せだ…。
「ありがとう…、宗一…」
気づくと、新田は静かに涙を流していて、宗一はそれを見て少し笑った。
心地よい匂いに包まれて、宗一は眠りに落ちた。
***
無事に番になり、婚姻届も提出した。 本当はそれで済ませるつもりだった。 静かに、ふたりだけで、日常の延長線上で――それが宗一の望みだった。
けれど、両家の親の強い希望があり、仕方なく親戚だけの小さな式を挙げることになった。 形式ばったことは苦手だったが、親たちの「せめて式だけでもしてほしい」「晴れ姿を見たい」という期待を無下にはできなかった。
ちなみに、2人ともタキシード姿。 白と黒のコントラストが美しく、並んで立つと、まるで映画のワンシーンのようだった。
式場の控え室では、まだ式も始まっていないというのに、ひときわ目立つ声が響いた。
「ぞういぢ~~~~~~~、よがっだよぉ~~~~!!!」
正晴だった。 親族だけだと言ったのに、「絶対に行きたい!!!」と駄々をこねて聞かず、結局招待することになった。 その正晴は、宗一を見てからすぐに号泣。 ハンカチを顔に押し当てながら、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
宗一も、ついもらい泣きしそうになったが、正晴がそのまま抱きつこうとしてきたので、慌てて制止した。
「このタキシード、レンタルなんだから汚すなっ!」
思い切り振り払うと、正晴は「ひどい!」と叫びながらも、笑っていた。
志津と康二も、泣きながらも笑顔で「おめでとう」と言ってくれた。 志津は何度も目元を拭いながら、「宗一が幸せそうで、本当に嬉しい」と言い、康二は「兄貴、よかったな」と笑顔で言った。
宗一は「母さん、本当にありがとう」と言って、志津の肩を抱きしめた。
康二は新田の方を向くと、宗一に聞こえないように声を落として言った。
「先生、兄貴を泣かせたら、承知しませんからね」
新田は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに笑って頷いた。
「ああ。……きっと幸せにする」
その言葉に、康二は頷き、志津はまた涙をこぼした。
式が始まり、バージンロードの先に新田が立っていた。 タキシード姿の新田は、いつもより少し緊張しているようで、 それでも宗一を見つけると、ふっと表情を緩め、優しく微笑んだ。
「宗一」
その声に、宗一は胸が熱くなるのを感じた。 ゆっくりと歩み寄りながら、手を差し出す。
「功史朗さん」
宗一は笑顔で新田の手を取った。 その手は、いつもと同じように温かくて、しっかりと握り返してくれた。
拍手が静かに広がる。 小さな式場の中で、たくさんの笑顔と涙が溢れていた。 親族たちが見守る中、ふたりは祭壇の前に並ぶ。
司会者が静かに告げる。
「それでは、おふたりから皆さまへ、誓いの言葉を述べていただきます」
会場が静まり、ふたりは並んで前を向いた。 新田が、少し緊張した面持ちで口を開く。
「私は――宗一さんと、これからの人生を共に歩んでいくことを誓います。 彼にはいつも助けられてばかりですが、私も彼を守り、助けたい。楽しいときも、苦しいときも、隣で笑い合えるように。 どんな日も、彼の味方であり続けます」
新田の声は震えていたが、言葉はまっすぐだった。 宗一は、目を潤ませながら頷き、静かに言葉を紡ぐ。
「僕は――功史朗さんと、これからの人生を共にすることを誓います。 こんな僕を選んでくれて、感謝しかないです。どんな困難なことがあっても、功史朗さんと一緒なら、ひとつずつ乗り越えていけると思っています」
ふたりの言葉に、会場は静かに感動に包まれた。
指輪交換の時間が訪れた。
かごの中には、シンプルで美しいペアリングが並んでいた。 光を受けて、静かに輝くそのリングは、ふたりの未来を象徴するようだった。
新田が一歩前に出て、宗一の左手を取った。 その手は、少しだけ震えていた。 けれど、指輪を滑らせる動きは丁寧で、心を込めていた。
「これからも、よろしくな」
その言葉に、宗一は微笑みながら頷いた。 今度は自分が新田の手を取り、指輪をはめる。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
指輪交換が終わり、司会者が静かに告げる。
「それでは、おふたりの誓いのキスを――」
会場がふっと静まり返る。 宗一と新田は、互いに目を合わせた。 その瞳には、言葉にできないほどの想いが込められていた。
新田が一歩近づき、宗一の頬にそっと手を添える。 宗一は、少しだけ目を伏せてから、ゆっくりと顔を上げた。
そして―― ふたりの唇が、静かに触れ合う。
それは、派手でも長くもない。 けれど、確かに心を結ぶ、誓いのキスだった。
会場から、優しい拍手と歓声が広がる。 志津はまた涙をこぼし、康二は照れくさそうに目をそらす。 弟たちは「わあお……」と目を丸くしていた。
宗一は、キスの余韻の中で思った。
(こんな日が来るなんて、昔の俺には想像もできなかったな)
でも今は、隣に新田がいる。 その手を握っている。 指には、ふたりの絆が輝いている。
(ああ、俺、生まれてきてよかった……)
今初めて、自然にそう思えた。
番外編
宗一と一緒に暮らし始めてから、半年が経った。 日々の生活は穏やかで、静かで、心地よい。 けれど、新田の心の中には、ずっと揺れているものがあった。
何度か、彼の白く柔らかい項を噛んで、未来永劫自分のものにしてしまいたいと思ったが、なんとか理性で踏みとどまった。
彼が自分と番になりたがっているかわからない。
『セックスするなり、番にするなり…、男だから孕む心配はあまりないと思うけど…、まあ適当に、あんたが良いようにしてください』
一度目のヒートの前にこんなことを言われたが、なんだか投げやりのような言葉だった。
自分の気持ちもまだあやふやだ。大切にしたいとは思う。けれど、それだけで番になるのは良いのだろうかと。
これはただの一時の『衝動』ではないだろうか―― そんな疑念が、ふとした瞬間に顔を出す。自分がαで彼がΩであるから。第二性の本能なだけではないのか、と。
だが、日常の中で、宗一に触れてみたいと思う気持ちは、確かに存在していた。 料理をしているとき。 ソファの隣に座っているとき。 ふと、その肩を抱き寄せて、柔らかな髪を撫でたくなる。 いつも凛としている宗一を、思い切り甘やかしてやりたくなる。
けれど―― 触れることは、自分には許されていない気がした。 彼はヒートでも意識のあるときは部屋から出てこない。新田のことを求めてくるのは、意識が朦朧とし、どうしようもなくなってからだ。
きっとそれ以外のときに触れることは、自分には許されていない。
もし触れてしまったら、彼は一体どうするだろうか。 拒まれるのではないか。 嫌われてしまうのではないか。
そんな不安が、新田の手を止めていた。
その日、新田は保健室のドアをノックした。 養護教諭の小谷里佳子。 宗一から、学校では小谷とよく話すと聞いている。それに、第2の性についても勉強しているという彼女に、相談してみようと思ったのだ。
あらかじめ約束しておいた時間。 授業のない午後のひととき、小谷はお茶と茶菓子を用意して待っていてくれた。
「どうされましたか?」
優しい笑顔に、優しい声。 新田は少し緊張しながら、自分の状況と、心の中にある思いを話した。
「……彼のことを、大切にしたい。酷いことはしたくない。それは本当だ。 ……だが、自分のものにしたいとも思う。番にしてしまいたいという衝動がある。 それは、私がαで彼がΩだから、本能なのか。初めてのことで、よくわからなくて……」
小谷はしばし考え、静かに口を開いた。
「じゃあ、例えば、新田先生は、私を大切にしたいと思いますか?」
「……ああ、それは思う」
小谷は自分よりも小さく、か弱い存在。 その上Ωであれば、αからは守りたくなるのは当然のことだ。
「では……私がもし、そうですねぇ……例えば、宇佐美先生と結婚すると言ったら、どうしますか?」
「宇佐美……?」
噂によると宇佐美はαで、妻が3人いるという。容姿もよく、教師はどちらかというと副業で、アーティストとしても活動しているらしい。彼はいつも楽しそうで、仕事も一応している。 時々問題行動はあるが、憎めない人物だ。
「そうだな……思うところはあるが、小谷が宇佐美と結婚して、幸せになるのなら、それでいいのでは?」
「そうですか。……では、そのお相手が、宇佐美先生と結婚すると言ったら、どうですか?」
「……」
新田は目を見開き、言葉を失った。 想像していなかった。 あの美しい心を持つ彼を、甘い匂いを、他の男が知るのか――?
自分がこのままの状況に甘んじて、番にしないということは、 彼が誰かに取られてしまう可能性があるということだ。
あんなに優しい宗一を、誰がいつ好きになってもおかしくない。 それは――耐えられない。
小谷はくすくすと笑いながら言った。
「あらあら、怖いお顔」
新田には自覚がなかった。 自分がどんな表情をしていたのかもわからない。
「えっ……? す、すまない……」
「そういうことなんじゃありませんか? 自分の番にしたいと思うのは、その方だけなのでしょう?」
番にしたい。 自分のものにしたい。 『自分』が、幸せにしたい。 彼が欲しい――
「今のお気持ちを伝えてみてはいかがでしょうか。もしかしたら、お相手も新田先生と番になりたいと思っているかもしれませんよ?」
「そうだろうか……?」
「何かきっかけがあればいいのですが……」
新田はふと、カレンダーを見て思い出した。
「そういえば、もう少しで彼の誕生日だ」
「あら!それはいいですね! プレゼントなど差し上げてはいかがですか?」
「プレゼントか……。何を選んだらいいのか……」
お見合いの前に、彼の誕生日を聞いていた。 だが、いざプレゼントを選ぶとなると、どんなものにすればいいのかわからなかった。
「新田先生の選んだものなら、きっと喜んでくれますよ。上手くいくといいですね」
「ありがとう」
新田は小谷に礼を言って、保健室を後にした。
彼にプレゼントを渡し、自分の想いを伝えよう。 今はまだ、すぐに答えが出ないかもしれない。 けれど、一緒に生活する中で、少しずつでも―― 彼に、自分のことを好きになってもらえるように。
そう、心から思った。
幼馴染が結婚した。小さい頃からずっと一緒だった、あの正晴が。
覚悟はしていたけれど、結婚式に出席し、正晴を見た瞬間、胸が詰まった。
幸せそうに笑う正晴。隣には、綺麗なお嫁さん。白いドレスがよく似合っていて、正晴のスーツ姿も見慣れないくらい大人びていた。
結婚したことは、本当に嬉しい。だから、心から「おめでとう」と言った。長く付き合っていた彼女だったし、きっと幸せになるだろう。 そう願っている。
でも―― ほんの少しだけ、寂しくて。
心臓が、チリチリと焦がされたような痛みを残していた。焼けるほどじゃない。 でも、確かにそこにある。 言葉にするには小さすぎて、でも無視するには大きすぎる感情。
何かを失ったわけじゃない。 何かを奪われたわけでもない。 ただ、これまで当たり前だった距離が、とても遠くなった気がした。
思い返せば、正晴とはずっと一緒だった。 ランドセルを背負って、毎日同じ道を歩いた。 部活の帰り道、くだらない話で笑い転げた。 進路に悩んだときも、恋に落ちたときも、そばにいた。
でも、それだけ。 それ以上も、それ以下もない。
自分はただの「幼馴染」だから。
この世界では、人は「第二の性」を持って生まれてくる。 それは、男女という性別とは別に、もうひとつの“本能”に関わる性質だ。
人々は、α(アルファ)、β(ベータ)、Ω(オメガ)のいずれかに分類される。
α(アルファ)
支配的で、身体能力も高く、社会的にも優位に立つことが多い。 番(つがい)を持つ本能が強く、Ωの発情期に反応する性質を持つ。 番になった相手を守ろうとする欲求が強く、独占欲も強い。
β(ベータ)
最も一般的な性質で、αやΩのような特殊な本能は持たない。 発情期もなければ、番の本能もない。 ただし、社会的には安定していて、αやΩと関わることもある。
Ω(オメガ)
発情期という特有の周期を持つ。 その期間中はフェロモンを強く放ち、αを惹きつけてしまう。 男女問わず“子を宿す”ことができる。
番(つがい)
それは、運命的な結びつき。 一度番になれば、心も身体も深く結びつき、他の誰にも代えられない存在になる。
1
「新田先生……? なんでここに……?」
料亭の静かな一室。 畳の上に置かれた座布団にぎこちなく座りながら、保科宗一は目をしばたかせた。 目の前にいるのは、職場の公民教師――新田功史朗。 スーツ姿で背筋を伸ばして座るその姿は、いつもの学校で見る彼とは少し違って見えた。
「ああ、保科さんか」
新田は驚いた様子もなく、むしろ落ち着いた声でそう言った。 宗一は、状況が飲み込めずにいた。
ここは、宗一のお見合いの席だった。 母親の志津が話を持ってきたのは、ちょうど1カ月前のこと。
「もうすぐ28になるのに、付き合ってる人の一人や二人いないの?!」
そう言われ、「いない」と答えたら、すぐにお見合い話が持ち上がった。 宗一は、女手一つで育ててくれた志津のことを思い、断ることができなかった。
暴力的だった父親が亡くなってから、志津は懸命に働き、年の離れた弟たちを育ててきた。 宗一も、母の手助けをしたくて、中学を卒業してから必死に働いた。 恋愛なんて、二の次だった。
一番下の弟が中学に入学し、志津はふと長男のことが心配になったのだろう。
顔には、父親からつけられた傷痕が残っている。 そのせいで、女性から怖がられることも多く、好かれた経験もほとんどない。 だからこそ、母が心配する気持ちもわかる。 「せめて一度くらい、お見合いしてみたら?」 そう言われ、写真も見ずに承諾した。
どうせ、この顔を見れば振られる。 そう思っていたのに――
まさか、相手が新田先生だとは。
「お知り合いなの?」
志津が、興味津々といった様子で尋ねる。
「えっと……職場が一緒で」
宗一が答えると、志津はぱっと顔を明るくした。
「まあ、じゃあ話は早いわね!」
(……母さん、絶対知ってたな)
宗一は、心の中でため息をついた。
新田先生とは、同じ中高一貫校で働いている。 とはいえ、宗一は用務員、新田は公民教師。 立場も違えば、仕事内容も違うため、これまでほとんど接点はない。
ただ、新田は学校にいる誰よりも背が高い。 それだけで、とにかく目立つ存在で、宗一は彼のことを知っていた。 生徒からの人気も高く、物静かだが、頼れる先生という印象だった。
そんな彼が、なぜこの席にいるのか。 しかも、まるで当然のように。
「どうした? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
新田は、少し笑った。 その笑顔に、宗一はますます混乱した。
「あの……写真とか、見なかったんですか?」
「…? きちんと見て、ここに来た。君は見なかったのか?」
新田は不思議そうな顔をしている。宗一は、ふと志津の顔を見た。 どこか満足げに微笑んでいる。
(やっぱり、知ってて黙ってたな……)
同じ職場の先生なら――と、思ったのかもしれない。
宗一は、もう一度深く息を吐いた。
会食は穏やかに進んだ。 お互いの自己紹介や世間話を交わしながら、料理を口に運ぶ。 とはいえ、会話の主導権を握っていたのは、ほとんど母親同士だった。
志津は、明るくてよく喋る。 新田の母は、落ち着いていて品がある。 二人の母親は、まるで旧知の仲のように笑い合いながら、食事を終えた。
そして、最後にお決まりのようなセリフが飛び出す。
「じゃあ、あとは二人でごゆっくり♥」
そう言って、志津と新田の母は席を立ち、部屋を出ていった。 障子が閉まる音が、やけに静かに響いた。
二人きりになると、途端に沈黙が流れる。 料亭の静けさが、余計にその沈黙を際立たせた。
先に耐えきれなくなったのは、宗一だった。
「あの……なんで、こんなとこにいるんですか……?」
新田は眉を少し上げ、目をしばたかせる。
「ああ……何度かお見合いをしているんだが、恥ずかしい話、いつも断られてしまってな。 この身体の大きさのせいか、怖がらせてしまうのかもしれない。 それに、体に持病があってな……相手に負担をかけるのも申し訳なくて。 だから、結婚はもう諦めていたんだが、それでもお見合いだけでもと、親に頼まれてしまってな。 早く安心させてやりたいのだが、なかなかうまくいかない」
新田は淡々と語った。 年齢を聞いたことはないが、30代半ばくらいだろうか。その声には、どこか諦めと優しさが混じっていた。
宗一は眉間に皺を寄せる。 なんとも見当違いなことを言っている。
「いや、そうじゃなくて……」
「ん?」
「お見合い相手……俺、ですよ……?」
新田は一瞬、言葉の意味を理解できなかったようで、首を傾げた。
「俺は、Ωだけど、男で……見た目が怖いから、生徒や保護者にも怖がられてるし……」
宗一は、言葉を絞り出すように言った。珍しいΩで、しかも男。男のΩはとりわけ需要がない。しかも、Ωとわかり、父は宗一にいっそう辛く当たるようになった。
『Ωの男なんて必要ない』
『生きている価値がない』
『死ねばいい』
そう言って、顔には父親からつけられた傷が残っている。 そのせいで、女性からも距離を置かれがちだった。 もちろん、男に好かれたこともない。自分が誰かに好かれるなんて、考えたこともなかった。
「そうか……?」
新田は少し考えるような素振りを見せてから、静かに言った。
「保科さんは、生徒に慕われているように思う。先生たちとも仲がいいだろう?」
「少しはまあ……」
仲がいいというより、物珍しさからなのか、宗一を怖がらずに近づいてくる、ちょっと変わった連中がいることは確かだ。
「生徒たちからも、保科さんのことを聞いている。それに、康二くんからも。家族思いの優しい兄だと」
「え……?!」
宗一は思わず赤面した。 弟の康二は、学校の生徒だ。 いつそんなことを話していたのか――想像するだけで、顔が熱くなる。
「保科さんこそ、どうしてお見合いを?」
「それは……母親を安心させたくて。どうせ振られると思っていたし……」
宗一は俯いた。 その言葉に、新田は優しく微笑んだ。
「優しいんだな」
「そんなことは……」
また、沈黙が流れる。 けれど、さっきよりも少しだけ、柔らかい空気が流れていた。
次に沈黙を破ったのは、新田だった。
「……付き合ってみるか?」
宗一は驚いて顔を上げた。
「へ……?」
「試しに、付き合ってみないか?」
「いや……俺なんかで、いいんですか?」
宗一は目を丸くして聞いた。 自分にそんな価値があるとは、思えなかった。
「私は、君なら構わない。職場も一緒で、信頼もあり、安心する。 君さえよければだが……私も親を安心させたくて。……その、形だけでもいいんだが」
宗一はしばらく黙っていた。
(多分、この人と付き合えば、母さんは安心するだろう。信頼できるし、優しそうだし……)
断る理由が見つからなくて、気がつけば頷いていた。
「え……と、よろしくお願いします?」
宗一がそう言うと、新田はまた優しく微笑んだ。
「ああ……」
その笑顔は、どこかほっとしたようで、宗一の胸の奥に、静かに灯がともった気がした。
2
「え……?! 上手くいったの……?!」
宗一が「新田先生と、付き合うことになった」と告げた瞬間、志津はまるで信じられないものを見たかのように、目を丸くして驚いた。 隣にいた弟の康二も、口をぽかんと開けて固まっている。
「よかったわ~!!」
志津は、両手を胸元でぎゅっと握りしめ、涙ぐみながら声を上げた。
「私はもうダメかと思ってたのよ……。でも、優しそうな人だったし、宗一を幸せにしてくれそうで、本当によかった……!」
その言葉に、宗一の胸が少しだけ痛んだ。 まだ“本気の恋”というにはほど遠い。 形だけの交際――それでも、母はこんなにも喜んでくれている。罪悪感がチクチクと残る。
(……ごめん、母さん)
けれど、その痛みも一瞬で終わった。
「……あっ! いいこと思いついた!」
志津が突然、ぱっと顔を輝かせた。
「え……?」
宗一は嫌な予感を覚えながら、志津の顔を見つめる。
「もう結婚を前提に、一緒に暮らしなさいよ!」
「は、はぁ……?!」
今度は宗一が目を丸くする番だった。 思わず眉間に皺を寄せ、低い声で抗議する。
「いやいやいや……ちょっと待って……!」
「なに? だめなの?」
志津は、まるで子どもにお菓子を取り上げられたような顔をする。
「む、向こうの迷惑になるから……!」
「聞いてみないとわからないじゃない! 善は急げよ!」
「ちょっ……!」
宗一の制止もむなしく、志津はスマホを手に取り、すでに連絡先を検索し始めていた。
「母さん、待って! まだ何も話してないし!」
「でも、付き合うってことは、そういうことでしょ? だったら、早めに話を進めたほうがいいのよ。タイミングって大事なの!」
「いや、そういうタイミングじゃなくて……!」
康二はというと、隣で静かにアイスを食べながら、兄と母のやり取りを見守っていた。
「……がんばれ、兄貴」
ぽつりと呟いく。
(くそ、他人事だと思って…!)
志津はというと、すでに電話をかけていた。
「もしもし~? あ、新田さんのお母様? 先日はありがとうございました~! 実はですね、うちの宗一と功史朗さんが、なんと! お付き合いすることになりまして~!」
宗一は頭を抱えた。
(……おいおいおい。いくらなんでも非常識だろ)
「それでですね、ちょっとご相談なんですけど~、結婚を前提に、同棲なんてどうかしらって思って~!」
電話の向こうで何を言われているのかは聞こえない。 ただ、志津が「まあ! そうですか~!」と嬉しそうに返しているあたり、まんざらでもない様子なのだろう。志津は上機嫌で電話を切った。
「母さん……俺の意思は……」
「もちろん、宗一の気持ちも大事よ。でもね、こういうのは勢いも大事なの。功史朗さんもきっと、宗一のことを大切にしてくれるわ。あの人、すごく誠実そうだったもの」
宗一は、もう何も言えなかった。 彼女の暴走は、いつものことだ。
(……新田先生、どう思うかな)
そう考えながら、宗一はそっとスマホを取り出した。 「すみません、うちの母が……」と送るかどうか、指が迷っていた。
話は――宗一を他所に――トントン拍子に進んだ。 志津と新田の母親が電話で盛り上がった翌日には、すでに「同居」の話が現実味を帯びていた。 宗一が何か言う暇もなく、気づけば新田の一人暮らしのマンションに転がり込む形で、同居が決まっていた。
新田の住まいは、職場から徒歩圏内の静かな住宅街にある、2LDKのマンションだった。 一人暮らしにしては広めで、内装も落ち着いていて、清潔感がある。
引っ越し当日。 荷物はそれほど多くなかった。 志津が知り合いから軽トラックを借りてくれて、康二が荷運びを手伝ってくれた。
「兄貴、緊張してる?」
「……してない」
「顔、めっちゃこわばってるけど」
「……してないって」
康二は笑いながら荷物を運び終えると、「じゃ、がんばれよ」とだけ言って帰っていった。
宗一は、志津に持たされた手土産の紙袋を手に、新田の前に立った。
「すみません、母が勝手に……」
紙袋を差し出しながら、宗一は申し訳なさそうに言うと、新田はそれを受け取りながら、穏やかに笑った。
「気にすることはない。部屋は空いているから、大丈夫だ」
その言葉に、宗一は少しだけ肩の力を抜いた。
部屋の中は、シンプルで落ち着いた雰囲気だった。 家具も最小限で、生活感はあるのに、どこか静かで整っている。 宗一は、あてがわれた一室に荷物を置いた。
夕方になり、荷物の整理もひと段落した頃。 宗一は改めて、新田の前に立った。
「今日から、よろしくお願いします」
新田は微笑んだ。
「私は自分のことはできるから、君は気を遣わず、普通に暮らしてくれればいい」
「はい……」
「何か聞きたいことはあるか? まあ、わからないことは追々聞いてくれ」
「……あの」
宗一は少し言い淀んでから、口を開いた。
「新田先生に……他に好きな人とか、恋人とか……できたら、遠慮なく言ってください。すぐに出ていくんで……」
その言葉に、新田は一瞬驚いた顔をして、それからふっと笑った。
「今のところ、そんな予定はないな。君こそ、遠慮なく言ってくれ」
「……あ、はい。俺も、そんな予定ないですけど……」
「敬語は使わなくていい。今日からよろしくな」
「……あ、はい……」
宗一は、遠慮がちに小さく頷いた。
新田の声は、いつも通り穏やかだった。
宗一と新田の同居生活が始まった。 それは、思いのほか穏やかな日々だった。
新田は持病があるとはいえ、時々病院に行き、毎日薬を飲む以外には、普通の生活と何ら変わらなかった。 きちんとルーティンが決まっていて、同じ時間に起き、同じ時間にごはんを食べ、出勤し、帰ってくると風呂に入り、洗濯し、テレビを見たり、持ち帰った仕事をしてから寝る。 掃除は休日にする。宗一自身も、夜出かけたりなどしない、規則正しい生活だったので、そんなに実家での生活と変わらず、なんだか落ち着いた。
ただ唯一、新田の苦手なことがあった。
それは料理だ。
持病のせいで、食事制限もあるらしいが、そこまで厳密なものではない。それでも、「片付けならまたできるんだが、料理はやってみてもてんでダメでな…。センスがないんだろう」と言う。
「今まではどうしていたんですか?」
「週に2度母親に来てもらい作り置きをしてもらったり、あとは弁当を買ってきているな…」
ばつが悪そうに彼は言う。なんでもできそうなのに、苦手なことがあるんだなと、宗一は思った。
「それなら俺が作りますよ」
「え…?」
「料理はずっと家でもやっていたので。簡単なものなら作れます」
「いや、君にそんな負担をかけるつもりは…」
「いえ、やらせてください」
宗一は食い下がった。 母の手伝いをしてきた日々が、身体に染みついている。 誰かの役に立てるなら、それが一番落ち着く。
新田はしばらく考えてから、困ったように頷いた。
「……わかった。無理のない範囲で頼む。君だって仕事をしているんだから、疲れたときには無理せず弁当を頼もう。二人なら、たまには外食するのもいいな」
「はい!」
宗一は早速、彼の母に、彼の好きな食べ物や嫌いな食べ物を聞いた。
「食事は何でもいい」と言いながらも、宗一が簡単な和食を作って出すと、新田は目を輝かせて喜んだ。 味噌汁に焼き魚、煮物に卵焼き――どれも特別なものではない。 けれど、新田は「うまいな」と言って、何度も箸を運んだ。
「和食、好きなんですね」
「そうだな。とても美味しい。君は料理が上手だな」
その言葉に、宗一は少しだけ嬉しくなった。
時には、一緒に買い物にも出かけた。 スーパーの野菜売り場で、宗一が「これは煮物にすると美味しいですよ」と教えると、新田は真剣な顔で頷いたりする。 その姿が、なんだか微笑ましくて、宗一はつい笑ってしまう。
「笑うなよ」
「いや、真剣すぎて……」
そんなやり取りも、いつしか日常になった。
通勤は、職場である学校からあまりにも近い。 だからこそ、生徒たちにバレないように、時間差で出勤することにした。 宗一は少し早めに家を出て、新田は数分遅れて出る。 帰りは、誰もいないことを確認してから、二人で並んで歩いて帰ることもあった。
夕暮れの道を、肩を並べて歩く時間は、宗一にとって少し不思議な感覚だった。 言葉は少なくても、隣に彼がいるというだけで、心が落ち着いた。
学校では、今まで通りあまり接点はなかった。 必要以上に話すことはない。
けれど、昼休みにふと職員室の新田を見ると、彼が宗一の作った弁当を食べているのが見える。 それだけで、なんだか不思議な気持ちになる。
(ああ、あれ、俺が作ったんだよな)
美味しそうに食べる姿を見ると、心の中でほんの少し誇らしくなった。
休日の夜は、決まってゆったりとした時間が流れる。 テレビの音も控えめで、部屋の灯りも少し落として、食後の余韻に浸るように、他愛もない話をする。
「ご両親は、βなんですよね?」
宗一がふと尋ねると、新田は頷いた。
「そうだ。君もそうだったよな?」
「ええ。両親ともβです」
お互い、少し似ているところがある。 両親がβでも、時々こうしてαやΩが生まれることがあるという。 それは遺伝というより、確率のようなものだと聞いた。
「αならモテるでしょう?」
宗一が軽く冗談めかして言うと、新田は笑った。
「どうかな。特に私はイケメンでもないしな」
確かに、世に言われる“イケメン”という顔ではない。 けれど、眉が太く、骨格がしっかりしていて、どこか誠実さを感じさせる顔立ちだ。 “男前”という言葉の方が、よほど似合っている。
「俺も…、Ωは、美人だったり、かわいいって言われますけど……俺はそうじゃないですし」
宗一は、少し苦笑して言った。 自分の容姿に自信があるわけではない。 それでも、こんな話しができる相手がいることが、少し驚きだった。
「多分、求められてるαの男は、社長だったり、エリート社員だったり、まあ高収入・高学歴な男なんだろうな。それに比べれば、私はただの教師で、エリートでもない。だからかな。あまり女性が寄ってきたことがない」
新田がおどけて言うので、宗一は思わず笑ってしまった。
「それに、生まれつき心臓が弱くて、スポーツ全般は医師から止められていた。若い頃はもっとひょろひょろだったんだ。まるでもやしみたいだったよ」
そう言って、若い頃の写真を見せてくれた。 確かに、今とはまるで別人のように細くて、どこか儚げだった。
「全然違う。でも今は結構筋肉ついてますよね」
宗一が彼の腕をちらりと見ると、確かに逞しい。 どちらかと言えば肉体労働の宗一よりも、むしろガタイは良い。
「今では適度に肉もついてきて、筋トレも少しずつできるようになった」
「羨ましいです。俺、あんまり筋肉つかねえから」
「君は、付き合っていた人はいないのか?」
新田がふと尋ねると、宗一は少し言いにくそうに言葉を濁した。
「すまない。言いたくないなら、言わなくていい」
「いや、大丈夫ですけど……。中学の頃に親父が死んで、中卒で働いてたんです。康二や弟たちもいたし、なんか全然それどころじゃなくて……」
自分は、低学歴で、低収入で、しかもΩ。 そんな男に寄ってくる人なんていない。 自分だって、そんな自分と付き合いたいとは思えなかった。
「学もないし、金もない。こんな男に寄ってくる女なんていませんよ。かといって、αと付き合うのも難しそうだし。まあ、縁がなかったですね」
宗一は、少し自嘲気味に笑った。 けれど、新田は真っ直ぐな目で言った。
「君はこんなに優しくて、落ち着くのにな」
「そんなこと言うのは、あなただけですよ」
2人で笑い合う。 不思議な出会いだと思った。 ずっと存在は知っていたのに、彼のことは何も知らなかった。
今こうして、同じ部屋で、同じ時間を過ごしている。 それが、なんだかとても大切なことのように思えた。
それから、一緒に暮らしていて、わかったことがある。 新田は、泣き上戸だった。
宗一が見ていた映画を、隣で一緒に見ていると、静かに涙を流していることがある。 感動的なシーンでも、ちょっと切ない場面でも、すぐに目元が潤んでいる。
「……泣いてるんですか?」
「……うん」
「早くないですか?」
「……うん」
その素直な返事に、宗一はつい笑ってしまう。
「可愛いですね」
「……からかうな」
新田は照れたように顔を背ける。 その仕草がまた、宗一には可愛くて、つい笑ってしまう。
こんなふうに、少しずつ、ふたりの距離は縮まっていった。 特別なことは何もない。 ただ、同じ空間で、同じ時間を過ごす。 それだけで、心が少しずつ温かくなっていく。
宗一は、ふと考える。
(……この暮らし、悪くないな)
そう思えるようになったのは、きっと新田の隣にいるからだ。
3
小学校の高学年で、自分がΩだということがわかった。バース診断で告げられた事実だった。 けれど、それを聞いた父親の態度は、急にきつくなった。
元々、ギャンブルばかりしていて、母・志津に対して気に入らないことがあると暴力を振るっていた。 その矛先が、今度は宗一にも向けられるようになった。
「どうしてうちにΩが生まれるんだ?! 浮気したんだろ?!」
怒鳴り声が家中に響き、食卓の茶碗が震えた。 志津は必死に訴えた。
「宗一は、あなたの子どもです!」
けれど、父は信じようとしなかった。 その目は、まるで自分を“異物”でも見るようだった。
殴られ、蹴られ、首を絞められたこともある。 「死ね」と何度も言われた。 男のΩなんて、気持ち悪い、生きている意味などない――そう突きつけられた。
中学生になり、少しは体も大きくなってきた。 腕力も、以前よりは強くなった。 それでも、父の暴力は止まらなかった。 むしろ、宗一が抵抗できるようになったことで、父はさらに苛立ちを募らせていった。
ある夜、父はついに包丁を持ち出してきた。 台所から無言で取り出し、握りしめたまま、ゆっくりと歩いてくる。
「やめて!!」
志津が叫び、宗一の前に立ちはだかった。 その背中は、小さくて、震えていた。
「母さん!!」
宗一は、思わずその志津を庇って、前に出た。 包丁が目の前に迫った瞬間、父の腕を掴んだ。
だが、まだ父の方が力は強かった。 もみ合いの末、顔や腕を切られ、最後に包丁の刃先が宗一の腹に突き刺さった。
一瞬、時間が止まったようだった。
痛みは――なかった。 ただ、鉄のにおいがした。 温かい液体が、服の内側を濡らしていく。
「宗一!!」
志津は血相を変えて叫んだ。 父は、笑った。 そして、包丁から手を離し、何事もなかったかのように玄関から出ていった。
「救急車を!」
志津が慌てて電話を取ろうとしたのを、宗一は止めた。
「呼んだらダメだ……」
こんな父親でも、弟たちにはまだ“父”だった。 警察沙汰になれば、家族はもっと壊れてしまう。 自分だけが傷つけば、それで済むなら――そう思った。
だが、志津は震える手で電話をかけた。 宗一の顔を見て、涙を流しながら言った。
「たまたま転んで刺さっただけだって、言って…」
かすれる声でお願いし、病院でも、そう言い張った。 医師は怪訝な顔をしていたが、宗一と志津の必死さに、それ以上は何も言わなかった。
顔や腕、腹の傷は今も残っている。 鏡を見るたびに、その痕が目に入る。
(もう、この家にはいられないな…)
そう思い、中学を卒業したら家を出ようと思っていた。
けれど、父はその数ヶ月後、あっけなく事故で死んだ。 酔っぱらって階段から落ちたんだという。
一気に肩の力が抜けた。 安堵と、虚しさと、少しの罪悪感。 いろんな感情が混ざって、涙も出なかった。
父が生きていた頃から、父は自分の稼ぎは自分で使っていたので、元々志津のパート代で細々と暮らしていた。 しかし、弟たちも食べ盛りだ。我慢させるには忍びない。宗一は中学を卒業したら働こうと決めた。
だが、中卒で働けるところなんて限られている。 しかも、自分はΩだ。 数か月に一度はヒート休暇を取らなければならない。 差別も偏見も、当然のようにあった。
なんでもした。 けれど、体だけは売らなかった。 それだけは、どうしても越えられない一線だった。
「αに売ってやる!」「体で稼いで来い!」―― 父に言われたこともある。Ω専門の風俗店もあることは知っていた。それでも踏みとどまれたのは、母の愛情があったからだ。志津は宗一に惜しみない愛情をくれた。そんな母を裏切るわけにはいかなかった。
それに、自分はΩと言っても美人でもかわいいわけでもない。
(俺は、親父に似ているのにな)
鏡を見るたびに、父の面影がちらつく。 眉の形も、目つきの悪さも、骨格も、声の低さも。 それが、時々嫌になる。
でも―― 俺は、あんなふうにはならない。 誰かを傷つけるような生き方は、絶対にしない。 そう、心に誓っている。
いくつかの職場を転々としながら、最後に行きついたのが、今の学校の用務員だった。 前任の男性が高齢で引退することになり、交代する形で採用された。
いわば、学校の雑用係だ。 設備の点検からトイレットペーパーの補充、蛍光灯の交換、草刈り、掃除、メンテナンス―― やることは多岐に渡る。
それでも、ヒート休暇は前もって申請しておけば良いということで、ありがたかった。 休む時には養護教諭の小谷先生が色々と仕事をしてくれた。小谷自身もΩで、第2性について勉強しているということで、時にはΩ男性の気持ちだったり、Ω男子の対応について聞かれたり、 何かと体よく使われている気もする。それからだんだんと話をするようになった。
不思議と悪い気はしなかった。 誰かの役に立っている実感がある。
ようやく見つけた、自分の居場所だった。
***
「来週から、しばらく実家に帰ります」
朝の食卓。 湯気の立つ味噌汁と焼き鮭、炊きたての白米。 いつも通りの朝ごはんを挟んで向かい合いながら、宗一はふとそう言った。
箸を止めた新田が、目を見開いた。
「え……?! わ、私は何か、君の気に障ることをしてしまっただろうか……?」
その言葉に、宗一は思わず吹き出した。 新田はあまりにもオロオロしていて、目を泳がせながら手元の茶碗を持ち直している。
「いやいや、違いますって。落ち着いてください」
「でも、急に実家に帰るなんて……私が何か……」
「違いますってば」
宗一は笑いながら、箸で鮭の身をほぐした。
「違いますよ。もうすぐヒート(発情期)が来るんで…」
「ヒート…。それは、実家に帰らないといけないのか…?」
「え…?」
「ここにいればいいだろう」
「え、でも…、俺たちはそんな関係じゃ…」
『ない…』と言おうとしたが、お見合いをして、結婚を前提に付き合って、同棲している…。十分にそんな関係だ。
最近は2人でごく普通の暮らしをしていたから、自分がΩで、相手がαであることを忘れていた。
むしろ、ヒートだからと言って実家に帰る方がおかしいだろう。帰ったら志津に『ヒートなんだから、がんばって子作りしなさい』などと、追い返されるかもしれない…。
宗一にはその有様が容易に想像できて、思わず頭を抱えた。
「保科…?」
「…俺、…抑制剤は飲んでるけど、時々意識飛んで、記憶がなくなるし…、あなたに迷惑かけるかも…」
「私なら大丈夫だ。むしろ、ご実家にいる方が何かと心配だ…。今までは大丈夫だったのか?」
優しい声で言われる。
「えっと…まあそれはなんとか…」
いつものヒートは、抑制剤を飲んで一週間寝込むのが常だ。辛いが仕方がない。
相手はいないし、自分のような男のΩを抱いてくれるαがいるとは思えなかった。
危ない目にもあったことはあるが、相手を殴って逃げてきた。
だが…、宗一は新田の身体を見つめる。
(この人に襲われたら、逃げられねえだろうな…)
そう思う。自分より背が高く、筋肉もあり、力では勝てそうもない。
「私といるのは嫌か…?」
「えっ、嫌、じゃないですけど…、あなたは、嫌じゃないんですか…? 男のヒートなんて…、俺が、その、…もし、盛ったりしたら…?」
「君なら、私は嫌じゃない」
真面目な顔で言われて、宗一は恥ずかしくなって赤面した。なんとなく顔を隠す。
「ちょ、ちょっと考えさせてもらえませんか…?」
「わかった」
(え…? ウソだろ…? ヒートのとき一緒にいても嫌じゃないってことは、…セックスすんの?)
(本気か…? それとも俺が勘違いしているだけ…?)
(いや、付き合ってる、けど、そういうんじゃないし…。でも実家には帰れないし…)
(どうすればいいんだ…)
その日、宗一の頭の中で色んな問がぐるぐるとして、仕事が手につかなくなった。
***
「最近、楽しそうだな!」
開口一番、久野正晴はそう言った。 宗一は、思わずグラスを持つ手を止めた。
『やっほー! 今日飲みに行こうぜ!』
そのメッセージが届いたのは、仕事中だった。 正晴から連絡が来るのは久しぶりだった。 結婚してからというもの、なかなか会う機会も減っていたが、こうして突然誘ってくれるのが、昔からの彼らしい。
宗一は、新田に「今日は飲みに行ってきます」とlimeを送り、実家の近くにある居酒屋へ向かった。 暖簾をくぐると、懐かしい匂いが鼻をくすぐる。 カウンター席に座る正晴は、すでにビールを片手に笑っていた。
「え……?」
宗一は、正晴の言葉の意味がすぐには飲み込めなかった。
「なんかさ、お見合い相手と付き合って、同棲してるんだろ? 上手くいってる?」
「は……?! なんでそれを……?!」
宗一は思わず声を上げた。 正晴はニヤニヤしながら、枝豆をつまんでいる。
「え、志津さんから聞いたよ? すっごく大きくて優しい人だって。その人も同じ職場で、先生なんだって?」
「……なんでも筒抜けかよ……」
宗一はグラスを口元に運びながら、心の中で叫んだ。
(康二も止めろよ……!)
志津の情報網は、昔から侮れない。 近所の人にも、親戚にも、そして幼馴染にも、宗一のことはすぐに伝わってしまう。
「で、どうなの? その先生とは」
正晴は、興味津々といった様子で身を乗り出してくる。
「……まあ、普通に暮らしてるよ」
「へえ~。宗一が誰かと一緒に暮らすなんて、ちょっと想像できなかったな」
「俺だって、想像してなかったよ」
宗一は苦笑しながら、焼き鳥を口に運んだ。
「でもさ、なんか顔が柔らかくなったっていうか、雰囲気変わったよ。前よりずっと、いい顔してる」
「……そうか?」
「うん。志津さんも言ってたよ。“宗一がなんだか楽しそうだ”って」
その言葉に、宗一は少しだけ胸が熱くなった。 自分では気づかない変化を、周りが見てくれている。
「なあ、その先生、どんな人なの?」
「……真面目で、穏やかで…、ちょっと泣き虫だ」
「泣き虫?!」
正晴は思わず吹き出した。
「映画とか見てると、横で静かに泣いてるんだよ。俺が笑ってると、“からかうな”って言うし」
「それ、めっちゃ可愛いじゃん」
「……まあ、そうかも」
宗一は苦笑した。 正晴はその笑顔を見て、またニヤニヤした。
「なんかさ、宗一がそうやって誰かのこと話してるの、初めて見たかも」
けれど、宗一はグラスを置いて、少し真面目な顔になった。
「……でも、正晴。俺たち、別にそういう関係じゃないんだ」
「え?」
「お互いに親を安心させるための、政略同棲っていうか……。好きとか、そういう気持ちはない。最初から、“形だけでもいい”って話してる」
正晴は驚いたように目を見開いた。
「マジか……?」
「……」
しばらく喋りながら(ほとんど正晴が喋っているのだが)飲んでいると、程よく酔いが回ってきて、宗一の口から思わず今朝の問題が零れた。
「……、今度のヒート、一緒にいたいって言われた…」
「へ~! いいじゃん!!」
「いいわけないだろ! お互い好きなわけじゃないのに……」
宗一は、グラスを置いて少し語気を強めた。 正晴は驚くでもなく、ただ優しく微笑んだ。
「でも、嫌いじゃないんだろ……?」
その言葉に、宗一は思わず目を逸らした。 視線をテーブルの端に落としながら、小さく「まあ……」と答える。
「ハグはできる?」
正晴が、冗談めかして聞いた。 宗一は少し考えてから、こくりと頷いた。
「キスは?」
今度は、宗一は首を傾げて黙り込んだ。 キス――くらいなら、できるかもしれない。 でも、その先はどうにも想像できない。 身体を重ねること。触れ合うこと。 それ自体も初めてなのだ。
正晴は、そんな宗一の表情を見て、ふっと笑った。
「なんか、初恋みたいだな」
宗一は、笑い返すことができなかった。 代わりに、心の中でそっと呟いた。
(……お前だったらいいのに)
言えるわけがない。 言ったところで、どうにもならない。 正晴はもう結婚していて、幸せそうで―― それに、宗一のことをそんなふうに見ることは、きっとない。
「まあ、なるようになるって!」
正晴は、明るく言った。 その無邪気さが、時に残酷に感じる。
「俺はβだからわかんないけど、αとΩって“運命の番”とかあるんだろ? そこんとこはどうなの?」
「んなの、都市伝説だろ……」
宗一は、少し苦笑しながら答えた。 運命なんて、信じたことはない。 そんなものがあるなら、もっと早く誰かに救われていたはずだ。
「え~! でもさ……」
正晴が何か言いかけたとき、宗一は顔を上げた。
「あ……?」
「宗一が大切にされてて、幸せそうで、よかった」
その言葉に、宗一の胸がズキンと痛んだ。 正晴の笑顔は、昔から変わらない。 優しくて、まっすぐで、どこか無防備で―― だからこそ、宗一はずっと惹かれていたのかもしれない。
その痛みを隠すように、宗一はグラスを手に取り、酒を流し込んだ。 喉を通る熱が、胸の奥の痛みを少しだけ鈍らせる。
(……あの人に抱かれたら、こいつのことなんて忘れられんのかな)
そんなことを考えてしまう自分が、少し嫌だった。 でも、どうしようもなかった。
正晴は、何も知らずに笑っている。 宗一は、その笑顔を見つめながら、黙っていた。
4
「ヒートの間、迷惑かけるかもしれねえけど、よろしくお願いします」
宗一がそう言ったのは、ヒートに入る前日の夜だった。 夕食を終えた後、洗い物をしながら言った。
新田は、食器を拭きながら少し驚いたように顔を上げ、そして、すぐに優しく微笑んだ。
「もちろん、いいに決まっている。私にできることがあれば、何でも言ってくれ」
その言葉は、いつも通りの穏やかさだった。 けれど、宗一の胸には、やはりどこか引っかかっていた。
(……無理せずに、実家に帰った方が良かったか?)
そう思う。 ヒートの間、新田に迷惑をかけるのは、やはり気が引ける。 でも、実家に帰れば、また母や弟たちを心配させるのは明らかだ。 お互い「親を安心させたい」という気持ちがあるからこそ、 ヒートのたびに実家に戻るという選択肢は、現実的ではなかった。
宗一は、少しだけ視線を落とした。 そして、言葉を選びながら、ゆっくりと口を開いた。
「あの……もし俺が誘ったり、あなたがしたいと思えば、好きなようにしてください」
新田は、皿を持ったまま、宗一の顔を見つめた。
「……好きなように……?」
よく意味がわからなかったようで、少し戸惑いながら聞き返してくる。
宗一は、一息ついてから、覚悟を決めたように言った。
「セックスするなり、番にするなり…、男だから孕む心配はあまりないと思うけど…、まあ適当に、あなたが良いようにしてください」
それだけ言うと「じゃあ、もう寝ます」と、さっさと自室に入ってドアを閉めた。
残された新田はポカンとしていた。
***
宗一は、ヒートの一週間は仕事を休む。 それは、学校の誰もが知っているわけではない。 新田も、宗一と暮らすようになるまでは、そんな事情すら知らなかった。
ヒートは、だいたい三ヶ月に一度。 新田は、宗一が三ヶ月に一度学校を休んでいたことなど、まったく気に留めていなかった。 それまでは、本当に接点のない、ただの“用務員さん”だったのだ。宗一が休んでいる間の仕事は、養護教諭の小谷先生が代わりにこなしていた。 静かに、何事もなかったかのように。
けれど、宗一と暮らすようになってから、学校でも彼のことを自然と気にするようになった。 職員室で似た名前が出ると、耳がそばだつ。 校内ですれ違うと、つい目で追ってしまう。
彼の仕事はいつも丁寧だった。 誰よりも校内の隅々まで気を配り、細かなところまで目が届いている。 それでも、決して目立つことはなかった。 毎日、黙々と業務をこなしながら、まるで空気のように、皆が安全に過ごせるように学校を支えてくれている。
今まで気づかなかったことが、少しずつ見えてくる。
新田は、長く一人暮らしをしていた。 だから、誰かと同居することには、正直不安もあった。 生活リズムの違い、価値観のズレ、距離感―― それらが、静かにストレスになるのではないかと思っていた。
でも、宗一との暮らしは、思いのほか心地よかった。
それは、宗一が優しい人間だからだ。 無理に踏み込んでこない。 でも、必要なときにはそっと寄り添ってくれる。 食事のとき、何気なく好みを覚えていてくれる。 疲れて帰った日には、黙って湯を沸かしてくれる。
そして、宗一も少なからず、自分といることで安心してくれている―― 新田は、そう感じていた。
ヒートの3日目。 仕事を終えてマンションに戻ると、玄関を開けた瞬間、宗一の匂いが鼻をついた。 甘く、熱を帯びたような香り。 それは、玄関まで漂っていた。
新田は、そっと靴を脱ぎながら、息を整えた。 宗一は、マンションにいるとは言っていた。 けれど、抑制剤や食べ物――ゼリー飲料、スポーツドリンク、新田用には作り置きのおかずやレトルト食品まで――を事前に大量に準備していたことを思い出す。
まるで、誰にも頼らず、ひとりでやり過ごすつもりだったかのように。
実際、1日目も2日目も、宗一は自室に籠っていた。 ドア越しに「大丈夫です」とだけ返され、顔を見ることもなかった。
(そんなに……私は頼りないだろうか)
新田は、少し落胆した。 宗一が自分を頼らないことが、寂しかった。 心配をかけたくないのかもしれない。 迷惑をかけたくないのかもしれない。
でも―― 一緒に暮らしているのに、扉の向こうで苦しんでいる人がいるのに、 何もできない自分が、もどかしかった。
宗一の部屋の前に立ち、ノックしようとして手を止めた。 中からは、物音ひとつしない。 静かすぎて、逆に不安になる。
(寝ているだろうか…?)
そっと、ドアに耳をつけて中の様子を伺う。 開けるべきか、待つべきか。 その判断すら、迷ってしまう。
宗一は、強い人だ。 誰にも頼らず、傷ついても黙って耐える。 でも―― そんな彼だからこそ、誰かに甘えてほしいと思ってしまう。
そのとき、部屋の中からガンッと何かが落ちる音がした。
「保科…?!」
思わず新田がドアを開けると、今まで嗅いだことのないΩの匂いがした。新田も一応α用の抑制剤を飲んでいるものの、それでも一瞬ぐらついた。スポーツドリンクが床に転がっていた。
宗一は息があがり、苦しそうに呻いているので、新田はかがんで手のひらを宗一の額に当てると、宗一の身体がビクッと痙攣した。熱が高い。
「大丈夫か…?」
「あ、にったさん…?」
宗一は新田の手のひらに頬ずりをした。
「…わっ」
宗一が手を伸ばして新田の首に抱き着き、新田は危うく倒れそうになる。
「さわって…っ…」
熱い吐息が新田の耳にかかり、新田はゴクリと生唾を飲み込んだ。
彼は求めるように自分から唇を寄せた。口を開き舌を絡ませて、角度を変えて口づけをする。口の中も熱くて甘い。
彼の首には、項を守るためのカラー――番防止用の首輪は、つけられていない。 それは、彼自身が望んでいないからだった。
『首につけるものは、苦手なんです』 以前、そう話していた。 ネクタイも、マフラーも、首を絞められるようで嫌だと苦笑していた。
新田は、その言葉を思い出していた。 彼が一体どんな目にあってきたのか―― どれほど心に傷を負っているのか―― その輪郭が、少しずつ見えてくる気がした。
彼が何を恐れているのか。 それは、過去の記憶なんだろう…。
(彼を大切にしたい……)
新田の中に、そんな気持ちが芽生えていた。 宗一は「好きにしていい」と言った。 でも、それはきっと――本音ではない。 そのことはわかる。
(君は好きにしていいと言ったが、私は君を酷い目には合わせたくない……)
(本当に君が『番になりたい』と思ってくれたときに、番になりたい)
そう思った。 無理強いするつもりなど元々ないが、彼が心から望んだときに、初めてその絆は意味を持つと思った。
新田は、彼を抱き上げた。 宗一は、驚いたように目を見開いたが、すぐに目を閉じて身を委ねた。自分の寝室へと向かい、そっとベッドに彼を下ろす。そして抱きしめた。
***
ヒートも5日目となり、宗一はやっと身体が落ち着いてきて、でもまだぼうっとした頭で目覚めた。
(ここ…、新田先生の部屋…?)
身体はだるく重い。動こうとすると関節が軋んだ。
宗一は明らかに自分のサイズより大きなシャツを羽織っているのに気づく。新田の匂いが残っていて、なんだか安心した。
宗一は、またうとうとと眠りに落ちた。 ヒートの熱に浮かされながら、意識はゆっくりと沈んでいく。 まどろみの中で、おぼろげな記憶が蘇った。
夢の中で、新田が宗一の顔に触れていた。 指先が、古い傷跡をそっとなぞる。
『この傷は、どうしたのか聞いてもいいか…?』
その声は、静かで、どこかためらいがちだった。
『聞いても面白くないですよ…』
宗一は、少しだけ笑って答えた。 けれど、新田は残念そうな顔をした。
その表情が、あまりにも素直で、宗一は思わず新田の頭を撫でた。
『昔、親父が包丁で…。俺は、母を守らなきゃいけないと思って…。それだけで…』
言葉にすると、過去が少しだけ遠くなる気がした。 それでも、胸の奥にはまだ痛みが残っていた。
新田は、宗一の言葉を聞いて、何も言わずに目を伏せた。 そして、静かに涙が零れた。
『も、泣くなよ…』
宗一は、少し笑って、新田の涙を指で拭った。 その指先は、優しく震えていた。
『痛かっただろう。辛かっただろう…。私が守ってやりたかった…』
その言葉に、宗一の胸がじんわりと熱くなった。
『親父はもういないから、大丈夫ですよ…』
そう言いながらも、心の奥では、誰かにそう言ってもらえることが、ただ嬉しかった。
前にも、こんなふうに自分のことを想って泣いてくれた人がいた。 何もできなくてごめん、と言いながら、ずっと傍にいてくれた人。 その人の涙が、宗一の孤独を少しずつ溶かしてくれた。
(きっと、この人のことを好きになる)
宗一は、そんな予感がした。 夢の中で、優しく笑いかけてくれる新田の顔が、ぼんやりと浮かんでいた。
5
「保科、おは……え?」
一週間ぶりに出勤した宗一が職員室の前で宇佐美と鉢合わせると、彼は目を丸くして立ち止まった。
「なんだ?」
「なんか匂いが違う…」
宇佐美は、宗一の周囲をくんくんと匂いを嗅ぎながら言った。
美術教師でありながら、アーティストとしても活躍している宇佐美は、もちろんα。 美術室の備品を壊したり、突飛な作品を持ち込んだりと、何度か関わることがあり、なぜかちょくちょく話しかけられる。
驚くべきことに、宇佐美は一夫一妻制の日本で、なんと3人の妻を養っているという破天荒な男だ。 しかも、そのうち2人は養子にしているらしい。変人もここまでくると、もはや尊敬に値する。
さらに驚くのは、妻たちの性質――α、β、Ωと、それぞれ異なること。 まるでバランスを考えたかのような構成に、宗一は思わずあっけにとられた。
そんな宇佐美が、真顔で言う。
「それ、αの匂いだろ…?」
宗一は慌てて自分の腕の匂いを嗅いでみるが、自分ではよくわからない。宗一は、顔が熱くなるのを感じた。 ヒート明けの身体に、何か変化があるのかもしれない。もしかしたら誰の匂いかまでわかるのか?――そう思うと、少しだけ不安が胸をよぎる。
「いつから番がいたんだよ? ええ?」
宇佐美がニヤニヤしながら詰め寄ってくる。
「番じゃねえ…」
宗一がそう言うと、宇佐美はまた目を丸くし、宗一の項を覗き込んだ。
「あ、ほんとだ! 噛まれてねえな。お前、首スカスカなのになあ…」
「うるせえっ…!」
「…にしても、こんだけマーキングするなら、番にしそうなのに…」
「あ…?」
言葉の意味がわからず、宗一が眉をひそめると、宇佐美はニヤリと笑って言った。
「『俺のΩだ。触るなよ』って匂いだな。愛されてるねえ~!」
「……っ、んなんじゃねえよ!」
宗一が慌てて否定するのを見て、宇佐美は肩をすくめながら職員室の扉を開けた。
「早いとこ、番にしてもらえよ~」
宇佐美は、いつもの軽い調子でそう言い残す。 冗談のような、応援のような、そんな言葉だった。 けれど、宗一の胸には、ずしりと重く響いた。宗一は、項を手で隠すようにしながら、深くため息をついた。
(番に……してもらえよ、か)
その言葉を繰り返すたびに、心の奥がざわついた。 本当に、そんなふうになれるのだろうか? 自分が“番”になれるなんて、現実味がなかった。
男だから。 Ωだから。 自分だから――
番にはしてもらえないのだろうか。 そう思ってしまう。
いくら新田が優しいと言っても、 それはただの同情かもしれない。 一緒に暮らしているのも、情からかもしれない。
(やっぱり……俺なんて、嫌だよな)
宗一は、そっと目を伏せた。
掃除中、鏡に映る自分の顔が、どこか薄暗く見えた。
過去の傷。 父の言葉。 社会の偏見。 自分自身の諦め。
それらが、心の中で静かに積み重なっていた。
新田の優しさは、確かに本物だ。 それでも、宗一は時々怖くなる。 この人の隣にいていいのか。 この人の未来に、自分がいてもいいのか。
番になりたい。 でも、なれない気がする。 なってはいけない気がする。
そんな思いが、胸の奥でぐるぐるとループしていた。
ヒート以降、また普通の生活が続いた。 朝になれば目を覚まし、食卓を囲み、仕事に出かけて、夜には帰ってくる。 そんな日々が、淡々と流れていく。
ヒートの週だけは、少しだけ特別だった。 それは、きっと優しさなのだろう。
―― それ以外は、特に何の触れ合いもなかった。
手を握ることもない。 抱きしめられることもない。 ましてや、番になるような気配は、どこにもなかった。
次のヒートも。 新田は、宗一を番にはしてくれなかった。
宗一は、何も言えなかった。 言ってしまえば、この穏やかな日常が、崩れてしまいそうで。
(やっぱり、俺なんかじゃダメなんだろうな)
そう思うたびに、胸が少しだけ痛んだ。 新田は優しい。 だからこそ、はっきりと拒絶されることはない。 でも、はっきりと求められることもない。
その曖昧さが、宗一を静かに傷つけていた。
夜、ふたりで並んでテレビを見ていても、距離は変わらない。
宗一は、そっと自分の手を見つめた。 この手を、誰かが握ってくれる日は来るのだろうか。 誰かが自分を必要としてくれる日は――
新田の隣にいるのに、どこか遠く感じる。 それが、何よりも寂しかった。
***
その日は、新田が「実家に用事があるので、帰るのが遅くなる」と言っていた。 冷蔵庫の中身を思い出しながら、夕飯をどうするか考えていたところに、宇佐美から話しかけられた。
「今日、飲みに行こうぜ。いい店あるんだ」
誘われるままに、宇佐美の行きつけだという居酒屋に連れて行かれた。 店内は賑やかで、煙と笑い声が混ざり合っていた。 カウンター席に並んで座り、ビールを注文する。
程よく酔いがまわってきた頃、宇佐美が唐突に首を傾げて言った。
「で、なんでまだ番になってねえの…?」
宗一は、ビールのジョッキをドンッと音を立てて置いた。
「知らねえよ…」
「まあ、オレに話してみろよ」
枝豆をつまみながら宗一はぼそりと漏らした。
「ヒート以外は全然触ってくんねえ…。普段は仲のいい友達ってとこだ。ヒートは一緒にいるのに番にしてくれねえってことは、俺じゃダメだってことだろ…」
宇佐美は、焼酎を口に含みながら、少しだけ眉をひそめた。
「それって……拒まれてるってことか?」
「わかんねえ。拒まれてるわけじゃないと思う。でも、求められてる感じもしない」
宗一は、ジョッキをもう一度傾けた。 喉を通る冷たい液体が、胸の熱を少しだけ冷ましてくれる。
「男だからか、それとも、俺だからか……」
「……うーん…、お前、相手に何て言ってんの?」
宗一は、空になったジョッキを見つめながら答えた。
「……『番にしたいなら、どうぞ』って…」
「はぁ?!」
宇佐美は眉間に皺を寄せ、大声で言った。 店内の数人が振り返るほどの勢いだった。
「そんなんじゃダメに決まってんだろ…!!」
「うるせえな…」
宗一は顔をしかめて耳を押さえる。
「こんだけマーキングされてるってことは、向こうは絶対お前のことが好きだってことだぜ? それでも番にしないってことは、お前から『番になりたい』って言うのを待ってんだろ。 大事にされてるじゃねえか…?!」
宇佐美が宗一の肩をバンバンと叩く。 宗一は「痛ぇ!」と跳ねのけた。
(大事にされてることは、わかってる…)
宗一は、ぽつりと呟く。
「でも、あの人はすげえ優しいから、俺に同情してるだけかもしれねえ…。俺は可哀相な男のΩってとこだろ。それなのに、こっちから『番になりたい』なんて言えるかよ…」
宇佐美は、焼き鳥の串を置いて、宗一の顔を覗いた。
「お前、その人のこと、好きなんだろ?」
その言葉は、あまりにもストレートで、宗一の胸を突いた。 苛立ちが、じわりと湧き上がる。
「……しらねえよ」
言い返すように、低く呟いた。 本当は、わかっている。 でも、認めたくなかった。 認めてしまえば、期待してしまう。 期待してしまえば、傷つくかもしれない。
「好きなら言えよ! 言わなきゃわかんねえだろ!」
宇佐美の声が、店の喧騒の中でもはっきりと響いた。 宗一は、ため息をついた。 頭の中は、ぐるぐると同じことを考えていた。
(……あの人を、これ以上困らせたくない)
新田はいつも穏やかで、宗一のことを気遣ってくれる。 ヒートの間も、そばにいてくれた。 こんな自分を抱いてくれた。過去に踏み込んでこようとせず、ただ静かに寄り添ってくれる。
(もう、このままでいいのかもしれない)
番にならなくても、十分に優しくしてもらっている。 それ以上を望むのは、わがままなのかもしれない。 男のΩである自分に、これ以上何を求めるというのか。
「どうせ無理だ…」
「いやいや、絶対いけるって!」
隣の席から、宇佐美が唐突に声を上げた。 宗一は眉をひそめて、ちらりと横目で見る。
「ほんとかぁ……?」
いまいち宇佐美の言うことが信用できず、宗一はまた顔をしかめた。
「保科はどうなりたいんだよ?」
「俺は……」
言いかけて、言葉に詰まる。 自分の気持ちが、うまく言葉にならない。
「あ?」
「俺は別に……」
「なあ、一度、相手と腹割って話してみろよ」
宇佐美の言葉は、いつもストレートだ。 宗一は曖昧に「ん……」と返事をしたが、心の中では答えが出せずにいた。
すると、宇佐美は机をバンッと叩いた。
「あ~もう、早く番になれよ! なんかこっちがイライラするわ!」
「はぁ?! 余計なお世話だ!」
宗一は思わず声を上げた。 周囲の客がちらりとこちらを見たが、宇佐美は気にしない。
「だってさ、お前、絶対好きだろ。顔に出てるし」
「出てねえし!」
「出てるって。てか、匂いにも出てるし」
「……うるっせえ!」
宗一は顔を赤くして、「ビールおかわり!」とカウンター越しに店員に頼んだ。
「まあ、俺は応援してるからな。お前、今まで苦労してきたんだろ。幸せになってほしいよ…」
その言葉に、宗一は少しだけ目を細めた。 宇佐美の言葉は、いつも軽いようでいて、どこか本音が混じっている。
(……俺は、どうしたいんだろう)
新田のことを思うと、胸が温かくなる。 でも、同時に不安もある。 このままでいいのか。 それとも、もっと踏み込んでみるべきなのか。
居酒屋を出て、宇佐美と別れたあと。 宗一は一人、駅の方へ向かって歩いていた。 夜風が少し肌寒くて、酔いがじわじわと引いていく。
ふと、前方に見覚えのある背中が見えた。 背が高く、他の人より頭ひとつ分飛び抜けている。 すぐにわかった。
(……新田先生)
思わず声をかけようとしたその瞬間。 隣にいる人影を見て、宗一は息を飲んだ。
新田の隣には、養護教諭の小谷里佳子がいた。
その小谷と、新田が並んで歩いている。 楽しそうに話しているようにも見える。 距離は近すぎず、遠すぎず――けれど、宗一にはその距離がやけに近く感じた。
(今日は実家に用事があるって言ってたのに……)
胸の奥が、ズキズキと痛んだ。 嘘をつかれた。 小谷と一緒にいた。 それだけのことなのに、どうしてこんなにショックを受けているのか、自分でもわからなかった。
今まで、殴られても、首を絞められても、切りつけられても―― どんなときも、こんなに傷ついたことはなかった。
(……なんで、こんなに苦しいんだ)
宗一は、思わず足を止めた。 声をかけることもできず、ただその場に立ち尽くす。
新田が笑っている。 小谷が頷いている。 その光景が、まるで自分の知らない世界のように見えた。
これは――嫉妬、なのか?
どす黒いものが、腹の中をじわじわと広がっていく。 気づけば、胸の奥まで覆いつくしていた。 ぐつぐつとマグマが煮えたぎるような感情。 今、言葉を発すれば、きっと罵詈雑言しか出てこない。 言ってはいけない言葉も、きっと自分でも止められない。
こんな感情、初めてだった。 いや――もしかしたら、昔にもあったのかもしれない。正晴のときは最初から諦めていたし、見ないふりをして蓋をした。でも、新田は…
父は、こんな気持ちだったのだろうか。 自分に対して、母に対して、どうしようもない怒りと憎しみを抱えていた。 それが、暴力という形になっていた。
今、自分の中にあるこの感情は、あの頃の父の目と、重なる気がした。
苦しい。 息が詰まる。 責めたいわけじゃないのに、責めずにはいられない。 自分でも、どうしてこんなに苦しいのか、わからない。
ただ―― 新田が笑っているのを見るたびに、 その笑顔が自分以外の誰かに向けられていると感じるたびに、 胸の奥が、焼けるように痛む。
(俺は、こんなふうになりたくなかったのに)
父のようには、絶対にならないと誓ったはずだった。 誰かを傷つけるような生き方は、しないと決めたはずだった。
なのに、今―― この感情は、確かに自分の中にある。
それでも、言葉にはしない。 あの人を傷つけるくらいなら、黙っていた方がいい。 この苦しみは、自分だけが抱えていればいい。
そう思いながら、宗一は拳を握りしめた。 爪が掌に食い込むほど、強く。
宗一は、そっと身を翻し、遠回りして駅へ向かった。 新田に見つからないように。 小谷にも、気づかれないように。
夜の街は静かで、足音だけが響いていた。 今にも涙が零れそうだったけれど、ぐっと堪えた。 俯いたまま、誰にも顔を見られないようにして、向かったのは実家だった。
6
降ってきた雨はしばらく降り続く。 空は重く、街灯の光も滲んで見えた。
傘は持っておらず、足元は水たまりでぐしゃぐしゃになり、服はずぶ濡れ。気づけば涙が零れていた。それでも、止まれなかった。自分が壊れそうで、怖かった。
実家の玄関チャイムを押すと、すぐに母の志津が出てきた。 その顔は、驚きに満ちていた。
「宗一……? どうしたの?」
「……」
「ずぶぬれじゃない。入りなさい。待ってて、タオルを…」
黙っている宗一に、志津はすぐにタオルを取りに行こうとしたが、先に康二がタオルを差し出してくれた。 下の弟たちも「兄ちゃんだ!おかえり!」と、誰も、追い返そうとはしなかった。 そのことが、胸に沁みる。
「寒くない? 大丈夫?」
志津は、深くは聞こうとしなかった。 ただ、宗一を風呂に入れ、温かいお茶を淹れてくれた。 その手つきは、昔と変わらない。 優しくて、何も言わなくても気持ちを察してくれる。
宗一はしばらく黙っていた。 けれど、心の中に渦巻いていたものが、どうしても言葉になってしまった。
「……どうしていいか、わからないんだ」
「何かあったの?」
「新田先生が、今日は実家に用事があるからと言ってたのに、」
「うん」
「小谷先生っていう、女の先生と歩いていて……」
その言葉に、志津と康二は目を見開いた。
「……嫉妬したんだ。何をするかわからないくらい。 俺、父さんみたいになってしまったらどうしようって……。 そうなったら、きっと、あの人に嫌われてしまう……」
思い出すと湯呑を持つ手がカタカタと震えて、慌てて湯呑を置いた。志津は、宗一の手に自分の手を重ね、少しだけ笑った。 優しい笑顔だった。
「そのくらい好きなのね。好きだから、嫉妬するのよ」
「え……?」
「……愛してるのね」
「あい……?」
宗一は、志津を見つめた。 父は母を愛していたのだろうか? だから、あんなふうになったのだろうか?
「だったら、母さんは父さんを許せるのか……?」
志津は、ゆっくり首を振った。
「暴力は、絶対にダメ。でもね……嫉妬っていう感情は、止められないのよ。 だからこそ、ちゃんと話すの。素直に『こう感じてる』って伝えて、 それで、どうしたらいいかを一緒に考えるの。 母さんと父さんは、それができなかった……。 父さんが宗一にまで手を出してしまって、止められなくて……本当に、ごめんなさい」
志津は、深く頭を下げた。
「か、母さんは悪くないだろ!」
宗一は、思わず声を荒げた。 けれど、志津は静かに言葉を続けた。
「でもね……父さんも、ある意味かわいそうな人だったのよ。 身内に男性のΩの方がいて、父さんも子どもの頃ひどい差別を受けたって聞いたわ。 それがずっと心に残ってたんだと思う。 でも、だからって暴力は絶対に許されない。 世の中には、差別を受けても暴力に頼らず、 むしろ世界を変えようとしてる人だっている。 でも、父さんは……そうじゃなかった」
宗一は、言葉を失った。 ずっと父を憎んでいた。 でも、そんなことは今初めて聞いた。だからといって、許せるわけではないけれど。
志津は、宗一の手をそっと握りながら言った。
「でもね、宗一は違う。宗一は、強くて優しい子。母さんの自慢の息子よ。 だから、大丈夫。ちゃんと向き合える」
少し間を置いて、志津は微笑んだ。
「まずは、二人で話してみなさい。 何も言わずにこちらに帰って来たんでしょう? 功史朗さんだってびっくりするわよ」
宗一は、黙って俯いた。
すると、隣で話を聞いていた康二が、突然声を上げた。
「兄貴が親父みたいになるわけないだろ!!」
「康二……」
「兄貴は、ずっと家族を守ってくれたじゃねえか。 こんな優しい兄貴がいるのに、浮気するなんて、新田の方が許せねえよ! 俺が一言言ってやろうか?!」
康二は怒っていた。 目を真っ赤にして、拳を握りしめていた。 宗一のために、怒ってくれていた。
「康二、これは宗一の問題よ。 まずは、きちんと話したら、わかってもらえるかもしれない。功史朗さんなら」
志津の言葉に、宗一は目を伏せた。 自分の感情が、誰かに受け入れてもらえるなんて、思っていなかった。新田なら、受け止めてくれるのだろうか…?
「嫉妬して、少しくらいケンカしたっていいのよ」
「……?」
「だって、付き合ってるんだから。それくらい、あるわよ。 どうしてもダメなら、いつでもうちに帰っておいで」
その言葉に、宗一は胸が詰まった。
***
それから数日間、宗一はいつも通り通勤はしていたが、新田とは距離を置き、仕事が終わると逃げるように実家へ帰った。 新田からは何度も電話やLimeのメッセージが届いた。 けれど、何と返せばいいのかわからなかった。 言葉が見つからない。気持ちが追いつかない。
新田は、仕事が終わると宗一の実家まで足を運んでくれた。 玄関の前に立ち、「話がしたい」と静かに声をかけてくる。 その声は、いつもと変わらず優しくて――でも、どこか寂しげだった。
宗一は、そのたびに「帰ってください!」と新田を追い返してしまった。 顔を見るだけで、胸が痛む。 彼の優しさが、苦しかった。
話そうとしても、言葉より先に涙が出てきてしまう。 喉が詰まって、声にならない。 どうしてこんなにも、話すことが怖いのだろう。
今日もまた、新田は来ていた。 雨が降りそうな曇り空の下、傘も差さずに玄関の前に立っていた。 ぽつぽつと雨が降り始めても、帰ろうとしない。
しびれを切らした宗一が玄関を開けると、 そこには、少し困ったような顔をした新田がいた。
「話をしてくれないか?」
その言葉に、宗一はとうとう口を開いた。
「……俺、あなたのことが、好きなんだと思います」
新田は、驚いたように目を見開いた。 そして、静かに微笑んだ。
「だったら……」
その声に、宗一は首を振った。
「でも……あの日、あなたは俺にウソをついて、小谷先生と一緒にいた。偶然、見かけてしまって…。小谷先生は女だし、美人だし、優しいし……俺なんかより、よっぽど小谷先生の方がいいのはわかります。だから、俺のことは気にせずに、彼女と番になって暮らしてください。 俺は出ていきますから……」
宗一の声は震えていた。 言葉にすることで、感情があふれ出しそうだった。新田の顔を見ずに続けた。
「こんな俺が、あなたを好きになってごめんなさい。 あなたは、ただ優しくしてくれただけなのに……勘違いして、ごめんなさい。 俺、小谷先生にも、あなたにも何をするかわからない。 あなたに迷惑をかけたくない。だから――」
宗一は、絞り出すように言った。
「別れてください……今まで、お世話になりました」
その言葉に、新田は珍しく大きな声を上げた。
「ま、待ってくれ! 誤解だ!!」
宗一は驚いて顔を上げた。 新田の表情は、必死だった。
「ウソをついたのは悪かった。だが、小谷先生には、相談していただけだ……!」
「はぁ……?! 何を?!」
新田は、少し息を整えてから言った。
「君への誕生日プレゼントだ」
「たっ……誕生日……?」
あまりにも、この場に似つかわしくない単語が飛び出してきて、宗一の頭は一瞬うろたえた。そういえば、来週は自分の誕生日だった。 すっかり忘れていた。 それどころか、祝われることなど考えてもいなかった。
「……誕生日、もうすぐだろう? 君が何を喜ぶか、わからなくて……小谷先生に少し相談していたんだ。彼女は君とよく話すと聞いていたから…」
宗一は、言葉を失った。 胸の奥が、じんわりと熱くなる。 あの光景が、まるで違う意味を持っていたことに、ようやく気づく。
「……なんで、そんなこと……」
「君を驚かせようと思って…、でも軽率だった。誤解させて悪かった」
新田の声は、静かで、真っ直ぐだった。
宗一は、そっと目を伏せた。 涙が、また零れそうになる。
新田はカバンの中から、手のひらに乗るくらいの小さな箱を差し出した。
「気に入ってもらえるといいんだが…」
そう言って、新田は宗一の手の上に小さな箱を乗せた。 宗一は戸惑いながらも、そっと蓋を開ける。
中には、繊細な光を放つ指輪が静かに収まっていた。 シンプルなプラチナの輪に、ひと粒だけ小さなダイヤが埋め込まれている。 派手すぎず、けれど優しく輝いていて――まるで、新田のようだった。
宗一は、言葉が出なかった。 胸の奥が、じんわりと熱くなる。 でも、何も言えないまま黙っていると、新田が少し不安そうに口を開いた。
「だ、ダメか……? 気に入らなかったら、無理につけなくていい……」
その言葉に、宗一は思わず声を荒げてしまった。
「なんで……?」
「……?」
「なんでこんなことするんですか?!」
手の甲で、目に滲んだ涙を拭う。 感情が溢れて、抑えきれなかった。
「え……?」
「また、勘違いするから、やめろよ……!」
「勘違い……?」
新田はしばしポカンとしていたが、やがてふっと微笑んだ。
「勘違い、してくれないのか?」
その笑顔は、いつも通り穏やかで、でもどこか決意がこもっていた。
「保科……いや、宗一」
新田は、宗一の手をそっと包み込む。 その手は温かくて、優しかった。
「……」
「私の番になってくれないか?」
「……っ?!」
宗一は目を見開き、顔を上げた。 そこには、真っ直ぐに自分を見つめる新田の顔があった。
「私は、君と、きちんと番になり、結婚したい。誕生日にこの指輪を渡して、そう言うつもりだった」
「な、なんで……?」
声が震える。 宗一は、信じられないような気持ちで問いかけた。
新田は、迷いなく答えた。
「君が好きだ」
その言葉に、宗一は思わず俯いた。 顔が熱くなって、目を合わせられなかった。
こんなふうに、誰かに真っ直ぐに「好きだ」と言われたのは、初めてだった。 しかも、それが新田から――
「……お、俺なんかのどこが好きなんですか……っ?! あんたは優しいから、俺に同情してるだけだろっ……?!」
宗一の声は震えていた。 心の奥にずっと沈めていた言葉が、堰を切ったように溢れ出す。
「可哀相な男のΩに……!俺なんて、生まれてこなければよかった……!」
父親に何度も言われた言葉が、頭の中でこだまする。 『死ねばいい』―― その言葉は、宗一の心に深く刻まれていた。 暴力も、罵声も、ずっと自分を否定するものだった。
「そんなことを言うな……」
新田の声は、静かで、でも力強かった。 次の瞬間、宗一の身体は新田の腕の中にすっぽりと包まれていた。 決して小さくない自分の身体が、大きな体に抱きしめられる。 新田の匂いに包まれて、宗一は少しだけ安心した。
「君の優しいところが好きだ。 一緒にいると安心するし、とても居心地がいいし、楽しい。 きっと、君の心が美しいからだ」
新田の声が、宗一の耳元で静かに響く。
「家族思いで、私のこともさりげなく気遣ってくれて、私の好きな和食を多めに作ってくれる。 君が笑ってくれると嬉しい。 君を守り、助けたい。私が幸せにしたい。愛しい。 私のものにしたい……」
その言葉に、宗一の目から涙が零れ落ちた。 新田が宗一の髪をそっと撫でる。
「私は、感謝している。君が生まれてきたことに……」
「……っ」
「きっと、私と出会うために生まれてきたんじゃないか?」
(……そんなこと、言ってもらったの初めてだ)
誰かに、自分の存在を肯定してもらえるなんて。 こんなふうに、まっすぐに言ってもらえるなんて。 想像もしていなかった。
もしかして、夢じゃないだろうか―― そう思ったけれど、新田の温もりと、静かに響く心臓の音が、 『これは夢じゃない』と教えてくれていた。
「私と番になろう……」
「いや、でも……俺には返せるものが何も……」
「君からは、いつもたくさんもらっている」
「……あなたは、いい人すぎですよ……」
宗一は、涙を拭いながら呟いた。 新田は、少しだけ笑った。
「今すぐじゃなくていい。ゆっくり考えてくれればいいから。……だから、別れるなんて言わないでくれ……」
そう言って、ぎゅっと強く抱きしめられたあと、 新田の身体がゆっくりと離れていく。
その瞬間、宗一は名残惜しさに耐えきれず、新田の腕を掴んだ。
「い、いや……」
「ん……?」
「俺も……番に、なり、たい……です。……すぐに……」
宗一の消え入りそうな声に、新田は優しく微笑んだ。
「おいで。一緒に帰ろう」
そう言われ、宗一はコクリと頷いた。
7
『俺も……番に、なり、たい……です。すぐに……』
そう、思わず言ってしまったものの、宗一の身体は緊張で強張っていた。
番になるには、性行為中に項を噛む必要がある。
宗一は自分の意識があるときに、セックスするのは初めてなのだ。
ヒートのとき、意識があるときはできるだけ自分の部屋に籠ってやり過ごし、無意識に自分で部屋を出たのか、それとも新田に連れて行かれたのかわからないが、ヒートが終わる頃には新田のベッドで眠っていた。だが、行為中の記憶はほとんどない。
(心臓、破裂しそう…)
二人でマンションに帰っている間も、新田の耳にも聞こえるんじゃないかと思うくらい、心臓の音がうるさい。
手を引かれるままに、新田の寝室のベッドに2人で並んで座り、そっと肩を抱き寄せられ、優しく口づけされた。
「ん…、わ、あ…っ」
新田の舌が口内に入ってきたものの、宗一が驚いて少し身体を引くと、無理には追ってこず、安心させるように髪の毛や頬を撫でられ、首や鎖骨にも口づけされた。
まるで自分が、新田の大切なものにでもなったように、優しく優しく触れられる。
ベッドに倒され、大きな手が宗一の胸や腹を触る。こそばゆくて、宗一は身を捩った。
「んっ…、ぅっ…、ん…」
甘ったるい声が出るのが嫌で、自分の腕を噛んで我慢していると、新田が宗一の腕を掴んでシーツに降ろし、指を絡めた。
「声が聞きたい…」
「やっ…、あっ…! だ、だって、…俺の声なんて、萎えるでしょ…」
「いや、かわいい…。もっと聞かせてくれ…」
「かわ…?! や、やだぁ…っ!」
極限まで甘やかされ、緊張を解かれる。
服や下着を脱がされ、宗一の隠れた場所に新田の指が触れると、身体が跳ねた。
新田の指が宗一の中に入り込んで、気持ちいいところを刺激する。
「あ、ひっ…」
宗一の中がぐちゅと恥ずかしい水音を立てて、羞恥で泣きそうになった。
「も、いい…、からァ…っ!」
「もう少し、慣らしておかなければ…」
新田は真剣にそう言うが、宗一は首を横に振る。
身体のもっと奥が期待して、次の刺激を待っていた。
「も…、早く…」
「はぁ…」
新田はひとつ溜息をつき、宗一の足を大きく開き、新田の大きくなったものを、宗一の後孔にあてがう。
宗一の身体がビクリと震えた。
「怖いか…?」
震えに気づき、新田は宗一の頬を触って聞いた。
怖くないと言えばウソになる。でも、身体は繋がりたがっている。この人は絶対に酷いことをしないと、知っている。
「だいじょうぶ、です…」
「無理はするな…」
「はい…」
宗一が返事をすると、指とは比べ物にならないくらい大きなものが、狭い壁を広げてゆっくりと押し入ってきた。
「っん…、くっ!」
「大丈夫か…?」
「う、んーっ…!」
あまりの圧迫感に、宗一は首を横に振る。
「やはりまだ…」
そう言って腰を引こうとする新田。だが、宗一は足を絡めて離さなかった。
「やっ…! 抜くな…!」
新田はシーツをきつく握っていた宗一の指を解いて、自分の首に回した。
「ゆっくりと息をして…、少し、力を抜けるか…?」
無意識に力んでいた身体。宗一は新田の身体にしがみついて、息を吐いて力を抜くよう努めた。
「あ、はぁ…、はぁ…っ」
「ん、いいこだ」
髪の毛を撫でられ、頬に口づけされる。まるで小さい子どものようにあやされる。
男が大股を拡げて、恥ずかしい。痛い。苦しい。でも、新田に求められていることが嬉しい。
新田がゆっくりと腰を動かす。
「宗一…」
「んっ…、あ…っ!」
耳元で名前を囁かれ、身体がまた反応する。
「本当に噛んでいいのか…?」
「は、い…」
宗一は頷いて、新田の背中を強く抱きしめた。新田の唇が、宗一の首筋に当たる。宗一が新田とは反対方向に首を捻ると、新田は宗一の項を優しく食んだ。
「ひゃぁ…っ!」
「宗一、愛している…」
そう言って、宗一の項に歯を立てた。
「お、俺も…、ん、んあぁっ…!」
痛みと、快感が同時に身体を駆け巡る。びりびりと感電したように全身が痺れ、宗一は達した。無意識にぎゅうっと中を締め付け、新田も宗一の中で達する。
2人とも脱力し、ただベッドの上で重なり合い、ドクドクと、お互いの心臓の音が早いのが伝わった。
暖かい。気持ちいい。幸せだ…。
「ありがとう…、宗一…」
気づくと、新田は静かに涙を流していて、宗一はそれを見て少し笑った。
心地よい匂いに包まれて、宗一は眠りに落ちた。
***
無事に番になり、婚姻届も提出した。 本当はそれで済ませるつもりだった。 静かに、ふたりだけで、日常の延長線上で――それが宗一の望みだった。
けれど、両家の親の強い希望があり、仕方なく親戚だけの小さな式を挙げることになった。 形式ばったことは苦手だったが、親たちの「せめて式だけでもしてほしい」「晴れ姿を見たい」という期待を無下にはできなかった。
ちなみに、2人ともタキシード姿。 白と黒のコントラストが美しく、並んで立つと、まるで映画のワンシーンのようだった。
式場の控え室では、まだ式も始まっていないというのに、ひときわ目立つ声が響いた。
「ぞういぢ~~~~~~~、よがっだよぉ~~~~!!!」
正晴だった。 親族だけだと言ったのに、「絶対に行きたい!!!」と駄々をこねて聞かず、結局招待することになった。 その正晴は、宗一を見てからすぐに号泣。 ハンカチを顔に押し当てながら、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
宗一も、ついもらい泣きしそうになったが、正晴がそのまま抱きつこうとしてきたので、慌てて制止した。
「このタキシード、レンタルなんだから汚すなっ!」
思い切り振り払うと、正晴は「ひどい!」と叫びながらも、笑っていた。
志津と康二も、泣きながらも笑顔で「おめでとう」と言ってくれた。 志津は何度も目元を拭いながら、「宗一が幸せそうで、本当に嬉しい」と言い、康二は「兄貴、よかったな」と笑顔で言った。
宗一は「母さん、本当にありがとう」と言って、志津の肩を抱きしめた。
康二は新田の方を向くと、宗一に聞こえないように声を落として言った。
「先生、兄貴を泣かせたら、承知しませんからね」
新田は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに笑って頷いた。
「ああ。……きっと幸せにする」
その言葉に、康二は頷き、志津はまた涙をこぼした。
式が始まり、バージンロードの先に新田が立っていた。 タキシード姿の新田は、いつもより少し緊張しているようで、 それでも宗一を見つけると、ふっと表情を緩め、優しく微笑んだ。
「宗一」
その声に、宗一は胸が熱くなるのを感じた。 ゆっくりと歩み寄りながら、手を差し出す。
「功史朗さん」
宗一は笑顔で新田の手を取った。 その手は、いつもと同じように温かくて、しっかりと握り返してくれた。
拍手が静かに広がる。 小さな式場の中で、たくさんの笑顔と涙が溢れていた。 親族たちが見守る中、ふたりは祭壇の前に並ぶ。
司会者が静かに告げる。
「それでは、おふたりから皆さまへ、誓いの言葉を述べていただきます」
会場が静まり、ふたりは並んで前を向いた。 新田が、少し緊張した面持ちで口を開く。
「私は――宗一さんと、これからの人生を共に歩んでいくことを誓います。 彼にはいつも助けられてばかりですが、私も彼を守り、助けたい。楽しいときも、苦しいときも、隣で笑い合えるように。 どんな日も、彼の味方であり続けます」
新田の声は震えていたが、言葉はまっすぐだった。 宗一は、目を潤ませながら頷き、静かに言葉を紡ぐ。
「僕は――功史朗さんと、これからの人生を共にすることを誓います。 こんな僕を選んでくれて、感謝しかないです。どんな困難なことがあっても、功史朗さんと一緒なら、ひとつずつ乗り越えていけると思っています」
ふたりの言葉に、会場は静かに感動に包まれた。
指輪交換の時間が訪れた。
かごの中には、シンプルで美しいペアリングが並んでいた。 光を受けて、静かに輝くそのリングは、ふたりの未来を象徴するようだった。
新田が一歩前に出て、宗一の左手を取った。 その手は、少しだけ震えていた。 けれど、指輪を滑らせる動きは丁寧で、心を込めていた。
「これからも、よろしくな」
その言葉に、宗一は微笑みながら頷いた。 今度は自分が新田の手を取り、指輪をはめる。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
指輪交換が終わり、司会者が静かに告げる。
「それでは、おふたりの誓いのキスを――」
会場がふっと静まり返る。 宗一と新田は、互いに目を合わせた。 その瞳には、言葉にできないほどの想いが込められていた。
新田が一歩近づき、宗一の頬にそっと手を添える。 宗一は、少しだけ目を伏せてから、ゆっくりと顔を上げた。
そして―― ふたりの唇が、静かに触れ合う。
それは、派手でも長くもない。 けれど、確かに心を結ぶ、誓いのキスだった。
会場から、優しい拍手と歓声が広がる。 志津はまた涙をこぼし、康二は照れくさそうに目をそらす。 弟たちは「わあお……」と目を丸くしていた。
宗一は、キスの余韻の中で思った。
(こんな日が来るなんて、昔の俺には想像もできなかったな)
でも今は、隣に新田がいる。 その手を握っている。 指には、ふたりの絆が輝いている。
(ああ、俺、生まれてきてよかった……)
今初めて、自然にそう思えた。
番外編
宗一と一緒に暮らし始めてから、半年が経った。 日々の生活は穏やかで、静かで、心地よい。 けれど、新田の心の中には、ずっと揺れているものがあった。
何度か、彼の白く柔らかい項を噛んで、未来永劫自分のものにしてしまいたいと思ったが、なんとか理性で踏みとどまった。
彼が自分と番になりたがっているかわからない。
『セックスするなり、番にするなり…、男だから孕む心配はあまりないと思うけど…、まあ適当に、あんたが良いようにしてください』
一度目のヒートの前にこんなことを言われたが、なんだか投げやりのような言葉だった。
自分の気持ちもまだあやふやだ。大切にしたいとは思う。けれど、それだけで番になるのは良いのだろうかと。
これはただの一時の『衝動』ではないだろうか―― そんな疑念が、ふとした瞬間に顔を出す。自分がαで彼がΩであるから。第二性の本能なだけではないのか、と。
だが、日常の中で、宗一に触れてみたいと思う気持ちは、確かに存在していた。 料理をしているとき。 ソファの隣に座っているとき。 ふと、その肩を抱き寄せて、柔らかな髪を撫でたくなる。 いつも凛としている宗一を、思い切り甘やかしてやりたくなる。
けれど―― 触れることは、自分には許されていない気がした。 彼はヒートでも意識のあるときは部屋から出てこない。新田のことを求めてくるのは、意識が朦朧とし、どうしようもなくなってからだ。
きっとそれ以外のときに触れることは、自分には許されていない。
もし触れてしまったら、彼は一体どうするだろうか。 拒まれるのではないか。 嫌われてしまうのではないか。
そんな不安が、新田の手を止めていた。
その日、新田は保健室のドアをノックした。 養護教諭の小谷里佳子。 宗一から、学校では小谷とよく話すと聞いている。それに、第2の性についても勉強しているという彼女に、相談してみようと思ったのだ。
あらかじめ約束しておいた時間。 授業のない午後のひととき、小谷はお茶と茶菓子を用意して待っていてくれた。
「どうされましたか?」
優しい笑顔に、優しい声。 新田は少し緊張しながら、自分の状況と、心の中にある思いを話した。
「……彼のことを、大切にしたい。酷いことはしたくない。それは本当だ。 ……だが、自分のものにしたいとも思う。番にしてしまいたいという衝動がある。 それは、私がαで彼がΩだから、本能なのか。初めてのことで、よくわからなくて……」
小谷はしばし考え、静かに口を開いた。
「じゃあ、例えば、新田先生は、私を大切にしたいと思いますか?」
「……ああ、それは思う」
小谷は自分よりも小さく、か弱い存在。 その上Ωであれば、αからは守りたくなるのは当然のことだ。
「では……私がもし、そうですねぇ……例えば、宇佐美先生と結婚すると言ったら、どうしますか?」
「宇佐美……?」
噂によると宇佐美はαで、妻が3人いるという。容姿もよく、教師はどちらかというと副業で、アーティストとしても活動しているらしい。彼はいつも楽しそうで、仕事も一応している。 時々問題行動はあるが、憎めない人物だ。
「そうだな……思うところはあるが、小谷が宇佐美と結婚して、幸せになるのなら、それでいいのでは?」
「そうですか。……では、そのお相手が、宇佐美先生と結婚すると言ったら、どうですか?」
「……」
新田は目を見開き、言葉を失った。 想像していなかった。 あの美しい心を持つ彼を、甘い匂いを、他の男が知るのか――?
自分がこのままの状況に甘んじて、番にしないということは、 彼が誰かに取られてしまう可能性があるということだ。
あんなに優しい宗一を、誰がいつ好きになってもおかしくない。 それは――耐えられない。
小谷はくすくすと笑いながら言った。
「あらあら、怖いお顔」
新田には自覚がなかった。 自分がどんな表情をしていたのかもわからない。
「えっ……? す、すまない……」
「そういうことなんじゃありませんか? 自分の番にしたいと思うのは、その方だけなのでしょう?」
番にしたい。 自分のものにしたい。 『自分』が、幸せにしたい。 彼が欲しい――
「今のお気持ちを伝えてみてはいかがでしょうか。もしかしたら、お相手も新田先生と番になりたいと思っているかもしれませんよ?」
「そうだろうか……?」
「何かきっかけがあればいいのですが……」
新田はふと、カレンダーを見て思い出した。
「そういえば、もう少しで彼の誕生日だ」
「あら!それはいいですね! プレゼントなど差し上げてはいかがですか?」
「プレゼントか……。何を選んだらいいのか……」
お見合いの前に、彼の誕生日を聞いていた。 だが、いざプレゼントを選ぶとなると、どんなものにすればいいのかわからなかった。
「新田先生の選んだものなら、きっと喜んでくれますよ。上手くいくといいですね」
「ありがとう」
新田は小谷に礼を言って、保健室を後にした。
彼にプレゼントを渡し、自分の想いを伝えよう。 今はまだ、すぐに答えが出ないかもしれない。 けれど、一緒に生活する中で、少しずつでも―― 彼に、自分のことを好きになってもらえるように。
そう、心から思った。
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