ランドセルの王子様(仮)

万里

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(……これは散歩だ。あくまで健康のための、夕方のウォーキングなんだ)

 一週間後、優太は再びあの現場へと足を運んでいた。 友人の高橋から「自首しろ」という愛のある(?)鉄拳制裁を受けたというのに、足が勝手に動いてしまったのだ。

 手には申し訳程度のスポーツドリンク。格好は、それらしいジョギングウェア。 だが、その視線はキョロキョロと落ち着きなく辺りを探り、挙動不審そのものである。もし今、パトカーが通りかかったら、職務質問を回避できる自信は微塵もなかった。

 住宅街の路地を抜け、近くにある「市民運動広場」に差し掛かったときだった。

 ――バッ、シュッ!

 空気を切り裂くような鋭い音と、小気味よい捕球音が聞こえてくる。 優太は吸い寄せられるように、グラウンドを囲むフェンスの影に身を潜めた。

(あ……、いた)

 そこにいたのは、紛れもない「ヒーロー」だった。 今日はランドセルこそ背負っていないが、紺色の練習着に身を包んだ蒼は、周囲の小学生たちとは明らかに一線を画すオーラを放っていた。

 華麗なステップでマーカーをかわし、鋭い低弾道のシュートをゴールネットに突き刺す。 周囲のコーチや親たちが「おおっ」とどよめく中、蒼だけは表情一つ変えず、淡々と次のボールを拾いに行っていた。

(やっぱり、かっこいい……)

 優太は、アイドルの出待ちをするファンのように、フェンス越しに熱い視線を送る。 その時だった。

「あの、すみません。どなたかのお兄さんですか?」

 背後から声をかけられ、優太は「ひゃいっ!?」と情けない声を上げて飛び上がった。 振り返ると、いかにも「熱血指導者」という雰囲気の男性コーチが立っていた。

「あ、いや、えっと! あの、不審者じゃありません!」 
「ははは、そんなに慌てなくても。もしかして、子どもの親族の方ですか? それとも、サッカー関係の方ですか?」

 コーチの目は、優太の「それっぽいジョギングウェア」に注がれている。 優太の脳内はフル回転した。ここで「通りすがりのファンです」と言えば、即座に通報される。

「あ、えっと……その、あおいくんの、知り合いで……!」 
「おお、蒼の! それはそれは。もしかして、指導をしに来てくれたんですか? ぜひ、今日のアシスタントコーチとして中に入ってくださいよ!」

「えっ、いえ、俺、サッカーは全然……!」

「謙遜しないで! さあさあ!」

 強引なコーチに背中を押され、優太はあれよあれよという間にグラウンドの中へと連行されてしまった。

 グラウンドの中では、ちょうど給水休憩に入った子どもたちが集まっていた。 すると、どこからともなく女子小学生たちが数人、蒼の周りに集まってくるのが見えた。

「蒼くん、すごーい! 今のシュート、かっこよかった!」 
「蒼くん、これ、リストバンド……よかったら、使って!」

 さながら「蒼ファンクラブ」である。 さすが、あの容姿と運動神経だ。同年代の女子たちが放っておくはずがない。

 優太は遠巻きにそれを見て、「だよね、モテるよね……。俺なんかが入り込む隙なんて、1ミリもないよね」と少し落ち込んでいた。

 だが、蒼の対応は驚くほど塩対応だった。

「リストバンド、いらない。チーム指定のがあるから。あと、練習の邪魔だからあっち行って」

 冷徹。バッサリである。 泣きそうになる女子たちを置き去りにして、蒼は一人、給水ボトルを手に取った。 そして、ようやくグラウンドの端でオロオロしている優太の存在に気づいた。

 蒼の眉が、ピクリと動く。

「……何してるの、お兄さん?」

 歩み寄ってきた蒼の視線は、先ほどよりもさらに冷ややかだった。

「あ、あおいくん! いや、違うんだ、今日はその、見学に……あ、サッカー関係者に間違われちゃって、コーチをって……」 
「コーチ? お兄さんが? ……どんくさそうなのに?」

 蒼は呆れたように優太の足元を見た。 優太はこの前と同じように、自分の結び目が解けかけている靴紐に気づき、顔を真っ赤にする。

「ご、ごめん……。でも、君のサッカー、本当にかっこよくて。あと、どうしてもちゃんとお礼が言いたくて」

 優太が必死に伝えると、蒼は少しだけ毒気を抜かれたように、ふんと鼻を鳴らした。

「……別に。俺はボールを蹴りたいから蹴っただけ。お兄さんがカバンを離さなかったから、ターゲットが固定されて当てやすかった。それだけだよ」

 その突き放すような言葉。だが、優太にはわかった。 彼は、照れ隠し……というように、自分の正義感を「合理性」で隠そうとしているのだ。

「あおいくん。君、本当にかっこいいね。サッカーだけじゃなくて、考え方とか……俺、感動する」

 優太がまっすぐに見つめると、蒼はわずかに視線を逸らした。 ちょうどその時、コーチが「よし、練習再開だ!」と声を張り上げた。

「……お兄さん、本当にサッカーできないの?」 
「うん。結構、いやかなり、運動音痴で……」 
「……じゃあ、立ってると邪魔だから、あっちのベンチで大人しくしてなよ」

 蒼はそう言い残すと、颯爽とピッチへ戻っていった。 優太は言われた通りベンチに座り、その姿を眺めていた。

 練習が進むにつれ、蒼の圧倒的な実力だけでなく、彼が時折見せる「孤独感」のようなものも優太の目には映った。彼は上手すぎる。周りの子たちと連携しようとしても、蒼の意図を汲み取れる子がいないのだ。

(あんなにすごいのに、なんかパスが上手く行ってないような……俺の勘違いかな)

「あの…!」

 不意に、先ほど蒼に冷たくあしらわれていた女子たちが、優太に声をかけてきた。

「お兄さん、この前も通学路にいました?」 
「もしかして、蒼くんのストーカーですか!?」

 ド直球の質問に、優太は文字通りフリーズした。 

「ち、ちがっ……! 違うんだ、これは……その、あおいくんには命を救われたことがあって、そのお礼というか、友情というか……!」 
「友情? 大人と小学生が?」 
「えー、怪しいー! やっぱりストーカー?不審者?」

 女子たちの容赦ない攻勢に、優太の顔から血の気が引いていく。 終わった。明日には『大学生、不審な言動で現行犯逮捕』というネットニュースのタイトルが、スマホを騒がせるに違いない。

 絶望に打ちひしがれ、ガタガタと膝を震わせる優太。その時だった。

「おい。お兄さんをいじめんなよ」

 少し低く、けれどよく通る声。 優太の前に、スッと小さな、けれど頼もしい背中が割り込んだ。

 蒼だった。 彼は女子たちを「何やってんだ」と言わんばかりの冷めた目で見下し、庇うように優太の前に立っている。

「この人は、俺の……、俺の、まあ多分友達だ。とにかく、不審者じゃないから」 
「えっ……そうなの?」 
「……えー、なんだ。つまんないの」

 女子たちはブツブツと不満を漏らしながら去っていった。 優太は、自分の半分ほどの年齢の少年に守られたという事実に、猛烈な情けなさと、それ以上の「ときめき」で顔を真っ赤に染めていた。

「あおいくん……ごめん、また迷惑かけて。俺、本当に情けないよね……」 
「別に。……それより、お兄さん。顔赤いよ。熱でもあるの?」

 蒼が、優太のおでこに自分の手のひらをそっと当てる。

 運動の後特有の熱をわずかに帯びた、小さな手のひら。 至近距離で見つめ合う、蒼の吸い込まれそうなほど綺麗な瞳。

「ひゃっ……!? だ、だだ、だいじょうぶ! 元気100倍だから!」

(ひ、ひえ~~~!かっこよすぎ!!)

 優太は心臓が破裂しそうな勢いでのけ反り、しどろもどろになった。



 練習が終わり、日が完全に落ちた頃。 片付けを終えた蒼が、一人でグラウンドを出ようとしていた。

 今だ。 優太は勇気を振り絞って、蒼の隣に並んだ。

「あおいくん! あの、帰り……送っていってもいいかな。暗くて危ないし」 
「危ないのは、この前ひったくりにあった、お兄さんの方だと思うけど?」

 辛辣な言葉が突き刺さる。だが、優太はめげない。

「そ、そうだよね! でも、お礼をしたい気持ちは本物なんだ。……あ、そうだ! 勉強とか……その、家庭教師とか探してないかな!? 俺、これでも大学生だから、勉強なら教えられるし! 国語とか、歴史とか……!」

 蒼は立ち止まり、まじまじと優太の顔を見た。

「……家庭教師?」 
「うん! 報酬はいらないから……あ、いや、それだと怪しすぎるか。とにかく、何か君の力になりたくて…」

 凌はしばらく黙っていたが、やがてフッと口角を上げた。 

「……いいよ。ちょうど、算数の文章題、面倒だと思ってたんだ」

「えっ、本当!?」

 優太の顔がパッと明るくなる。

(よし、一歩前進……! 運動神経は絶望的だけど、小学校の勉強なら教えられるはず!)

「じゃあ、……とりあえず、これ」

 蒼は迷いのない手つきで、自分のスマートフォンを取り出した。 差し出された画面に表示されていたのは、連絡先交換のQRコードだ。

「あ、うん。……あ、ありがとう」

「……じゃあ、また連絡するから」

 蒼はテキパキと話を進めていく。 優太は、スマホに登録された『日向蒼』という名前を見つめ、何とも言えない高揚感に包まれていた。

「わかった! 連絡待ってる!」

「……うん。じゃあね、お兄さん」

 凌は軽く手を振ると、夕闇に溶け込むように軽やかな足取りで去っていった。 一人残された優太は、しばらくその場に立ち尽くし、スマホを胸に抱きしめた。

(よっしゃあああ! 繋がった、繋がったぞ!)

 その場を飛び跳ねたいほどの喜び。だが、ふと我に返る。

(……待てよ。20歳の男が、小学生の男子とLINEを交換して、喜んでる。これ、客観的に見てどうなんだ……?)

 背筋に冷たいものが走った。 もしこれが高橋に知れたら、間違いなく今度こそ警察署まで引きずられていく。

(……違うんだ。これは教育の支援であって。地域の子どもの学習意欲を支える、大学生のボランティア活動なんだ……!)

 自分に言い聞かせるように何度も呟きながら、優太は不自然なスキップをしながら帰路についた。

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