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舞踏会へ!2
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――こんなにもこの大広間が静まり返ったことが、かつてあっただろうか。
音楽は止み、喧噪は幻のように消え失せ、死者の吐息まで聞こえそうな静寂がたちこめる。
ほんのすこし前までにぎやかだったのだ。宮廷音楽隊による円舞曲が高らかに奏でられて「さあ楽しい夜の始まりだ」と誰もが思っていた。
「ルーザー国ローガン王子殿下。ならびにライラ・ウェリタス侯爵令嬢のお着きです」
この声が聞こえるまでは。
みな、つい無意識にそちらを振り返った。興味のない顔、嘲りの表情、好奇に満ちた眼差し――それらは瞬く間に消えた。大広間は彼らに支配されてしまったのだ。
クラージュ・グラン・フォーリッシュは自失していた。
右腕に絡まるリリベルのことも、後ろからグラスを差し出しているノイマンのことも忘れて、一対の炎に見入った。
――朱金の炎。
男のほうは知らない顔だが、さきほどの名乗りで今日やってきたばかりの留学生だと知れた。異国的な風貌、見る者を魅了する雰囲気の持ち主だ。黒と金を基調とした衣装で、彼の金髪や琥珀色の瞳はくっきりと浮かび上がってみえるようだ。手袋から靴先まで聖フォーリッシュ王国とはちがう意匠がこらされ、黒いマントには孔雀の飾り羽をあしらった金刺繍が艶やかに踊っている。
――いや、あんな余所者はどうでもいい。それよりも。
クラージュは食い入るように、深紅の令嬢を見つめた。まさしく炎を体現したような――あの美しい少女には、明らかに見覚えがあった。
リリベル・ウェリタスは混乱していた。
どうして、どうしてと頭の中で繰り返す。もはやなにに対する疑問なのか、自分でも分からない。
どうしてドレスを持っているのか。どうしてあの男と一緒なのか。どうしてそんなに――美しく見えるのか。
よくよく見れば化粧はごく薄い。なのに、とりたてて特徴のない顔が、恐ろしく整って見える。特徴がないということは逆に言えば、目立つ欠点がほとんどないということだとリリベルは気付かない。
濡れたようにつやのある赤髪は一筋のこぼれもなく結い上げられ、大粒の紅玉を使った髪飾りがそれをまとめている。小さな顔にそうよう整えた前髪、その下からのぞくのは髪飾りにも劣らぬ深紅の瞳。赤い唇は、白い肌に舞い落ちた血のようだ。
深い紅のドレスにはレースもフリルもない。けれど燃え上がる炎を思わせる見事な濃淡と光沢で、すそやそで回りには計算されつくした見事なドレープがひらめいている。肌を見せる部分は少なく、首元までかっちり布が覆い隠している。そのぶん余計に、髪をまとめてあらわになった耳元が目立ち、赤い耳飾りが視線をさらう。髪飾りと同じく、見たこともないくらい大きな紅玉だ。
ライラの装飾品は髪と耳元だけ。じゃらじゃらとアクセサリーをつけた自分が、急に田舎くさく思えた。
――わたくしだって、こんなぼけた色のドレスでなきゃ同じくらい、いいえ!もっと目立っていたのに!こんなのフェアじゃない!卑怯だわ!あんな派手な色じゃ勝てるわけ――
驚きに目を見開く。これではまるで「負けた」と認めているようなものじゃないか!
煮え立つような怒りが込み上げる。
――わたくしが今夜も一番なの!おねえさまなんて、ただの引き立て役なのに……ッ!!
ライラとローガンが通れば、自然と人波が割れた。まだ音楽は流れない。時間が止まっているなか、彼らだけはやけに迷いのない足取りで広間を横切っていく。
「ま、待てッ!!」
通り過ぎるのを、クラージュが鋭く呼び止めた。
紅の少女は、びっくりした顔でこちらを見る。声もかけてこないとは、自分に気付いていなかったのだろうか。眼中にないと言われたようで苦々しい。
「ライラ!一体どういうことだ!く、来ると知っていたら迎えに行ったのに、何故言わない!」
ライラはビクッと身を竦めた。
ほんのりと赤い化粧で縁どられた美しい目がおどおど自分をうかがう。ささくれた心が満たされていくのを感じた。
――ほら、着飾っていてもいつも通りのライラだ。僕の婚約者だ。
自信を取り戻し、クラージュは胸を張った。
「参加したかったんならそう言え。わざわざ他の男にエスコートを頼むなんて陰険な女だな。今日は悪くない格好だし、僕といっしょに――」
伸ばそうとした手が、傍らの男にむぎゅっと握りしめられた。両手で。
「クラージュ・グラン・フォーリッシュ王太子殿!お噂はかねがね!」
ローガン・ルーザーだ。
クラージュは少しムッとした顔で相手を見上げた。自分より背が高く、体格もいい。たちまち劣等感が刺激されて、クラージュは握手の手を握り返さずパッと離した。
「ああ、ルーザーの方だな。聖フォーリッシュ王国へようこそ。歓迎するよ。あなたの国にはないような知識や文化がたくさんあるだろうから、有意義な時間をどうぞ楽しんでいってくれ」
「ありがとう!この国は本当に素晴らしい!限られた時間にはなるだろうが、いろいろ学ばせてもらいたい!」
締まりなく笑うローガンを見て、クラージュはかすかに口角を上げる。
――皮肉も通じないとは。ただでさえルーザーなんて弱小国なのに馬鹿がトップだと大変だろうな。こいつと話すのは無駄だ。さっさとライラを連れて行こう。
「私の婚約者をエスコートいただき感謝する。ここからはこちらで面倒をみよう」
「ああ、それには及ばない」と、ローガン・ルーザーは笑顔のまま。
「クラージュ王子は、そこの可憐なピンクフタコブヘビの相手をしなくてはならないだろう」
「ピン……?」
――なにか今すごいこと言わなかったか、こいつ。
「ああ、すまない!人間を他のモノに例えるのは私のクセなんだ!昆虫や動物の生態に興味があって、ゆくゆくは大きなカタツムリ牧場を作りたいと思っている!ライラ嬢はカタツムリにくわえてアリにも大変造詣が深いから、今日は赤アリの顎について議論を交わす予定だった!ところがこの舞踏会に出席する用事ができて『相手が見つからない』というので、急遽私がその栄誉を賜ったというわけなんだ!」
一体こいつはなんの話をしているんだ。クラージュは半分も意味が分からなかった。ノイマンを見れば、彼も思考が停止したような表情をしている。
「あ、赤アリの?」
「赤アリの顎についてだ、親愛なるクラージュ王太子殿!」
バチーン!とウインクをかますローガン・ルーザー。
「聞くところによると、あなたは『リリー』という女性と懇意にしているとか!今夜もここにいるのかな?週末舞踏会は正式な夜会ではないし、必ずしも婚約者を連れなくてもいいんだろう?素晴らしい自由思想だ!私も見習いたい!というわけで、今夜は貴殿の婚約者であるライラ嬢の隣を、僭越ながら私がつとめさせていただく!なにかほかに質問は?」
絶好調の彼を止められる者はここにはいない。広間中に反響する声でわけも分からぬうちに話がまとめられた。
「あと、この『悪くない格好』のドレスは、私が彼女に贈らせてもらった。誕生日だというので特別にライラ・ウェリタスのためだけに、超特急で仕立てさせた。次回ここに参加することがあれば、次はクラージュ王子の贈ったドレスを着た彼女を見たいものだ!」
――誕生日のドレス。
クラージュは、最後にいつライラに贈り物をしたのか思い出そうとした。だが、思料を破るように甲高い声が耳元で聞こえ我に返る。今の耳障りな声はだれだ。「おねえさまッ!」
リリベルが初めてみせる表情で、ライラに激しく詰め寄っていた。
「おねえさまは殿下の婚約者でしょう!どれだけ仲の良いお友達なのかは知りませんけど、男性と必要以上に親しくするなんていけないと思うわ!次期王太子妃として――」
いつもの気弱な声で、ライラはあせあせと両手を振った。
「ご、誤解だよリリベル!あの、逆にね!次期王太子妃として、ルーザー国王子殿下と仲良くさせていただこうって思ってるの!お友達とかそういうわけじゃなくて、ほら!いつもリリベルがクラージュ殿下のお相手してくれるでしょ!あんな感じでわたしも」
ローガン・ルーザーののんきな独り言が聞こえた。
「こういう武器あったな。投げたら戻ってくるやつ。なんだっけ」
ポンと手を打つ。
「飛去来器だ」
音楽は止み、喧噪は幻のように消え失せ、死者の吐息まで聞こえそうな静寂がたちこめる。
ほんのすこし前までにぎやかだったのだ。宮廷音楽隊による円舞曲が高らかに奏でられて「さあ楽しい夜の始まりだ」と誰もが思っていた。
「ルーザー国ローガン王子殿下。ならびにライラ・ウェリタス侯爵令嬢のお着きです」
この声が聞こえるまでは。
みな、つい無意識にそちらを振り返った。興味のない顔、嘲りの表情、好奇に満ちた眼差し――それらは瞬く間に消えた。大広間は彼らに支配されてしまったのだ。
クラージュ・グラン・フォーリッシュは自失していた。
右腕に絡まるリリベルのことも、後ろからグラスを差し出しているノイマンのことも忘れて、一対の炎に見入った。
――朱金の炎。
男のほうは知らない顔だが、さきほどの名乗りで今日やってきたばかりの留学生だと知れた。異国的な風貌、見る者を魅了する雰囲気の持ち主だ。黒と金を基調とした衣装で、彼の金髪や琥珀色の瞳はくっきりと浮かび上がってみえるようだ。手袋から靴先まで聖フォーリッシュ王国とはちがう意匠がこらされ、黒いマントには孔雀の飾り羽をあしらった金刺繍が艶やかに踊っている。
――いや、あんな余所者はどうでもいい。それよりも。
クラージュは食い入るように、深紅の令嬢を見つめた。まさしく炎を体現したような――あの美しい少女には、明らかに見覚えがあった。
リリベル・ウェリタスは混乱していた。
どうして、どうしてと頭の中で繰り返す。もはやなにに対する疑問なのか、自分でも分からない。
どうしてドレスを持っているのか。どうしてあの男と一緒なのか。どうしてそんなに――美しく見えるのか。
よくよく見れば化粧はごく薄い。なのに、とりたてて特徴のない顔が、恐ろしく整って見える。特徴がないということは逆に言えば、目立つ欠点がほとんどないということだとリリベルは気付かない。
濡れたようにつやのある赤髪は一筋のこぼれもなく結い上げられ、大粒の紅玉を使った髪飾りがそれをまとめている。小さな顔にそうよう整えた前髪、その下からのぞくのは髪飾りにも劣らぬ深紅の瞳。赤い唇は、白い肌に舞い落ちた血のようだ。
深い紅のドレスにはレースもフリルもない。けれど燃え上がる炎を思わせる見事な濃淡と光沢で、すそやそで回りには計算されつくした見事なドレープがひらめいている。肌を見せる部分は少なく、首元までかっちり布が覆い隠している。そのぶん余計に、髪をまとめてあらわになった耳元が目立ち、赤い耳飾りが視線をさらう。髪飾りと同じく、見たこともないくらい大きな紅玉だ。
ライラの装飾品は髪と耳元だけ。じゃらじゃらとアクセサリーをつけた自分が、急に田舎くさく思えた。
――わたくしだって、こんなぼけた色のドレスでなきゃ同じくらい、いいえ!もっと目立っていたのに!こんなのフェアじゃない!卑怯だわ!あんな派手な色じゃ勝てるわけ――
驚きに目を見開く。これではまるで「負けた」と認めているようなものじゃないか!
煮え立つような怒りが込み上げる。
――わたくしが今夜も一番なの!おねえさまなんて、ただの引き立て役なのに……ッ!!
ライラとローガンが通れば、自然と人波が割れた。まだ音楽は流れない。時間が止まっているなか、彼らだけはやけに迷いのない足取りで広間を横切っていく。
「ま、待てッ!!」
通り過ぎるのを、クラージュが鋭く呼び止めた。
紅の少女は、びっくりした顔でこちらを見る。声もかけてこないとは、自分に気付いていなかったのだろうか。眼中にないと言われたようで苦々しい。
「ライラ!一体どういうことだ!く、来ると知っていたら迎えに行ったのに、何故言わない!」
ライラはビクッと身を竦めた。
ほんのりと赤い化粧で縁どられた美しい目がおどおど自分をうかがう。ささくれた心が満たされていくのを感じた。
――ほら、着飾っていてもいつも通りのライラだ。僕の婚約者だ。
自信を取り戻し、クラージュは胸を張った。
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伸ばそうとした手が、傍らの男にむぎゅっと握りしめられた。両手で。
「クラージュ・グラン・フォーリッシュ王太子殿!お噂はかねがね!」
ローガン・ルーザーだ。
クラージュは少しムッとした顔で相手を見上げた。自分より背が高く、体格もいい。たちまち劣等感が刺激されて、クラージュは握手の手を握り返さずパッと離した。
「ああ、ルーザーの方だな。聖フォーリッシュ王国へようこそ。歓迎するよ。あなたの国にはないような知識や文化がたくさんあるだろうから、有意義な時間をどうぞ楽しんでいってくれ」
「ありがとう!この国は本当に素晴らしい!限られた時間にはなるだろうが、いろいろ学ばせてもらいたい!」
締まりなく笑うローガンを見て、クラージュはかすかに口角を上げる。
――皮肉も通じないとは。ただでさえルーザーなんて弱小国なのに馬鹿がトップだと大変だろうな。こいつと話すのは無駄だ。さっさとライラを連れて行こう。
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「ああ、それには及ばない」と、ローガン・ルーザーは笑顔のまま。
「クラージュ王子は、そこの可憐なピンクフタコブヘビの相手をしなくてはならないだろう」
「ピン……?」
――なにか今すごいこと言わなかったか、こいつ。
「ああ、すまない!人間を他のモノに例えるのは私のクセなんだ!昆虫や動物の生態に興味があって、ゆくゆくは大きなカタツムリ牧場を作りたいと思っている!ライラ嬢はカタツムリにくわえてアリにも大変造詣が深いから、今日は赤アリの顎について議論を交わす予定だった!ところがこの舞踏会に出席する用事ができて『相手が見つからない』というので、急遽私がその栄誉を賜ったというわけなんだ!」
一体こいつはなんの話をしているんだ。クラージュは半分も意味が分からなかった。ノイマンを見れば、彼も思考が停止したような表情をしている。
「あ、赤アリの?」
「赤アリの顎についてだ、親愛なるクラージュ王太子殿!」
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絶好調の彼を止められる者はここにはいない。広間中に反響する声でわけも分からぬうちに話がまとめられた。
「あと、この『悪くない格好』のドレスは、私が彼女に贈らせてもらった。誕生日だというので特別にライラ・ウェリタスのためだけに、超特急で仕立てさせた。次回ここに参加することがあれば、次はクラージュ王子の贈ったドレスを着た彼女を見たいものだ!」
――誕生日のドレス。
クラージュは、最後にいつライラに贈り物をしたのか思い出そうとした。だが、思料を破るように甲高い声が耳元で聞こえ我に返る。今の耳障りな声はだれだ。「おねえさまッ!」
リリベルが初めてみせる表情で、ライラに激しく詰め寄っていた。
「おねえさまは殿下の婚約者でしょう!どれだけ仲の良いお友達なのかは知りませんけど、男性と必要以上に親しくするなんていけないと思うわ!次期王太子妃として――」
いつもの気弱な声で、ライラはあせあせと両手を振った。
「ご、誤解だよリリベル!あの、逆にね!次期王太子妃として、ルーザー国王子殿下と仲良くさせていただこうって思ってるの!お友達とかそういうわけじゃなくて、ほら!いつもリリベルがクラージュ殿下のお相手してくれるでしょ!あんな感じでわたしも」
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