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第1話 事の始まり
しおりを挟む「あああああ、困った」
アインホルン王国の宰相は、執務室で一人悩んでいた。
国の税の納金が悪くて財政難というわけでもなく、隣国から宣戦布告を受けたわけでもなく、王妃がケーキばかりを食べて浪費しまくっているわけでもなく、国王が暴君というわけでもない。
国はいたって平和で、内乱を企てるような貴族もおらず、近隣諸国とはいたって友好的な関係が築かれている。
今日は大変穏やかな日で、時折吹く風は穏やかで、いたずらに書類を飛ばすようなこともなかった。
「はぁ」
一度深いため息をついて、宰相は窓の外を見た。
「平和だ」
そう、平和なのである。
とてつもなく平和なのだ。
だからこそ、どうして自分がこんなことで悩まなくてはならないのか、それが解せないのである。
「宰相閣下、何とかしてください。俺のお尻が持ちません」
宰相の執務室にまったく似合わない男が一人、名前をジルと言った。腹ばいでソファーに寝転び、シャツを一枚羽織っただけ、そしてなぜだか尻を出してそこに石ころが一つ乗せられていた。肘をついて自分の両掌に顔を乗せている。その顔はまるで百合のようにたおやかだ。肩よりも長い淡い金髪がふわふわとして、薄青い目がじっと宰相を見つめていた。
「うっ」
首をゆっくりとジルの方へと向け、宰相は困ったように眉根を寄せた。
宰相の困りごと、それはジルの存在、ではない。ジルに代わる存在がいないことだった。
「俺だってね。お仕事だから頑張りますよ。城下で一番人気だった男娼として、こうやって王城に召し抱えられたんだから大出世なわけなんだから。でもね、高級娼館は一晩で客は一人なの。体を休めるために二日は休むの。毎晩客をとるのは、借金があるやつぐらいだよ。治癒の魔石は高いからね。娼館が用意したものをみんなで使いまわしてんの。こんな風にのんびり一人で使えないのよ。わかる?」
言いたいことはわかってはいるが、とにかく今はそんなことわかりたくもない。というのが宰相の本音である。
「オメガのご令嬢たちも頑張ってはいると思うよ。でもさ、明らかに俺へのご指名が多いのよ。まあね、その分給金に反映するから構わないんだけど、ただね、俺はベータなの。そこんところわかってよ」
わかっている。わかっているからこうして悩んでいるのだ。
ただ、困ったことに国内の貴族からの申し出は全くないのだ。ただでさえ、オメガは貴重な存在だ。そんな存在がすでに二人王城に上がっていた。居場所は後宮、本来なら王の妃が住まう場所であるが、オメガの貴族令嬢は二人とも妃としての扱いは受けてはいない。あくまでも、礼儀見習いとして王城で働く貴族の令嬢の扱いだ。なぜなら、国王アルベルトは隣国の姫と友好の証として婚姻を結ぶ予定だからだ。正妃ができる前に側妃がいることはあまりよろしくはない。まして、平和の証として嫁いでくる姫が決まっているのに、わざわざ争いの火種をつくるなんて、平和ボケでは片付けられない事件である。
オメガは発情期にアルファと交われば、必ず妊娠する。
それ以外では絶対に妊娠しない。
その特異性を利用して、オメガの令嬢はアルファの国王の閨の相手をしているのだ。
国王アルベルトは優秀である。書類はよく確認するし、国内の視察は手を抜かない。アルファらしく整った顔立ちに鍛え抜かれた体躯をしていて、その辺の騎士より剣技に優れ、乗馬も得意だ。国内貴族の名前と顔はすべて覚えているし、雑務をしているだけの下働きの名前と顔も覚えていて、見かければ労いの言葉をかけることを忘れない。
それなのに、どうにもならないのである。
アルファの性欲が。
優秀すぎるからこそ、その種を残そうと本能が働くのか、国王アルベルトは毎晩オメガの令嬢を抱いた。二人いるから交代制だ。だが、立派な国王アルベルトは、持っているものも立派だった。たとえオメガと言えども、抱えきれなかったのだ。どんなに発散しても、己のすべてを包み込んでもらえないもどかしさは不満を産んだ。うまくは言えないが、こう……モヤッとするのである。そんな時、悪魔が、否、宰相の叔父が囁いたのだ。まさに悪魔のささやきだった。『男はいいぞ。終わりがない。奥の奥までイケるからな』それを聞いて、宰相は城下の娼館からジルを連れてきたのだった。最高額の見受け金を払い、破格の手当てをジルに提示した。おかげで宰相は夫人に思いっ切り殴られたのだけれど。
なにしろ城下の娼館で高級男娼を買い上げ、その晩夫が帰ってこなかったのだ。噂が夫人の耳に届き、その二日後に帰宅した宰相は、自宅の玄関で馬車から降りたところを問答無用で夫人に殴られたというわけだ。もちろん、邸中のメイドは辞表を用意して待ち構えていた。宰相がかん口令と称して夫人をはじめ、邸中の使用人に事の次第を説明できたのは夜も更けた時間であったのは言うまでもない。
「今夜は……」
宰相がすがるような眼でジルを見た。
「さすがにオメガのお嬢さんにしてもらいますぅ。さすがに五回戦は身が持たないよ。早くなんとかして、宰相閣下」
ジルの尻を見て、宰相は再び深いため息をついたのだった。
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