41 / 41
第41話 そしその時は
しおりを挟む「何の音かしら?」
けだるげな女の声がした。
ここは後宮にある館の一室。大きな窓からは丁寧に手入れをされた庭が見える。そこに競うように咲き誇っているのは大輪のバラだ。日の光を浴びて、誇らしげにこちらを向いていた。
「花火の音ですよ。ロレンシア様」
ワゴンを押しながら現れたのは一人の侍女だ。
「ミーナ、いたのね」
声を聞いただけで相手が分かったのか、ロレンシアはそちらを向こうともしない。窓の外を退屈そうに眺め、ほんの少し視線を上にした。抜けるような青空には雲一つなく、花火の音と言う割にはその空に煙の一つも見えなかった。
「祝いの花火は城の中庭で打ち上げるそうですよ」
ロレンシアが何を探しているのか察したのか、聞かれてもいないのにミーナが答えた。
「午後のお薬です」
ガラス製のポットには、茶葉が広がり踊る様に舞っている。それを美しいと思うのか、まずそうだと思うのかはその味を知っている者だけが思い浮かべる感想だろう。
「魔石で何とかならないの?」
「無理ですよ。ロレンシア様は大量に血を流されて、処置があと少し遅れたら死んでいたんですから」
そんな物騒なことを口にしながら、ミーナはカップに茶を注ぐ。
「造血効果のある薬茶ですから。残さず飲んでくださいね」
見るからにおいしくはなさそうな色をしたお茶は、美しい白磁のカップに注がれた。いつの間にかにロレンシアの前には細長いテーブルが出されていた。そこに慣れた手つきでミーナはカップを置いた。その隣には干した果物が乗せられた小さな皿があった。
「またこれ?」
不満そうな声を出し、それでもけだるい表情のままロレンシアは干した果物を口に運ぶ。この干した果物も造血効果があるといって、毎日午後の薬茶と一緒に出されるのだ。なんとも味気のないお茶の時間に、最初ロレンシアは癇癪を起したが、思うように動かない身体に初めて怯えた。カップを投げつけてやろうとしたのに、手に力が入らなかったのだ。あの時の恐怖と、無表情に自分を見つめるミーナの瞳が恐ろしかった。なぜ自分がこのようなことになってしまったのか、まるで思い出せなかったからだ。どうしていいのかわからず、そうなっているのかもわからないまま、ロレンシアは目の前にいる侍女ミーナの言うことに従ったのだ。ミーナの出す食事を食べ、薬を素直に飲んだ。そうしないとミーナが何もしてくれないからだ。ずっと誰かにかしずかれ、ずっと誰かの世話になることに慣れ切っていたロレンシアにっとって、世話をされないということは恐怖だった。
「それを食べないと夕食は上げられません」
ミーナは冷たい顔でそう告げる。だからロレンシアは仕方なく干した果物を口に運ぶ。べつにまずいわけではない。かんたんに言えば飽きたのだ。この一年、毎日食べ続けている。薬茶もそうだ。こんなに毎日同じものを食べ続けるなんて、以前のロレンシアには考えられないことである。
「わかってるわよ。それくらい」
干した果物を口にして、薬茶を流し込む。そうすると口の中で干した果物の甘みが薬茶のまずさをごまかしてくれるのだ。ロレンシアは変わり映えのしない青空を眺めながら薬茶を一気に飲み干した。憧れだったアインホルン王国の空は、なんと遠くになってしまったことか。
「ところで、それはなあぁに?」
カップを片付けるミーナにそれとなく聞いてみる。ガラスのケースに納められている白い物体。丸い形がかわいらしいが、なぜ故ガラスケースに大切に納められているのだろうか。そんなに大切な物には見えないが、何となく見覚えがないこともない。
「あら、お忘れですか?」
ミーナはなにやら楽し気に返事をした。それを聞いてロレンシアは若干眉根を寄せたが、反論するような言葉も何も見つからない。
「祝い菓子ですよ」
「祝い菓子……」
言われた言葉を口の中で反芻してみるが、まったくもって頭の中で何一つ情報が合致しない。
「ああ、今日の分ではありませんよ」
ミーナは違う方向に気が付いたらしく、慌てておかしな訂正をしてきた。
「今日?」
言われてロレンシアはふと空を見上げた。確か、花火が上がったと聞いたのに、綺麗な青空にはそれらしき煙など見当たらなかった。
「あら?もうお忘れですか?」
「忘れてなんかいないわ」
ロレンシアはほんの少し機嫌が悪くなったようだが、ミーナはまるで気にしてなどいない。
「そちらはアインホルン王国国王陛下アルベルト様が番を得た祝いのお菓子にございます」
「番……ああ、オメガね」
ロレンシアは思い出した。だがしかし、それは霞がかった記憶の向こうに見え隠れしている。
「本当に、馬鹿なロレンシア様」
そう言ってミーナはロレンシアのいる寝台のふちに腰かけた。
「お忘れですか?その祝い菓子をもって他の侍女たちが国に帰ってしまったことを」
「…………」
「寵姫だったレイミー様がめでたく側室となった祝いに後宮の侍女たちに特別給付金があったのですが、ここにいた侍女たちがレイミー様に直訴したんですよ。そうしたら、レイミー様は二つ返事で許可をくれたんです。祝い菓子をもって国に帰っていいって。おかげでここには私しかいないんですよ。思い出しましたか?」
ミーナにそう言われ、ロレンシアはおぼろげに思い出した。
「ここは、後宮?いつ?だって、私……」
ロレンシアは驚いてミーナを見た。
「ああ、ロレンシア様は移動の際眠っていらっしゃいましたものね。覚えていないのも無理はありませんわね。お忘れですか?ロレンシア様は恐れ多くもオメガのまねごとをしたんですよ?」
「……そうね」
「オメガのまねごとをしたのに、何もお勉強しなかったんですものね。身近にオメガの方がいらしたでしょうになぜ何も教わらなかったのでしょう?少しでも知識があればこんなことにはならなかったでしょうに」
ミーナは行儀悪く足を組み、そうして意地悪そうな笑みを浮かべた。
「本日の祝いの花火は五発。つまり生まれたのはアルファなんですって。オメガだったら三発なんだそうです。なんで生まれたてなのに第二性がわかるかご存じですか?判定の魔石があるからです。たいていの貴族、まして王族なら生まれてすぐに第二性を判定するのは世界の常識です。それにね、ロレンシア様、アルファとオメガの間には絶対にベータは生まれないんですよ?」
ミーナに言われ、ロレンシアは今更ながらに驚いた。だが、声には出さないし、顔にも出さない。
「不思議ですね。どうしてロレンシア様はベータなんでしょう?お父様はアルファで、お兄様方もアルファなのに。ねぇ」
ロレンシアは何も答えられなかった。答えられないことがすなわち肯定なのだ。
「あの日、ロレンシア様はオメガの発情期を偽造してアルファの国王を寝所に招き入れましたでしょ?本命の番とやっていた国王陛下は興奮状態のままロレンシア様の寝所にやってきました。そして、番うための行為として、ロレンシア様に己のモノを突っ込み、胎内に吐き出して項を噛んだのです。興奮状態のアルファですから、加減がなかったのでしょうね。ロレンシア様の噛まれた項からは出血が止まらず興奮したアルファのモノを突っ込まれた下半身は大惨事。慌てて呼びつけた医師が処置を施したものの、出血量が多すぎてロレンシア様は一か月ほど意識が戻りませんでした。ようやく意識を取り戻されたロレンシア様、ですが容態はよろしくなく、今に至る。というわけなんですけど、思い出されました?」
もちろんロレンシアは思い出した。だがしかし、発情期の偽造を提案したのは目の前にいるミーナなのだ。もちろん、アルファの国王アルベルトの妃となりたくてそれにのっかったのは紛れもなくロレンシアなのではあるが。
「でもご安心ください。世間は疑ってなどいません。アルファは番のオメガを大切に囲いたいのです。大切に奥にしまって、誰の目にもさらしたくないんですって、わかりますか?ロレンシア様が後宮の奥深くに隠れて出てこなくても、誰も疑わないどころか、それがアルファの当たり前なんです」
「そう」
短く答え、ロレンシアは視界の端にある祝い菓子を改めて見た。
「どうして、それが私のところにもあるのかしら?」
なんとなく覚えている。あの砂糖の塊のような祝い菓子は、アルファが番を得た時に祝いとして周りに配るもので、番となったオメガと共に食べるものでもある。自分は番になれていないのに。
「いやだわ、ロレンシア様。さっきの話聞いていました?ロレンシア様は国王陛下の妃、そして発情期を迎えて番となってこの後宮に入られたのですよ?」
「……そう、だったわね」
そうしてそっと指先で項を探れば、ぼこぼことしたものに触れた。
「抜糸は済んでいますからご安心ください」
そう言ってミーナはロレンシアの髪をひと房持った。
「ロレンシア様のお世話は私が責任をもってずーっとしますから、ご安心くださいね」
その残虐な微笑みにロレンシアの心臓が締め付けられる。なぜあの時自分はオメガだと言ってしまったのだろう。遠くから聞こえる赤子の泣き声に、ロレンシアはほんの少しだけ後悔したのだった。
「陛下、陛下」
生まれた赤子を胸に抱き。レイミーは駆けつけた国王陛下アルベルトを手招きした。
「どうした?」
世継ぎが生れた喜びで胸がいっぱいなアルベルトは、言われるままにレイミーの傍に来た。
「見てください。僕の胸から母乳が出るんです。すごいんですよ」
そういってレイミーは自分の手のひらに母乳を出して見せた。手のひらのくぼみに薄い白い液体が溜まる。
「ちょっと甘いんです。陛下も舐めてみてください」
そういって手のひらを押し付けられて、アルベルトはレイミーの手のひらをぺろりと舐めた。本音は直接飲みたいのだが。
「うむ。確かに甘いな」
アルベルトがそう感想を口にした途端、レイミーの腕の中の赤子が泣き出した。
「えええ、もうお腹が空いたの?さっき飲んだばかりなのに」
レイミーはおぼつかない手つきで腕の中にいる赤子の口にそっと先端を含ませた。途端、赤子は嬉しそうに吸い付いたのだが、見えないはずのその目がアルベルトを見ていた。もちろん、そんなことレイミーは気がついてはいない。生まれた赤子はアルファだと判定の魔石が示している。だが、そんなことなどせずとも、アルファの国王アルベルトは一目見た瞬間に我が子がアルファだと悟っていた。そして、これから長い年月オメガのレイミーをはさんで熾烈な父子の争いが勃発することもわかってしまった。
「うわぁ、すごい吸い付き。お腹が空いてたんだね。いっぱい飲んでね」
レイミーがそう声をかければ、赤子は嬉しそうに吸い付いた。平らなレイミーの胸に吸い付く赤子の姿はなんとも微笑ましいのだが、ひっそり密かにアルファのフェロモンを出し合っていた。もちろん、そんなことレイミーは気付いてなどいない。
「陛下、見てください。僕のお胸からいっぱい母乳が出ています」
そう言ってレイミーはふんすっと鼻を鳴らすのであった。
164
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由
スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの少年二人は、15歳になり神の祝福でスキルを得た事で道をたがえる。彼らはやがて青年となり、片方は魔王討伐に旅立つ勇者として華々しい活躍をし、もう片方はただ彼の帰還を待つ相変わらずスラム暮らしの存在となる。
これは何も持たない青年がただ勇者の帰りを待つ日常を描いた作品です。
無自覚両片想いの勇者×親友。
読了後、もう一度だけ読み直して頂けると何か見える世界が変わるかもしれません。
薄紅の檻、月下の契り
雪兎
BL
あらすじ
大正十年、華やかな文明開化の影で、いまだ旧き因習が色濃く残る帝都。
没落しかけた名家に生まれた“Ω(オメガ)”の青年・白鷺伊織は、家を救うため政略的な「番(つがい)」として差し出される運命にあった。
しかし縁談の相手は、冷酷無慈悲と噂される若き実業家であり“α(アルファ)”の当主・九条鷹司。
鉄道・銀行事業で財を成した九条家は、華族でもありながら成り上がりと蔑まれる存在。
一方の伊織は、旧華族の矜持を胸に秘めながらも、Ωであるがゆえに家族から疎まれてきた。
冷ややかな契約婚として始まった同居生活。
だが、伊織は次第に知ることになる。
鷹司がΩを所有物としてではなく、一人の人間として尊重しようとしていることを。
発情期を巡る制度、番契約を強制する家制度、そして帝都に広がる新思想。
伝統と自由のはざまで揺れながら、二人は「選ばされた番」から「自ら選ぶ伴侶」へと変わっていく——。
月明かりの下、交わされるのは支配ではなく、誓い。
大正浪漫薫る帝都で紡がれる、運命を超える愛の物語。
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
ブレスレットが運んできたもの
mahiro
BL
第一王子が15歳を迎える日、お祝いとは別に未来の妃を探すことを目的としたパーティーが開催することが発表された。
そのパーティーには身分関係なく未婚である女性や歳の近い女性全員に招待状が配られたのだという。
血の繋がりはないが訳あって一緒に住むことになった妹ーーーミシェルも例外ではなく招待されていた。
これまた俺ーーーアレットとは血の繋がりのない兄ーーーベルナールは妹大好きなだけあって大いに喜んでいたのだと思う。
俺はといえば会場のウェイターが足りないため人材募集が貼り出されていたので応募してみたらたまたま通った。
そして迎えた当日、グラスを片付けるため会場から出た所、廊下のすみに光輝く何かを発見し………?
姉の男友達に恋をした僕(番外編更新)
turarin
BL
侯爵家嫡男のポールは姉のユリアが大好き。身体が弱くて小さかったポールは、文武両道で、美しくて優しい一つ年上の姉に、ずっと憧れている。
徐々に体も丈夫になり、少しずつ自分に自信を持てるようになった頃、姉が同級生を家に連れて来た。公爵家の次男マークである。
彼も姉同様、何でも出来て、その上性格までいい、美しい男だ。
一目彼を見た時からポールは彼に惹かれた。初恋だった。
ただマークの傍にいたくて、勉強も頑張り、生徒会に入った。一緒にいる時間が増える。マークもまんざらでもない様子で、ポールを構い倒す。ポールは嬉しくてしかたない。
その様子を苛立たし気に見ているのがポールと同級の親友アンドルー。学力でも剣でも実力が拮抗する2人は一緒に行動することが多い。
そんなある日、転入して来た男爵令嬢にアンドルーがしつこくつきまとわれる。その姿がポールの心に激しい怒りを巻き起こす。自分の心に沸き上がる激しい気持に驚くポール。
時が経ち、マークは遂にユリアにプロポーズをする。ユリアの答えは?
ポールが気になって仕方ないアンドルー。実は、ユリアにもポールにも両方に気持が向いているマーク。初恋のマークと、いつも傍にいてくれるアンドルー。ポールが本当に幸せになるにはどちらを選ぶ?
読んでくださった方ありがとうございます😊
♥もすごく嬉しいです。
不定期ですが番外編更新していきます!
婚約破棄を傍観していた令息は、部外者なのにキーパーソンでした
Cleyera
BL
貴族学院の交流の場である大広間で、一人の女子生徒を囲む四人の男子生徒たち
その中に第一王子が含まれていることが周囲を不安にさせ、王子の婚約者である令嬢は「その娼婦を側に置くことをおやめ下さい!」と訴える……ところを見ていた傍観者の話
:注意:
作者は素人です
傍観者視点の話
人(?)×人
安心安全の全年齢!だよ(´∀`*)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる