ヒロインに婚約破棄された悪役令息

久乃り

文字の大きさ
20 / 27

第21話 ヒロインは聖女にはなれません

しおりを挟む

「一体何が起きたんだ?」

 目の前で起きたことがさっぱり理解できなくて、マルティンは呆然と呟いた。ついさっきまで、目の前に元婚約者で自称この世界のヒロインアンテレーゼが迫ってきていたのに、今はどこにも見当たらないのだ。アンテレーゼが。胸ぐらを掴まれそうになり、体が硬直してしまったのだ。そう、アンテレーゼのあのヒステリックなものの言い方、目尻を釣り上げ人の話など聞かない姿勢、そして膝から足を振り落とすような歩き方。どれもこれもがマルティンの記憶の奥底に眠るとても嫌な思い出に合致した。

(あのものの言い方、あの顔つき、今更だけど間違いない。良かった。婚約破棄されて良かった。あいつと結婚とか、俺の倫理観崩壊するところだった)

 マルティンはここに来てようやくアンテレーゼの中の人が誰なのか察した。幸いなことにアンテレーゼにはどうやらバレてはいないらしい。ただ、アンテレーゼはマルティンの中の人がTS転生した腐女子か何かだと思っているようだ。その誤解はありがたいのでこのまま放置するに限る。

「アンテレーゼは、どこに行ったんだ?」

 正気を取り戻した訳では無いが、マルティンは目の前で起きた現象を確認するためにもう一度口を開いた。迫るアンテレーゼの手がまさにマルティンの胸ぐらをつかもうとしたその時、白いもふもふとしたフェンリルの手(前足)が2人の間に突き出てきた。それを認識した瞬間、アンテレーゼの姿がマルティンの前から消えたのだ。一瞬、ファッとした光がフェンリルの手(前足)から放たれたような気がしないでもない。

「どこ、とはどういう意味でだ?聖女よ」

 フェンリルがさもら面倒くさそうに答えた。

「いや、だって、アンテレーゼ、消えたよな?なんか、こう、飛んだ?」

 確かに、マルティンの目にはアンテレーゼが吹き飛んだように見えた。見えたのだが、実際にはアンテレーゼは壁に激突もしてなければ、部屋の片隅に倒れてもいない。忽然とマルティンの目の前から消えてしまったのだ。

「それはフェンリルの聖魔法です」

 答えたのは聖騎士ラインハルトである。

「聖魔法?」

 聞いたことがあるようなないような、そんな気持ちでマルティンは聞き返した。

「もちろん、聖女様も使えますが……先程フェンリルが放った聖魔法は聖女様をお守りする為に発動したのです。フェンリルは聖女様の守護者ですから、聖女様に害をなすと判断されれば聖魔法により消しさられるのです」

 ラインハルトがサラリと説明してくれたものの、どうにも最後が不穏である。

「消しさ、られ?ええ!消しちゃったの?アンテレーゼを?ダメでしょ、さすがにそれは」

 慌てふためくマルティンを見て、フェンリルはフゥと大きく息を吐き出した。そのせいでまたもや布地が大きくはためいた。

「案ずるな聖女よ。この場から消し去っただけである」

 ドヤ顔でフェンリルが言うものだから、マルティンもそれ以上は追求することは諦めた。マルティンの記憶の中にある乙女ゲームでは、聖魔法を当てると敵は吹き飛んでいくエフェクトだけだったから、敵は綺麗に消え去ってしまっていたのだ。

「この場?」

 フェンリルの言い方が気になって、マルティンは聞き返す。この場から消え去っただけ、とは?

「案ずるな聖女よ。この場とはすなわちこの聖域、教会内から消し去ったのである」

 ふふん、と鼻を鳴らしながら答えるフェンリルを瞬きをしながら見つめ返すマルティンは、そのまましばらく考え込んだ。教会の中から消し去った。ということは、つまり敷地の外に追い出したということで、つまりアンテレーゼは突然道端に落っことされたということになるのだろう。一応貴族令嬢であるから、それなりに丁寧に着地が出来るように飛ばしてくれていればいいけれど、フェンリルのドヤ顔を見る限りそうではなさそうである。今更ながら、ケガだけはしていないことを祈るばかりである。何しろ、アンテレーゼの中身がアレなことが発覚したのだ。いや、マルティンの推測ではあるけれど、あの言葉使いにあの態度、オマケに自称この世界のヒロインである。間違いなく中身はアレで確定していいに違いない。

「すぐに突撃してくるんじゃないか?」

 マルティンが不安そうに聞いてみれば、またもやフェンリルはふふんと鼻を鳴らしながら答えた。

「案ずるな聖女よ。我の聖魔法を食らったのだ。二度と聖域に入ることはまかりならん」

 其れを聞いて安心したような、出来ないような。つまりは、マルティンがこの教会内に居ればアンテレーゼに遭遇することは無いが、聖女として活動(納得などしていないけれど)の為教会の外に出てしまえば、アンテレーゼに遭遇してしまうではないか。

「あ、うん。分かった」

 頭の中はアンテレーゼの中の人のことでいっぱいになってしまったマルティンは、もはや気が気ではない。

「マルティンどうしたの?なんか顔色が悪いよ?」

 フィルナンドがいち早く気がついて、気遣わしげに声を掛けた。

「あー、うん。その……少し一人にしてもらっていいかな?服は、フィルナンドに、任せるよ。布はそれがいいかな」

 マルティンは気もそぞろにそんなことを口にした。そうしておもむろに立ち上がり、出口ではない扉を探した。部屋を出るのが悪手であることぐらいわかっている。上等な客間であるから、個室、つまり側仕えの控え室ぐらいあるはずだ。

「聖女様、こちらのお部屋が空いております」

 聖騎士ラインハルトが気が付き、マルティンを小部屋に案内した。もっとも、案内したのは小部屋ではなく、寝室である。教皇などの業界関係者で上位の者が休む部屋なので、当然だが寝室だって備えられているのだ。

「ありがと、う」

 案内された部屋の内部を見て、マルティンは一瞬怯んだ。教会の内部なのに、随分と豪華な天蓋付きの寝台が部屋のど真ん中に鎮座していたからだ。だが、他の部屋を所望する訳にもいかず、マルティンは案内されるままに部屋の中に入った。

「内側から鍵がかけられます」

 ラインハルトが小声で告げた。

「分かった」

 マルティンはそう返事をし、扉が閉まると同時に鍵を掛けた。まぁ、この世界の部屋の鍵なんて、管理者が束にして管理しているのが通常なのであまりあてにはしてはいないのだけれど、内側から鍵をかけるという行為をしておけば、それなりの対応をしもらえるはずである。

「しゃ、遮音の魔道具」

 念の為に実家から持ち出してきた物を探ってみる。腰に着けた魔法カバンにはあると便利そうな魔道具も適当に見繕ってしまい込んだと記憶している。フィルナンドの魔道具ほどでは無いけれど、密談に使える程度の遮音の魔道具を持ち出したはずだ。

「あった」

 手のひらサイズの小さな魔道具である。範囲はちょっとしたテーブルひとつ分。酒場やレストランなどでの密談に使用するポピュラーなサイズである。使うのは大抵貴族の侍従が交渉の席でになるような魔道具であるが、冒険者ならこの程度でも十分だと思って持ち出したものである。そして今、まさにこのサイズこそがマルティンの望む範囲であった。

「独り言をつぶやくにはちょうどいいよな」

 マルティンは天蓋付きの寝台に座り込み、魔道具を発動させて横に置いた。だいぶ寝心地の良さそうな寝台なので、倒れ込みそうではあるけれど、一人で考え込むには天蓋を閉めるとなかなかな密閉感で安心出来た。

「絶対に、妹だよな」

 前世の記憶を取り戻してから随分と時間が経ったのであやふやではあるが、あの喋り方といい不機嫌な時の歩き方といい、マルティンにとってトラウマ級に嫌な思い出が脳裏を支配する。

「そうだよ。俺は妹にごねられて乙女ゲームをプレイしていたんだ。親父もお袋もそのくらいやってやれ、って妹に甘くて……おかげで俺の睡眠時間と休日が費やされたんだ。寝不足になったし、遊びには行けないし、散々な目にあって、それでいて希望のスチルが出なけりゃ、お兄ちゃんズルい!って訳の分からん癇癪起こされてたんだよ」

 思い出すのは何故か自分の部屋で乙女ゲームをプレイしていた記憶である。妹に文句を言われながらミニゲームや戦闘シーンをプレイしていた。せっかくルートを開いたと言うのに、性格の悪い妹の選択肢ミスにより希望のルートに進めない。という最悪の事態に陥り、その度に癇癪を起こした妹にズルい!ズルい!と怒鳴られたのだ。全く狡などしていなくて、普通に考えたのなら男はこう言われたら喜ぶだろう。と言う選択肢を選んだだけなのである。性格の悪い妹は、それがズルいと罵ってきたのだ。もう訳が分からないので、最後の方はエンディング直前までプレイしてセーブしていた。

「だからゲームの内容を覚えてたのか、俺は」

 ひとつひとつ蘇る記憶とともに、みぞおちの辺りがムカムカしたり、背筋が寒くなったり、気分が不安定になってしまったマルティンである。

「ありがたいことは、あいつが俺に気がついていない事だよな。なんか変な勘違いしくれてるし」

 その変な勘違いが、マルティンの中の人がTS転生した腐女子であることにマルティンは全く危機感を感じていなかった。出来れば感じた方がいいのだが、既に腐女子なら喜んでしまう展開になっているからである。

「妹にごねられて癇癪起こされて、逆ハールートを何回も試したからなぁ……無意識にそれが正解だと思い込んでいたんだろうな、俺」

 そうやってマルティンとしての記憶を辿っていけば、初手からやらかしていることに気がついた。

「フィルナンドにポーションの本を渡すのって、社交界編が始まってからじゃん。マルティンが金策で自宅の倉庫にあった薬師関係の物を勝手に持ち出して売りさばいたんだよ。本来は。それなのに、俺ってば学園編の前にフィルナンドにポーションの本と道具を渡してるじゃねーか。そりゃあヒロインのルートをひとつ潰してるわ」

 聖女になり逆ハーを目指すにあたって、一番重要な薬師フェルナンドを誕生させると言うイベントを知らずに潰していたマルティンなのであった。

「そりゃあコンプレックスの解消ってか、遠視の治療薬を間接的に提供した俺に懐いて当たり前だよな」

 婚約式の時に頭をぶつけて記憶を取り戻したので、あのころはまだ、取り戻した記憶が時系列に繋がっていなかったのだ。だからといって、思い出した記憶をノートにまとめなかったのは、断罪エンドが回避できないイベントだと理解していたからである。だからアレコレ思い出してもメモをしようとも思わなかったし、断罪回避のために足掻くなんてことも思わなかったのだ。だからこそ、あやふやな記憶のままにフィルナンドにポーションの本と道具を渡してしまったのだ。乙女ゲームでは社交界編で渡していたというのに、である。

「要するに、おれがヒロインポジに着いてしまったってことかよ」

 要約するとそうである。

「しかも最短ルートで逆ハールート?ん?逆ハー?」

 マルティンはここで重要な事に気がついた。そう、気がついてしまったのである。

「逆ハーじゃなくね?俺、フェルナンドのこと抱いてるし」

 不可抗力ではあるが、抱くか抱かれるか、で言ったらマルティンがフェルナンドを抱いた。つまりマルティンはヒロインポジにいるようでそうでは無い。何しろマルティンの中の人はTS転生した腐女子ではないのだ。妹に乙女ゲームをプレイさせられていただけの兄という名の真っ当な男なのである。

「おい、確認させてくれっ」

 マルティンは勢いよく扉を開いてハーレム要員?たちのいる居間に戻ったのであった。
 
しおりを挟む
感想 90

あなたにおすすめの小説

俺はモブなので。

バニラアイス
BL
冷酷な第二王子×悪役令息の取り巻きモブの話です! ちなみにモブが溺愛されます! 初めて書くので誤字脱字お許しください💦 似ている作品があるかもですが先に謝っておきますごめんなさい🙏💦

悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?

  *  ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。 悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう! せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー? ユィリと皆の動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵も動画もあがります。ほぼ毎日更新! Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新! プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー! ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!

超絶美形な悪役として生まれ変わりました

みるきぃ
BL
転生したのは人気アニメの序盤で消える超絶美形の悪役でした。

いらない子の悪役令息はラスボスになる前に消えます

日色
BL
「ぼく、あくやくれいそくだ」弟の誕生と同時に前世を思い出した七海は、悪役令息キルナ=フェルライトに転生していた。闇と水という典型的な悪役属性な上、肝心の魔力はほぼゼロに近い。雑魚キャラで死亡フラグ立ちまくりの中、なぜか第一王子に溺愛され!?

悪役令息の花図鑑

蓮条緋月
BL
公爵令息シュヴァリエ・アクナイトはある日、毒にあたり生死を彷徨い、唐突に前世を思い出す。自分がゲームの悪役令息に生まれ変わったことに気づいたシュヴァリエは思った。 「公爵家の力を使えば世界中の花を集めて押し花が作れる!」  押し花作りが中毒レベルで趣味だったシュヴァリエはゲームのストーリーなどお構いなしに好き勝手動くことに決め行動が一変。その変化に周囲がドン引きする中、学園で奇妙な事件が発生!現場に一輪の花が置かれていたことを知ったシュヴァリエはこれがゲームのストーリーであることを思い出す。花が関わっているという理由で事件を追うことにしたシュヴァリエは、ゲームの登場人物であり主人公の右腕となる隣国の留学生アウル・オルニスと行動を共にするのだが……? ※☆はR描写になります ※他サイトにて重複掲載あり  

なぜ処刑予定の悪役子息の俺が溺愛されている?

詩河とんぼ
BL
 前世では過労死し、バース性があるBLゲームに転生した俺は、なる方が珍しいバットエンド以外は全て処刑されるというの世界の悪役子息・カイラントになっていた。処刑されるのはもちろん嫌だし、知識を付けてそれなりのところで働くか婿入りできたらいいな……と思っていたのだが、攻略対象者で王太子のアルスタから猛アプローチを受ける。……どうしてこうなった?

妹を救うためにヒロインを口説いたら、王子に求愛されました。

藤原遊
BL
乙女ゲームの悪役令息に転生したアラン。 妹リリィが「悪役令嬢として断罪される」未来を変えるため、 彼は決意する――ヒロインを先に口説けば、妹は破滅しない、と。 だがその“奇行”を見ていた王太子シリウスが、 なぜかアラン本人に興味を持ち始める。 「君は、なぜそこまで必死なんだ?」 「妹のためです!」 ……噛み合わないはずの会話が、少しずつ心を動かしていく。 妹は完璧令嬢、でも内心は隠れ腐女子。 ヒロインは巻き込まれて腐女子覚醒。 そして王子と悪役令息は、誰も知らない“仮面の恋”へ――。 断罪回避から始まる勘違い転生BL×宮廷ラブストーリー。 誰も不幸にならない、偽りと真実のハッピーエンド。

婚約者の王子様に愛人がいるらしいが、ペットを探すのに忙しいので放っておいてくれ。

フジミサヤ
BL
「君を愛することはできない」  可愛らしい平民の愛人を膝の上に抱え上げたこの国の第二王子サミュエルに宣言され、王子の婚約者だった公爵令息ノア・オルコットは、傷心のあまり学園を飛び出してしまった……というのが学園の生徒たちの認識である。  だがノアの本当の目的は、行方不明の自分のペット(魔王の側近だったらしい)の捜索だった。通りすがりの魔族に道を尋ねて目的地へ向かう途中、ノアは完璧な変装をしていたにも関わらず、何故かノアを追ってきたらしい王子サミュエルに捕まってしまう。 ◇拙作「僕が勇者に殺された件。」に出てきたノアの話ですが、一応単体でも読めます。 ◇テキトー設定。細かいツッコミはご容赦ください。見切り発車なので不定期更新となります。

処理中です...