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春休みのアレコレ

第16話 情事の前には事情を

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「ただいま、藤崇」
 佐藤は自宅に帰っていた。
 外泊届けにも確かにそう書いた。
 ただし、今の佐藤の自宅は生まれ育った場所ではない。

 風紀委員会室で宣言したとおり、佐藤はお嫁にいった。つまるところ養子縁組をして、佐藤では無い。

 一ノ瀬 藤崇の籍に入っている。
 本当は佐藤裕哉ではなく、一ノ瀬裕哉だ。
 バイクの免許証を見せた時、榊原が注意して見れば、記載がそうなっていたことに気づいただろう。

 藤崇は親戚筋のお兄さんみたいな存在だった。
 経験を積むために、佐藤の大嫌いな父親の秘書として働いていた。そのため、佐藤の母親の食中毒事件の処理をしてくれたのだ。
 その時から藤崇は佐藤を助けてくれた。あの学園に佐藤を入れたのも藤崇の手配だ。
 株のやり方を教えたのも藤崇だった。

「おかえり、裕哉」

 学園では見せたことの無い、無邪気な笑顔を佐藤はしていた。その笑顔のまま藤崇の胸に飛び込んでいく。

「会いたかったぁ」

 玄関先ではぶら下がるように抱きついてくるので、藤崇はそのまま佐藤を抱きしめたままリビングへと、移動した。

「春先でも、バイクに乗ったら風が冷たかっただろう?」

 佐藤をソファーに座らせて、藤崇は温かい飲み物を用意した。フルフェイスのヘルメットを被って、手にはグローブをつけていたから、そこまで佐藤の体は冷たくはない。けれど何かと過保護な保護者はやたらと佐藤を甘やかす。

「ねぇ、あれ出来た?」

 お茶を受け取りながら佐藤は聞いた。なんとなくだけど、欲しくなって強請ってみた。女の子みたいだとは思ったけれど、つけてみたいと言う気持ちの方が強かった。

「出来てるよ。貰ってきた」

 藤崇はそう言ってテレビの脇に置かれた小さな箱を持ってきた。
「すごいな、本物みたいだ」
 佐藤が覗き込むようにしてそう言うと、藤崇は佐藤の頭を軽く小突いた。
「本物なんだよ」

 箱を開けると、中からベルベット調の布が貼られた小箱が出てきた。
 2人並んで座って、佐藤が若干藤崇の肩にもたれ掛かるような体制になっている。
 藤崇が小箱を開けると、何はシンプルな指輪が二つ並んで収まっていた。

「こっちが裕哉の」

 左側にある指輪を取り出して、藤崇が佐藤の指にはめた。

「うっわ」

 指輪のはめられた手を思わず上に掲げた。シンプルな作りだけれど、内側にはお互いの誕生石が嵌められていて、ブルーのラインはトルコ石で装飾されている。
 なにか新しいものと、何か青いものを担うのがこの指輪だ。あとは何か借りたものと、なにか古いもの。
 だから衣装をレンタルして、古い靴下を履くのだ。

「俺には?」
「ああ、ごめん」
 藤崇に言われて、佐藤は残された右側の指輪を藤崇にはめた。
「どうだ?」
 指輪をはめた手を並べてみる。

 藤崇の手は大きくて、指も長い。大人の男の手をしている。それの対して、佐藤の手はやや小さい。血色のいい肌という感じだ。
「写真を撮って、夕飯の材料を買ってこよう」
 お茶を飲んで一息つくと、藤崇はすぐに予定を告げてきた。こういうところが秘書っぽいのかも。と、佐藤は思った。


 貸切にした写真館で、好きなだけ衣装を着てみた。
 二人揃って白いタキシードというのも芸がない。色の入ったものや、フロックコートなど着てみた。
 背が高くてバランスの取れた体型の藤崇は、フロックコートが、よく似合っていた。それが一番の正装と言われたので、藤崇はそれを着て、佐藤は白いタキシードで何枚か撮影した。

 アルバムが、完成するまで1ヶ月はかかるということで、インスタントカメラで撮った簡単なポラロイドを一枚貰って写真館を後にした。

 食材を色々買い込んで帰る頃にはもう日が暮れていた。お昼ご飯を食べていなかったから、とにかくお腹がすいていた。

 佐藤は甘いココアを飲みながらハンバーグを作り始めた。ポテトサラダ用のじゃがいもはレンジで蒸かした。寮でならご飯を炊くけれど、藤崇が飲むと言うのでつまめるようにペンネを茹でることにした。
 ポテトサラダを冷蔵庫にいれて、とりあえずお風呂に入った。
 風呂から上がったら、ハンバーグを焼き始めたけれど、風呂上がりの藤崇は、もう缶ビールを開けていた。

「少しは待てよ」
「だって、喉が渇いた」

 少し開けたベランダの窓から、風が入ってきていた。
 8階だけど角部屋だから、ベランダもゆったりとしている。
 藤崇一人で3LDKに住んでいるのかと思うと、なかなか贅沢だな。と佐藤は思いつつ、一人暮らしには大きすぎる冷蔵庫から冷えたポテトサラダを取りだした。
 ハンバーグの味が濃いから、ペンネはオリーブオイルと塩だけのシンプルな味付けにした。

 缶ビールを飲んだ藤崇は、今度は赤ワインを出してきた。
「俺飲めないからな」
 佐藤は未成年。酒は飲めない。それなのに、藤崇は赤ワインを一本出してきた。
「いいじゃん、お祝いなんだから」
「なんのいいわけにもなってないからな」
 佐藤はそう言って、自分用のお茶を出した。
 烏龍茶の茶色と、赤ワインの赤の入ったグラスを軽く合わせる。

 佐藤にとっての新婚さんごっこだ。

 16になった時、藤崇が提案してくれた。大嫌いな父親と、殺しにくる母親から逃げるため、藤崇の籍に逃げたのだ。
ついでに相続放棄の手続きもしてもらった。
 大嫌いな父親から何も貰わない事にすることで、逃げたのだ。何も受け取らないから他人になってくれ。

 いや、他人になります。

 あの日から10年近くたって、ようやく逃げだせた。
 まだ成人してないから、保護者として藤崇が必要だ。男同士の養子縁組だから、お嫁さんだと笑っていた。
 女の子は16で結婚できるから、だから裕哉も16で嫁に来た。

 そういうことにしてもらった。

 食後の片付けをして、ソファーの下に座ってまったりとしている。
 どうしてもソファーに座るのになれない。
 そんな佐藤に、藤崇は合わせてくれる。
「だいぶ伸びたな」
 佐藤の髪をひと房摘んで藤崇が言う。
 学園にいる時はウィッグで誤魔化して過ごしてきたから、3ヶ月分の地毛が伸びていた。

「新学期からはこのままで過ごすことにした」
「頑張ったな」

 写真館で写真を撮る前に、それなりに美容室で整えてもらったが、だいぶ髪が短い。所々に黒い髪がのぞいているが、それもそれなりのアクセントになって、カラコンをつけていない佐藤には似合っていた。

「お嫁さん、か」

 改めて指輪を眺める佐藤を、藤崇は優しく抱き寄せた。
「実感した?」
「ん?あのさぁ、藤崇は良かったのか?」
 佐藤は抱き寄せられた姿勢のまま尋ねた。
「なにが?」
「俺のこと養子にしちゃって」

 親戚筋で、たまたま秘書をしていただけだ。それだけの理由で子どもを一人養子縁組するなんて、これからの人生にケチがつくのではないか?しかも、おままごとのようなことをして、記念写真まで。
「そうしないとお前が死ぬだろう?」
「そうだけど……なんで藤崇が押し付けられたんだ?」
 佐藤の疑問に藤崇は答えなかった。
「だって、藤崇はギリギリ二十代だろ?恋人いないの?結婚する時俺がいたら障害になるじゃないか」

 所詮は愛人の子。本妻とその子どもたちから疎まれている存在だ。認知なんかされているせいで、相続の権利まである。そのせいで受け続けた嫌がらせと、狂った母親のせいで佐藤は死にかけた。
 そんな時にたまたま秘書をしていただけで、藤崇はその後の佐藤の世話を全て押し付けられたのだ。

 今はグループの会社を一つ任されてはいるが、それのおまけとしてはずいぶんと面倒なものだ。

「お前は、俺のことどう思っているんだ?」

 ここまで色々付き合っているのが、単なる事後処理の一環だと思っているのか?佐藤の、おままごとに付き合っているだけなのか?そんなことを言われても、佐藤には分からない事だ。

「可哀想な俺のこと、仕方がないから面倒見てくれてるんでしょ?」
 佐藤は藤崇を見ずに答えた。だから、藤崇の表情を知らない。

 「高校卒業したら大学には行くけれど、藤崇の邪魔にならないように海外の大学も、視野に入れておくからさ」
 藤崇の顔を見ないまま、肩に持たれた状態で佐藤は続けた。
 折角一族の中でそれなりの地位を得たのだ。邪魔をしてはいけない。佐藤はそう考えていた。

「!」

 軽く肩にもたれていた頭を、急に強く持っていかれた。そのまま藤崇の腕の中に頭が埋もれる。
「お前、一度も俺がそういう性癖じゃないかって疑いもしなかったのか?」
 上から覗き込む藤崇の目が変わっていた。優しいお兄さんの顔をしていない。佐藤が見たことの無い男の顔だった。

 「性癖?」

 言っている意味が分からなかったので、一番分からなかった単語を口にしてみる。
「お前をあの学園に入れたのは俺の独断だ。俺の母校だからな」

 初めて聞く事だった。藤崇が卒業生。先輩になるのか。漠然とそんなことを思ったが、目の前の藤崇の様子が違う。
「ガキのおままごとのために、わざわざ店を貸し切って指輪を作ると思うのか?」

 男性用リングで結婚指輪を発注した。店員も「最近は割と多いんですよ」なんて言いながら、笑顔で対応してくれた。貸し切ってそれなりの支払いをするからだと思っていたけれど、違うというのか。

「お前を囲い込むために全てやった」
「囲い込む?」
 またよく分からないことを言う。
「あの学園の空気に染まればやりやすいと思った」

 藤崇の手が佐藤の頬を撫でる。そのまま顎にたどり着き、指が唇を触る。
「本気…なんだ」
 言われた一つ一つを噛み砕いて、自分の中で消化して、ようやくたどり着いた。
 藤崇は本気だ。
 おままごとをしてくれたわけじゃなかった。
「どうする?」
 藤崇の低い声が全身に響いた。声を出すことも頷くこともできないまま佐藤は大人しくしていた。
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