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第2章

二 傷心のロイヤルミルクティ男子

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 二


(やば、すごい人だ……)

 ざっと店内を見渡してみると、一階席はほぼ埋まっていた。
 やはりここは人気店なのだ。
 座る席が残っていないかと芽依は二階席へ目を向ける。すると、二階には空席があり、芽依は急いで階段を上がった。
 吹き抜けの一階を見下ろせるよう、コの字のような回廊のように並んでいる二階席は、座席数こそすぐないが、ゆったりとしたブラウンウッドのローテーブルのソファー席となっており、一階とはまた違ったインテリアの優雅さが特別感を演出していた。
 芽依は、ちょうど店の出入り口が見える一番端の席を確保し、荷物を置く。
 目の前にはアイアン素材のシャンデリアがキラキラと輝いており、まるで舞台鑑賞にでも来たかのようだ。ソファに座るとちょうど硬さで腰が沈みこみ、程よい位置にある肘置きもなんとも心地が良い。
(やっぱりこの店は落ち着く!)
 幻聴持ちの芽依にとって、カフェといえども店を選ぶ。だがここは、まったく気にすることなく過ごすことができる貴重な店だ。
 芽依の幻聴は、原因不明とされていた。
 幻聴は上京してから起こったものであり、実家で過ごした18年間はいっさいなかったことだった。
 そのため、芽依は今、心療内科に通院している。
 仕事のストレスが原因と思われ、治療が進められていたが、職場が変わってもなおも変わらぬ症状に、芽依は何か別の原因があるのではないかと思っていた。
 ストレスといってしまえば簡単だ。そのストレスを解明してもらいたいものだと、芽依は常々思っていた。
 薬を飲むことで落ち着いて暮らせるようになったのは事実だが、たまに、人が多い場所では発作のようなものが起こりやすく、そのため、芽依は自然と店を選ぶようにもなっていた。
 だがここ夜カフェ・金木犀は、初めから居心地の良さを味わえた。
 それだけでも不思議な店だ。
 人の少なさも理由にあるが、静かな店内は、なんだか心を休めるために用意された居場所のようにさえ思えた。
 芽依は飲み物を注文するため、スマホを持って一階の列に並んで順番を待った。
 カウンターでは例のカフェラテ店主が忙しそうに動き回っている。たが、その爽やかな風貌が待ち時間の苦痛を感じさせない。
 そのとき芽依は気付いた。この店は、カフェラテ店主以外の店員が見当たらないのだ。
(まさか、一人でやってるお店じゃないよね?)
 ここは丸の内の中でも、一等地と言っても過言ではない立地にある。
 夜だけ開けている店とはいえ、さすがにひとりで客をさばくのは無理があるのではないか。
 だが、どこを見ても他に店員の姿はなかった。
 この店の集客率を考えれば、あと4、5人は従業員がいても問題ないように思えるが、手際がいいとはいえ、この混雑を必死にさばくカフェラテ店主に芽依は余計な心配を抱いていた。
 ようやく芽依の番となり、カフェラテ店主が「いらっしゃいませ」と歓迎の挨拶を向けた。

「金木犀ラテ、ホットでおねがいします」
「ありがとうございます。サイズはいかがいたしますか?」
「あ、えっと……、Mサイズで」
「かしこまりました」

 相変わらずの優美な顔立ちに芽依はドキドキを味わいながら、店で一番人気の金木犀ラテを注文した。
(今日はこれを飲みに来たようなものだから)
 芽依は、気になっていたラテを注文出来たことで、妙に気持ちが高ぶった。
 カウンターに広げられているメニュー表には、他にも、フードやスイーツのメニューも見受けられたが、とりあえず、今夜は金木犀ラテを相棒に過ごすつもりだった。
(この人、カフェラテみたいだな)
 芽依は勝手にそんなことを思う。
 そのカフェラテ店主によって、作りたてのラテがグラスキャンドルと共にトレイの置かれる。ホットドリンクは、耐熱ガラスのマグに淹れられて提供される。

「おまたせいたしました。ごゆっくりどうぞ」

 芽依はトレイを受け取ると、二階席へ戻っていった。
 階段を上がりながら、芽依はさっきよりも客の数が減っていることに気付いた。
 やはり皆、終電に合わせて帰るのだろう。つまり、この店が忙しいのは開店直後だけ。一時間もすればそれも落ち着き、夜カフェ・金木犀の長い夜が始まるというわけだ。
(それなら、一人でもやれないことはないのかな)
 芽依は席につくと、出来立てのラテを眺めながら、飲む前にと、人生初めての金木犀ラテを一枚、スマホに納めておいた。
(それでは、いただきます)
 耐熱ガラスのマグカップということもあり、味や香りだけでなく、ラテの綺麗なグラデーションといった色合いまで楽しめた。
 芽依はカップの取手を握ると、ふうっと息を吹きかけ、唇を火傷しないように用心しながらラテを啜った。
 きめ細かな泡の感触は、シルクのようになめらかだった。
 続いて鼻腔をかすめる豆の香りが広がり、思わず目を閉じて唸るほどに美味しい。
(はあ、しみる~!)
 ミルクとエスプレッソの絶妙な口当たり。
 喉元を通り過ぎたあと、胸のあたりをやさしく温めながら広がる感触がある。
 なんて美味しいラテなのだろう。一番人気と謳われているだけのことはある。
 コーヒーも豆にもこだわったことのない芽依であったが、その詳細が知りたくなるほどの世界観をもつラテだった。
 芽依は久しぶりに幸せの文字を思い浮かべた。
(たった一杯で幸せを与えてくれるってすごい)
 芽依はもう一度、ラテを口に含みその味と香りを堪能する。
 時刻はまだ、午前零時を過ぎたばかりであった。


 ***

 しばらくすると、店内のお客は6、7人となり、おのおのが時を過ごしていた。
 金木犀ラテは予想通り、しあわせな味わいをもたらすカフェラテであった。
 テーブルにはグラスキャンドル。キャンドルの色はアイボリーだった。
 芽依は文庫や情報収集用の雑誌を持ち込んで、思いついたアイデアをノートにまとめていた。

「いらっしゃいませ」

 久々に聞こえたカフェラテ店主の声が店に響いた。
 芽依はスマホで時刻を確認すると、午前零時半を過ぎたところだった。
 こんな時間に店へやってくるとは、もしかしたら終電に間に合わなかったのかもしれない。そう思い、芽依は二階席からそっと顔を出して下を覗いた。
 店の扉を開けたまま、おそるおそる店内を見回していたのはマッシュルームカットの若い男性だった。
 クセのない直毛の髪は、ロイヤルミルクティのように淡い色をしている。
 目元を隠す前髪が目元を隠すためか、やや幼くも見え、全体的に覇気のない儚げな雰囲気が漂っていた。
 ゆったりした袖口の白のTシャツに黒のジレを合わせ、生地のダメージが見受けられるビンテージ物かもしれない細身のデニムに主張の強い黒のブーツを履いていた。
 手首には黒いバンドのスマートウォッチ。どちらかといえば、渋谷や新宿あたりに居そうな若者であるが、時計以 外のアクセサリーの類は見受けられなかった。
 ロイヤルミルクティー男子は、まるで昨夜の芽依のように、開いているカフェがあることに驚いている様子だ。店内を確認し、客が店内に居ることがわかると、そのままカウンターまで進んで飲み物を注文し始めた。
 カフェラテ店主が対応している。そして準備し始めたのは、芽依が注文したものと同じ、金木犀ラテであった。
  出来立てのラテがキャンドルグラスとともにトレイに置かれ、カウンターに用意されると、ロイヤルミルクティー男子はトレイを受け取れず戸惑っていた。
カフェラテ店主がなにか説明し、それを聞いたロイヤルミルクティー男子は納得した様子でトレイを受け取りカウンターを離れた。
 ロイヤルミルクティー男子はトレイを持ったまま、店内を見回して席を探していた。そして階段を見つけると、二階席に気付いて視線を上に向けた。
(あっ、やば!)
 危うく、視線がぶつかりそうになり、芽依はすばやく顔を引っ込めた。
(危ない危ない……)
 一階席にも空いている席はあったが、どうやらロイヤルミルクティー男子は二階席へ来るらしい。
ブーツの底が鳴らしながら、一段一段と階段を上がってくるロイヤルミルクティー男子は、フロアに辿り着き芽依の横を通り過ぎていった。
 芽依はその後ろ姿に目を向ける。
 すると、バニラのようないい香りがほのかに漂い、芽依の鼻腔を釘付けにした。
(わ! いい香り)
 香水だろうか。こんなにナチュラルな香りは味わったことがない。
 香水の類はそこまで得意ではない芽依だったが、淡い存在感とでもいうのか、誰のテリトリーも邪魔をしないような香りの存在に、芽依はその香りが消えてなくなるまで鼻先で味わっていた。
 すると、ロイヤルミルクティー男子は芽依の前の席に座った。
 背もたれから見える後頭部。その淡いミルクティー色の髪は一本一本が美しく、触れてみたくなるほどに艶やかだ。
(すごいサラサラ。美容室で手入れしてもらってるのかな。それともこれって元からの直毛かな……)
 髪は透き通るほどに白い。もしかしたら、日本以外の国の血が混ざっているのかもしれない。
(それにしてもこの店、イケメン遭遇率が高過ぎじゃない?)
 思いがけない香りに包まれ、芽依は気持ちががほぐれてしまい、ソファに深くもたれかかる。
 すると、再び、階段を上がってくる靴音があることに気付いた。
 床を軋ませながら芽依の横を通り過ぎた靴は、ロイヤルミルクティー男子の前で止まる。相手はカフェラテ店主だった。
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