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第4章
二 自己紹介
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二
通話はそこで終わった。
物語を書き直す? 何かまずいことでもあっただろうか。
書き直すなどと簡単にいうが、そうなると、設定やプロットを含めて全部を変更しなければならないことである。
(クレームって、何? 誰が入れたの?)
芽依の脳裏には、なぜか太い黒縁のメガネをかけた松井が浮かんだ。
松井はこのプロジェクトのスポンサーであり、クライアントでもある。
ややクセのある人物だということを林田から聞いてはいたが、もしかして彼が関係しているのだろうか。
が、誰が言い出したのかはこの際関係ない。書き直しとなれば大変な労力がかかることだからだ。
だが、プロローグとなるエピソードに関しては、林田が何度も目を通した上で、松井を含む、スポンサーやクライアントにも確認を取り、万全を期して入稿したと林田は言っていた。
それなのに、まるごとNGをくらうとは。林田はまさか承諾するつもりなのだろうか。
(なんだか結構慌ててたな、林田さん……)
かねてから。芽依の勘はよくと当たった。
状況がわからない中、あれこれと考えるのは早いと思いつつも、やはり気になって落ち着かず、芽依はしばし立ちつくしていた。
「今日もお仕事ですか?」
「わ!」
スマホを持ったままの芽依に声をかけたのは、金木犀のカフェラテ店主であった。
(えっ、なんでここに?)
見れば、座席のそばに置いてある観葉植物に水やりをしていたようで、カフェラテ店主は葉っぱの裏からひょっこりと顔を出している。
「すみません、驚かせてしまいましたね」
「あ……い、いえ。どうもこんばんは」
「いつもご来店ありがとうございます」
「えっ?」
「度々ご利用してくださっていますよね? 確か、おとといもお越しいただいていたかと」
「!」
(私、覚えられてたんだ……!)
芽依は恥ずかしくなりながらも、店主に対して丁寧に頭をさげる。
「は、はい。いつも美味しくいただいております」
「嬉しいお言葉ありがとうございます」
カフェラテ店主は目を細め、まるでひだまりのような温かい笑みを見せてくれた。
「この店は夜型人間の集まる店なので、お客様のことは気になっていたところです」
「き、気になって?」
私のことが気になっていた?
ああ、違う。そういう意味ではない。芽依はあやうく別の意味で解釈しかけたが、すぐに脳内修正をかける。
それにしても、あらためて見てもやはり顔のいい店主だった。ファンも多いに違いない。
芽依は視線を合わせられず、目線を少し横にそらして言った。
「お恥ずかしい限りです。すっかり夜型になってしまったので」
「夜は楽しいでしょう」
そういいながら、カフェラテ店主は持っていたアンバーブラウンの霧吹きをエプロンの紐にひっかけて芽依に向き直した。
「申し遅れました、私はこの店のオーナーの天童と申します」
「天童さん?」
「はい」
「夜しか開けないこの店を贔屓にしていただきありがとうございます」
「そんな、ご丁寧に。こちらこそ、ありがとうございます」
あまりにも丁寧な態度に芽依は慌てて頭を下げる。
すると、天童が何かに気付いて声をあげる。
「あれ? それって……」
天童の視線がテーブルの上に移動する。
なにかと思い、視線を辿ると、天童はテーブルの上に置かれている東京ファンタアの冊子に気付いたようであった。
「お客様もその冊子をお持ちなんですね」
「えっ? あ、はい……。東京にファンタジーを見出そうっていうコンセプトが素敵だなあと思って」
自分がこの企画に携わっていると打ち明けようかと悩みながら、芽依はそう答えた。
だが天童は、あまり賛同しない様子で答えた。
「へえ。そんなコンセプトがあるんですね」
「え?」
芽依は天童の反応が気になった。
気のせいだろうか、天童から笑みが消えている。
「東京に、あるでしょうか……」
「えっ?」
「いえ。先日御来店になったお客様がそんなことを言っていたんです。そのお客様、自分が生み出した作品のアイデアを盗まれてしまったとかで」
「ええっ!?」
(それって、私の書いたプロットじゃ……)
そういいながら、天童は東京ファンタジーをテーマにしたプロローグのページを開いて芽依の前に置いた。
「それにこれ、夜カフェが登場してるんですよね。夜カフェなんて、探せばいろいろありますが、うちの店に似ているような気がしていて」
「!」
一瞬にして、芽依は様々な不安に襲われた。
バレているのではないか!
あれから、店に許可を取るべか。林田に相談したが、店の存在は謎のままのほうが夢があるということで、店への許可は取らずに執筆する指示が出た。
だが、このカフェラテ店主は察しがよいのか、確実に気付いている。そして、この東京ファンタジーというコンセプトをよく思っていない。
(どうしよう。これって完全にやばいんじゃ……?)
まるで直にダメ出しを受けているような衝撃だった。
——あやかしだなんて冗談じゃない。——どういうつもりだ。
「えっ?」
そのとき、幻聴がして芽依は思わず声を漏らした。
「あやかし?」
「そう。あやかしがいるカフェなんて、あるわけがないですよね?」
だが、天童の目は笑っていなかった。
なぜだろうか。先ほどからやたら寒気を感じる。
強い不安が襲う前触れのような気配に、芽依はまた発作が起こると思い、テーブルに広げていた荷物をバッグに戻し始めた。
「お客様、どうしました?」
「あの、今日は帰ることにします。急用の電話もあったので。今ならギリ終電にも間に合いそうですし」
「そうですか。残念です」
「また来ますね」
「ありがとうございます。お待ちしております」
そして芽依は、ある意味謝罪を含むかのような深いお辞儀をしたのち、「失礼します」と告げると、飛び出すように店を出た。
扉が閉まり、天童は芽依の後ろ姿をしばし見届けていた。
「変な女だな」
そう思いつつも、天童はテーブルと椅子を整えようとした手を止めた。
(待てよ。なんだ、今の会話。あやかしだなんて俺は口に出していないぞ?)
それだというのに、あの女は確かにあやかしと口にした。
天童は急いで階段を降りると店の外へ飛び出し、女の姿を探した。
降っていた雨は止み、濡れた路面に街頭が反射した世界を作っていた。
「行っちまったか……」
そして、店に戻ろうとした天童は、傘立てに見慣れない傘が置き忘れられていることに気付いた。
*****
(か、か、完全にバレてるんですけど!)
街は雨を染み込んだコンクリートの乾く匂いがしていた。
濡れている路面に気を配りながら、ようやく東京駅が見えてきたところで芽依は忘れ物に気付いた。
(やば! 傘忘れてきちゃった!)
芽依は足を止めて、店の方へと振り返る。
買ったばかりの傘だがあれは諦めるしかないだろう。
なぜならもう、金木犀へは行けない。身バレした可能性がある。
別れとは突然にやってくるものだ。
まさかではあるが、芽依は夜カフェ〈金木犀〉への通いは、その日で最後にすることに決めた。
これ以上、自分があそこに通っていては、林田の立ち上げた企画を潰してしまうかもしれない。
もうこれ以上、なにかを失いたくはない。
芽依は信号待ちをしながら、心苦しさにぎゅっと目を瞑った。
(最後にもう一度、金木犀ラテ飲みたかった……)
そして信号が青になり、横断歩道を駆け渡り、芽依は駅へと急いだ。
通話はそこで終わった。
物語を書き直す? 何かまずいことでもあっただろうか。
書き直すなどと簡単にいうが、そうなると、設定やプロットを含めて全部を変更しなければならないことである。
(クレームって、何? 誰が入れたの?)
芽依の脳裏には、なぜか太い黒縁のメガネをかけた松井が浮かんだ。
松井はこのプロジェクトのスポンサーであり、クライアントでもある。
ややクセのある人物だということを林田から聞いてはいたが、もしかして彼が関係しているのだろうか。
が、誰が言い出したのかはこの際関係ない。書き直しとなれば大変な労力がかかることだからだ。
だが、プロローグとなるエピソードに関しては、林田が何度も目を通した上で、松井を含む、スポンサーやクライアントにも確認を取り、万全を期して入稿したと林田は言っていた。
それなのに、まるごとNGをくらうとは。林田はまさか承諾するつもりなのだろうか。
(なんだか結構慌ててたな、林田さん……)
かねてから。芽依の勘はよくと当たった。
状況がわからない中、あれこれと考えるのは早いと思いつつも、やはり気になって落ち着かず、芽依はしばし立ちつくしていた。
「今日もお仕事ですか?」
「わ!」
スマホを持ったままの芽依に声をかけたのは、金木犀のカフェラテ店主であった。
(えっ、なんでここに?)
見れば、座席のそばに置いてある観葉植物に水やりをしていたようで、カフェラテ店主は葉っぱの裏からひょっこりと顔を出している。
「すみません、驚かせてしまいましたね」
「あ……い、いえ。どうもこんばんは」
「いつもご来店ありがとうございます」
「えっ?」
「度々ご利用してくださっていますよね? 確か、おとといもお越しいただいていたかと」
「!」
(私、覚えられてたんだ……!)
芽依は恥ずかしくなりながらも、店主に対して丁寧に頭をさげる。
「は、はい。いつも美味しくいただいております」
「嬉しいお言葉ありがとうございます」
カフェラテ店主は目を細め、まるでひだまりのような温かい笑みを見せてくれた。
「この店は夜型人間の集まる店なので、お客様のことは気になっていたところです」
「き、気になって?」
私のことが気になっていた?
ああ、違う。そういう意味ではない。芽依はあやうく別の意味で解釈しかけたが、すぐに脳内修正をかける。
それにしても、あらためて見てもやはり顔のいい店主だった。ファンも多いに違いない。
芽依は視線を合わせられず、目線を少し横にそらして言った。
「お恥ずかしい限りです。すっかり夜型になってしまったので」
「夜は楽しいでしょう」
そういいながら、カフェラテ店主は持っていたアンバーブラウンの霧吹きをエプロンの紐にひっかけて芽依に向き直した。
「申し遅れました、私はこの店のオーナーの天童と申します」
「天童さん?」
「はい」
「夜しか開けないこの店を贔屓にしていただきありがとうございます」
「そんな、ご丁寧に。こちらこそ、ありがとうございます」
あまりにも丁寧な態度に芽依は慌てて頭を下げる。
すると、天童が何かに気付いて声をあげる。
「あれ? それって……」
天童の視線がテーブルの上に移動する。
なにかと思い、視線を辿ると、天童はテーブルの上に置かれている東京ファンタアの冊子に気付いたようであった。
「お客様もその冊子をお持ちなんですね」
「えっ? あ、はい……。東京にファンタジーを見出そうっていうコンセプトが素敵だなあと思って」
自分がこの企画に携わっていると打ち明けようかと悩みながら、芽依はそう答えた。
だが天童は、あまり賛同しない様子で答えた。
「へえ。そんなコンセプトがあるんですね」
「え?」
芽依は天童の反応が気になった。
気のせいだろうか、天童から笑みが消えている。
「東京に、あるでしょうか……」
「えっ?」
「いえ。先日御来店になったお客様がそんなことを言っていたんです。そのお客様、自分が生み出した作品のアイデアを盗まれてしまったとかで」
「ええっ!?」
(それって、私の書いたプロットじゃ……)
そういいながら、天童は東京ファンタジーをテーマにしたプロローグのページを開いて芽依の前に置いた。
「それにこれ、夜カフェが登場してるんですよね。夜カフェなんて、探せばいろいろありますが、うちの店に似ているような気がしていて」
「!」
一瞬にして、芽依は様々な不安に襲われた。
バレているのではないか!
あれから、店に許可を取るべか。林田に相談したが、店の存在は謎のままのほうが夢があるということで、店への許可は取らずに執筆する指示が出た。
だが、このカフェラテ店主は察しがよいのか、確実に気付いている。そして、この東京ファンタジーというコンセプトをよく思っていない。
(どうしよう。これって完全にやばいんじゃ……?)
まるで直にダメ出しを受けているような衝撃だった。
——あやかしだなんて冗談じゃない。——どういうつもりだ。
「えっ?」
そのとき、幻聴がして芽依は思わず声を漏らした。
「あやかし?」
「そう。あやかしがいるカフェなんて、あるわけがないですよね?」
だが、天童の目は笑っていなかった。
なぜだろうか。先ほどからやたら寒気を感じる。
強い不安が襲う前触れのような気配に、芽依はまた発作が起こると思い、テーブルに広げていた荷物をバッグに戻し始めた。
「お客様、どうしました?」
「あの、今日は帰ることにします。急用の電話もあったので。今ならギリ終電にも間に合いそうですし」
「そうですか。残念です」
「また来ますね」
「ありがとうございます。お待ちしております」
そして芽依は、ある意味謝罪を含むかのような深いお辞儀をしたのち、「失礼します」と告げると、飛び出すように店を出た。
扉が閉まり、天童は芽依の後ろ姿をしばし見届けていた。
「変な女だな」
そう思いつつも、天童はテーブルと椅子を整えようとした手を止めた。
(待てよ。なんだ、今の会話。あやかしだなんて俺は口に出していないぞ?)
それだというのに、あの女は確かにあやかしと口にした。
天童は急いで階段を降りると店の外へ飛び出し、女の姿を探した。
降っていた雨は止み、濡れた路面に街頭が反射した世界を作っていた。
「行っちまったか……」
そして、店に戻ろうとした天童は、傘立てに見慣れない傘が置き忘れられていることに気付いた。
*****
(か、か、完全にバレてるんですけど!)
街は雨を染み込んだコンクリートの乾く匂いがしていた。
濡れている路面に気を配りながら、ようやく東京駅が見えてきたところで芽依は忘れ物に気付いた。
(やば! 傘忘れてきちゃった!)
芽依は足を止めて、店の方へと振り返る。
買ったばかりの傘だがあれは諦めるしかないだろう。
なぜならもう、金木犀へは行けない。身バレした可能性がある。
別れとは突然にやってくるものだ。
まさかではあるが、芽依は夜カフェ〈金木犀〉への通いは、その日で最後にすることに決めた。
これ以上、自分があそこに通っていては、林田の立ち上げた企画を潰してしまうかもしれない。
もうこれ以上、なにかを失いたくはない。
芽依は信号待ちをしながら、心苦しさにぎゅっと目を瞑った。
(最後にもう一度、金木犀ラテ飲みたかった……)
そして信号が青になり、横断歩道を駆け渡り、芽依は駅へと急いだ。
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