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第4章

三 大人の事情

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 二

「イメージ、……ですか?」

 その日、芽依は、林田のオフィスを訪れていた。
 林田は丸の内にシェアオフィスをレンタルしている。
 5階建の間新しいビルの中は、自然をイメージしたグリーン多めの解放的な空間となっており、都会のオアシス的オフィスとなっていた。
 その日、オフィスに呼ばれたのはいうまでもなく、先日のプロローグに対するクレーム(注文)に関してであった。
 集められたのは、林田と、彼女のサポート役としていつも行動を共にしているセミロングカットの猫見。そしてクライアント兼スポンサーである松井とその付き人・矢島。そして芽依の五人であった。
 東京ファンタジアに掲載する物語の書き直しを言い渡したのは、やはり松井であった。
 松井の言い分はこうだ。
 別件で手掛けている企画で、とあるクリエイターと香りのコレクションを計画しており、今回の物語のプロローグにあった『アイデアが盗まれた』という部分がイメージダウンになりかねないということで、書き直して欲しいという申し出だった。
 だが、すでに物語のプロローグは都内各所にて配布済みであり、すでに芽依自身も執筆を進めているところであるため、書き直しできる範囲が限られることであった。
 なかなかの無茶な要望を突きつけてきた松井であったが、当人はさして気にしている様子はなかった。

「これね、すごい気合いの入ったコレクションなのよ。もう企画が良くて大注目されてるの。なにせあの志摩ユウキとのコラボだからね。それなのにスポンサーが自らの企画をディスるわけにいかないでしょう? 炎上でもしたら責任とれるの?」

 いったい、林田はどこで松井と知り合ったのだろうか。
 身勝手な言い分をいう松井を前に、芽依はそう思っていた。
 林田の熱意は尊敬出来るところがあるが、この松井という人物は、いかにも業界人であり、損得勘定を先に物事を判断しているように思える。
 企画をやるにあたって、林田は不憫に思っていないのだろうかと不安にさえなってくる。
(イメージダウンに繋がるだなんて。このセリフだけでそう思うなんて、自意識過剰っていうか、拡大解釈すぎると思うんだけど)
 松井の話を聞きながら、芽依はプロットの変更が出来ないものかと、頭の中で展開を考える。
 その傍らで、林田は松井と意見を交わし会っていた。

「ですが松井さん。確認してもらったときはそんなことは何もおっしゃっていなかったじゃないですか。今からの変更がどれだけの損失が出るかわかってのことでしょうか」
「あのときはね。いいなって思ったよ。でも、これを読んだ彼から電話が来て言われちゃったんだよ。東京ファンタジアって、もしかして僕がやるプロジェクトに悪意を持ってたりしますか?って。アイデアが盗まれたって、クリエイターには結構シビアなことらしいよ」
「ですが、これはあくまでも物語で——」
「それにさ。なんか印象悪いじゃない。せっかくファンタジーな企画なのに、業界のいや~な部分が見えるっていうか。まるでこれだと、志摩くんがアイデアを盗用したかのようにも思えちゃうじゃない。だからさ、ちょっと変更してもらえない?」
「変更だなんて。無理ですよ。もう物語は2章まで進んでいるし、校正だって上がってきてるんですよ?
「でもまだプロローグでしょ?」
「そんな簡単に言わないでください。このお話はうちにとても重要な企画の一つなんです。万が一差し替えるとしても、予算の余裕がありません」
「じゃあ、その修正代はうちが持つから」
「そういう問題では!」

 林田がここまでいうのに対し、松井は物語に対して興味がないのだろうと、芽依はそう感じた。

「あの……、でしたら、これではどうでしょうか」

 そこまで聞いて、黙っていた芽依は静かに口を挟んだ。

「プロットにも起こしたとおり、この盗まれたアイデアは香りのレシピで間違いないんですけど、結果このあやかしはレシピを取り返してコレクションの大成功を収める、という形で完結する方向にするのはいかがですか? 逆境から立ち上がった力強いキャラに成長したことにして。そうすれば松井さんの手下が得ている香りのコレクションにもいい影響が与えられると思うんですけど……」
「いい影響って。彼はね、彼って志摩くんのことだけど、志摩くんは題材にされてることが納得いっていないの。わかるでしょ?」
「ですが、逆境に見舞われたクリエイターさんたちが成功を収める形にもっていければ結果的に夢を与えられるような展開にすることも可能なんじゃないかと思うんですが」
「でもさあ。この主人公、あやかしなんでしょ?」
「えっ?」
「あやかしってさ、なんか陳腐じゃない? 人間と一緒にするのってどうなの?」
「そんな……」

 いまさらそんなこと。打ち合わせのときに、散々確認をとった項目だったではないか。
(この人、話を聞いてないのかな……)
 すると、松井の付き人・矢島が松井にスマホ画面を見せた。どうやら、次の予定の時間が迫っているようだ。

「じゃあ、これは持ち帰って例の彼に相談してみます。ということで、次の約束があるので、悪いけど今日はこの辺で」
「あの、いつお返事をいただけますか? うちとしては、変更となるならば多方面に連絡を入れなくてはならないので。それに、差し替えとなったときの予算の組み替えも行わないといけませんし。そう時間がないのですが」
「まあそう言わないでって。明日までには連絡するから。悪いね、林田ちゃん。もうちょっと待っててよ。ね?」
「松井さん……」

 そういって、松井は林田の肩をポンっと叩く。
 芽依は松井の身勝手さに呆気に取られた。
 松井と矢島は席を立ち、颯爽とオフィスを後にする。
 残された林田の背中にやるせなさが漂っていた。

「林田さん?」
「ごめんなさい、芽依さん。本当にご迷惑をおかけします」
「いえ、私はいいんですけど。林田さんはいいんですか?」
「……これは、松井さんの協力なしには実現不可能な企画なので。ある程度の提案はのむしかないんです」
「……そうなんですか?」
「以前、私は作った企画書を松井さんに見せたことがあって、それを思い出してくれたのか、突然連絡が来たんです。あの企画、うちと一緒にやらないかって。それに、私はまだ起業したばかりで実績もなにもありません。だから、多少のコネクションをもつことは必要です。どんな形であれ、結果が全ての世界ですから……」
「コネクション……」

 東京ファンタジアらしからぬ、なんだか夢のない話だった。
 林田も現実と戦っているのかと、芽依は思う。
 芽依でさえ、今、職を失い、現実に打ちのめされている。なので気持ちはわからなくもない。生きていくために諦めなければならないことだったある。
 けれど、いったいこの物語は誰に届けたいのだろうか。
 芽依の心には、そんな迷いが生まれ始めていた。
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