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43 ブティックにて
しおりを挟む騒動を聞きつけて、ランディス夫人が先ほどの部屋から出て来た。
「ジーナさん??」
泣きながら走る私と追いかけてくるレニーを見て、夫人は近くにいた従者に叫んだ。
「あなた、レニーを止めて! ジーナさんはすぐ、外の馬車に乗って!」
従者の動きは早かった。手にしていた掃除用の脚立を盾にして、私を追いかけてくるレニーを足止めした。だが、レニーは体格もいいし、鍛えている。従者はずるずると押し戻されたが、通りかかった別の従者が加勢したので私は玄関に逃げおおせた。
震える手で必死にドアを開け外に出る。転がる様に馬車に乗り込んだ。
屋敷に帰ってからもしばらくは震えが止まらなかった。あれは本当に私の知ってるレニーなの? 『ホリスタ』の純朴でお人好しのキャラって設定はどこへ行っちゃったんだろう。
ジーナはジェリコにフラれて早々に退場するはずだった。何も明記はされていなかったが、ショックで退学でもしたのかもしれない。それなのに私がゲームの世界で好き勝手に行動してるから、レニーもおかしくなってしまったんだ。どうしよう、やっぱり全部わたしのせいなんだ。
私たちはカメリアのブティックの前で待ち合わせていたが、ブリジットの態度に変化はなかった。ランディス邸であんな騒ぎがあったのに、知らない筈はない。でも理由はすぐに分かった。
「間に合って良かったわ。さっきまで用事があってアカデミーに居たんですの」
そう言うブリジットは、憧れのカメリアのブティックに興味津々でとても楽しそうだ。今レニーの事を持ち出して、ブリジットの楽しみに水を差したくない。
私は努めて平静を装った。アロイスはこの間私が泣いたことでまだ少し心配しているみたいだし、早く気持ちを切り替えなきゃ。レニーも別れた後、私がずっと一人でいれば、クリストファーの事は誤解だったと分かってくれるはず。
これからは今までと同じようにアロイスの幸せを願い、呪いが解ける方法を模索するわ。アロイスがクレアを思い続けて、私の気持ちが報われることがないとしてもいい。ゲームの世界線を歪めない様に大人しくして、ジェリコとクレアが結婚式を挙げるのを待つ。ジェリコルートが無事に終われば、レニーも私が知っているレニーに戻ってくれるかもしれない。
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「元気が戻ったみたいだな。なんだかすっきりした顔をしてる」
「そうよ、吹っ切れたの。もうメソメソ泣いたりしないわ!」
「良かったよ、また笑顔が戻って来て」
アロイスはそう言ってほほ笑を私に向けた。私はアロイスよりだいぶん背が低い。近距離で下から覗くアロイスの顔は、前髪に邪魔されずに全貌が望めた。
「っ……!」
優しさに溢れた笑顔だった。アロイスが整った顔立ちをしている事は前から気付いていたけれど、この笑顔は前世の孤児院で見た、天使ガブリエルの絵画みたいに美しかった。
ドキン、と大きく高鳴った胸はそのまま鼓動を早めて行く。顔が赤くなるのを感じて思わず横を向いてしまった。
「おーい、二人とも。デザインはもう決まったのかい?」
クリストファーがなかなか戻ってこない私たちに、やきもきしたように声を掛けて来た。
「そ、そうね。デザインを決めてから生地だわね」
ソファに戻るとブリジットはまだ真剣な顔でデザイン帳とにらめっこしていた。アロイスが舞踏会のパートナーに誘う程、ブリジットといつ仲良くなったのかは不明だが、ブリジットはこのブティックに来ることが出来て確かに喜んでいる。
「ジーナさん、これとこれとこれ、ようやっと三つまで絞りましたの。この中ではどれがいいと思いまして?」
三つとはブリジットも頑張ったのね! どれも可愛らしいブリジットに似合いそうだ。顔の作りは可愛らしいが、表情は理知的なブリジット。とても頭が良いらしい。男性だったら文官の高い地位まで上り詰められただろうと言っていたレニーの言葉を思い出した。
「二番目のこれが、私はいいと思うわ」
「そう! 私もそう思ってるんですけど、このデザインには赤い生地が合うと思うんです。でもクレア様が赤をお召しになるそうですから、赤はだめなんですわ」
「赤をお召しになるんですか…ちょっと意外な感じがするな」
そう言うクリストファーの唇がちょっと尖った。
「クレア様にはどちらかというと、薄いピンクやブルーなどのパルテルカラーが合いそうですわね」
雑談を交わしながら、どうにかこうにか四人分の衣装が決定した頃にはとっくに陽が落ちてしまった後だった。
「ああ、大変! 夕食の支度が!」
金色の置き時計を見て慌てた私にクリストファーが人差し指を振った。
「ジーナ、私が何の対策もしないでここに誘ったと思いますか? クリコット邸には前回と同じくディナーの手配をしてありますよ」
鬼の首を取ったような顔をしてクリストファーは胸を張る。ここは私の負けだわ! 私は素直に認める事にした。
「ありがとう、クリストファー。助かるわ」
「ではこれから四人で食事に行きましょう」
ブリジットもアロイスも異論はないみたいだけど、私はそんな気分になれなかった。
「ごめんなさい、今日はとても疲れたから真っすぐ帰るわ」
「ではクリコット邸まで僕が送りましょう」
それは当然の事だというようにクリストファーが立ち上がったが、私は遠慮した。ランディス家での事で私の頭はまだ混乱状態だった。早く一人になって落ち着きたかったのだ。
週が明けてアカデミーに行くと、昼休みにブリジットが血相を変えて私の教室にやって来た。
「ジーナさん! 大丈夫ですの? 怪我なんてしませんか」
ブリジットの切実な声に教室の生徒が反応する。
「ブリジットさん、私は大丈夫。ちょっとここではあれだから、中庭にでも行きましょう」
なるべく人が通らない場所まで行って、私はもう一度ブリジットを安心させた。
「本当に大丈夫よ、あの時は驚いて……怖かったけど」
「ええ、お母様も驚いてましたわ。レニーお兄様はきっと病気に違いないと、お医者様に見て貰うと言ってました。それで、その」
「そうなの、私レニーとお別れしたの」
ブリジットはどう思うだろう、休学になって家でも謹慎しているレニーを見捨てる、冷たい女だと思うだろうか。
でもブリジットはただ残念そうな顔をしただけだった。
「ジーナさん、お兄様の事は嫌いになってしまった?」
「ううん、嫌ってなんかいないわ」
レニーは今でも私の推し様に変わりない。私がホリスタのストーリーに干渉しないようにすれば、レニーも元に戻るはず。そう私が憧れていた頃のレニーに!
「正直に言うわね。私、レニーに対して抱いていた気持ちは、恋愛感情じゃないって気付いてしまったの。レニーの事は大好きで憧れだったんだけど、それは……ええと、高名な歌手や立派な騎士様に対する尊敬みたいなものだったの」
「そうなんですね。もしかして別に好きな方がいらっしゃる?」
ブリジットは意味深な上目遣いを私に寄越した。
「えっ、それは…その…」
「ふふっ、ジーナさんてほんとに正直で可愛らしい方。私カメリアのブティックで、スターク先輩と話しているジーナさんを見て思う所がありましたの」
「ええっ」
「スターク先輩との事、応援してますわ。いえ、応援は必要ありませんわね」
ブリジットは私の背後に視線を走らせたあと、そう言って去って行った。
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