幻影まほら

小鳥遊わか

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第一章 夜明けに向かう物語

第五話

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「あいさつ」
「こんにち!」
「家に入るときは?」
「おじゃましまぁす!」

 アズマの質問に、ハジメは大きな声で元気よく返答をしている。「上出来だな」とアズマがハジメの頭をぽんぽんと撫でれば、ハジメも「じょうできだな!」と復唱してパッと明るい笑顔を見せていた。
 
 あれから一週間、簡単な挨拶くらいは覚えてもらおうと、傭兵の仲間や近所の店にも協力してもらいつつ、アズマはハジメに言葉を教えこんでいた。
 ハジメの吸収は非常に早かった。人に会ったら挨拶をする、といった状況もきちんと理解できているようで、使い分けることもできている。

「覚えた、っつーより……、に近そうだけどなァ、お前の場合は。元々はできてたことなんじゃねェかな」
「おもいだしたってなにー?」
「忘れてたことが、ふっと頭に浮かぶんだよ」
「うかぶってなに?」

 ついでに質問を覚えたハジメが、あれは何これは何とひたすら聞いてくるもので、アズマも苦笑いをしていた。

「浮かぶってのは……例えば雲みたいに宙にあって、地面についていない状態だが……、だと少し違うしなァ。底にあったモンがぷかぷか上がってくる感じか?」
「ぷかぷか」

 言葉に反応して、ハジメが何も無い宙をじっと見つめる。そのまま幻影魔法で本当に雲を浮かべ始めそうだったので、アズマはそれを止めるようにハジメの背中をぽんぽんと叩いて意識を引き戻した。
 
「まァそのうちそれも覚えるだろ。ハジメ、そろそろ魔族サン家に遊びに行ってみるか?」
「あそび! 行く!」
 
 その場でぱたぱたと足踏みをしながら、ハジメは目をきらきらと輝かせている。そんなハジメに微笑みつつ、アズマは窓際に大人しく止まっている黒い鴉のような鳥の方へと歩いていく。

「じゃ、連絡入れてみるか。住所は把握してるから魔鳩マクも飛ばせるはずだ」
「まく!」

 ハジメも駆け寄り、魔鳩をじっと見つめたあと、そっと手を伸ばしてつついたり羽を撫でたりしているが、魔鳩は嫌がるような素振りは見せず、不思議そうに首を傾げている。
 
「ハジメ、そこの餌を魔鳩にやってくれ。一粒な」
「えさってなに?」
「ご飯だ、ご飯」
「ごはん!」

 ハジメは袋に入った豆のような餌を鷲掴みする。アズマがもう一度「一つな」とそこから一粒だけ取り出して見せるので、ハジメもそれに倣って一粒だけ残してあとは袋に全て仕舞った。
 魔鳩の口元に餌を運んでやれば、魔鳩は器用にくちばしでそれを咥えて飲み込む。一連の動作をハジメは興味深そうにじっと見つめて「おいしい?」と聞くが、魔鳩から返事は無いので、アズマの方を見上げた。

「魔鳩に味覚はねェと思うが。ま、美味しいんじゃねェか?」
「おいしい!」
「ハジメは食うんじゃねェぞー」

 アズマはサッと餌の袋を取り上げ、ハジメの手の届かないところに置いた。

「さて、ハジメ。あいさつの準備はいいか?」
「あいさつ! こんにちわ!」

 アズマは頷き、魔鳩に連絡先を指示して音声の記録を始めた。
 
 

 ◆

 

「…………メアリ。ケイシーは一体何をしているんだ?」
「魔鳩が届くのを待っているみたいなの」
「いや、それは分かるよ。しかし、もう一週間近くずっと魔鳩の傍で過ごしていないか……?」

 ケイシーの両親が、魔鳩の近くに本を大量に積み上げて──さながらそれは小さな城壁のようになっている──地べたに座り込んだまま読書しているケイシーを見て、少々困ったような顔をしていた。

「新しいお友達ができたみたいで、今度うちに遊びにおいでと話をしたのよ。だからいつ来るのか連絡を待ってるみたいなんだけれど、そんなにすぐには来なくて。初めはじっと魔鳩を見つめているだけだったけれど、さすがにそれにも飽きるでしょう? 部屋から本を持ち出して近くで読書するようになって、気が付いたらあんなに沢山」
「止めなかったのか?」
「読み終わったら片付けなさいとは言ったわ。けれど、『分かってるよ』と言いながら動く気が全然ないみたいで……」

 小さく母親がため息を吐けば、父親も腕を組んでケイシーと母親を交互に見て首を横に振る。

「あんまり甘やかすのも良くないよ。読書は結構だけれど、あんまり好き勝手にさせていると将来が心配だ」
「それはそうだけれど、あの子、お姉ちゃんたちと違ってあんまり外にも出られないから可哀想じゃない。学校にもほとんど通えていないし……」
「……全部聞こえてるんだけど」

 両親の小声を聞き取っていたケイシーが、読んでいた本をぱたんと閉じる。一つ息を吐いて、ケイシーは床に座り込んだまま両親の方に不機嫌そうな顔を向けた。

「僕は別に可哀想じゃない。昼間に外なんかに出たいと思わないし。学校だって行かなくていいよ、あんなところ行ったってレベルが低くてつまらないだけだから。父さんも魔家マギパレスで仕事をしてるなら、もっと魔族に合った過ごし方ができるような世の中を考えたらどうなの。僕は、今の世の在り方に不満しかないんだけれど。何もかも人族中心でさ」
「……ケイシー」
「いいよもう、どうせ連絡なんて来ないんだ。片付ければいいんでしょ」

 不貞腐れたように不機嫌な顔で吐き捨てるケイシーに、母親がおろおろとしながら「手伝いましょうか」と近寄れば、「一人でできる」とケイシーはそれを突っぱねる。父親はどうしたものかと腕を組んでため息を吐いた。
 
 気まずい静寂が流れる。
 そんな中、ケイシーは物音か気配かを感じ取ったのか突然本を拾う動きを止め、はっとしたように魔鳩を見た──直後、魔鳩がぴょこぴょこと跳ねて窓の外を向き、「カァ!」と声を上げた。

「来た……!」

 ケイシーが手に持っていた本を床に放り投げ、魔鳩を勢いよく引っ掴む。ぴぎゅっ、と魔鳩は変な音を出したが、その後に届いた音声を再生し始めた。

【こーんにちわっ!】
【あー、アズマです。この間言っていた件で、そちらのご都合が良いときにハジメを連れて行こうと思うんですが】
【あいさつ、じょうでき?】
【あー上出来だ上出来、えっとすいません、大丈夫な時間帯教えてもらえればと。よろしくお願いします】
【じょうできー! します!】

 アズマとハジメの賑やかな音声がそこで終わり、魔鳩はケイシーに握られたまま、きゅう、と力を無くす。
 再び静寂が訪れ、ケイシーはぽかんとした顔で魔鳩を眺めており、両親もまた目を見合わせていた。
 その後、状況を理解したらしいケイシーがくるりと向きを変え、両親の方に魔鳩を掴んだまま走り寄る。表情は打って変わって、驚いたような焦ったような、少し嬉しそうな、子どもらしい顔をしていた。



「く、来るって! 母さん、いつならいいの? すぐに返事をしないと」
「え? ええ、まずは魔鳩その子を離してあげて、苦しそうだから」
「あっ、ごめんね……!」

 素直に聞き入れたケイシーが手を離すと、魔鳩はフラフラと飛び立って窓際の定位置に止まった。それを見届けてから、母親は口を開く。

「明日の15時はどうかしら」
「ティータイムだね、分かった! そう返事をしておくよ! それからお茶とお菓子の準備と、あとは」
「ケイシー、落ち着いて。準備はいいけれど、遊びに来てもらってこの本の山じゃ、驚かれてしまうわ」
「そ……それは片付けるってさっき言った……!」

 ふい、と都合が悪くなったかのようにケイシーは視線を逸らしてから、魔鳩の方へと再び走り寄る。それから魔力となる餌を魔鳩にやり、先ほどのメッセージの送信元に返答をするように命令を出した。

「……ケイシーだよ。明日の15時なら平気。来たければ来て。それじゃあね」

 短い言葉を魔鳩に託し、ケイシーは息を深く吸って、それから全部出し切るように吐く。それから魔鳩を見つめ、言葉の詰まった魔力が抜けていったのを確認していた。
 そんなケイシーに父親が近付き、声をかける。

「嬉しいなら嬉しいと伝えてやったらいいんじゃないか」
「べ、別に嬉しいってわけじゃ……遊びに来たらって言ったのも母さんだし……、とにかく片付けるからそこ退いて!」
「父さんに退いてはないだろう」
「いちいち面倒くさいなぁ、もう!」

 両手に沢山の本を抱え、逃げるようにケイシーは自室の方へと走っていく。

「あれで友達と喧嘩にならなければいいんだが」
「そうねえ……でも、ちゃんと人と関わりたい思いを持ってくれているのは良かったわ。それにケイシーのお友達が遊びに来るなんて本当に何年ぶりかしら! 張り切って準備しないとね」

 父親の心配を他所に、母親は嬉しそうに手を合わせていた。


 

 自室まで本を抱えて駆け込んだケイシーは、ドアをバタンと閉じて、本をそのまま床に雑に置く。そしてベッドの方までふわふわとした足取りで歩いていったかと思えば、そのままぼふん、とベッドに倒れるように横になった。
 ケイシーは枕を両手で抱え、服にシワが寄るのも気にせずに仰向けになる。

(どうしよう、何を話すのがいいんだろう、魔法のこと? 言葉のこと? 政治の話は難しすぎるって言われるかも、勉強のことがいいかな、あの子……ハジメって言ったっけ、何歳くらいなんだろう、僕より年下に見えたし人族だし、簡単な内容がいいのかな? そもそも言葉が通じないから……言葉が通じなくてどうやって話せばいいんだろう……? でもさっきはあいさつができていたし、簡単な言葉なら話せるのかな。藤嬰タンイの言葉を話していたから、やっぱり辞書は用意しておくべきかな)

 ケイシーは明日の話題について思いを巡らせ、しばらく両手でぎゅっと枕を抱えてベッドの上に寝転んでいたが、思い立ったように起き上がって本棚を漁り始める。
 元々床に積みっぱなしの本が多く、それらの本の塔もぐちゃりと倒れていくので、気が付けば本棚を中心に床は本で埋め尽くされたような状態となっていた。
 
 そこまで散らかしてから、ケイシーははっと我に返り、部屋を見渡す。

「……まずい、片付け、しなきゃ……」

 呟いて、とりあえず近くの本を拾い上げては向きも気にせず本棚に詰め込み、詰め込むことができなくなったら部屋の隅に積んでいく。
 本で床が埋め尽くされることは無くなったが、それでも高く積み上げられた状態の本はぐらついており、少しぶつかれば今にも倒れそうな状況だった。

「……よし」

 何も良くはないのだが。
 ケイシーは、片付けが苦手な少年だった。
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