幻影まほら

小鳥遊わか

文字の大きさ
上 下
7 / 9
第一章 夜明けに向かう物語

第六話

しおりを挟む
 金糸の刺繍があしらわれたベルベットのソファに、アズマは若干居心地が悪そうに座っていた。
 その隣に座っているハジメは、靴を脱いでソファに膝立ちし、テーブルの上に並べられたお菓子を見て、「おいしい!」と目をキラキラと輝かせている。

「まだ食ってねェだろ。そういうときは美味しそう、だ」
「おいしそう!」

 ハジメが膝立ちのままぴょんぴょんと跳ね始めるので、アズマは「じっとしてろ」とハジメの足を下ろしてきちんと座らせる。
 テーブルの対面にはケイシーがそっぽを向いて座っており、そこにケイシーの母親が飲み物を持ってやってきた。

「すいません、行儀が悪くて……」
「子どもは元気なくらいがちょうどいいのよ、気になさらないで。畏まらずとも、気楽にゆっくりしていってくださいね」

 にこりと微笑まれ、アズマは「どうも……」と軽く頭を下げ、小さくため息を吐いた。

 ケイシーの豪邸があるのはグロウストリアの中心部に位置する高級住宅地で、貴族階級の家庭が集まる場所だ。
 傭兵という立場は決して高くはない。貴族に雇われ仕事をすることも多く、仕事であれば良いのだが、プライベートな付き合いで気楽に、と言われても気は張るものだった。
 そんなアズマをよそに、身分のことなど全く知らないハジメは、早くお菓子を食べたい様子で落ち着きなく身体を揺らしている。

「行儀は良い方がいいよ。ちゃんと躾けておくべきだね」

 ハジメの様子を見て、ケイシーが肩を竦めて言う。子どもが相手だろうと、貴族の子は貴族である。アズマが失礼を詫びようとする──よりも前に、ケイシーの母親が呆れたように口を開いた。
 
「まあ。ケイシーだって床に寝転がったまま本を読むじゃない。お行儀良かったかしら?」

 何を言っているのかしら、と言わんばかりの視線を向けられ、ケイシーはむっとした顔で母親を見て抗議する。
 
「ちょっと、どうしてそういうことをわざわざ言うのさ……!」
「あまり憎まれ口を叩くものじゃないわ、仲良くしたいんでしょう?」

 ごめんなさいね、と母親は一言謝ってから、「自由に召し上がってね」とハジメの前に菓子が綺麗に並べられた皿を移動させてから、その場を離れていった。
 ハジメは「わぁ~!!」と嬉しそうにそれを眺めてから、一つクッキーを掴んで口に運んでは「おいしい!」と言いながら、もぐもぐと味わっていた。
 
 アズマもケイシーも菓子に手をつけることはなく、何を話せば良いのかと、両者の間には沈黙が流れる。
 先に口を開いたのは、ケイシーだった。
 
「ねえ、ハジメたちは藤嬰の人なの?」
「たんい?」

 菓子を食べる手を止め、ハジメは首を傾げてケイシーを見た。

「君、最初に会ったときに藤嬰の言葉を使ってたでしょ?」
「藤嬰の言葉をご存知で……?」

 問いかけはハジメに対してだったが、ハジメがそれに返答できることは無い。代わりに、アズマが疑問を口にしていた。
 
「少し勉強したからね。僕自身がその言語を使えるわけじゃないけど……藤嬰の言葉は独特だから、何となく分かったよ」
「ねーえ、たんいってなにー?」

 ハジメが机に両手をかけてガタガタと揺らすので、アズマは「揺らしたらダメだ」とそれを止める。ハジメは「なぁに!!」とちょっと怒ったように頬を膨らましていた。

「国の一つだよ。藤嬰語を使っていたのに知らないの?」
「??」
「ほら、ええと、なんだっけ……確か〈世界樹〉、とか」
「??? なぁにそれ」

 ピンと来ないようで、ハジメは先程とは反対側に首を傾げている。その単語を叫んでいたこともあまり記憶にないのか、藤嬰の言葉を聞いてもハジメがそれを復唱するようなこともなかった。

「あー……ハジメは、意味も分からず言葉を使ってたんだと思いますよ」
「意味も分からず……? 共通語を知らないこと自体が変だとは思ってたけど、藤嬰の言葉を理解しないままのって……一体どういう状況だとそうなるんだろう」
「まあ……思い当たる節はあるんですが、難しい話になりますし……国の事情も絡むといいますか……」

 頭をぽりぽりとかきながら、どうしたものかとアズマは視線を逸らす。少なくとも子ども相手に話すような内容ではなく、分かりやすく噛み砕いて説明できる自身もアズマには無い。
 しかしケイシーは興味を惹かれたのか、今までソファに預けていた背を少し浮かせて、じっとアズマの方を見つめる。

「……テンドウさんって藤嬰の事情に詳しいの?」
「いや、そこまで詳しくはないんですが……私自身も昔は藤嬰に住んでいたので、その頃のことなら多少は」
「ほんとに……?!」

 アズマの言葉に、ケイシーの目が輝く。いよいよソファから立ち上がって、身を乗り出した。

「すごい、藤嬰ってとても情報が少ない国なんだ、いくら本を探しても表面的なことしか出てこないし、家にある辞書だって何百年も前に刊行されたもので情報が古くて! 藤嬰の人が国の外に出てくることも滅多にないって聞くし、貴重すぎるよ……! どんなことを知ってるの?! 本に書いてないようなことも知ってる?!」

 詰め寄るように勢いよく言葉を浴びせかけるので、アズマも待ってくれと、宥めるように両手の平をひらひらとさせた。

「噂程度のことしか耳になかったもので、私の考えも正しいとは限らないんですよ。間違った知識を教えてしまうかもしれないのは、ちょっと、躊躇われるといいますか」
「構わないよ、本を読んでたって間違いなんていくらでもあるから最終的には自分で判断する。ああ、あと、そんな風に丁寧に喋らなくていいよ、学校の先生だって人族だし貴族じゃないけれど、そこまで畏まった喋り方はしないよ」

 興奮が少しだけ収まったようで、ケイシーは再びソファに腰を落として、テーブルの上の紅茶を口にする。
 アズマは小さく息を吐いてから、ハジメの方を見た。ケイシーが勢いよく喋りだしたことに驚いてるのか、食べかけのクッキーを左手に持ったまま、ぽかんとしていた。アズマの視線に気付いたようで、そちらを見て「なあに?」と首を傾げる。

「お前の話だ。まあ、さすがに、お前にも分かるような説明は無理だけどな」

 ハジメの頭にぽんぽんと手を置いてから、アズマはケイシーの方に向き直る。
 何から話すかと、少しの間が空いて、アズマは口を開いた。

「じゃあ、まあ、敬語は抜かせてもらおう。そうも得意じゃないんで……まず、そうだな。初めに言っておくと、俺とハジメは血の繋がる親子じゃあない。ハジメは一週間と少し前に、グロウストリア付近で倒れてたところを保護されてんだ」

 アズマは、ハジメと出会った事の経緯を簡潔に説明した。
 共通語を理解出来ていなかったこと、藤嬰の特定の単語だけを口にしていたこと、言葉の練習をしていたらあっさりとそれを覚えたこと──それらの話をケイシーはすぐに理解したようで、自分の中で情報を整理し始めたようだ。

「それなら、ハジメは藤嬰から来たと考えるのが妥当だね。藤嬰の言葉を使える人が他に居て教えてもらっていた、という可能性も考えられなくはないだろうけれど」
「ああ。ただその場合、共通語が一切分からないというのもおかしい。ハジメくらい大きくなっていれば、普通は自然と言葉を覚えるだろうからな」

 アズマが言葉を切り、出された紅茶に一口口をつける。
 それを見たハジメも、自分の目の前にあったカップを両手で持ち、くんくんと匂いを嗅いでから飲んでみた。それがハジメには苦かったようで、顔を顰めてべ、と舌を出していた。

「んぇぇ~……」
「砂糖入れたら?」
「お、ありがとう。ハジメ、砂糖入れとくか。甘くなる」

 アズマがハジメのカップを取り、ケイシーから受け取った角砂糖を二つほど入れてスプーンで掻き混ぜる。ハジメはテーブルにカップが置かれたあとも、じっとそれを訝しげに見つめていた。
 その様子を苦笑いしながら眺めた後、アズマは話を戻す。
 
「それで、何の話だったか」
「共通語が分からないのは不自然だ、って話だよ。でも、それは例え藤嬰出身だとしても普通ではないよね?」
「そうだな。藤嬰でも使われているのは共通語だ。藤嬰語を知ってるようなのは、そう多くはない」



 ケイシーは顎に手を当て、右上に視線をやった。

「ハジメは、藤嬰で日常的な会話を覚える機会がなく、普通の生活をしていなかった?」
「可能性はゼロじゃないだろうが、数年間ずっと日常会話を耳にしないというのも、それはそれで無理がある。まあ、普通の生活では無かったかもしれないが……だから俺は、ハジメは元々、共通語での会話ができていたんじゃないかと考えたんだ」

 アズマが人差し指を立てて話す。ケイシーは「どういうこと?」と、再びアズマの話を聞く姿勢を取った。

「藤嬰のお偉いさんがな、人の記憶を自由に弄ることができる技術ってのを研究してるって話を聞いたことがある。ハジメはそのせいで記憶もろとも言葉を忘れ、後から藤嬰の特定の単語だけを植え付けられたんじゃないかってな。ここ一週間でハジメは言葉を自然と使えるようになったが、このスピードは全くの無知だったとしたら異常だろ」
「……ええと。当たり前のように話してるけれど、とんでもない技術だよね? 聞いたことがない……それに、それって許されることなの?」
「な訳があるか。ろくでもない国なんだ、藤嬰ってとこはな」

 顔を顰めて、アズマは首を横に振る。ケイシーはそれを突き詰めたくなったが、話が逸れていくと判断して堪えた。
 
「……でも、そうだとして、何のために? どうしてハジメが?」
「さあ、目的までは。俺の身分はそう高くなかったし、噂程度のことしか耳には入って来なかった。そもそも、この話だってただの憶測に過ぎないしな」
「……なら、一旦その憶測が正しい前提で、可能性として考えられるのは……ハジメがその研究の実験に使われた、というのが有力なのかな。それか……意図的に藤嬰の言葉だけ覚えさせた状態で国の外にやったのだとしたら……何かのメッセージを伝えるため……? ううん、さすがに材料が少ないな」

 推理をするように、ケイシーは首を捻りながらぽつぽつと思考を整理している。その様子を見ていたアズマは、感心したように腕を組んだ。
 
「……お前さん、いくつだ? 子どもとは思えないくらいよく頭が回るな。普通に大人と話してる気分だ」
「今年で10歳だよ。吸血鬼って人族より知能が高いからね、そういうものじゃないかな」
「お、おう……そうか」

 得意気なケイシーに遠回しに人を馬鹿にされた気がしたが、アズマはそこに突っ込むのは一旦やめた。

「ま、俺が分かるのはそれくらいだ。俺が国を出たのも10年くらい前のことだし、お前さんの言った通り藤嬰は情報を外にほとんど出さないからな……最近の事情は全くだ」
「ありがとう、興味深い話だった。でも、僕が聞いておいてだけれど……その情報って外に漏らして大丈夫だったの?」
「さあ? 外部に漏れて困る情報を俺が握ってんだとしたら、とうに俺は国から消されてるんじゃないかねェ」

 肩を竦めてから、アズマはハジメの方を見る。
 ……ハジメはほっぺたをぷっくりと膨らませながらぶんぶんと両足を降っている。アズマとケイシーの二人で話が盛り上がっており、自分に話が理解ができなかったからなのか、不服そうな顔をしていた。
 
「んんー……んーっ!!」
「あー放ったらかしで悪かった、大人しくできてて偉かったよ、ほら」

 ハジメは菓子をいつの間にやら食べ尽くしていたので、アズマは自分の分の菓子の皿をやる。ハジメは「ヤ!」と言って顔をふいっと逸らすが、皿に手を伸ばして菓子は掴んで食べるので、アズマは内心で「いや食べるんかい」と突っ込んだ。

「えっと……ハジメ、本、読む?」
「ほん?」

 ケイシーは二人のやり取りを眺めていたが、タイミングを伺うように、ハジメに小さく尋ねた。ハジメの興味もそちらに向いたようで、聞き返して首を傾げている。
 
「昨日本棚を整理していたら、絵本が出てきたんだ。文字が分からなくても、絵は見れるでしょ?」

 ちょっと待っていてね、と、ケイシーは立ち上がり小走りで部屋を後にした。ハジメはその姿をじっと見つめた後、アズマの方を見上げる。

「ほんってなぁに?」

 機嫌の直りも随分と早いようだった。
しおりを挟む

処理中です...