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浪漫恋愛〜ロマンチックらぶ〜三話目

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「五条さん、編み目ぐちゃぐちゃ。やり直し。」

ガ────ンっ!
裁縫と同じくらい苦手な編み物……
せっかく苦労して編んだのに、解くのはあっという間で泣けてきた。



「まさかあの時の美男子が雛子さんの縁談の御相手とは驚きよね~。」

「これぞまさしく運命ねっ。二人は出逢うべくして出逢ったのよ!」

「家柄も財もあって、若くてハンサムな殿方なんて完璧!超羨まし~いっ。」

「縁談が決まれば中退するのがお決まりなのに、卒業まで待っててくれるなんて紳士よね~!」


ものは言い様だな。
そんな運命も優しさも、私には微塵も感じられなかった。
第一私の縁談話ですらなかったし……
普通は将来の夫となる人のことを考えたら胸が熱くなったりするもんなんじゃないの?
あの男のことを考えたら腸《はらわた》が煮えくり返るんだけど……


私が財閥の御曹司と婚約したことはもう学校中の噂になっていた。
金で買われたと揶揄する人もいたけれど、いちいち気にしてなんていられない。
それよりも、誰かマフラーを編むのを手伝ってくれないだろうか……

「旦那様に差し上げるつもりで編んだら上手に出来るんじゃないかしら?」

「うん…そうだね……」

笑顔が引きつった。






こんな時櫻子姉様が居たらなあと考えてしまう。
居なくなって思う……
私、櫻子姉様に頼りきっていた。
裁縫も編み物も刺繍も…だから全然上達しなかったんだ。
あれから一週間が過ぎた。
誰にも向き不向きはあるからと、櫻子姉様が優しく微笑みながら言ってくれたのが懐かしい……


晴彦さんと幸せに暮らせているのだろうか……
街中で、二人に似た人を見かけたらつい目で追いかけてしまう。
船に乗って遠くまで逃げた二人が、こんな近くにいるはずなんかないのに……



「Excuse me.」


英語で助けを呼ぶ声が微かに聞こえてきたので見渡すと、洋装のドレスを着た異国の美しい貴婦人が、道行く人に声をかけている姿が見えた。
すいませんと話しかけているのに、英語がわからないからなのか、みんな曖昧な表情を浮かべて去っていく。

「Can I help you with something?」
私はその貴婦人に近寄り、なにかお困りですかと声をかけた。

貴婦人は英語と身振り手振りで伝えようとしてきた。
どうやらイヤリングを路面電車のレールの溝に落としてしまい、取れなくて困っているようだった。

道端にしゃがみ込んでレールを覗いてみた。

それは小さな色とりどりの宝石が散りばめられた、とても綺麗なイヤリングだった。
割れ目に入り込んでしまい、指では簡単に取れそうにない。

「Ooh!」

貴婦人が悲鳴を上げたので見てみると、向こうから電車がやってくるのが見えた。
あんなのが通過したら壊れてしまう。
なにか使えそうなものは……
貴婦人はもう危ないからと言っていたのだが、私は鞄の中身をゴソゴソと探った。
路面電車がチンチンチンとベルを鳴らしながらこちらに近付いて来る……
貴婦人に後ろに下がってと言ってから、編み物をするかぎ針をレールの溝に突っ込んだ。




電車が目の前を通過していく──────



あ、危なかった。結構ぎりぎりだった……

「Thank you very much!Thank you very much!」

物凄く感謝されてお礼に食事にと誘われたのだが遠慮した。
マフラーを編まなきゃいけないし、早く帰らないと帰り道が真っ暗になってしまう。

「May I have your name?」

別れ際に名前を聞かれたので、私はHinakoと手を振りながら答えた。
役に立たないと思っていた英語が思わぬところで役に立ったな……


櫻子姉様が良かったねと

微笑んでいるような気がした──────














辺りはもうすっかり薄暗くなっていた。
「日が暮れるのが早くなってきたな……」
いつもなら晴彦さんが今帰りかい?と言って声をかけてきてくれて一緒に帰っていた時間だ。
今思えば、私が帰る時間に合わせてくれていたんだろう……
どこもそうなのだがこの辺も治安が悪い。
ついこの間も近所で強盗殺人事件がおきたばかりだ。
晴彦さん…私のことを何気に守ってくれていたんだな。

隣に誰もいない夕暮れ時の帰り道が、とても長く感じた……



「今にも泣きそうな面して歩くな。」


……えっ……
なんで…いるんだろう……?


「公家貴族のご令嬢が、こんな時間に人力車も馬車も使わずに一人で歩いているとはどういうことだ?」

木にもたれながら、私を待ち構えるように立っていたのはあの男だった。

「鮎川さんこそなんで?」
「まさか毎日歩いて学校を行き来してるんじゃないだろうな?」

「まあ…足腰は丈夫な方なんで……」
「そんなことを言ってるんじゃない!!」

大声で一喝されたもんだから体が縮こまってしまった。


「おまえの家は嫁入り前の娘を傷ものにする気か?!」



そんなことを怒りながら私に言われても……


私は産まれた時から櫻子姉様と比べられていた。
私だって子供の頃はそんなに不器用ではなかったと思う。
でもなにをしても完璧な櫻子姉様に届くわけがなく……
お父様から毎日のように厳しく叱責されるもんだから、段々とやる気が失せていった。

家の経済状況が厳しくなってくると、櫻子姉様と私に対する態度は露骨なまでに差が開いた。
女学校を優秀な成績で卒業した櫻子姉様にはその後も師範を家に呼んで花嫁修業を続けさせた。
女学校に通う私には人力車に使う金さえも惜しんで、櫻子姉様に残りの私財をつぎ込んだのだ。

家の存続をかけたその期待を、一心に受けなければならなかった櫻子姉様も辛かったと思う。
そして私は、お父様やお母様にとってはまるで空気のような存在になった─────


「お父様とお母様が可愛いのは、今も昔も、櫻子姉様だけなのです……」


お母様は未だに、櫻子姉様の部屋で泣き崩れている。
お父様は卒業など待たずにすぐに嫁にいけと、毎晩のように私を強く急かしてくる。
きっと、婚約破棄されることを恐れているのだろう。
櫻子姉様ではなく、不出来な私だから不安なのだ。

櫻子姉様だけが私のことをわかってくれていた。
あの家で安らげる場所は櫻子姉様だけだったのに……


「……あんな家、帰りたくないな……」

櫻子姉様がいなくなってから一週間しか過ぎていないのに、私の心は弱りきっていた。



「なるほどな。分かった。」


男は私の腕を掴むと、強引に引っ張って歩き出した。
私の家とは逆方向だ。
どこに行くつもりなのかと聞こうとしたら、開けた道に車が止まってあってビックリした。
車なんて街中でもそう走っているものではない。所有しているのなんて余程の名士だ。
運転手がこちらに気付くと後ろの席のドアを開けた。

「これって鮎川さんの車ですか?!」
「だったらなんだ?」

凄い…車に乗れるだなんて夢みたいだ。
人力車とはまるで違うその乗り心地に、さっきまで沈みまくっていた気持ちが嘘のようにワクワクしてきた。


「鮎川さんっ今からどこに行くのですか?」
「連れて帰る。」

「連れて帰るって…なにをですか?」
「おまえを俺の家に連れて行く。そんな家にはもう戻らなくて良い。」


知らなかった…人間て余りにも予想外のことを言われると頭が真っ白になるんだ。
思考が動き出すまで瞬きをすることさえ忘れてしまった。
それって…一緒に住むってこと?
まだ結婚もしてないのに?
本気の本気で言ってるのっ?!


「おまえの家には俺から連絡しておく。文句は言わせない。学校へは俺の家から車で送り迎えさせる。わかったな?」

とんでもないことを言われているのになにも言い返せない。
だってこの男の周りの空気が物凄い威圧感を放っている……
なにを言っても跳ね返されそうだ……


それになんだろう……
そんなに嫌じゃない…むしろちょっと………


泣きそうになりながら歩いていたあの道で、この男の顔を見た時、私はホッとしたんだ……

こんな口の悪い超失礼な男、大っ嫌いなはずなのに。



でも……

私は一人じゃないって思えたんだ─────






「あのっ……」
「なんだ?」

「貴光さんとお呼びしてもいいですか?」


男が驚いた顔で私のことを見た。
狭い車内でじろじろと見てくるもんだから頬が赤くなってしまった。
男の人を下の名前で呼ぶのは恥ずかしいけれど、ちょっとでもこの距離を縮めたい……


「ヒヨコの好きにしろ。」

貴光さんは素っ気なくそう言うと私から視線を外し、外の風景を眺めた。


私のことは相変わらずヒヨコと呼ぶんだな……














貴光さんの家は、眼下に港を見渡せる高台に建っていた。

素敵…洋館だ───────

煉瓦造りの壁に目が覚めるような鮮やかな緑の屋根。
屋根の瓦は魚の鱗のような丸い形をしていた。
窓は白く、細かな装飾がされていてそれ一つで芸術品のようだった。
屋根の上を見ると、鳥の形をした人形が夜風に吹かれてクルクルと揺れていた。

広い庭もまるで異国の地のようだ。見たことのない綺麗な花が沢山咲いている……


「ヒヨコ、なにボーっと突っ立ってる。こっちだ。」
「あの、貴光さん。ここには御家族と住んでいるんですよね?」

「ああ。母親と住んでいる。」


こんな時間にいきなり私なんかがお邪魔していいのだろうか……
見合いの席で露骨に私を嫌がっていた姿を思い出した。
帰れって塩を撒かれそうだ……


色ガラスの付いた重厚な扉を開けると、明るくて開放的な玄関ホールがあった。
左右に別れた両階段から、真っ白なフリルエプロン姿の異国の女性が降りてきた。
あれ…この女性って、今日会った貴婦人?
貴婦人も私に気付いて驚いた表情を見せた。


「貴光さん、私っ今日学校の帰りにこの方のイヤリングを拾って上げて……」
「知っている。母があんな時間から女の子が一人で帰るだなんて心配だと言うから、車で様子を見に行ったんだ。おまえ、英語が話せたんだな。」

「ええ…まあ。」

そうだったんだ。
こんな偶然てあるんだ……

……あれ?今…母って言わなかった?



「見合いの席にいたのは父の本妻だ。俺は妾の子だ。」



えっ、ええ───────っ!!

じゃあこの異国の貴婦人が貴光さんの本当のお母様なの?!
てことは貴光さんは半分異国の血が混じっているんだ……
どうりで最初に会った時からどこか異国の雰囲気が漂っているなと思った!

私があれこれと驚いている間に、貴光さんは私が今日からここに住むことになった経緯を英語で説明していた。
貴婦人の顔がパアッと明るく輝いた。

「よこそヒヨコ!わたしことは、ルーシーよんでくらさいっ!」

ヒヨコじゃなくてヒナコですと言うより先に、結構な力で抱きしめられてしまった。
ボリューム満点の胸に埋まって苦しい……


「母は日本語が不慣れだ。英語で話し相手になってくれたら助かる。」

「Think me to be a friend.」
そう言ってルーシーさんは可愛くウインクをした。
友達だと思ってって……



私が思っていた姑像とは余りにもかけ離れたルーシーさんに少し戸惑いつつも、これから始まるここでの新生活に心が踊った。

















部屋中に甘い香りが充満している……
もうすぐマドレーヌなるものが焼き上がるのだ。

西洋菓子作りは女学校でも少しだけ習ったことがあったけれど、失敗したのか固くて粉っぽくてとても食べれたもんじゃなかった。
ルーシーさんはお菓子作りが趣味らしく、いつも色々なお菓子を作っているらしい。

お菓子だけじゃない。
私がマフラーを編むのに手こずっていると、とても丁寧に教えてくれた。
おかげで難なく編めてしまった。


「It was made delicious!」

美味しく出来たわよ~と言ってルーシーさんが上機嫌でマドレーヌを天火《オーブン》から取り出した。
私はルーシーさんに言われ、食器棚からお皿と飲み物を入れるカップを選んだ。

この家には女中がおらず、家事は全部ルーシーさんが一人でしている。

別宅に運転手兼、力仕事をする柴田《しばた》さんという60代の人が住み込みで働いてはいるけれど、使用人といった感じではない。
ご飯の時なんかはルーシーさんが作った手料理を私達と一緒に食べるし、よく喋るし、親戚のおっちゃんといった方が近いのかもしれない。

ルーシーさんは柴田さんにもおすそ分けしてくるわねと言って別宅へと行ってしまった。
焼き立てが美味しいから先に食べときなさいと言われたけれど……
貴光さん、部屋で仕事をするって言ってたよね……

私は小皿にマドレーヌを取り分けて、貴光さんの部屋へと急いだ。



「雛子です。入ってもよろしいですか?」


少し間が空いてから入れと返事が返ってきた。
貴光さんの部屋に入るのは初めてだ。なんか緊張してきた。

「マドレーヌを作ったので貴光さんもいかがですか?」
「色仕掛けが無理そうだから食い物で釣ろうとでも思ったのか?」

相変わらず口が悪い。
まあその通りなんだけど……
机の上にマドレーヌを置いたのだけれど、じろじろとからかうように見られた。
本当、性格悪い。

貴光さんの部屋は和と洋が入り交じった大正ロマンス風で、所々に赤い色のある家具が置いてあって凄く素敵だった。
涼しげな青や透明、乳白色の氷コップが飾り棚にいっぱい並んでいるのだけれど…好きなのかな?

貴光さんは書類に目を通しながらマドレーヌを黙々と食べていた。
美味しいとは言ってくれないんだ……


同じ家に住んではいるものの、余り接点がない。
休みの日も貴光さんは部屋で仕事をしていることが多いし…夫婦ってこんなもんなの?
いや、まだ結婚はしていないから正式な夫婦ってわけではないのだけれど……

はっ、待てよ。
結婚したら私もこの部屋で寝るのかな?
貴光さんの部屋のベッドを見ると、西洋の華やかな装飾がされたとても立派なものだった。
そしたら毎晩あの大きなベッドで……そのっ………



「……ヒヨコ。そんなにベッドばかり見るな。」
「み、見てないですっ!」

不埒なことを考えてるのがバレてしまったかな。
恥ずかしいっ…体から変な汗が出てきた。

「あのっ、あの絵は誰ですかっ?」

話を逸らそうと壁に飾ってあった絵を指さした。
肖像画だろうか。その絵は油絵具で色鮮やかに描かれていた。
洋書の童話に描かれているような金髪に青い目の、まるで天使のような男の子が椅子に行儀よく座っている。
立体的で今にも動き出しそうだ……


「あれは俺だ。」


えっ……貴光さんの子供の頃を描いた絵ってこと?
貴光さんてどう見ても髪はブラウンだし、目は淡い灰色だよね……

「子供の頃は金髪で目が青かったんだ。」

貴光さんが言うには赤ちゃんの頃に金髪で目が青かったとしても、大人にかけて変化するのは珍しいことではないのだという。
不思議……
異国の国ってまだまだ謎だらけだ。


「今のお色も素敵ですが、子供の頃の貴光さんも見てみたかったです。」
よく見れば目元に面影があった。子供の頃から切れ長だったんだ。
見れば見るほど可愛い。すっごい可愛い。超可愛い……

「金髪に青い目なんてなにも良くない。見た目が違いすぎてどれだけ疎外されたか……」

これが目の前で動いてたら絶対抱きしめるよね?
頬ずりして愛でまくるかも知れない。


「あっ、貴光さんの子供なら金髪に青い目で産まれてきますよね?見てみたいっ。」


頬杖をつきながらじーっとこちらを見ている貴光さんと目が合った。



「さっきから俺を誘っているのか?」



はっ……
そうか…産むの私だ。

私ったら無意識とはいえなんて大胆なことを……
恥ずかしさで一気に真っ赤になり、逃げるように部屋から出ようとしたら腰に温かな感触がして引き止められた。
追いかけてきた貴光さんが後ろから私の腰に手を回してきたのだ。

な、なにっ……?


「忘れものだ。」


目の前に綺麗に平らげられたお皿を差し出された。

「す、すいません。」

お皿を受け取ったのに、貴光さんはまだ離してくれない。
やだっ…手の平が触れている部分が燃えるように熱くなってきた……


「……ヒヨコ。」


貴光さんが顔を近付けてくる…淡い灰色の目に、私が写っているのがはっきりと見えた。
心臓が、バクバクいって口から出そうだ。


「俺を誘いたいならもっと口説き方を勉強してこい。」


…………はい?

貴光さんは呆気にとられる私のおでこを指で弾いた。
どうやら私はからかわれていたようだ。
腹が立つのに、私の心臓は意に反してドキドキしたまま止まらない。


「疲れたから少し横になる。夕食時になったら起こしに来てくれ。」

貴光さんは気だるそうに上着とループタイを外し始めた。
脱ぐ仕草が妙にいやらしい……くっ、つい見ちゃう。
男なのに色っぽいとか反則だと思うっ。


「ヒヨコ。」
「は、はい!」

「寝込みを襲うなよ。」
「襲いませんっ!!」


もうっ!!
いちいち意地悪なことばっかり言うっ!!


貴光さんにとって私との結婚は人脈が欲しかっただけのものだ。
私なんか子供っぽくて、貴光さんが相手をするには物足りないのだろう……
でも、好き同士とまではいかなくても、心を通わせられたらと思うのは私のワガママなのだろうか?



ここに連れて来てくれて
すっごく嬉しかったのに──────


「一応…自分なりにお洒落も頑張ってるんだけどな……」




余り期待はしない方が良いとはわかってはいるけれども……



とても…虚しく感じた────────





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