【完結】忘れられた妻はこ草原の鷹にからめ取られる

文野さと@書籍化・コミカライズ

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48 故郷グリンフィルド 2

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 ミザリー達がグリンフィルドの領主館に到着したのは、午後も遅くなってからだった。
 冬の冷たい夕陽が山のにゆっくりと沈んでいく。山の向こうは東の国境、そして草原地方へと続いている。
「お嬢様!」
「ただいま、ベス! ただいま、マンリー!」
 出迎えた家令夫婦を、馬から降りたミザリーは駆け寄って抱きしめた。彼らは両親のいないミザリーにとって、使用人以上の存在なのだ。
「お待ちしておりました! よくお戻りに!」
「ええ。戻ったわ。早速だけど、お爺様には会える?」
「はい……ですが、短時間にするようにと、医師様から言われております」
「……そんなにお悪いの?」
「はい。お熱が上がったり下がったりで、体力の消耗が著しいのです。十日前にリンガー村からお運びした時には、もうだめかと思ったくらいで」
「なぜその時に知らせてくれなかったの?」
「わずかに目を覚ましたお館様に厳しく止められまして……ミザリーの仕事に水を刺すなと。でも、もう少しで内密の知らせを出すところでございました。今回の知らせは医師様に指示されたのです」
 つまりそれだけ悪いと言うことなのか。
「ケイト! 私に薬水やくすいを振りかけてちょうだい」
 ミザリーは外套を脱ぎ捨てると、背後のケイトに指示した。薬水にはさまざまな香油が混じっており、消毒の役目を果たす。
「はい! ただいますぐ」
 ケイトが用意していた霧吹きで、薬水をミザリーの手や顔に吹き付ける。
「お爺様! 今、会いに行きます!」
 住み慣れた屋敷の階段を、ミザリーは駆け上がった。
 グリンフィルドの館は、昔はとりでとして使われたそうだが、奥に広がる古い部分はほとんどが廃墟で、居住できるのは比較的新しい本館だけである。
 祖父の部屋は二階の奥だ。居室の居間には誰もおらず、奥に寝室がある。
「お爺様! ミザリーです!」
 重い扉の外から声を張る。すると中から医師が出てきた。ミザリーが子どもの頃から世話になっていた老医師である。
「おお、お嬢様! 戻られましたか! よかった」
「先生、ご無沙汰しております。お爺様の容態は?」
 ミザリーは医師に詰め寄った。
「今は比較的落ち着いていて、先ほど目覚められました。面会も大丈夫です。ただ、あまり長い間話さないないように」
「……わかりました」
 祖父の寝室からは苦い薬の香りが漂ってくる。奥の暖炉は赤々と燃え盛っており、走ってきたミザリーには熱いくらいである。
 祖父の大きな寝台は部屋の奥にあった。
「お爺様……!」
「ミザリーか」
 祖父はうっすら目を開いた。
 元は大きな人だったのだが、骨組みを残したまま肉が落ち、がったりとやつれている。顔色も良くない。
「ただいま戻りました。お加減は?」
「見た通りさ。わしも存外ぞんがいぽんこつのようだ」
「ぽんこつ……お爺様の好きな言葉ですわね。思ったより大丈夫みたいでよかったす」
 ミザリーはわざと明るく言った。
「思ったより早かったの」
「馬を飛ばしてきましたから」
 ミザリーは祖父の額に自分の指先を当てた。自分の指が冷たいのか、ひどく熱く感じる。
「子爵家の嫁御がお転婆なことだ」
「もうすぐ嫁ではなくなりますわ」
 ミザリーは思い切って言った。自分が隠し事をしても、祖父にはすぐに見抜かれるからだ。
「……知っておる」
「え?」
 ミザリーは目を見張った。祖父とは月に一度程度のやり取りがあったが、離縁に関しては一切伝えていなかったのだ。
「どうして……?」
「ユルディスが鷹を使って知らせてくれたからな」
 バルファスはにやりと笑った。
「……鷹?」
 
 そういえば、時々見かけたような……。
 都会では珍しいと思っていたのだけど……あれはユルディスの鷹だったのね。

「鳥を使って、ユールとやりとりしていたのですか? お二人は知り合いなの?」
「まぁな。お前の婚姻で初めてうた時から、何か通じるものがあってな」
「……」
 ミザリーの知るかぎり、彼と祖父が顔を合わしたのは、一度しかない。二年前の結婚披露宴の時が最初で最後だ。

 でも、言われてみれば、確かに二人は似ている部分が多いわ……。

「あやつは、たまに鷹を飛ばして、お前や子爵家の様子をわしに知らせてくれておったのだ。そら、その窓の外にあやつのくれた、飾り石がある。鷹はそれを目印にここまで手紙を運んでくれるのだ」
「っ!」
 ミザリーは一番大きな窓に駆け寄った。確かに外の壁には、風変わりな紋様の刻まれた石が打ちつけられてあった、窪みには赤や青の綺麗な石がはめ込まれている。それは草原地方の民が目印に使うものだった。
「お爺様」
「おや、怖い顔だな」
「婚礼の宴で、ユールに何を言ったのです?」
「話しかけてきたのは奴の方からだよ」
「……」
「お前は鷹の娘だと言っておった」
「鷹の娘?」
 そういえば、ユルディスがミザリーをそう呼ぶのを、何度か聞いたことがある。鷹は草原の民にとって神聖なものだ。
「どうして、お爺様はそのことを私に教えてくれなかったの?」
「わしが介入することでもなかろうが」
「でも……」
「はいそこまで!」
「せ、先生……」
 頃合いを見計らったように、医師が入ってきた。
「長話はだめだと言ったでしょうに。お館様も、あまりお嬢様をあおらんでくだされよ。いくら、からかいたくて仕方がなくても、あなたは病人なんですぞ!」
「うるさい爺いだわい」
 バルファスはにやりと笑った。
「爺いはお互い様ですわ。いいですか? あんなに心配されていたミザリー様もお戻りになったことだし、今日からは回復に全力を尽くしていただきますぞ!」
「わかったわかった。ミザリー、また明日話をしよう。あと、マンリーに、この秋の作物の出来高と、帳簿を見せてもらいなさい。わしはまた少し眠るよ」
「わかりました、お爺様。ゆっくりお休みください。明日の朝またきます」
 病を得ても、どこかしたたかな祖父を前に、ミザリーは少しほっとしながら微笑んだ。
「ミザリー」
「なんですか?」
「お前の顔が見られてよかった。しばらく居るが良い」
「はい。そのつもりです」

 廊下に出ると、ケイトとベスが待ち構えていて、元の自分の部屋に湯の支度ができていると言ってくれた。
 旅の疲労を感じていたミザリーは、ありがたくその申し出を受けることにした。旅を急ぐあまりに、ほとんど着替えもしていなかったのだ。
 久しぶりの自室は何も変わっていなかった。
 古くて華やかではないけれど、ぶ厚い壁が、夏の暑さからも冬の寒さからも守ってくれる。掃除も手入れも行き届いていて、何もする必要がない。
 衝立の影には、湯を張った小さめの浴槽が置かれている。湯にはたっぷり体を温める効果のある草野の束や、果実が浮かんでいた。
 入浴は一人ですます習慣のミザリーをおもんぱかって、誰も入ってこない。
 ミザリーは、脱いだ服を衝立にかけると、ゆっくりと湯に浸かった。
 階下の浴室と違って、足を伸ばすほどの大きさはないが、体を温めるのには十分だ。
 ここでは石鹸が使えないが、せめて髪をすすごうと体を沈める。膝から下が外に飛び出てしまうが構わなかった。
 貴族の婦人として、髪を結うために伸ばした髪は広がり、たっぷりと水を吸った。

 やっとここに帰ってきた……。
 私はどうして、あんなに一心不乱に頑張っていたのかなぁ。
 最初は確かにルナール様への想いゆえだったのだけれど。

 浴槽の底からミザリーは暗い天井を見上げた。
 既に陽は落ち、蝋燭ろうそくの灯りだけが水面に映り込んでいる。何もかも昔と同じだった。
 故郷は、時が止まっていたかのように変わらない。都と違って、野暮で重厚だけど、虚栄も気苦労もない。

 さて、そろそろ夕食の時間ね……

 ミザリーがそう思った時、蝋燭の光をさえぎる影があった。
「……っ!」
 驚いて体を上げた時、ぶつかったのは待ち構えていた男の唇だった。
 
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