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1巻

1-3

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「あ、立ち入ったことを尋ねてすみません」
「いいえ……古くからこちらに仕えている者なら知っていることですので……」
「先代の伯爵様は王都におられないのですか?」
「はい、ご領地におこもりでいらっしゃいます」
「オルフェーゼ様のお母様は?」
「それが……その……なんと言いますか……行方がわからなくて……」
「言いにくいことを、ごめんなさい。もう十分です」

 突然視線を泳がせたブリュノーさんの言葉を、私はさえぎった。申し訳ないので、これ以上は聞かないほうがいい。私は話題を変えることにした。

「それにしてもオルフェーゼ様は軍隊におられたのですね。なんだか不思議な感じです。あの方のご様子が軍隊とあまりに結びつかないので」
「北の国境の守備隊に入っておられたのですよ」
「そうなのですか? それは厳しそうですねぇ」

 平和なアルディアン王国といえど、北の守りの任務は厳しいと聞いていた。ディッキンソン伯爵の持つ華やかな雰囲気にはそぐわない。
 とはいえ、洗練された所作や美麗な外見のせいで見落とされがちだが、彼の持つ長剣は使い込まれたものだった。かなりの腕前に違いない。初めて会った時も、目くらましにいた木の葉に惑わされず、素早く迎撃姿勢を取っていた。あれは軍隊でつちかわれたものだったのか。
 ――一体どういう方なのだ?
 私はもう少し彼のことを知りたくなった。

「閣下のご趣味やお仕事は?」
「趣味はたくさんお持ちですよ。軍におられただけあって、剣術や体術がお達者ですし、乗馬もお好きです。手先も器用でいらっしゃいます。達筆でお手紙をまめに書かれますね。特にご婦人を喜ばせるのがお上手です」
「へぇー。さぞやいろんなご婦人とお付き合いがあるのでしょうねぇ?」

 私のかもし出す微妙な空気を感じ取ったのか、ブリュノーさんは小さな咳払いをした。
 別に彼が気を遣うことはない。私達の婚約は仮りそめのものだ。

「た、確かに旦那様はご婦人方に大変な人気がございます。しかし、紳士であられるので、決して今まで修羅――いえ、揉め事になったことは、ございません」
「そうですかー」

 けれど、ブリュノーさんの知らないところでは修羅場があったかもしれないのだ。もっともその部分は知らなくてもいいことなので、私は平坦な声で相槌あいづちを打った。

「お仕事は先代の後をおぎになって枢密院すうみついんにお勤めですが、お屋敷ではあまり仕事の話をなさいません。枢密院すうみついんは王室のもんかんですから、内密のことが多いのでしょう。そのせいか数日おきに王宮にお泊まりになられます。今夜も戻られないとか」
「そう……なのですか」

 そのお泊まりには、絶対仕事以外のものも交ざっているに違いない。エスピオンの勘だ。
 そしてその勘が当たっていたことは早々に証明された。


 ブリュノーさんに伯爵のことを聞いた翌日の深夜。私はどうも眠れなくて寝台を抜け出した。
 家では陽が昇る前に起き出し森の中で鍛錬を兼ねた狩りをするのが習慣だったし、夜は油の節約のため早めに休んでいた。それがこの屋敷に来てから、朝はゆっくりでほとんど屋敷から出ることもないので、全く疲れないのだ。
 このままでは、体がなまってしまう。いずれ悪徳公爵の屋敷に忍び込む機会があるかもしれないし、これ以上おとろえるのはまずい。
 私は寝間着ねまきを脱ぐと、家から持って来た偵察用の黒い服に着替えた。
 だいからそっと外に出る。空気はすっかり冷え込んでいて、温かい寝床から出た身に染みる。

「やっ!」

 私は近くの枝に跳び移った。今夜は半月が出ていて、足場がなんとかわかる。
 そのまま、とんとんと枝を移って、三階の張り出しから大屋根に上がった。この屋敷の全貌を見ておきたいと思ったのだ。

「やっぱり大きいなぁ……」

 敷地内の主な建物は三つ。私が今いる三階建ての母屋おもやと、馬車庫を兼ねた厩舎きゅうしゃ、奥に使用人の住居棟という構造だ。
 前庭と中庭、それらが月明かりに照らされている。夜の庭も美しい。やはりディッキンソン伯爵家は裕福なのだろう。
 視線を遠くに向けると、月光の下、王都全体が静まり返っているのが見えた。都の中央にある尖塔せんとうが浮かび上がり、優美だ。

「ん?」

 私が風景に見蕩みとれていると、向こうから黒い馬車がやって来た。一頭立ての小さな馬車だ。屋敷の門の外でまったそれから、一人の男が降り立った。馬車は男を置いて去る。
 ――誰だろう? もしかして賊?
 私は屋根から跳び下りて正面玄関のひさしの上に身をひそめた。月が雲に入ってしまい、相手の様子がよく見えない。
 男は合鍵でも持っていたのか、難なく大門の脇にある扉をくぐると、前庭を堂々と横切った。その悠々とした態度は深夜の訪問者らしくない。どうやら賊ではないようだ。
 そう思っていた時、月が顔を出し、噴水を背に歩く男を照らした。月明かりに男が顔を上げる。
 男はこの屋敷のあるじだった。

「へっ!?」

 月光を受けてたたずむ彼は幽幻な美を宿している。眼福だけれど、道徳的にはよろしくない。
 雰囲気からして、おそらくどこぞの美女の屋敷からの帰りなのだろう。彼は乱れた金髪をんだような仕草でかき上げる。これが昨日言っていた「夜間の外出」に違いない。それにしても、これから婚約しようという彼が別の人間と逢瀬おうせとは。

「うわぁ……」

 その声が聞こえたのか、ディッキンソン伯爵がこちらを向いた。はっと私は体を固める。
 ふっと彼の口角が上がった。笑っているのだ。綺麗で物憂いその笑みは、なんて魅力的なのだろう。彼はそのままひさしの下に消えた。

「さいってい……」

 思わず私の口からは言葉が漏れていた。そんなことを思う筋合いではないと知りながら。
 そのまま夜の散歩を続ける気にはなれず、私はさっさと自室に戻る。けれど眠りはなかなか訪れてはくれなかった。


「え? ご友人のお屋敷を訪問ですか?」

 私が屋敷に来て半月ほど経ったある日のこと。伯爵が友人宅を訪問すると言い出した。

「ああ。私の婚約者をそろそろ皆に知らせていかないとな」

 あの夜から、私はまともに伯爵と話をしていなかったが、今日は久々に夕食を共にしている。
 夜の鍛錬はなんだかけちがついた気がして、あれ以来していない。その代わり昼間に庭に出て走っている。

「どんな方なのでしょうか?」
「アンドレ・パッソンピエールといって、学生時代からの友人だ。以前説明した通り、お前のことは母方の遠縁、アシュレイ家の出だと伝えてある」
「はい」

 私は次の言葉を待った。

「お前の半月間の様子はブリュノーとジゼルから聞いている。そろそろその成果を試してみようと思ってな」
「試す? 何をですか?」
「お前の能力に決まっているだろうが」

 ディッキンソン伯爵はじろりと私を見据えた。顔の造作が整っているだけに結構な迫力だ。

「え!? は、はい。承知いたしました! 伯爵閣下」
「そのことだがな」
「なんでしょう? 閣下」
「……閣下はよせ」
「あ、呼び方のことですか」
「そうだ。仮にも結婚する相手のことを閣下と呼んではまずいだろう」
「では伯爵様と?」

 私は親しい関係の貴族の男女が、どう呼び合うかを知らない。

「それもないな」
「ない。では、なんとお呼びすれば?」
「名で」
「名?」
「いちいち復唱するな! 私のことはオルフェーゼと呼ぶがいい」
「む、無理です! おそれ多い!」

 思わず言い返してしまった。

「いいから呼べ!」
「で、では様をつけさせていただきます」
「……譲歩する」

 ディッキンソン伯爵はすっかり気を悪くしたようだ。けれどできないものはできない。様つきだってさらりと呼べるか不安だ。

「それで、ご友人宅を訪問されるのはいつでしょうか?」
明後日あさってだ。それまで毎日私を名前で呼ぶ練習をするように。私も付き合ってやる」
「え~」

 毎日こってり絞られるかと思うと、げっそりする。

「なんだ? 不服か?」
「いいえ、わかりました。でしたら、閣下……いえ、オ、オルフェーゼ様は私をなんとお呼びになるのですか?」
「ああ、そうだな。私はリースルと呼ぼう」
「……ですよね」

 私はこの貴公子――オルフェーゼ様の口から、自分の名が発せられたことにちょっと感動した。


 二日後、私達はオルフェーゼ様のご友人宅を訪問した。
 ご友人のパッソンピエール伯爵と奥様が、温かく私達を出迎えてくれる。

「久しぶりだな、オルフェーゼ。この度は婚約おめでとう。ちっとも知らなかったよ」
「ありがとうアンドレ、このところすっかり忙しくしていてな。報告が遅くなってすまない」
「本当だよ。君が婚約したと知らされてびっくりしていた。社交界きっての伊達男だておとこもいよいよ年貢の納め時か。さぁ紹介してくれ、花嫁となるご婦人を」

 私は恥ずかしそうな笑顔を作ってパッソンピエール夫妻に会釈えしゃくをした。そんな私の背中を、誠実な婚約者の振りをしたオルフェーゼ様が優しく支えてくれている。

「こちらは私の婚約者。リースル・アシュレイ嬢だ」
「こんな素敵なお嬢さんと親しいなんて、どうして教えてくれなかったんだ!?」

 ――素敵なお嬢さん? 私のことだろうか?
 褒められて、素直に嬉しい。今日の私の衣装は、ジゼルさんが張り切って着せてくれた秋らしい葡萄酒ぶどうしゅいろの服だ。あまり赤い色の服を身につけたことはなかったが、この色合いは上品ですっかり気に入ってしまった。胸のすぐ下で結ばれた帯がたくさんのひだを作りながら足もとに流れ、とても美しい。同じ布で作られた小さな上着も可愛らしいものだ。
 髪は毛を足して結い上げ、お化粧もしてもらったので、確かに普段よりは素敵になっている。
 パッソンピエール様にも褒められた。

「お召し物もとても似合っておいでですよ」
「ありがとうございます。嬉しいですわ」

 まんざら演技でもなく私は頬を染めた。パッソンピエール様の奥様も優しそうな人で、オルフェーゼ様と親しげに挨拶を交わされている。どうやらご夫婦揃って古い付き合いのようだ。
 パッソンピエール様はなおも私の顔をじっと見つめた。

「本当に素敵な方だ。他の令嬢達とはなんだか雰囲気が違うというか……」

 ――まずい、何か感づかれた? 庶民臭さがにじみ出てしまったのだろうか?
 私は身を縮こまらせた。とても顔を上げていられない。

「神秘的……うん、この言葉がしっくりくる……どこか謎めいて秘密めいている……」

 どうやら、貴族でないと見破られたわけではなさそうだ。

「うん。でも、オルフェーゼにはこんなお嬢さんがいいのかもしれないな。俺はお前がいつもなんで――いや、失礼」

 わざとらしい咳払いで、パッソンピエール様は語尾をにごした。
 多分彼は、オルフェーゼ様の女性遍歴を知っているのだ。その方々とは全く違う地味な私に驚いているに違いない。

「いや、その……すまない」
「うるさいよ、アンドレ。リースルは今まで病気がちで田舎いなかで静養していたから、王都のことはほとんど知らんのだ。社交界にも免疫がない。あまり困らせるようなことは言わないでやってくれ」

 ――おお! オルフェーゼ様が私を助けてくださっている! 
 私はつつましげに頭を下げた。

「リースル嬢、どうぞお許しください。親友の婚約があまりに嬉しくて、ついはしゃいでしまいました」
「リースル、すまないな。こういう奴なんだ」
「いえ、私、気にしておりません」

 正直に応えた。実際、オルフェーゼ様の好みより自分が地味なことは、わかりきっていることだ。特に気にはならない。

「さぁ皆様こちらへ。我が家自慢の秋の庭を見ていただきたいですわ。それから温かいお茶を召し上がってくださいな」

 頃合いを見て声をかけてくださった奥様の誘導により、私達は屋敷の中に迎え入れられた。
 それにしても、オルフェーゼ様の雰囲気の変わりように驚く。私の前ではいつも尊大な態度で自分のことを「私」と言っているのに、ここでは打ち解けた様子で、一人称も「俺」となっている。
 ――この人は家でも自分を作っているのだろうか?
 オルフェーゼ様の顔をうかがうように見上げるけれど、特に何も読み取ることができない。やがて私達は庭に案内された。
 奥様が丹精をこらしたという庭は、晩秋のぜいでとても綺麗だ。私達は他愛のない会話をしながら、秋の花や紅葉した樹木を眺める。奥様はおっとりと園芸のことなどを教えてくれた。私も知っている花のことを話す。その内に緊張がほぐれ、楽しくなってきた。
 オルフェーゼ様とパッソンピエール様は私達の少し前を歩いている。話が弾んでいるようだ。そんなふうに庭をゆっくり一回りした後、客間で内輪の茶会となる。
 そこで小さな事件が起きた。――いや、正確には私が起こした。

「あっ! 申し訳ございません」

 お茶のおかわりを注いでいた使用人が体勢を崩し、茶のしずくを私の上着にかけたのだ。彼女には気の毒だが、実はつまずきやすいようにこっそり敷物に私がしわを寄せておいた。

「なんとお詫びしてよいか……」
「構いません。屋敷に帰って染み抜きをいたしますから。でも、染みを落としやすいように、お部屋をお借りして少し布で叩いてもらってもいいでしょうか?」

 私は謝る使用人に微笑を向け、しばらく客間を失礼する許しを奥様に得た。
 使用人に案内された小部屋で、上着を脱いで預ける。このために上着のある服にした。きっと染みを薄めるのに十分くらいかかるはずだ。
 使用人は上着を抱えて仕事部屋に走っていった。さぁ、これでしばらくは一人になれる。
 私はするりと小部屋を抜け出し、廊下に出た。エスピオンの腕の見せどころだ。


「で、どうだった?」

 パッソンピエール様の屋敷を辞して家に戻ってすぐに、オルフェーゼ様は私に尋ねた。

「はい、ざっとこんなもんかと」

 私は用意していた大きな紙に、パッソンピエール様の屋敷の見取り図を描いてみせる。この訪問は、私の能力を証明するために計画されていたのだ。
 庭から見た屋敷の外観をもとに一人でこっそり内部を探索し、構造をさぐった。もちろん一階部分だけだが。

「おお、ほぼ合ってるな! 厨房ちゅうぼうや洗濯室まで!」
「はい。ですが、閣下のご友人のお宅をさぐるなんて、あまりよろしくないのでは?」

 下手をすれば友人関係が壊れてしまう。

「それはまぁそうだが、学生時代から行き来していて、あの家の間取りはほぼ知っている。何よりお前の能力を試すのに手ごろだったからな。奴には悪いが使わせてもらった」
「閣下は私を信用されてなかったということですか?」
「俺は自分で確かめたものしか信用せん」
「……そうですか」

 私は図面を細かく破りながら答えた。まあ、重要な任務を与える部下の能力を試すのは、あるじとしては当然だ。彼は合理主義者らしいので、なおさら。

「よし合格だ。お前の記憶力と探査能力は確かめられた。これなら使える。役に立ってもらうぞ」
「承知いたしました」

 ちぎった紙切れを暖炉に投げ捨てながら気がついた。
 先ほど、オルフェーゼ様は私の前で「俺」と言った。今まで「私」だったのに。これはどういうことなんだろうか?

「――で、だな。お前の初仕事だが」
「はい」
「毎年恒例の王宮行事の一つに、年越しのうたげがある」
「年越しのうたげ、ですか?」
「そう、王宮の三大夜会の一つだ。特別に招かれた者しか入れない。招待されるのは上級貴族と王室や政府に関わりの深い御用商人、役人だ。そこで我々の婚約発表をする」
「ええっ! そんな大層な場所でですか? 後からいろいろまずくならないですか?」
「我が家の地位を考えたら、このくらいで丁度いい。なに、ことが成就じょうじゅすれば、お前を再びじゅうとくな病気にでもして婚約を解消すればいいことだ」
「わかりました」
「……わかったのか?」

 オルフェーゼ様が、なんだか拍子抜けしたように答える。

「え? はい、わかりましたよ」

 大々的に発表しておいて破棄だなんてひどい扱いだけど、私は貴族社会で生きているわけではないので問題ない。

「ふぅん……まぁいい。それで、この夜会にはもちろんデ・シャロンジュも招かれる。彼に取り入ろうとするやからもやって来る。黒い噂の確信が欲しい」
「そこで、公爵を間近でさぐれと」
「察しがいいじゃないか。その通りだ」
「わかりますよ、普通」

 私は憎まれ口を叩く。オルフェーゼ様はこの程度のことで文句を言わない。

「奴は腹心の従者じゅうしゃと行動することが多い。公爵とよく似た背格好の男だ。重要な書類はこの従者じゅうしゃが持っていると思われる」
「なるほど、彼のほうにもさぐりを入れたほうがいいですね」
「――これは俺が用意した招待客名簿の写しだ。全部は覚えきれないだろうから、重要度で仕分けしてある。赤線を引いてあるのが公爵と親しい貴族、青線が商人、黒線が役人だ」

 私はりゅうれいな筆跡で記されたその紙を手に取った。
 そこにはたくさんの氏名が書かれ、貴族は身分別、商人は組合別、外国人は国別にきっちり分類されている。また、晩餐会ばんさんかいの席順や大広間の間取り、周辺の見取り図なども描かれていた。これを見ると、オルフェーゼ様にかなりの処理能力があることがわかる。

「意外です」
「何がだ?」
「あ、いえ。すごくわかりやすく整理されているなぁと思って……」
「わかりやすくしなければ、使えないだろう? お前には初めての場所だし」
「そうですね。ご配慮ありがとうございます」

 私は心から感心した。
 私も几帳面きちょうめんで報告書などはきちんと書かないと気がすまないたちだ。上司であるオルフェーゼ様と自分に共通点が見つかって、なぜか嬉しくなる。

「お前がきちんと仕事をしてくれなければ、俺が困るのだから当然のことだ」

 オルフェーゼ様は平然と言い放つ。それでもなんだか、私の心は少しほぐれた気がしていた。

「お前もこれから、俺の婚約者らしくもっと堂々と振る舞えるよう努力しなさい。今日は控えめすぎだったぞ」
「私は、田舎いなかそだちで体の弱い設定ですので、堂々としてはよくないのでは?」
「それはそれ、折り合いをうまくつけるのだ。あんまりおどおどしていると、きゅうていすずめ達の格好のになるぞ」
「それは避けたい事態ですね」
「ならば、夜会までに貴族らしい挨拶の一つもできるようになっておくんだな。俺はその間、情報収集をしておく」
「情報? それはご婦人から集めるのですか?」

 つい、ちょっとした嫌味を言ってしまった。

「ご婦人? まぁそれもあるが、なぜそんなことを聞く?」
「……いえ、別に」
「おや、我が婚約者殿はご不満かね?」

 オルフェーゼ様はなぜか楽しげになり、片方の眉を上げておどけた。

「いえ、どうでもいいことでした。……では、閣下の婚約者として恥ずかしくないよう、どんな衣装でも着こなし、難しい舞踏も踊れるようになっておきます」

 私は急に悔しくなり、むきになって宣言する。

「つくづく変な女だな、お前は」
「褒め言葉と受けとっておきますね」

 急にろんげに目を細めたオルフェーゼ様を私はまっすぐ見返した。
 彼の瞳は本当に綺麗だ。澄んだ翠色みどりいろこうさいの中に金色の粒が浮かび、宝石のよう。そして、意地悪で冷たい光を放つ。
 婚約者同士の見つめ合いには程遠ほどとおい、ほとんどにらめっこだ。先に目を逸らしたのはオルフェーゼ様だった。

「では、お手並拝見としよう。ばんさんまでまだ時間があるからな。お前の舞踏の腕前がどれほどのものか俺が相手をしてやる」
「え!?」

 私は、墓穴を掘ってしまったかもしれない。


 すぐにつれていかれたのは明るく火が灯された伯爵家の広い舞踏室だ。私はそこで優雅に貴婦人の礼をしてみせた。

さまになっているではないか」

 今の衣装は青い簡素な舞踏用の服。なんのかざりもなく、上半身はぴったりしているのに裾がふわりと広がっていて、練習にはちょうどいい。華美なものが苦手な私の趣味にも合う。
 舞踏会でもこんなあっさりした服でのぞめたら、少しは楽だろう。

「お前には青がよくえるな」
「ありがとうございます」

 オルフェーゼ様の意外な褒め言葉に、私は素直に頭を下げた。
 機嫌のいい時の彼は素晴らしい貴公子だ。声も深みがあって聞き惚れる。いつもこうだったらいいのに。

「流行の足取りは覚えたか?」
「なんとか」
「では、見せてみろ。ブリュノー」
「かしこまりました」

 背後からブリュノーさんの声がする。私は何気なく後ろを振り返ろうとし、オルフェーゼ様に止められた。
 肩をつかまれ向きを調整されると、彼と正面から目が合った。真剣なまなざしに、心臓が大きく跳ねる。
 ――どうしちゃったんだろう? 胸が変だ。

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