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37 過去がしばるもの 2
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半月後──。
神殿に設けられた自室で、ギーズは目を覚ました。
大きな窓から入る黄色い光線は、夏の終わりを告げている。彼が最初にここにきてから、季節が二つも進もうとしていた。
「お父様、お目覚め?」
「アラベラか……私はどのくらい眠っておった?」
「丸一日よ。ご気分は?」
「悪くはない。だが……水をいただこうかな?」
「待ってね。そのままで……」
アラベラはガラスの吸い飲みと布を父の口にあてがい、冷たい水を注いだ。
「どう?」
「ああ……生き返るようだ」
ギーズは掌を己の腹の上に当てた。
以前、癒術を施された時にも感じたが、その時よりも更に病巣が小さくなっているような気がする。
「お医者様のお話では、お父様のご病気は完全に治ることはないけれど、養生すれば当分は大丈夫だって……よかった!」
「そうか……」
父の胸に顔を埋めるアラベラをギーズは優しく撫でてやった。
「巫女姫様はどうしておられる?」
「また地下のお部屋にお篭りになっていらっしゃるの。だいぶお弱りになられて、他の巫女達がつきっきりのようよ」
「そうか……申し訳ない」
ギーズは深い息を吐いた。
無理もない。
初めて私に施術をなしてから、まだそれほど時が経っていないのに、立て続けに重症の兵士、レイツェルト、そして再び私に施術した。
残り少ない能力を、私のために注ぎ込んでくれたのだ。
巫女姫の祝福、つまり癒術とは、神樹の能力を変換させるため、巫女姫の体が媒体となる。物言わぬ樹木と共鳴するために、意識の深部まで集中するものだ。消耗が激しいのは当然だろう。
「申し訳ないことだ、巫女姫殿……私の最後のわがままだった」
「お父様……お父様は私がまだ子どもだから、長生きしようと思ってくださったのでしょう?」
「そうだ……私の願いはそなたの幸せだけなのだ、アラベラ。ときに」
「なぁに?」
「レイツェルト……氷王はどうしておる?」
「……知らない」
途端にアラベラは泣きそうな顔になった。
「レイが旅に出たのは知っているでしょう?」
「ああ」
半月前の謁見の後、マリュリーサは能力を磨き上げるために地下に篭り、巫女達以外とは会おうとしなくなった。
神官達の作り上げた組織は、全ての記録や文書を公開させられた上で解体された。その全てに背を向けて、レイツェルトは行方も告げず、消えてしまったのだ。
「そうか……だが、すぐにでも戻るだろう」
「それはほんとう!?」
「ああ、そんな気がする」
巫女姫が目覚められたのだからな……。
しかし、父として娘には、このことを伝えるわけにはいかなかった。
「よかった! お父様はまだ、レイに戦の褒美もあげていないのよ」
「そうだな。しかし氷王には興味のないことだ、あ奴の欲しいものは財や地位ではないだろう」
「お父様! 以前にもおっしゃっていたけど、レイが戻ったら、正式に私の婚約者として認めてくださる?」
「……アラベラ」
「お父様だって、そう願っていたのでしょう? それにレイはザフェル王家よりも古い、グレイッシュローズ古王国の血を引いているのよ、私の伴侶として申し分ないわ」
「そうだが、しかし……あの時とはちと事情が……」
「それに、私のひいお爺様は『石の薔薇』のご出身だって。前例があるのなら、誰も反対しない。ましてや、今回の戦の功績も大きいわ」
「……」
「お父様、反対なの? そう願っていらしたのではないの?」
「確かにな。あやつに欲があるなら何の問題もないのだが」
「欲?」
「そうだ。君主は家臣の欲を利用して国を治めるものなのだ。帝王学で学んだろう」
「それなら大丈夫だと思うけれど。レイはいつも戦で功を狙ってきたわ。それに私を見守ってくれているし、いつだって優しいもの」
アラベラは、レイツェルトの無関心な儀礼を、無邪気に愛だと信じている。アラベラを嫌っていないのはわかるが、彼は女子どもには冷ややかに優しいのだ。
実のところ、あやつが何を思うているのか、私にも完全にはつかみきれぬ……。
だがあやつとて、グレイッシュローズの血を引く人間だ、賭けてみる価値はある。あの男がアラベラを娶り、後継を授けてくれるのなら、これ以上のことはないのだから。
「ともかく、氷王の帰りを待つのだ。そして巫女姫殿の回復をな。お前はそれまで貴賓館で待つように。良いな」
ギーズはアラベラにそう告げた。
そして、更に二日後の夜明け前。
氷王レイツェルトが神殿に姿を見せた。
神殿に設けられた自室で、ギーズは目を覚ました。
大きな窓から入る黄色い光線は、夏の終わりを告げている。彼が最初にここにきてから、季節が二つも進もうとしていた。
「お父様、お目覚め?」
「アラベラか……私はどのくらい眠っておった?」
「丸一日よ。ご気分は?」
「悪くはない。だが……水をいただこうかな?」
「待ってね。そのままで……」
アラベラはガラスの吸い飲みと布を父の口にあてがい、冷たい水を注いだ。
「どう?」
「ああ……生き返るようだ」
ギーズは掌を己の腹の上に当てた。
以前、癒術を施された時にも感じたが、その時よりも更に病巣が小さくなっているような気がする。
「お医者様のお話では、お父様のご病気は完全に治ることはないけれど、養生すれば当分は大丈夫だって……よかった!」
「そうか……」
父の胸に顔を埋めるアラベラをギーズは優しく撫でてやった。
「巫女姫様はどうしておられる?」
「また地下のお部屋にお篭りになっていらっしゃるの。だいぶお弱りになられて、他の巫女達がつきっきりのようよ」
「そうか……申し訳ない」
ギーズは深い息を吐いた。
無理もない。
初めて私に施術をなしてから、まだそれほど時が経っていないのに、立て続けに重症の兵士、レイツェルト、そして再び私に施術した。
残り少ない能力を、私のために注ぎ込んでくれたのだ。
巫女姫の祝福、つまり癒術とは、神樹の能力を変換させるため、巫女姫の体が媒体となる。物言わぬ樹木と共鳴するために、意識の深部まで集中するものだ。消耗が激しいのは当然だろう。
「申し訳ないことだ、巫女姫殿……私の最後のわがままだった」
「お父様……お父様は私がまだ子どもだから、長生きしようと思ってくださったのでしょう?」
「そうだ……私の願いはそなたの幸せだけなのだ、アラベラ。ときに」
「なぁに?」
「レイツェルト……氷王はどうしておる?」
「……知らない」
途端にアラベラは泣きそうな顔になった。
「レイが旅に出たのは知っているでしょう?」
「ああ」
半月前の謁見の後、マリュリーサは能力を磨き上げるために地下に篭り、巫女達以外とは会おうとしなくなった。
神官達の作り上げた組織は、全ての記録や文書を公開させられた上で解体された。その全てに背を向けて、レイツェルトは行方も告げず、消えてしまったのだ。
「そうか……だが、すぐにでも戻るだろう」
「それはほんとう!?」
「ああ、そんな気がする」
巫女姫が目覚められたのだからな……。
しかし、父として娘には、このことを伝えるわけにはいかなかった。
「よかった! お父様はまだ、レイに戦の褒美もあげていないのよ」
「そうだな。しかし氷王には興味のないことだ、あ奴の欲しいものは財や地位ではないだろう」
「お父様! 以前にもおっしゃっていたけど、レイが戻ったら、正式に私の婚約者として認めてくださる?」
「……アラベラ」
「お父様だって、そう願っていたのでしょう? それにレイはザフェル王家よりも古い、グレイッシュローズ古王国の血を引いているのよ、私の伴侶として申し分ないわ」
「そうだが、しかし……あの時とはちと事情が……」
「それに、私のひいお爺様は『石の薔薇』のご出身だって。前例があるのなら、誰も反対しない。ましてや、今回の戦の功績も大きいわ」
「……」
「お父様、反対なの? そう願っていらしたのではないの?」
「確かにな。あやつに欲があるなら何の問題もないのだが」
「欲?」
「そうだ。君主は家臣の欲を利用して国を治めるものなのだ。帝王学で学んだろう」
「それなら大丈夫だと思うけれど。レイはいつも戦で功を狙ってきたわ。それに私を見守ってくれているし、いつだって優しいもの」
アラベラは、レイツェルトの無関心な儀礼を、無邪気に愛だと信じている。アラベラを嫌っていないのはわかるが、彼は女子どもには冷ややかに優しいのだ。
実のところ、あやつが何を思うているのか、私にも完全にはつかみきれぬ……。
だがあやつとて、グレイッシュローズの血を引く人間だ、賭けてみる価値はある。あの男がアラベラを娶り、後継を授けてくれるのなら、これ以上のことはないのだから。
「ともかく、氷王の帰りを待つのだ。そして巫女姫殿の回復をな。お前はそれまで貴賓館で待つように。良いな」
ギーズはアラベラにそう告げた。
そして、更に二日後の夜明け前。
氷王レイツェルトが神殿に姿を見せた。
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