朱に交われば紅くなる2

蒼風

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chapter.9

33.グローブとボールは先輩たちに借りた。

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 翌日。

「いやぁ~……ここ、一回使ってみたかったんだよね」

「楽しそうですね。一応言っておきますけど、今日の目的は西園寺さいおんじさんの特訓ですよ?」

「分かってる分かってる」

「分かってませんね……これは」

 なんだろう。

 なんだとおもいます?(再びの疑問形)

 一面に広がるのは人工芝。隣にはバッティングセンターが併設されている。平日の昼間ではあるが、楽しそうな声と、軽快な金属音が定期的に漏れ聞こえてくる。

 そう。ここはバッティングセンター併設のレンタルフィールド。

 広めのフリースペースに、併設されるブルペン。草野球人の練習から、元プロ野球選手の動画撮影まで、その使用用途は様々だ。

 紅音くおんたちはいま、運動部でもないのにも関わらず。このスペースを貸し切って使用している。
 
 ちなみに隣では「面白そうだから」といってついてきたあおい優姫ひめがのんきにキャッチボールをしている。どっから持ってきたんだそのボールとグローブ。君ら野球なんてやったことないだろう。

 紅音は額を抑え、

「一応聞くけど、なんでついてきた」

 葵と優姫は同時に、

「「面白そうだから」」

 観客か。

 物見遊山か。

 それにしてはきちんと運動する服装だなおい。

 葵が補足するように、

「ほら、葵ちゃんだって花も恥じらう乙女じゃない?だから、体重とか、結構気になるわけですよ」

 花も恥じらう?ボリボリかりんとうむさぼってたやつがなんだって?

 ただ、それとは別に、

「別にそんな太ってないと思うけどな」

 葵が見せつけるようにため息をつき、

「これだから非モテボッチは」

 黙れ変人幼馴染。

「これでもちょっと太ったの。だから、痩せなきゃ痩せなきゃってずっと思ってたのさ」

 かりんとう一袋食べつくしておきながら?

「んで、そんな時に特訓するために貸切るっていうから。これはもう渡りに船だなって思って、参加したってわけ」

「んで、そんなやる気満々みたいな恰好してるわけか」

「ふふん、いいでしょ。まずは形から入らないとね」

 と言いつつ豊満な胸を張る。それ、あんまり他所ではやらない方がいいよ。思春期男子の視線がくぎ付けになっちゃいそうだから。

 紅音が、

「まあいいか。葵が来た理由は分かった、んで、優姫は?」

「ん?暇つぶし」

 言い切った。

 言い切ったよこの妹。

 ただ、それだけではないようで、

「あー後はね~。ちょっと今言い寄られてて~それをかわすためもあるかも」

 紅音はがっしりと優姫の肩を掴み、

「誰?」

「いや、同じクラスの?」

「そいつはどんなやつ?性格は?見た目は?優姫のことをちゃんと見てる。顔だけじゃない?大丈夫?俺が間に入ろうか?」

 後ろから、

「うわっ、シスコンがいる!」

「話には聞いてましたけど……凄いですね、これ」

「ねー。まあ、私は慣れましたけど」

 うるさいぞそこの背景。ちょっと黙ってなさい。お兄ちゃん今大事な話をしてる最中なんだから。

 優姫は戸惑いながらも、


「……クラスは同じ。性格は……まあ悪くないと思う。サッカー部のキャプテンだし。私のこともずっと見てたって言ってるし……」

「サッカー部は駄目だ」

「駄目!?」

「第一運動部のキャプテンなんてものは信用ならない。うん。やめなさいな。お兄ちゃんからのアドバイスだ」

「ま、まあ、元からそのつもりだけど……っていうか、近い。離れて」

 やんわりと突き放される。まあ、いいだろう。優姫がその気じゃなければ、断ったりけむに巻くのは上手い方だ。

「ならいいんだが……さて、そろそろ練習を……あん?」

 視線を移した瞬間紅音の視界に映ったのは、

「シスコン」

「シスコンですね」

「でしょー」

 三人の何とも言い難い、湿った目だった。おかしい。紅音はただ、妹の身を案じただけなのに。

 そんな中月見里やまなしだけが、

「妹さんに優しいんですね、西園寺くんは」

 紅音は思わず彼女の肩に手を置き、

「ひゃっ!?」

「ほら、見なさい。この穢れ無き感想を。それをシスコンだとか、凄いですねとか、やめなさいよ、全く……」

 手を放す。

「あっ」

「さ、始めますよ。時間ないんですから」

 手を叩いて無理やり話を切り替える。このままだと無駄に時間だけが経過していきそうだ。


               ◇


「右は後付け?」

 それが、先輩二人の出した、一つの仮説だった。

 順を追って説明しよう。まずは葉月はづき先輩の見解だ。

 彼女は昨日、実際に女子ソフトボール部の活動を覗きに行ったのだ。

 幸運にも、その日の活動は紅白戦。陽菜ひなを含めた部員たちが二つのチームに分かれての実戦形式。実力を測るのにはもってこいだった。

 だが、

「どうも、本気を出していないように見えたんです」

 それが彼女の見解だった。曰く、打席でのフォームが余り綺麗ではなかったとのことなのだった。

 立っていた打席は全て右。葉月先輩の持っていた前情報は「エースで4番」くらいのものだったので、その打席には相当、違和感があったらしい。

 ただ、その謎は明日香あすか先輩と意見をすり合わせた際、すぐに氷解したらしい。その理由が、

「彼女、両打なんだけど、右打席……つまりは対左の対戦打率があんまりよくないんだよね」

 人間には当然右利きと、左利きがいる。そうなれば、投手にも右腕と左腕がいるのが必然で、それはソフトボールの世界でも変わらない。そして、球の出どころの関係上、右投手には左打者、左投手には右打者が有利である、という考えがある。

 もちろん、例外はある。

 左投手に強い、左打者もいれば、逆もまたしかり。必ずしも対角線が強いという法則は通用するわけではない。ないのだが、スイッチヒッター──両打のことだ──の陽菜は、その法則性にのっとって、投手によって打席を使い分けているようなのだ。

 だが、何事もそううまくはいかない。陽菜に関して言えば、左投手──つまりは右打席の成績があまり芳しくない。そして、それこそが「右は後付け」という結論を導き出した理由なのだ。

 葉月先輩は語る。

「結構いるんです。スイッチの打者でも、どちらかが後付けで、明らかに動きがぎこちない選手って。プロでもそうなのですから、アマチュアレベルとなると、いくら4番打者といえども、後付けとなる方はどうしてもうまくいかないんでしょうね」

 明日香先輩が続けるように、

「んで、スイッチだと、どちらかがミートで、どちらかがパワーに振ってることが多いんだよね」

「そんなことあるんですか?」

 首肯。

「ある。と、いうかスイッチでずっとやってる人って大体そうじゃない?」

 葉月先輩が何かを思い浮かべて、指を折りながら、

「……そうですね。確かに左の方がきれいな形をしたスイッチヒッターは多いですね」

「なんでなんだろうねぇ?」

「分かりませんよ、こればっかりは。私はスイッチじゃないですし」

「こんどやってみたら?左打席」

「やりませんよ。出来ないの分かって言ってるでしょう」

「やはは」

 あれ、これもしかして突っ込まないと話進まない?

 考えてみればそうだ。今紅音たちがいるブルペンには紅音の他、先輩二人しかいない。後の三人は芝生のところでキャッチボールをしている。

 紅音は疑問を挟む。

「でも、なんであいつはずっと右に立ってたんですかね?」

 葉月先輩が、

「恐らくは、苦手だからじゃないでしょうか」

「苦手だから……」

「ええ。紅白戦はあくまで練習ですからね。普段の公式戦では試せないことを試すっていうのも悪くはないんじゃないですか?実際のところは本人に聞いてみないと分かりませんけどね」

 明日香先輩が付け加えるように、

「あ、でもね。公式戦でも右だけで立ったりしてるみたいよ」

「そうなんですか?」

「うん。私もなんでだろうなーって思ってたんだけど、苦手だからなんだねー」

 やっとわかったよーと満足顔。

 葉月先輩がほっとした感じで、

「でもこれで大分勝算が見えてきましたね。あの感じならば、弱点を突けば一度くらいなら、」

 紅音は割り込むように、

「あ、多分右では立たないと思いますよ」

「アウトに……はい?」

 そんな意外そうな顔をしないでほしい。

 もしかして、あれ陽菜を、そんな手加減してくれる存在だと思ってたのか。そんなわけないじゃないか。

「だって、左打席の方が得意なんですよね?だったら、そっちで来ると思いますよ。俺も右投げですし。彼女がそんな手の抜き方しないと思います。本気で俺を打つつもりで来ると思いますよ」

「え」

 葉月先輩は暫く固まり、

「……貴方。そんな無謀な勝負を挑まれたんですか?」

「そうですけど?」

 葉月先輩は更に暫く固まった上で、一つため息をついて、

「…………貴方、彼女に何をしたんですか」

 心外である。

 別に大したことなど何もしていない。したことと言えば、試験の結果で勝ち誇ったあげく散々煽って来た陽菜相手に、次からの試験で全勝し、その結果発表の旅に煽り返していただけ……あれ、意外と大したことしてるのか?

 それはともかくとして、

「別に大したことはしてないですし、今大事なのは対策でしょう。苦手なコースとか、そういうのを検討した方がいいんじゃないですか?」

 やや強引に話題を変える。

 そんな紅音の意図を知ってか知らずか、明日香先輩が、

「そう。それなんだけどさ。どうも彼女、変化球全般に弱いっぽいんだよね」

 紅音が、

「変化球っていうと、あれですか。外のスライダーにくるくるしちゃうんですか?」

「そうそう、外スラクルクルニキなの」

 葉月先輩が額に手を置いて、一つ息を吐き、

「……表現が気になりますけど……まあいいでしょう。確かに、彼女の打席を見ていると、フォーシーム……ストレートのタイミングで待っているような気配がありましたね。もちろん、それにしか手を出さないわけではなさそうでしたけど」

 明日香先輩が、

「それならなおさらだね。変化球でくるくるさせるのが一番ってことじゃん」

「それはそうでしょうけど……西園寺さんに変化球なんて、」

「あ、投げられるかもしれませんよ?」

「投げられ…………はい?」

 信じられないものを見るような目。

 紅音は続ける。

「や、だから変化球ですよね?投げられるかもですよ?そんなに何種類もは無理ですけど」

 明日香先輩が疑問をぶつける。

「投げられるかもって……この間は投げてなかった気がするんだけど」

 紅音が淡々と、

「そりゃあまあ、あの時は流石に無理ですよ。でも、ほら。あの後少し時間があったんで。自分なりに調べて、ちょっとだけ練習してみたんですよ。もちろん、実戦で使えるかどうかは、これから試してみないと分からないですけどね」

 沈黙。

 やがて、明日香先輩と、葉月先輩が顔を見合わせたのち、二人で頷いて、

ねえ、西園寺西園寺さん。野球やろうよをしましょうよ

 再びの勧誘、だった。

 いや、これから野球はやるんだけどね。
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