死神と姫君

小田マキ

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 飛行帝国クラウディア跡地は、かつて砂漠だったキルギスにある。今は鬱蒼と緑が生い茂り、空気もしっとりと水分を含んでいて、しばらく馬を走らせただけで外套が湿って重くなる。砂漠から密林に姿を変えたそこは今、亜熱帯植物のるつぼだった。
 僅かな魔力と、生命力に満ち満ちた木々や植物は、ここでしか見られない。大振りの毒々しい深紅の花は薄い霧状の水蒸気のような胞子を飛ばし、半透明な花弁を持つ釣り鐘状の花は微かに発光して周囲を照らす。巨木の幹を蛇のように這う蔓草は、風もないのに蠢いている……そのどれもが、この先に進むなと警告を発しているようだ。
 禁域に定められたのは、クラウディアのただ一人の遺児である、皇女フェダへのサスキアの心配りだ。毒々しい外見とは裏腹に、すべての植物に毒性はない。それでも、クラウディア皇帝の無念が乗り移ったかのように狂った生態系が、怪異を感じさせる。
 まるで意志を持つような植物は、禁域を犯した者達のなれの果てである……そんな呪わしい噂がエリアスルートに蔓延し、まともな神経の者は近付かなかった。何よりも、今さら凄惨な戦いの悪夢を見たくはないのが現実である。
 動く蔓草に戒められ、錆びついた門扉を乗り越えて遺跡内に入れば、体感気温がガラリと変わる。天蓋のように空を覆う蔓草達が強い日差しを和らげ、湿気も少なくなった。
「お前が落ちてきたところに行ってみるか?」
「……それって当てつけ?」
 リィンの言葉にフォルセリーヌは小さく眉を顰めるが、彼が歩き出せば、素直に後ろに続いた。
 緑で覆われた五階建ての吹き抜けの建造物が何の役割を果たしていたか、今となっては知るよしもない。三階の空中に迫り出した一角、恐らくバルコニーであっただろう部分に、リィンは片膝を突く。
「どうしたの?」
「……ここには何度か来ているのか?」
 フォルセリーヌの呼びかけに、リィンは振り返らずに問いを返した。
「ええ、ここに腰掛けて景色を見るのが好きなの。屋根の上まで登った後にいつも来るんだけど、あの日はたまたま貴方が立っているのが見えて……言い訳に聞こえるかもしれないけど、いつもなら足を滑らせるなんてドジはしないのよ」
「……そうだろうな」
 頷くリィンの声は、酷く硬くなっていた。
「リィン?」
「人の手で細工した跡がある」
 様子のおかしくなった彼に呼びかけると、予想もつかない言葉が返る。
「……っ……それって、……どういうこと?」
「どうしてもお前に死んでほしいと思っている人間がいるということだ。どこでどうことを運べば確実かつ後で露呈もしないように実行できるか……お前の行動をつぶさに監視していたのだろう」
 リィンの言葉に、フォルセリーヌは蒼褪める。あの時、この場所で……もし彼がいなければ、自分は命を落としていたのだ。

「素晴らしい! まさにその通りだ」

 音をなくした空間に、不釣り合いな明るい声と疎らな拍手が響き渡る。
「来たな、何と言ったか……フール家の馬鹿息子」
「……っ……、口のきき方を知らない男め!」
 想定の範囲内と言った様相で振り返ったリィンが発した台詞に、綺麗な面立ちが醜く歪んだ。フール家の馬鹿息子ことへスターの後ろには、十数人からの男がいる。その手に抜き身の剣を握り、揃いも揃って性質の悪そうな人相をした彼らは、金に飽かせて集められた荒くれ者達だろう。
「ヘスター……貴方が、本当に?」
 信じられないというような声音が、フォルセリーヌの口を衝く。仮にも自分に求婚していた男に向けられた紛れもない殺意に、傍らに立つ小さな身体は小刻みに震えていた。
「お前のような傷物に、この私が本気で求婚すると思ったか?」
 取るに足らない男が発した言葉に、僅かに傾いだ身体を、リィンは腕の中に抱き止めた。見上げてきた虚ろな黒い瞳に、心の奥底からどす黒い何かが湧き上ってくる。
「持っていろ、もう必要ない」
 腕に巻きつけていたレジストールを通した組紐を外し、フォルセリーヌに押しつける。彼女の瞳に映る自らの顔からは、不自然なほどに感情が抜け落ちていた。
「……どう、するつもりなの?」
「しばらく目を瞑っていろ、この先は……お前は見ない方がいい」
 何かを察し、怯えるように問いかけてきたフォルセリーヌから、リィンは身を離した。
「はっ、ここから生きて帰る気か? 階段はこちらにしかないぞ、お前も王女も飛ぶことはできないだろう!」
 そんなリィンの言葉を聞きつけたヘスターが、さも愉快そうに声を上げて笑う。耳障りな声に、目の裏がチリチリと熱くなった。自らの意志で手放したものが、蘇ってくる感覚……今はそれを拒まない。
「死神の前に翼など無意味だ……我が手に戻れ、イシュトレイグ!」
 人の気を消し去ったリィンは、虚空に手を伸ばして彼の者の名を舌に乗せる。
 ドクンと空気が脈打つ……全身が泡立つようなその感覚に、彼以外の者は得体の知れない重圧に身体が竦む。煌々と光の差し込む視界で、陽炎のようにその姿が揺らぎ、自らを中心に溢れ出す闇。

『仰せのままに』

 伸ばした腕に向かい、空間を切り裂いて現れた禍々しき長剣は、その意思を声に乗せた。
「まさかっ、嘘だ……そんな筈はっ!」
 信じられない情景を前に、先ほどまでの威勢はなりを潜め、ヘスターは上擦った声で叫ぶ。
 かつて地上を震撼させた稀代の死神、ディゾ・リーリング。闇と血に違えた双眸、色の抜け落ちた髪、死神の剣……当時を取り戻した彼が解き放った圧倒的な鬼気を前に、すべての人間がその存在を認めた。
「害する者はすべて潰す、命が惜しくば失せろ」
 そう口にした彼は、もはや人ではなかった。呪わしい伝説そのものなのだ。
「冗談じゃねぇっ!」
 金で集められた寄せ集めの集団は絶叫し、一斉に階段に詰めかける。
「待てっ……お前達!」
「うるせぇっ、付き合ってられっか!」
「金の問題じゃねぇんだよ!」
「死にてぇなら、てめぇ一人で死にやがれ!」
 統率を失った集団に飛んだへスターの叱責も、ディゾ・リーリングを前には何の抑止力にもなり得なかった。競うように階下に駆け降りる者、翼を使って窓から飛び立つ者……あっと言う間に、彼は一人取り残される。
「お前は、簡単に死ねると思うな」
「ひぃっ……!」
 鼻先に突きつけた死神の剣に、へスターは金切り声を上げてその場に尻もちを突く。圧倒的な恐怖心に、腰が抜けたようだ。
「助っ……た、助けっ……!」
「無力な幼子の翼を奪っておいて、お前は無様に命乞いかっ!」
 もつれた舌が必死に紡いだ音は、さらにディゾの怒りを煽っただけだ。
「私じゃないっ! それは父がっ……!」
 振り上げられた死神の剣……へスターは、血を吐くような絶叫を上げた。
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