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彼の言い分・1
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私はハリュート、生粋のキャバルスにして軍馬だ。主はダグリード侯爵家当主であるフォーサイス……彼は、非常に誇り高い。それに見合うだけの実力があり、常人には真似できない努力をしているのを知っているので、別段それが気に障るわけではない。彼を知り、仕える者達の中、それを認めない者はいない。
ただ、色恋に関してはまったく柔軟性に欠ける。騎士団の任務中にはあれだけ臨機応変に指揮がとれるというのに、こちらの方面にははなはだ頭が固い。固過ぎるといっても過言ではないだろう。
先頃、ダグリード邸に迎えた婚約者殿に対する彼の仕打ち……あれはなかろうよ。職務を離れて厩舎に戻り、仲間と語らうひとときには必ずその話題が出る。五年前に巻き込まれた盗賊事件でその命を救われたエクウスは、特に憤っていた。
ブルーデンスと名乗り、髪と目を銀色に戻し(その身にまとわりついていた魔導の香が消えていたので、多分こちらが本来の色なのだろう)、装いも雷龍隊の軍衣から瀟洒なドレスになっていても、私の目は欺けない。魂から滲み出す色と香は、どれだけ偽装を施しても消せはしないのだ。出逢いから五年、家族以上に長く過ごし、容易に絶つことのできない固い信頼関係を結んできたはず……それなのに、なぜに気付けないのか。
人間とは、本当に面倒な生き物だ。ほんの些細な外見の差異に目を奪われ、ブルースの本質に気付けなかった彼にはがっかりした。彼女に寄せた信頼、友情は、そんなにも薄っぺらなものだったのか。あっさりと見過ごした上、蔑ろにするとは何とも嘆かわしい。ブルースを捜して、連日帰宅が深夜になるという現状にも呆れ果てる……屋敷に帰れば、そこにいるというのに。
ここは、私が動くしかあるまい。主の誤りを正すのも我らの使命なのだから。
* * *
ブルーデンスがやって来てから、早二週間が過ぎた。
相変わらず彼女とフォーサイスとの仲は最悪だ。何度も呼びかけたが、私の声は彼の心にまったく響かなかった。ブルーデンスがブルースであると気付かせるために、毎朝バルコニーに現れる彼女の姿を告げても、フォーサイスは見当違いな疑念を抱くだけだった。
昨夜は王城ディオランサで舞踏会があったらしい。馬車を率いたのはエクウスで、彼から聞いたところによると、何か事件があったようでブルーデンスはそこで負傷してしまったのだとか。しかも、その事件には忌々しいトゥリース伯爵家の令嬢ゴーシャが関係しているとのことではないか……あの女には、私自身も幾度となく不愉快な思いをさせられている。トゥリース邸を訪れた彼を長く引き留めるために、睡眠薬入りの飼い葉を食わされそうになったり、蹄鉄を傷つけられそうになったり。すべて未然に防げたからよかったものの、フォーサイスには早くあの魔物女と手を切ってもらわねば困る。
話が少々横道にそれたが、とにかく長年尽くしてくれた副官に報えぬばかりか、昏倒するほどの傷を負わせるとは何事だ。馬と人の、言語中枢の違いがこれほどにもどかしいと思ったことはない。どんなに強く叱りつけても、この声は彼の耳に「ヒヒーン」としか聞こえてくれない。十年近いつき合いだというのに、なぜに察してくれないっ……ああ、人語が話せれば。
「ハリュート……どうした? このところ機嫌が悪いな」
誰のせいだと思っている、誰のせいだと!
「痛っ……何をする!」
少々強く噛み過ぎたか? いや、もともと血の臭いがしていた。怪我なぞいつの間にしていた、珍しい。しかし不味い血だ、血に混ざって何か金属粉のようなものが……
いや、今はそんなことはどうでもいい。怪我もしているなら丁度いい、今日は屋敷にいろ、ブルーデンスが目覚めたそのとき傍らにいなくてどうする。今までの不義理を土下座して詫びるのだ、土下座っ……こらー、どこに行くか!
「ジャービスっ、馬車の用意を」
「はっ、しかし……お手は大丈夫ですか?」
「……大丈夫じゃないから、馬車を使うんだろうが」
「もっ、申し訳ありません! ただちに準備をっ……」
あーっ、本当にもどかしい!
* * *
近代稀なる下手を打った……ああ、まさか私があのような失態を犯してしまうとは。
人語が話せないことがここまでの障害をもたらすとは、できることなら今すぐにでも腹掻っ捌いて詫びたいくらいだ。この狭い馬房に繋がれた状態ではどうにもならんがな……フォーサイスどころか、異変に気付いて厩舎を訪れたブルーデンスまで、屋敷を飛び出していってしまった。すべては我が不徳の致すところ、怒りに駆られて噛みつくなどと子供じみたことをするのではなかった。あのとき、私のたてがみに付着した金属粉は一体何だったのだ?
ブルーデンスが平静を失ったのは、あれを確認してからだ。彼女はフォーサイスを助けると言っていた。主を陥れようと目論む悪漢のもとへ向かったのだろうか?
まだ病み上がりの身体、たった一人で。
済まない、エクウス、力いっぱい踏みつけてもらえまいか……なに、気色悪いから断るだと? ……まあ、そうだろうな。私が同じ立場でもそう答えただろうよ。ああ、何と不甲斐ないことか。
結局、私には祈ることしかできないのか……全知全能なる七神よ、我が身はどうなっても構わない、どうか無事に二人を。
ただ、色恋に関してはまったく柔軟性に欠ける。騎士団の任務中にはあれだけ臨機応変に指揮がとれるというのに、こちらの方面にははなはだ頭が固い。固過ぎるといっても過言ではないだろう。
先頃、ダグリード邸に迎えた婚約者殿に対する彼の仕打ち……あれはなかろうよ。職務を離れて厩舎に戻り、仲間と語らうひとときには必ずその話題が出る。五年前に巻き込まれた盗賊事件でその命を救われたエクウスは、特に憤っていた。
ブルーデンスと名乗り、髪と目を銀色に戻し(その身にまとわりついていた魔導の香が消えていたので、多分こちらが本来の色なのだろう)、装いも雷龍隊の軍衣から瀟洒なドレスになっていても、私の目は欺けない。魂から滲み出す色と香は、どれだけ偽装を施しても消せはしないのだ。出逢いから五年、家族以上に長く過ごし、容易に絶つことのできない固い信頼関係を結んできたはず……それなのに、なぜに気付けないのか。
人間とは、本当に面倒な生き物だ。ほんの些細な外見の差異に目を奪われ、ブルースの本質に気付けなかった彼にはがっかりした。彼女に寄せた信頼、友情は、そんなにも薄っぺらなものだったのか。あっさりと見過ごした上、蔑ろにするとは何とも嘆かわしい。ブルースを捜して、連日帰宅が深夜になるという現状にも呆れ果てる……屋敷に帰れば、そこにいるというのに。
ここは、私が動くしかあるまい。主の誤りを正すのも我らの使命なのだから。
* * *
ブルーデンスがやって来てから、早二週間が過ぎた。
相変わらず彼女とフォーサイスとの仲は最悪だ。何度も呼びかけたが、私の声は彼の心にまったく響かなかった。ブルーデンスがブルースであると気付かせるために、毎朝バルコニーに現れる彼女の姿を告げても、フォーサイスは見当違いな疑念を抱くだけだった。
昨夜は王城ディオランサで舞踏会があったらしい。馬車を率いたのはエクウスで、彼から聞いたところによると、何か事件があったようでブルーデンスはそこで負傷してしまったのだとか。しかも、その事件には忌々しいトゥリース伯爵家の令嬢ゴーシャが関係しているとのことではないか……あの女には、私自身も幾度となく不愉快な思いをさせられている。トゥリース邸を訪れた彼を長く引き留めるために、睡眠薬入りの飼い葉を食わされそうになったり、蹄鉄を傷つけられそうになったり。すべて未然に防げたからよかったものの、フォーサイスには早くあの魔物女と手を切ってもらわねば困る。
話が少々横道にそれたが、とにかく長年尽くしてくれた副官に報えぬばかりか、昏倒するほどの傷を負わせるとは何事だ。馬と人の、言語中枢の違いがこれほどにもどかしいと思ったことはない。どんなに強く叱りつけても、この声は彼の耳に「ヒヒーン」としか聞こえてくれない。十年近いつき合いだというのに、なぜに察してくれないっ……ああ、人語が話せれば。
「ハリュート……どうした? このところ機嫌が悪いな」
誰のせいだと思っている、誰のせいだと!
「痛っ……何をする!」
少々強く噛み過ぎたか? いや、もともと血の臭いがしていた。怪我なぞいつの間にしていた、珍しい。しかし不味い血だ、血に混ざって何か金属粉のようなものが……
いや、今はそんなことはどうでもいい。怪我もしているなら丁度いい、今日は屋敷にいろ、ブルーデンスが目覚めたそのとき傍らにいなくてどうする。今までの不義理を土下座して詫びるのだ、土下座っ……こらー、どこに行くか!
「ジャービスっ、馬車の用意を」
「はっ、しかし……お手は大丈夫ですか?」
「……大丈夫じゃないから、馬車を使うんだろうが」
「もっ、申し訳ありません! ただちに準備をっ……」
あーっ、本当にもどかしい!
* * *
近代稀なる下手を打った……ああ、まさか私があのような失態を犯してしまうとは。
人語が話せないことがここまでの障害をもたらすとは、できることなら今すぐにでも腹掻っ捌いて詫びたいくらいだ。この狭い馬房に繋がれた状態ではどうにもならんがな……フォーサイスどころか、異変に気付いて厩舎を訪れたブルーデンスまで、屋敷を飛び出していってしまった。すべては我が不徳の致すところ、怒りに駆られて噛みつくなどと子供じみたことをするのではなかった。あのとき、私のたてがみに付着した金属粉は一体何だったのだ?
ブルーデンスが平静を失ったのは、あれを確認してからだ。彼女はフォーサイスを助けると言っていた。主を陥れようと目論む悪漢のもとへ向かったのだろうか?
まだ病み上がりの身体、たった一人で。
済まない、エクウス、力いっぱい踏みつけてもらえまいか……なに、気色悪いから断るだと? ……まあ、そうだろうな。私が同じ立場でもそう答えただろうよ。ああ、何と不甲斐ないことか。
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