至急、君との交際を望む

小田マキ

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 ミュラーリヤ第三弓騎兵隊隊長であるクラリス・ヴィアッカは疲労困憊した身体に鞭打ち、騎兵隊本部の廊下を足早に進んでいた。疲れ果てていてもそこは武官、足音をほとんど立てない彼女の若干砂塵で汚れた白い顔、洞窟のような黒い双眸からは、常よりも二割増しで表情が欠落している。起毛の赤絨毯の上を音もなしに進む漆黒の軍服姿、その背に負った緩く弧を描く白銀の長弓は、大鎌の刃を携えた死神さながら。すれ違う同僚達は、その姿を認めると総じて一瞬足を止め、振り返っていた。
 クラリスの部隊が五日前から就いていた任務は、第一級殺人罪に問われる咎人の護送だった。初めて経験する任務ではない。マコーニー砂漠のど真ん中に位置するボーンズ収容所への経路、地形も熟知していた。単独での犯行に及んだ咎人には、奪還のために奇襲をかけるような仲間も存在しない。任務自体には、何ら問題が起ころうはずもなかったのだ。
 ゆえに、彼女の疲労の原因は身内に引き起こされたものだった。此度の任務の指揮官はクラリスではなく、色ボケ少将……失敬、チュモニック少将が往復十日の工程を、愛人会いたさで半分に繰り上げたせいだ。
 大幅な迂回になると言って、立ち寄るはずだった中継地点のオアシスは三つ削られ、砂漠の足である砂蜥蜴達さえ暑さに疲弊していた。その背に据えられた砂防テントで三日揺られた咎人は、熱中症に罹ったらしく目を回して泡を吹いた。収容所に到着して息を吹き返すと、不当待遇で訴えるだなんだと喚いていた……随分元気なことだ。ろくに休みも取れず、同じ経路を取って返すクラリス達は半分も聞いていなかったし、知ったことではなかった。
 とにかく、何ら変哲のない任務は思い掛けない死の行軍となったのだ。職権乱用も甚だしく氷と飲料水を独り占めした色ボケ少将は、一度も砂蜥蜴の背から下りず、多少日焼けしたものの、健康そのもの転がるように愛人宅へと向かった。クラリスは熱中症すれすれに参っている部下達を有無を言わさず兵舎医務室へ連行した後、くたびれ切った身体で作成した報告書(色ボケに押し付けられた)を手に、本部へ一人戻ってきたという訳である。
 一刻も早く提出して休みたい。クラリスはその一心で、赤絨毯の上をふかりふかりと進んだ。

「クラリス・ヴィアッカ少尉」

 消耗著しい彼女の気も知らず、背中から呼び止める声がする。
 耳慣れるほどではないが、一度聞けばそうそう忘れられない低音の調べをクラリスは振り返った。表情のなかった顔には、胡乱な色が乗っていた。
「……シャトリン大佐」
 その名を確認するように舌に乗せ、クラリスは蟀谷の横に手を上げ、敬礼する。右眉を僅かに跳ね上げ、同じように敬礼を返しながら、彼は大股で近付いてくる。目の前に立ち、首を傾げて見下ろされると、体格差が際立った。
 女だてらに部隊長を務めるクラリスは決して小柄ではなかったのだが、あくまで女性としてはの話である。一般男性よりも頭一つ抜きん出たシャトリンの前では、まるで非力な小娘のような心持ちになる。両腕を背中で組み、精一杯背筋を反らして暗灰色の目を見返していると、虚勢を張っているようで、どうにも極まりが悪かった。
「本部から、こちらへの帰還はまだ五日先だと聞いていたが」
 決して血色が悪い訳ではないが、サリュート人特有の仄かに青味がかった眦に小さく皺を寄せ、彼は丁寧に問うてくる。末は大将、はたまた元帥かとの呼び声も高い彼は竜騎兵隊きっての選良。サリュート人である母親譲りの恵まれた体格だけでなく、恐ろしく頭も切れるという噂は事実のようだ。他部隊の士官の任務まで頭に入っているらしい。
「チュモニック少将の指示で、工程が半分に繰り上がったんです」
 丁寧だが、どこか威圧感を感じる口調に、クラリスは慎重に言葉を選んだ。まるでこちらの事情の全てを見透かされているようにまっすぐな視線に、鼓動が駆け足を始める。
 もしや、すでに囚人からの苦情が本部に届いていたのだろうか?
「そこまで急がせる必要はなかったはず、それでは砂蜥蜴達も暫く使い物にならない」
 予想とは違っていたが、咎めるような指摘をされて、クラリスは舌打ちをしたくなる。シャトリンの言った通り、自分だって何度も色ボケを諫めようとしたのだ。疲れによる苛立ちで、いつもより幾分沸点が低くなっていた彼女は、挑むように彼を見返した。
「どこの馬の骨とも知れない下賤な商家の女の分際で、上官に楯突くとは何事だ。戻れば不敬罪で訴えてやる」
「ヴィアッカ少尉?」
 感情を一切挟まず発した台詞に、シャトリンが右眉を小さく跳ね上げる。
「今仰ったのと同じことを進言して、少将から頂戴した言葉です。また、護送中に暑さで参った囚人が熱中症で倒れました。収容所から本部に苦情が届くやもしれません。それも、下士官の分際で少将に意見した私の責任です。全てはこの報告書の認めております。確認されますか?」
 八つ当たりに違いない言葉をぶつけられても、彼はそれ以上表情を崩さなかったが……。
「了解した、その報告書は私から本部に提出しておこう。君は一刻も早く休むといい」
 クラリスの手から書類をもぎ取るように奪うと、もう一方の手で血色の悪い彼女の頬を撫でる。こびりついていた砂塵を払われたのだと気付いた時には、彼はすでに踵を返していた。
「……ああ、そうだった」
 ただし、数歩進んだ後、シャトリンは呼び止めた当初の目的を思い出したと言うように、瞠目して固まる彼女を振り返った。
「クラリス・ヴィアッカ少尉。至急、君との交際を望む。返事は五日後、またこちらから伺う……では、ゆっくり休むように」
 まるで事務連絡を下すように、とんでもない爆弾発言を投げて寄越したシャトリンは、現れた時と同じように唐突に去っていく。

 一人取り残されたクラリスは、帰りの遅い彼女を心配して探しにきた部下達が発見するまで、石像の如くその場に立ち尽していた。
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