ヴァルキリーレイズ

tes

文字の大きさ
上 下
1 / 33

序笑 : 神降臨

しおりを挟む
 学校の授業が終わると、部活をしていない俺はすぐに帰路を辿った。夕日が焦がす空を眺めながら、佐久間幸太様は歩くのであった。

「何かいいことないかなぁ」

 最近の口癖みたいになっているこの言葉だが、この時の俺は、自分がどれほどに良い環境で生きているのかを実感出来ていなかったのだ。

「ん?」

 電柱の横に「みかん」と書かれた大きめのダンボールが置いてある。こんなものが道端に置いてあるのなら、大抵の人間は捨て猫か何かだと思うだろう。例に漏れず俺もそうだった。

「捨て猫か? 可哀想に……どれどれ」

 大の猫好きである俺は迷わずダンボールの蓋をめくった。

「なはっ……」

 全身の血が冷えてゆく感覚。謎に掻き立てられる出どころ不明の逃走本能。そんな俺の目には今、裸の金髪幼女が映っていた。
 恐らく、どれくらい後になるかは分からないが、この日、この場所で俺の平凡な日常が崩壊したのだろうと回想するこになるだろう。

「ね、猫じゃ……ないよな?」

 深く紅い瞳は硬直する俺をじっと見据えた。

「今、私のこと猫って言った……?」
「へっ? だってダンボールなんかに入ってるから……」
「うがぁぁぁあ!!!」
「のわっ! 何だコイツ!」

 噛み付いて来た。ダンボールから飛び出した裸の幼女は俺の右腕に噛み付くと、そのまま四肢でがっちりとその腕をホールドする。

「ガミガミガミ……!」
「噛むなよ痛いだろ! 放せ幼女!」
「今、私のこと幼女って……許さない! この私を幼女呼ばわりするなんて!」
「どう見ても幼女だろうが! こんな所で裸の幼女と喧嘩してるのなんか見られたら、俺の高校生活が終わっちまうんだよ! だから放してくれ!」
「ガブガブ!」

 いっそう力を強めて噛み付いてくる幼女に、寛大な心を持つ俺でもさすがに痺れを切らした。

「放せコラ! ……放せって言ってんだろぅガァァァ!!」

 ゴツン!
 振り払おうと振るった右腕は電柱を捉え鈍い音を発した。

「あ」

 その右腕にはもちろん幼女がへばりついていたわけだが。

「あぅう……」
「お、おい大丈夫か!?」

 硬いコンクリートの柱に頭をぶつけた幼女は細い唸りの後、地面に落下すると微動だにしなくなった。

「俺は……やってしまったのか?」

 これほどに他愛のない日常の中で、俺は一人の幼女を、人間を殺してしまった……のか?
 人の声。

「マズイィ!」

 気づけば俺は、幼女をダンボールに入れて抱え、走っていた。

「認めないぞ……こんなこと、認めてたまるものかァァア!!!」





 現在、一人暮らしの拠点となっているアパートに帰ると、俺はダンボールを開けた。
 閉じた。

「っ……」

 目を閉じて微動だにしない幼女に唾液を飲み下す。

「嘘だろ……本当に死、死んでしまったのかよ?」

 いやしかし待て。この子は道端に捨て置くようにしてダンボールに入っていた女だぞ? もしかしたらこのままどこかに捨てて置いても……。

「駄目に決まってんだろぅガァァアァ!!!」

 人間、窮地に追いやられるとここまで堕ちてしまうものなのか。しかし俺は寸でのところで理性を保っていた。

「どうする俺! 不本意ではありながらも殺してしまったのは俺だ。やはり、警察に自首するしかないのか! 俺は犯罪者になるしかないのカァァア!!」

 その時だった。

「さっきからうるさいなお前は」
「ヒョェっ?」

 頭を抱えたまま硬直する俺の耳に届いたその声音は、間違いなく幼女のものだった。
 パカッとダンボールの蓋を開けて頭を出したのはあの金髪幼女。顔半分だけ出して紅い瞳をこちらに向けている。

「お前、生きてたのか?」
「この私がお前のような人間に殺される訳がないだろう。身の程を知れ脆弱種族が」

 あれ、なんだろうこの子口悪い。それに自分を神とでも言っているかのような口ぶりだ。既に重症なのだろう、俺では手が付けられない、早くこの子を精神科に。

「名乗れ! 人間!」
「は」
「名乗れと言っている!」

 裸の幼女は、堂々と立ちあがって俺に指をさす。

「ええと、佐久間幸太です」
「コウタ。お前に頼みたいことがある」
「何」
「お菓子をくれ」
「お前にそんなことをしてやる義理は」
「あ! いたたた! さっきぶつけられた頭が急に……」

 こぉいつぅ……えらくマセたガキだな畜生。

「んで、お前の名前をまだ聞いていないんだが?」

 スナック菓子をかじる幼女に、俺は聞いた。別に知る必要もなかったことだが、何だかこのままだと負けた気がするので聞いたまでだ。
 幼女は勢いよく立ち上がった。

「よふもひいへふれた!!!」
「飲み込んでから喋れ?」
「んぐっ……。よくぞ聞いてくれた!」

 あ、聞かれるの待ってたんだ。

「私の名はヴァルキュリア! 生死を定める戦場の裁判人にして最強の女神である!!」

「……。」

 どうしよう、本当にこの子どうしよう。どんな大人になるんだろうか。他人なのに心配になるほどだ。

「む、どうした額に手を当てて? もしかして私の名前を知ってビビったのか! ややや! 無理もない! 最強の神だからな!」

 ややや、と独特な笑い方をしてご満悦な様子の幼女。
 生憎、学校の教科書にはこのような幼女をあやす方法など記されてはいない。
 なぜならその答えは、俺が鼻の下を伸ばしながら読み漁ったラノベの中にあるからだ。神を名乗る裸の金髪幼女が出現した時の対処法くらい、持ち合わせているに決まっているだろう。

「そうか、もう満足したか? ならばお帰り下さいませヴァルキュリア様」

 邪気のない笑顔で、俺はそう言った。

「帰ってくれって……どこに」
「あなたの住まう世界に……ん、っていうか今更気になったけど、どうしてお前はあんなところに裸で……」
「ほんとか!?」
「何が」
「コウタは私のカミトモになってくれるのか!!」
「カミトモ? お前は何を言って……」

 ヴァルキュリアを名乗る幼女は両手を天に広げた。

「ゲート!!」

 天井にブラックホールのような黒い円が出現する。

「何、コレ」
「ほら、早く行くぞ!」
「どこに」
「私の世界に!」
「ちょっと何言ってるか分からない」

 あれ。なんだろう、このとんでもない胸騒ぎは。
 俺は幼女に腕を掴まれ、その無邪気な笑顔に、俺もまた笑顔を返した。

「って、待てェェエエエエ!!!!」
「ようこそ勇者よ! 剣と魔法の世界へ!」

 黒い穴に吸い込まれるように、俺と幼女の体は宙に浮き、間もなく視界を黒が覆ったのだった。
しおりを挟む

処理中です...