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第五章 異世界出張、新能力習得への修行

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 ハテノチ・甲都に堂々と構える建物は本部。その最上階の一室で、マリアとレラが対面していた。前者は広い机の前で椅子に腰かけ、後者はそれを不安そうな表情で見つめている。

「それで、レラ。私に聞きたい事とは何だ?」
「あの……それは」

 言いづらそうにしているレラだが、マリアは彼女が何を言いたいのか、概ね分かっていた。
 マリアは微笑んで言う。

「そんなに心配か? 嶺二をカシュエドに送ったことが…………私とお前の、故郷へ行かせたことが」
「だってあの世界だと、嶺二とマリアの種族は……」

 レラがその先を言いたくないことも、マリアは察して言い足した。

「……劣等種族である。ケミル族であれば、奴隷になれるだけ運がいい。首の皮一枚で生かされ働かされるだけで、殺されはしないのだからな。それがさらに劣った人間ともなれば、どうなることやら」
「ではどうして嶺二をカシュエドに? 転移して早々、彼が酷いことをされるのは確実ですわ」

 マリアは「簡単なことだ」と、自信満々に返す。

「嶺二には、人間であることを隠しておくように言ってある。今頃、彼はカシュエドの地で魔族として行動していることだろう」
「でも、魔力を持っていないと分かれば、すぐにバレてしまいましてよ?」
「それも問題ない。嶺二の中には、ソールとシェミルの魔力が僅かではあるが残っている」

 先日、じゅげむとの戦闘中にソールとシェミルが、嶺二に流し込んだ魔力のことだ。

「なるほど……しかし、いつかはバレるのでは?」
「恐らく、いくらあの二人の魔力とはいえ、二週間もすれば彼の体内からは消えるだろう。そうなる前に、嶺二には目的を達成せよとしつこく言いつけておいた」

 どうやら嶺二に対しての配慮はしっかりと施してあるらしい。

「そして、嶺二にはお前の故郷である『マインアストル帝国』に行けと伝えてある」

 レラはそれを聞いてギョッと身体を硬直させる。

「それって……も、もしかして!?」
「そうだ。レラの家族に会うよう言っておいた。お前と共に生活していると聞けば、家族は嶺二を助けてくれるだろうと思ってな」

 レラの顔が青ざめる。

「そんな! 私の家族がどんな人達か知っているのでして!?」
「知らんな……どのような者だ?」
「うぐっ…………ええと、父は帝国錬金術師会の会長で、母はちょっと声が大きいだけの普通のカーネス族なんだけど……」

 マリアは表情を崩さず冷静に聞いているが、レラの言葉は続く。

「妹は……私に匹敵する錬金術師で、十六歳の若さでありながら、多くの錬金組織に百億ゴールド以上の契約金を持ちかけられるほどなの」

 レラの話を聞いたマリアは、ふむと鼻を鳴らして冷静に発する。

「そのような人物にあいつが失礼なことでもしでかせば、どうなるかは考えたくないものだ」
「じゃ、じゃあ今すぐ嶺二をここに転移させて、作戦変更ですわ!」

 マリアは不思議そうな顔で。

「無茶を言うな。神様は嶺二を転移させたことにより疲弊し、今では空すら飛べない状態だ。リビングのソファで青い顔して寝込んでおられただろう? 帰還予定の二週間後には回復されていると思うが」
「んなっ……」

 頭を抱えるレラ。しかしマリアはやれやれと。

「お前は嶺二を何だと思っている? 聞いている限りだと、レラの家族は確かに地位の高い人物だ。だが一般常識を以て礼儀を成せば、不躾には思われないはず。国王でもあるまいし」

 レラはじーっとマリアを見つめた。

「嶺二にその『一般常識』があると思いまして?」
「当然、無い」

 真剣に返したマリア。
 レラはため息をついて開き直ったように、声のトーンを上げて言う。

「でも不思議と、根拠は無いのに嶺二なら大丈夫って思えてしまいますわ」
「ああ。あいつなら国ひとつ敵に回したところで問題は無い」
「あれ? 何だか家族の方が心配になってきましたわ……」

 嶺二はカシュエドへ転移する前に、マリアから指示を受けていたようだが、それらはきちんとこなされているのか。
 人間という種族を隠し、マインアストル帝国へ行き、レラの家族と会う…………それが達成されつつあるのか否かは、神か嶺二にしか分からない。



           ◇



 ルレコニット共存地区。多くの種族で賑わうこの街、その至る所に貼り付けられた紙に、人々は怪訝な目を向けていた。
 そこに集まっていた住民の一人が呟くように読み上げる。

「捜索願い……精霊使いを愚弄する人間が現れた。この顔を見た者は直ちに本部へ通報せよ。名前は………」

 カミヤレイジ。
 その似顔絵は、本人の顔を見なくても分かる……似ていないのだろうと。子どもにでも描かせたのか、三角形の歯を上下に三本生やして笑う悪魔のような顔だ。分かりやすく悪意が込められている。

「ん?」

 今し方、それを目にして立ち止まったのは嶺二。隣にはレキナもいる。
 人集りの隙間から見た貼り紙に、嶺二はきょとんとした顔で。

「みんな何を見てんだ?」
「指名手配だね……顔とか酷い感じに描かれてるし、相当ヤバい人なんだよ」

 そのまま二人は、特に文字を読むこともなく通過する。
 人集りを抜けると、レキナは嶺二の服を引っ張りながら訊いた。

「ねぇねぇ。マインアストル帝国に行きたいって言ってたけど、パスポートはちゃんと持ってるの? まぁ、あなたは異世界の人だから、持っていてもここで通用するものじゃ無いかもしれないけど……」

 嶺二は自信満々に返す。

「心配するな、ちゃんと覚えてる」
「えっと……覚えてるってどういう意味?」
「忘れないように、俺の名前と誕生日を入れてんだ。それで全部統一してあるしな、絶対忘れねぇよ」

 レキナは真顔で。

「てめぇのパスワードは聞いてねぇよ」

 直後にため息をついて続ける。

「あのね……私が聞いてるのはパスワードじゃなくてパスポート。他国へ入るために必要なものだよ。……というか普通、パスワードは他人に言わないから」
「え……? ばっ! ばっかお前! それくらい俺だって知ってますっての!」
「はいはい。……で? あるの? ないの?」
「無いぞ?」

 疑問の表情で返答する嶺二を見たレキナは、前方を指さして。

「ここからでも見えると思うけど、この先に街の本部があるから、そこで発行しよ?」
「オーケーだ。……でもよレキナ、俺とお前は劣等種族ってやつなんだろ? パスポートなんて作れるのか?」
「それは大丈夫だよ。ここは共存地区だから、例え本部の人が嫌に思っていても、冷めた笑顔で渡してくれるはず」
「そっか。なら安心だな」

 そうして、嶺二とレキナは本部へ向かったのだった。

「…………」

 三十分ほど経っただろうか。
 ルレコニット共存地区で随一の華やかさと威厳を放つ本部の門前で、槍を突き出されている者は嶺二とレキナ。
 眼前に鉄の切っ先を向けられた嶺二は不機嫌そうに眉間を寄せた。

「何だよお前、やんのか」

 さっそく喧嘩腰の嶺二だが、二人を止めた門番は。

「お騒がせして申し訳ございません。ただ今、ルレコニット共存地区にて指名手配活動を行っておりまして……失礼ですがお名前と種族を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」

 丁寧な言葉遣いで返された嶺二は、調子を崩されたようにきょとんと頬をかいて。

「ええと……俺は神谷嶺二、人間だ」

 その時、騒がしく足音が鳴り出したかと思えば、嶺二とレキナを何十人もの兵士が取り囲んだ。
 どこから現れたのか、皆しっかりと武装しており、殺意の目を嶺二に向けている。

「ひっ……。れ、嶺二、これって……」

 嶺二はレキナを庇うように自分の背中へ押し退けて、目つきを尖らせた。 

「何のつもりだ、お前ら」

 一人の兵士が答える。

「神谷嶺二、貴様は今、指名手配の対象となっている。名誉ある称号を持つ者たちを愚弄した罪で、貴様を牢獄行きとする。……十年の監禁に加えて、貴様にはこの地区で無期無給の労働を行わせることとなっている」

 レキナは恐怖のあまりか、嶺二の背中で身を震わせ…………嶺二は頭をかいてきょとんとしていた。

「えっと、なんだって?」
「貴様を強制的に監禁すると言っている」
「あ? 何でだよ」

 レキナが嶺二の耳元で囁く。

「多分、あの精霊使いの三人に乱暴したのが原因だと思うよ……」

 それを聞いて理解できたのか否か、嶺二は兵士達に対し、口角を上げて挑発するように人差し指をくいっと返した。

「監禁だぁ? やれるもんならやってみろよ」
「ちょ、ちょっと嶺二!」

 兵士たちは動揺することなく、彼に向けて切っ先を押し出した。

「かかれ。この者を拘束せよ」

 いくつもの鉄の切っ先が、四方八方から嶺二に向かって来る。
 ちょうど嶺二の首元を突かんとやってくるそれらは、身長的にレキナへ命中する心配はなかった。しかし彼がそんなことを考えられるだろうか。

「なっ…………」

 嶺二は回避することなく、両腕の皮膚でいくつもの槍の切っ先を受け止め、しかし受け止め切れなかった何本かは彼の胸や背中に刺さっている。
 プチッと、嶺二の額から切れたような音が鳴ると、そこから血が流れる。

「あーあ……傷口開いちまったじゃねぇか」
 
 嶺二がこの世界に現れた時に負った傷が開き、そして睨みつける眼も一緒となれば、何ともグロテスクな表情である。
 
「お前たち。構わん、それを早く殺せ」

 今まで冷静であった兵士たちだが、少し焦ったようなその指示は正しい。
 理由は簡単。何十人もの兵士を一度に殴り飛ばす人間など、普通ではないからだ。

「そんなもんかよ、お前ら」

 嶺二とレキナの周囲には少しの血痕と、砕かれた鎧の欠片だけが散らばっている。殴り飛ばされた兵士たちは遠くで倒れて唸っていた。

「待…………て、人間……」

 地を這いながら手を伸ばして言う兵士に、嶺二は真剣な顔で。

「うるせぇ、俺はパスポート貰わなきゃならねぇんだ。お前たちと遊んでる暇はねーの。分かったか」

 嶺二が血を拭っていると、彼の肩に手が乗る。

「あ?」

 振り返るよりも前に、嶺二の体は鉄のように硬直した。

「ぁぐっ……何だ、こりゃ」

 嶺二の背後にいたレキナはボーっと振り返ると、視界に写ったソレを見た途端、逃げるように腰を抜かす。

「ほへぇっ……あ、あなたは……」

 それは、一人の女性。
 長い金髪は地面にまで届きそうで、しかしそれを不自然と思わせないほどに、神々しさを放っているのは美麗な空色のドレスのおかげか。彼女の瞳を窺うことは出来ず、そこは白い布で隠されている。

「あなたが神谷嶺二、その人ですね?」

 透き通った声が嶺二の背後から発され、その質問に彼は怪訝の表情で。

「お前は誰だ? 俺の体が石みてぇに動かないのは、お前の仕業か?」

 慌てて立ち上がったのはレキナ。

「れ、嶺二! このお方はカシュエドの神……シストルテ様だよ!」
「か、神だと? ……ったく」

 戦意喪失した様子の嶺二。シストルテは彼の体に施した拘束を解いた。
 次の瞬間。

「おいコラ」

 嶺二は振り返りざま、シストルテの胸ぐらを掴みあげてガンと睨みつける。

「えぇー!? ちょっと嶺二! シストルテ様に何してるの!?」

 嶺二は疑問の表情で。

「ん……お前、目が見えねぇのか?」

 抵抗すらしないシストルテは落ち着いた声音で返す。

「ええ。しかし不自由はありません、よく聞こえる耳がありますから」
「そう、なのか」

 嶺二が不思議そうにまばたきしていると、レキナがついに彼に噛み付いた。

「シストルテ様から離れなさ~い!」
「ギャァァァァ!」

 嶺二はすぐにレキナを摘んで離すと、ため息をついてシストルテの胸ぐらから手を放す。

「……ったく、そういうことかよ神様」

 今度はシストルテの手を握った。

「嶺二、何をしているのですか」
「あ? 何ってあんた、ウチの神様から色々と聞いてんだろ? んで、俺を助けてくれるって、そういうことじゃねぇのかよ」
「カミサマから話は聞いております。ここへの転移を許可したのは私ですから」
「だったら、そういうことだ」

 小さく首を傾げるシストルテ。

「だーかーらー。俺がパスポートを貰えるように手伝ってくれるんだろ?」
「どうして私がそれを手伝うのですか?」
「は? じゃあ何しに来たんだよ」
「あなたがこの世界において、危害をもたらす存在でないかを確認しに来たのです。例えば、神に対して乱暴なことをしないか……とか」

 嶺二の表情が引きつる。頭を下げたのはレキナ。

「ごめんなさい! 嶺二はバカなんです!」
「誰がバカだ!? お前をバカにしてやろうか!?」

 シストルテは微笑む。

「バカでないのなら、早々にこの手を離すべきだと思いますけど」
「あ? 何でだよ、目が見えねぇんだろ? だったら見える奴と手繋いでた方が楽じゃんか」
「え……?」

 シストルテは一瞬、唖然としたように小さく口を開いたが、首を横に振った。

「見えなくとも、音があれば大抵のものは見通せます。私はそういう神ですので。ですから、私には嶺二の顔もよく見えていますよ。心配しなくても大丈夫です」

 嶺二は呆れたように。

「出た出た。俺のじいちゃんも盲目なんだけどよ、同じこと言うんだよ。人の手なんか借りなくても大丈夫だってな、いつもそれ言った後にズッコケてんだ。……ったく、大人しく手握ってろっての」

 そう言って、嶺二は本部の扉へ向かって歩き出す。

「嶺二……! どこへ行くのです?」
「パスポート貰うんだよ。俺は指名手配されてるみてぇだが、あんたがいれば何とかなるだろ」
「申し訳ございません。神がそこまで手を貸すわけには……」

 本部の扉は前蹴りで勢いよく開かれた。

「パスポートくれ!」

 その声が広大な空間に響き渡る。
 真っ赤な絨毯に豪華なシャンデリア、床は大理石だろうか。広大な部屋には華美な装飾があちらこちらで輝きを放っている。そこにいた者たちの視線を一度に集めたのは言うまでもなく嶺二。
 
「あ、あなたは!」

 いや、シストルテの方だった。

「シストルテ様だ!」
「シストルテ様!」
「どうしてこのような所に!?」

 そこにいた者たちは皆して、シストルテと嶺二の前で膝をつく。全員が、清潔感のあるスーツを纏っていた。
 一人の男が顔を上げると、怪訝な表情で。

「ん? そちらの方は……?」

 嶺二は親指を自分に向けて答える。

「俺は神谷嶺二」
「カミヤ……レイジだと!?」
「指名手配を受けている者じゃないか!」

 騒ぎ立った瞬間、嶺二の拳が横の柱を砕くと、場は沈黙。

「うるせぇ。早くパスポートよこせ」
「しかし……」
「俺はシストルテの友達だぜ? なのに指名手配するわパスポートくれねぇわで散々だなおい」

 しれっと嘘をつく嶺二だが、一人の男が気づいたように二人の繋がれた手を見やる。

「も、申し訳ございませんでした! 精霊使いを愚弄する無礼な人間であるとお聞きしていたものでして!」
「早く、パスポート」
「はい、ただいま!」

 一斉にそこから掃ける者たちの背中を見送るシストルテは、嶺二に向かって口を開く。

「嘘をつくだなんて感心できませんね。握っているこの手も、彼らをそう騙すための小細工だったとは」

 嶺二はきょとんとしている。

「ん? 小細工?」

 そこで、息を切らせた一人の男が帰ってくる。

「パスポートはこちらになります!」

 差し出されたのは箱に中に置かれた透明の宝石。

「これがパスポートなのか? お前、バカにしてると」
「ありがとうございましたー!」

 レキナがそれを素早く取ると、嶺二を引っ張って外へ連れだす。
 
「ちょ、引っ張んなってレキナ。シストルテがコケたらどうすんだ」

 本部の外へ出ると、レキナは宝石を嶺二に渡す。

「はいこれ。この世界ではこれがパスポートだから。あなたがこれを知らないみたいなことを言ったら、異世界の人だと思われて面倒なことになるかもしれないでしょ?」
「おお、なるほどな。レキナは頭いいな」

 咳払い。

「そろそろ離していただいてもよろしいでしょうか」
「お、おう」

 嶺二が握っていた手を離すと、シストルテは続ける。

「最初に言ったように、私がここに現れた目的は、ハテノチから来たあなたがこの世界において、危害をもたらす存在でないかを見定めることです」

 レキナは諦めたかのような顔をしているが、嶺二はパスポートを嗅いでいる。

「神の胸ぐらを早々に掴みあげ、暴言を吐き、無作法に手を握ってくるような人間は……」

 その雰囲気にようやく気づいた嶺二は、シストルテに疑問の表情を向けるが、言葉の続きは話された。

「とても面白いと、感じました」

 シストルテは微笑んでいた。
 嶺二はきょとんとしているが、レキナは意外といった顔。

「え、シストルテ様……許して下さるのですか?」
「許すも何も、私は彼に悪いことをされたとは思っておりません。ただ、あんなことをされたのは初めてだったもので、少し緊張してしまっただけです」
「で、では……」 
「いいでしょう。彼がカシュエドで生活することを許可します」

 やったーと飛び上がるのはレキナ。そんな彼女のテンションにとりあえず合わせる嶺二は訊く。

「お、おお……! つまり、俺はどうなった?」
「ここにいていいんだって!」

 気合いを入れるように拳を叩く嶺二。

「よっしゃ! じゃあマインアストル帝国に行くか!」
「マインアストル帝国でしたら、この先を百キロメートル進んだ所にあります。……では、私はこれにて失礼しますね」

 嶺二はレキナを抱え、飛び上がった。

「出発だ!」
「嶺二、空飛べるんだ!? いや、これ脚力だけで……すごい!」

 こうして二人は、マインアストル帝国へ向けて歩を進めた。
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