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第六章 閃血の精霊
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しおりを挟む広々とした静かな部屋の隅。純白のカーテンを垂らした天蓋付きのベッドからは鼻歌が聞こえてくる。
(どこだ……ここ)
見覚えのない景色を眺めている男は嶺二。その部屋を見渡せば、家具などもその形には馴染みが無い。しかしどれも人が使う物なのだから、形状を観察すればそれらが本棚や机だということが容易に分かる。
ふと視線を落とした嶺二は先ほどまでのことを思い出した。それは巨大な炎塊に飲み込まれる直前のこと。
(ああ……俺は死んだのか)
手を眺めようともそれが見当たらない。足も無く、もはや胴体さえも。加えて嶺二の意識を包む浮遊感と、夢心地にさせる優しい鼻歌。
座ることも歩くことも出来ない。それどころか、今の自分がどのような体勢であるのかさえ分からなかった。この部屋の端から見渡すことくらいが嶺二の限界だ。
ベッドを囲んでいる純白のカーテンがふわりと揺れた時、そこから真っ白で小ぶりな片足が出てきた。それがトンっと床に着地した頃には『少女』の全容が窺えて、同時に鼻歌の出所も明らかとなる。
(誰だあの女?)
長く伸びた黒い髪は艶やかで、暗色のワンピースには皺ひとつ見受けられない。部屋の雰囲気と端正な身格好からして、彼女の家柄が上級なものであると推察できる。
その少女は嶺二の隣にある机に座って、一冊の本を開いた。手書きの文字が書き連ねられている、日記の類だろうか。
嶺二がそこに視線を向けるが、どうやら日本語で書かれていない。しかし読めないかと思いきや、不思議と彼の頭の中で言葉の意味は理解できた。
少女は上機嫌そうに鼻歌を歌いながら、稚拙な動作で空白にペンを走らせ始める。
(お前、変わった名前だな。アクリョウっていうのか)
本が開かれる前に見た表紙にそう書いてあったようだが、嶺二の問いかけは彼女に届いていない様子。無視されているわけではないとすれば、少女が嶺二の声や姿を認識できていないということになる。
嶺二が初めに目を通した文は、
――きょうは大きなおさかなをたべた! ホネがすごく大きかったんだけど、それもちゃんとたべないともったいないおばけがでるって、おかあさんがいってたんだ。だからちゃんとたべたよ! アクリョウはえらい子!
何気ない日常を記した一節だった。嶺二はさらに読み続ける。
――きょうはぶたのおにくをたべた! こどものわたしはナマでたべたほうが大きくなれるんだって! アクリョウ、大きくなれたかな?
文字を読むことには退屈しそうな嶺二であるが、不思議と彼の視線は右へ左へと機敏に文字を追っていた。
――おかあさんのてづくりクッキーをたべた。きがついたらわたしの はがぜんぶなくなってた。だいじょうぶだよおかあさん、わたしのは、すぐになおったから。
飛ばし飛ばしに読んでいたが、主に食べ物の話を綴っていることが分かる。しかしここからは、少女の成長を察せるほどに文字や文章から稚拙さが抜けていく。
――今日は三人の人達と遊んだ。私は元気すぎるから、みんなが先に寝ちゃって退屈ね。
――今日は二人、昨日よりは長く遊べたよ。もっともっと遊びたいな。
そこで、嶺二の視線が少女の手に追いつく。
――今日は誰も来ないのかな。寂しいな。
少女が書き切った直後、部屋のドアがノックされる。すると彼女はすぐに部屋の中心に立って笑顔で声を上げた。
「はーい!」
嶺二と少女の視線が向く先のドアからは、二人の男が入ってきた。両者とも酷く緊張しているようだ。彼らを案内してきたであろう背後の者はすぐに立ち去った。
(誰だ……こいつの友達か?)
少女の友達だとするならば、彼女はさぞかし年上と気が合うのだろう。二人とも中年の顔つきだ。
「失礼します、……あ、アクリョウ様」
「しし、失礼します!」
この動揺ぶりに、さすがの嶺二も違和感を覚える。友達にしては、やけに遠目で話すものだ。
そんな彼らとは対照的に、少女は嬉しそうに駆け寄った。
「新しい人……! 遊ぼう!」
「ぐっ……」
「ぬっ……」
意を決したかのような表情で待ち構えた二人は、少女と二歩分の距離で床に倒れた。少女は男たちを見下ろして残念そうに呟く。
「あ……もうおしまい? うーん、つまんないの……」
彼女が寂しげにベッドに横たわった時、再びドアが開いた。入ってきた者は倒れた男たちを引きずって外へと連れて行き、入れ代わりで華美な服を着た男がやってきた。
「お邪魔するよ」
爽やかな声音に反応した少女は、その者の姿を見るなりすぐさまベッドから飛び降りて駆け寄る。
「新しい人! 遊ぼ!」
「うん。何して遊ぼっか」
その男は、先ほどの者とは違って倒れたりしなかった。笑顔で少女を見つめている。
彼女は忙しく飛び跳ねながら。
「あのね! あのね! えっと……あのね!」
「あはは。落ち着いてよアクリョウ様」
「でもね、早くしないとあなたが寝ちゃうから!」
「大丈夫だよ。昨日はよく眠ったからね」
嬉しそうに目を見開いた少女は男に抱きついた。
「やったー! じゃあたくさん遊べるね! 何しようかな~何しようかな~」
男は少女の肩を掴んで離すと、しゃがんで視線を合わせてから言う。
「じゃあこれはどう?」
「へ……?」
直後の様子を見ていた嶺二は、ヒュ~と口笛を鳴らす。
男が唐突に、少女へ接吻したのだ。
「ぬむっ……」
固まってしまった少女に、口を離した男が優しく微笑む。
「これはね、ケーヤクという遊びだよ」
「け、けーやく……?」
「アクリョウ様が僕に心を許してくれたら、僕達は親友になれるんだ」
「し、親友に……? なる! なりたい!」
「じゃあ、もう一回……」
今度は、互いが距離を詰め合って接吻を交わした。嶺二からすれば、何を見せられているのだと思えるような状況だ。
……そう、見せられている。嶺二は部屋の隅に覗いている柱の一部を見やった時、気づいた。
(まさかここって……!)
その時、鳥肌の立つような甲高い音がけたたましく部屋中に鳴り響いた。まるで鼓膜が黒板と化し、そこを爪で引っ掻かれているかのような逃げ場のない痛烈な音。
塞ぐ手も無ければ耳も無い嶺二は、なんの抵抗もできずにその音に耐え続ける。
(ちくしょう、何がどうなってんだ……?)
しかし音に気を取られている場合ではない。
理由は簡単。嶺二の視界で今、大量の血が踊っているのだから。
少女の姿は消え、接吻を交わした男は踊る血の最中で立ち上がって声を上げた。
「ハァハァハァハァ! ついに手に入れたぞ! 【閃血の精霊】を! 俺が服従してやったんだ! これで俺は最強の存在! ハァハァハァハァ!」
先ほどまでとは打って変わった男の形相に嶺二は狼狽する。
(どうしちまったんだあいつ……あの赤いのは血か? 女はどこに消えやがった? それとこいつ、さっき閃血の精霊って……)
男は引き笑いをこぼしながら、やれやれと額に手を置いた。
「全く……馬鹿な精霊だ。″悪霊″だなんて名前をつけられておいて、その名付け人のことを母親などと慕い……ああ滑稽、実に滑稽! ひははは!」
嶺二に実体があれば、今ごろ拳を握っていることだろう。単に怒りでも哀しみでもない、この感情を言葉にできるほどの語彙力もない嶺二だが……わざわざ彼が出なくとも、先ほどより踊り狂った閃く血筋が代弁してくれた。
「おお……! 素晴らしい! なんという力だ! 世界最大規模と言われるこのノヴァ宮殿でさえ飲み込んでしまえるような有様とは!」
視界は真っ赤に染まっていた。
「ブッ――」
燃え盛る炎のように部屋を暴れ狂っている血液は、今し方に短く声を漏らした男の体躯を弾け散らせた。踊る鮮やかな血に混ざった赤黒い血液はすぐに消し飛ばされる。
気がつけば壁と呼べるものなどなく、部屋と呼ぶにも滑稽なほどに周囲が崩壊していた。
今、嶺二の視界に降ってきたものは人だろうか。次に降ったのはその片足だろうか。幾度となく鼓膜を刺激する生々しい落下音が、絶えず嶺二の視界で現れる。冷静に思考するならば、ここは多層に連なる巨大な建造物の一階部分だと察せるだろう。
嶺二の視界を埋めた″残骸″は抉れ、剥かれ、折れ曲がっているものがほとんど。
形の揃わないそれら残骸は、今に降ってきた巨大な柱の下敷きとなり統一性を得たことだろう。最後に降ってきたそれは、建造物の頂上に鎮座していた時計塔だと思える。
(おいおい、こりゃ……)
踊り狂う血の嵐が収まりつつある頃、嶺二の視界には見覚えのある風景が映し出されていた。
広大な無根の地に生え渡る多々の柱。目の前では一際高く聳える巨大なそれが空へ向かって伸びている。
そして。
「お母さん……?」
巨大な柱の前で唖然と立ち尽くす少女がいた。暗色のワンピースは端々が千切れ、かつての原型を留めていない。
「そん……な」
少女は柱の根元を震えた瞳で眺めた。そこに落ちている一本の人差し指には特徴的な指輪がはめられている。彼女はそれを拾い上げ、震えながらしゃがみ込む。直後に、それは少女の手から一瞬舞い上がった血筋で粉々に散った。
その瞳が唖然と、いや絶望したそれであることは容易に分かる。誰に向けてでもなく、虚ろな瞳孔を一点に固めて力なく首を振り始める。
「いや……いや……いや……」
少女は自分の肩を抱いて、その手がへし折れるのではないかと思えるほどに力を込めた。
「――いやああああああああああああああッッッ!」
彼女の悲鳴は、もはや声帯の限界を迎えた絶叫。その一声で喉が枯れたのか、掠れた声で言う。
「私が……私がやったの……? 違う……違う……」
彼女の口調は徐々に強まり、早まり、震える。
「死にたい焼きたい殺したい壊したい千切りたい信じられない……!」
負の感情がこぞって声に出たかとも思えるような、彼女のその声音は狂気に満ちている。加えて艶やかであった黒の頭髪からは色が抜け、錆びた白髪となっていた。
しかし最後に出た言葉は、あまりにも切なく発された。
「誰か……私を殺してっ……死ねないの」
少女は力なく柱に肩を預け、膝を抱える。それからというもの、虚ろな瞳は一切の瞬きを止め、彼女の身体は石のように静止する。
荒廃した地の中心に建つ巨大な柱の根元で、少女は口を閉ざした。永遠をそこで過ごすとも言わんばかりに。
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