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第七章 チート能力人間VS最強の人間

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 そこにいた全員が、呆然としている。
 マリアは目を見開いて訊いた。

「龍児……? 今お前は、なんと言ったのだ?」
「この世界を消滅させると言ったのさ。さして難解な言葉を使ったつもりは無いんだけど。伝わらないかな?」

 伝わっている。
 嶺二でさえも、その意味を理解している。彼は苦笑いで龍児の肩に手を置いた。

「お、おい龍児。お前にしては冴えねぇ冗談だな? 頭でも打ったのか?」
「僕は至って正気だよ。むしろ、君たちの方がおかしいんじゃないかな」

 マリアは震える手で本を開くと、再び訊く。

「最強の力を複製したと言っていたが、どういうことだ」
「そのままの意味さ」

 龍児の手の平に、闇色の玉が出現した。見覚えのあるそれに、一同は唖然とする。

「なっ……」
「これはソールの力だね。そしてこれは……」

 次に彼が握ったのは刀。その刀身を眺めながら続けて言う。

「なるほど、錬金術には魔石が必要なのか。しかしソールの力を宿していれば、その必要もない……と。教えてくれてありがとう、大賢者」

 今度は刀身を肩に当て、自分の左腕を落とした。そんな龍児の奇行に、皆は口を開けたまま見張っている。
 彼は落ちた左腕を拾うと、そこに青い光を当てた。瞬く間に肩が繋がり、元通りとなる。

「大賢者の言う通りだ。この治癒魔法があれば、これくらいの負傷はすぐに治せるみたいだね。本当にすごい能力だ」

 龍児は複製という能力を披露して見せた。それによって手に入れた力を、皆の前で発揮することで。
 こんなことがあっていいのか、というような視線を向ける面々。
 敵に回してはいけない。そう思ったマリアは問う。

「目的は何だ? なぜハテノチを襲う?」
「言っただろう? 僕は実験台としてこの能力を授かった。それをこの世界で試してみることにしたのだと」
「しかし消滅させる必要などないだろう。お前の複製は確かなものだと分かった。それで満足できたはずだ」

 龍児はきょとんと、頬を掻きながらマリアを見つめた。数秒後、気づいたように言う。

「そうか、君たちはまだ知らないのか」
「何をだ?」

 そこで、皆の視線が一点に集まった。
 金と白の帯姿、銀色の頭髪を伸ばした女性が現れたからだ。

「神様……?」

 笑っていない。いつも楽観的に笑っている彼女が、無い表情で立っている。
 その立ち振る舞いは、皆に悪寒を走らせた。
 嶺二でさえも、言葉を発することなく唾液を飲み下して見つめているだけ。
 普段はフレンドリーな神様だが、されど彼女は神だ。その本格が、今に発揮されている。
 神様は凛とした声音で放った。

「ハテノチは先ほど、ホブミナスより宣戦布告を受けました」

 狼狽の声が飛び交う。対して龍児は知っているかのように微笑んでいる。
 マリアが重そうに口を開いた。
 
「宣戦布告……? 誰がそんなことを」
「もちろん、ホブミナスの神です。……名はシェロ。世界力一位を統べる神」

 そう言われても、マリアの中から未だ疑問は消えていない。

「異世界衝突は終結したはずです。なぜその神が、ハテノチに対して宣戦布告を?」
「これは、シェロが個人的に始めた戦争ということになります。なのでゲートは開けません。ホブミナスの軍勢が加勢に来ることもありません」

 そこで、龍児が話し出す。

「シェロ様は確信なされたんだ。最強の力を手に入れた僕なら、今のハテノチを落とせるとね。どうやらここは異世界衝突以来、急激に世界力を上げつつあるらしい。……そして、かつては全世界最強であった。シェロ様はそんなハテノチを恐れているんだよ。だから今のうちに潰しておこうと、そういうわけさ」

 どうやら龍児は、神様が現れる前から既にこの状況を知っていたようだ。
 マリアは深呼吸した後、嶺二を睨みつけた。

「ん? なんだよマリア」

 シェロが宣戦布告をした理由は、龍児が最強の力を手に入れたから……ということだけではない。それだけなら、同じ力を保有しているこちらに対して、勝利を確信することはできないのだ。であれば、勝利を確信するに足る理由は他にある。
 最も核となる理由は……嶺二が手を出せない相手だと分かっているから。
 つまり、敵は龍児と嶺二。そうなる可能性は見逃せない。
 戦いが始まれば、こちらは龍児を殺そうとするのだ、それを兄である嶺二が容認してくれるだろうか。

「何だよお前ら妙な顔して。……んでよ龍児。神様が何か変なこと言ってるが気にすんな。いつものことだ。それよりも、ちょっくら街で遊んでいかねぇか?」
「兄さんは相変わらずマイペースだね」
  
 いや、彼は弟を守るだろう。シェロはそれを悟っている。
 仮に考える。嶺二が敵になった場合、勝てる見込みは有るのか。
 いや。

「神様まで俺を睨んで来やがって……言いたいことがあるなら言えよ」

 ――無い。
 今では百万人近くに登るハテノチの魔族。それらが束になったとしても、勝てない。唯一、彼に匹敵すると考えられる人物といえばイブソルニアだ。
 しかし、閃血の精霊を身に宿す嶺二に適うのか。それにイブソルニアの弱点を知られている。
 実質、この戦いはイブソル″ニャア″と嶺二の一騎打ち。
 勝算は微塵もなかった。
 拳が交わる前……今この時、″判断″を渋ればハテノチの消滅に繋がる。
 もっと話し合いが出来るかもしれない、和解できるかもしれない。しかし、それと消滅を天秤にかけても、望む方へ傾くとは思えなかった。
 神が戦えと言ったのなら、世界は戦う他ない。
 マリアは決し切れない意を、苦渋の表情で押し殺した。

「おーいマリア? お前いつにも増して目付きが殺人的に――」
「頼んだ、イブソルニア」

 勝機があるとすれば、それは彼の敵意が目覚める前。

「が……はっ」

 嶺二の懐に、イブソルニアの拳が深く抉り込んだ。彼女の目は限界まで見開かれている。
 ここでやらなければならない。次の一撃には頼れない。
 脱力した身体に命中した貴重な一撃。それが離れる前に、紫電が拳を纏った。
 イブソルニアは静かに言う。

「不意打ちなどしたくなかった。貴様には正々堂々と勝ちたかった。しかし、味方を殺戮する貴様を、我は見たくない」

 嶺二の懐で溜まった紫電が、彼の身体を貫通した。

「ぐっ……が……イブ、ソル……ニア」

 倒れてゆく嶺二が向けてくる視線。それに合わせることなくイブソルニアは言った。

「民のためだ。許せ」

 力なく倒れた嶺二。イブソルニアの渾身は、不意を以て嶺二を地に伏した。
 ターシャは慌てて走り出す。

「れ、嶺二さん!」
「行くな、ターシャ」

 マリアに止められ、理解不能といった表情になる。

「どうして? 意味がわかりません、どうしてこんなことに……? ――え?」 

 マリアの背後にいる者たちは、マリアやイブソルニアを責めようとはしない。黙って嶺二の身体を見下ろしているだけ。
 ターシャの視界で、マリアの拳が震えている。

「マリアさん……?」
「背に腹はかえられぬ、ということだ」

 彼女の震える拳は、どのような感情で握られているのか。それは、凛とした冷静な表情を見ただけでは到底分かるはずもない。
 ターシャが今、分かっている事といえば……。
 嶺二を殺す。その意思が全員に共通していたことだ。 それも、戦略的に。
 ターシャは、くっと拳を握った。

「こんなの……間違ってる。みんな嶺二さんのこと、好きって言ってたじゃないですか! 嶺二さんに面と向かって、好きって言ってたじゃないですか! どうしてそんな人を……」
 
 そこで、はっと思いつく。

「シェミル、あなたは違うよね? シェミルは嶺二さんのことを一番っ……」
「……」

 シェミルはソールに羽交い締めされ、その瞳をガンと見開いていた。
 今、彼女を離せばマリアとイブソルニアを殺しにかかることだろう。
 そして、シェミルの口が過去一番の開き見せた。

「お前らァァァァァ! よくも嶺二を……! よくもよくもよくもぁぁぁぁあ!」

 喉を潰す勢いで発される金切り声。
 凶変したシェミルに、皆は一瞬肩を揺らす。
 彼女の体から放たれた眩い閃光が、部屋一杯を照らした。

「お前たち……お前たちは殺すぁぁぁぁぁ!」

 マリアは冷静に。

「ソール、抑え込め」

 直後、金色の光は闇によって収縮していく。

「……落ち着け、シェミル」
「離せぁぁぁぁぁ!」

 膨張と収縮を繰り返す金色は、シェミルの怒りを分かりやすく現していた。
 マリアがイブソルニアに視線を配った時、光は収まった。

「がは……あっ」

 彼女の拳が、シェミルの懐に食いこんでいる。とはいえ、嶺二に放ったものと比べれば幾分か手加減はされており、シェミルは気絶するだけで済んだ。
 ソールが床に寝かせると、皆の視線は改めて龍児に向けられた。
 そのはずが、視線の軌道は彼の手前で阻まれている。

「なっ……」

 マリアは後ずさる。彼女の額が、一瞬にして汗で濡れた。

「やってくれるじゃねぇか……おい」

 嶺二がそこで、立っている。

「貴様……!」

 イブソルニアはすぐさま接近し、拳を放った。しかしそれは簡単に掴まれる。
 嶺二の眼光は彼女を鋭く刺しており、見るからに怒っていた。
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