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3 練習
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沼田さんがこちらへ足を踏み出す。距離が縮まる。
心臓の音が速くなって気付く。私はまだ……全然覚悟できていなかった。
直前で後退してしまう。
「お風呂、きっともう溜まってます。見てきますね……」
言い訳をして、彼に背を向ける。
心の準備が整っていない。一先ず浴室に逃げて、取り乱しそうな自分を落ち着けようと考えていた。
それなのに。あっさりと左手首を掴まれてしまう。
「美緒」
彼の声が私の名を紡ぐ。さっきから顔に感じている熱っぽさが増す。
振り向いたら、取り返しのつかない事になりそうな予感がする。だめなのに。手を引っ張られて、ゆっくりと振り向かされる。
下へ逸らした瞳を上げられない。沼田さんに捕まった手の甲辺りへ、視線を落としている。
「キスしていいか?」
尋ねられ、頭がパンクしそうなくらいに焦りが大きくなる。
こっちから「練習」をお願いしたのに断るのは変だと、慌てて導き出した結論が脳裏を掠めて……俯いた姿勢のまま首を縦に振る。
右頬に触れてくる。指の冷たさを感じる。目を合わせると……そうするのが当たり前に思えるくらい自然に、口付けが行われる。カチコチに緊張して、瞼を閉じていた。
「力抜いてて」
言われた通り、無意識の内に入ってしまう力を緩めようと努める。重なりが深くなって。奥で舌を舐められる感覚に、背中がゾクッとする。
前の人生の記憶でキスがどういうものか、薄らとだけど理解しているつもりだった。けれど実際に体験したキスは、思い描いていたイメージを上回ってきた。眩暈がしそうな程の幸せな気持ちになる。
流されそうな自分を律して、頬に添えられていた手を握る。微笑んで促す。
「沼田さん、手が冷たいです。風邪ひいちゃいますよ? お風呂に入ってきてください」
睨まれてしまった。
「えっと……キスが嫌な訳じゃなくてですね。ちょっと落ち着けたいんです、自分の心を。私、本当は……まだ迷ってて」
言いながら後退って、沼田さんと距離を置く。
「着替え! 取って来ますので。お風呂に入ってて下さいね!」
言い残し、二階へ逃げた。
兄の服等、準備した物を持って一階へ下りる。シャワーの音が止んだ。浴室ドアの開閉音が聞こえる。洗面所のドアの隙間から着替えを渡す。
沼田さんが着替えた後に交代した。沼田さんにはリビングで待っていてもらい、私も手早く入浴を済ませる。
洗面所を出た。リビングのソファーに彼を見付けて近寄る。
背凭れに上半身を預け、腕組みしたまま眠っている様子だった。少し斜めに座っている彼の正面へ移動し、端正な顔を見下ろす。
沼田さんが現在着用中の服は、さっき二階から持って来た兄の服。普段、兄が着ていなさそうな新しめの物を選んだ。紫色の長袖Tシャツに、黒い細身のズボン。見慣れない服装のせいか、私の知っている沼田さんじゃないような……変な違和感が胸を過る。
閉じられた目の下に、薄ら隈がある。……睡眠不足なのかな?
彼が僅かに身動ぎする。小さな声で呼んでみる。
「沼田さん」
「遅い」
低い不機嫌そうな声音が返ってきた。手を引っ張られて、彼の上に倒れ込む。耳元で囁かれる。ずっと欲しかった想いを聞いた。気が遠くなるくらい待っていた言葉。
少し笑う。彼の両肩を押して、上半身を離し見下ろす。
「あなたは誰ですか? 沼田さんは、きっと違う選択をします」
簡単に与えられた甘く耳に心地いいセリフは、きっと……私がもらっていいものじゃない。
こちらへ向けられている目が、不本意そうに細まる。
「そうか。『オレ』じゃダメ?」
揺るがない眼差しは昏い。薄く笑みを浮かべた口で言ってくる。
「――……」
状況に呑まれて対応が遅れた。腕を掴まれ後方に倒される。体勢の上下が逆転した。ソファーに仰向けに寝かされ、上から見下ろされている。
「いや」
「ダメだ」
拒否してみたけど、無下に一蹴された。唇を甘噛みされる。着ていたブラウスの胸元のボタンが、外されていく。
「私に資格はありません」
苦笑して伝える。今目の前にいる「彼」は、沼田さんにしか見えないけど。何かが、決定的に違うような気配を感じている。
「オレの事が大事なのに?」
言い当てられ、見つめ返す。
「絶対にだめです。大事だから。ダメなんです」
或いは、自分へ言い聞かせる為に言葉にした。今まで舞い上がっていたけど。彼が柚佳さんのものだという現実は、何一つ変わっていないのだ。涙が零れてしまい「すみません」と謝る。
「何をやってるんでしょうね、私。決めていたのに。本当に大事なものには、もう手を伸ばさないって!」
泣きたくないのに。勝手に涙が流れ落ちていく。「彼」は、怯んだような一瞬の間の後に……冷たい目付きで言及する。
「本当に大事なものを、別の奴に取られてもいいんだ?」
質問に苦笑する。強い眼差しに答えを返す。
「それが運命ですから」
「オレの運命は。決まってるの?」
ニコッとした表情で問われた。言葉に詰まる。瞳を覗かれる。
「まぁ、もう見付けたけど」
顔が間近に迫り、結論を伝えてくる。
自分の非力さを理解していたので。抵抗しても徒労に終わるだろう事は、すぐに想像がつく。だから抗わずに、求められるまま……キスを受け止める。
これ以上の接触はダメだと慌てている自制心と、更に深くを愛されたいと望んでしまう欲望のせめぎ合いで。思考が絡め取られ、ぐちゃぐちゃな心境になる。
その時、耳慣れた音が聞こえた。家の固定電話のメロディだ。身を起こす。ソファ前のローテーブル上に置かれていた子機を手に取る。電話に出ると、すぐに兄の声が聞こえた。
「美緒?」
「お兄ちゃん?」
「ごめん、時間がないから手短に話す。実は家に財布を忘れてしまったんだ。バスに乗って暫くしてから気付いた。たまたま外出先で会えた友達に電話代を貸してもらえたからよかったよ。沼田君とは話ができた?」
「えっと……うん、少し」
「分かった。俺、今から帰るから。心残りのないようにな」
兄が喋り終わった直後、電話が切れた。
「思っていたよりも早かったな」
電話の内容を聞いていた様子で、沼田さんが話し掛けてくる。振り向くより前に、腰を引き寄せられる。ソファに座る彼の脚の間に……腰を下ろす格好になる。
「沼田さ……ひゃぅっ?」
耳の後ろ辺りを舐められた。
「美緒……続きしよう」
切なげな声で望まれても。もうすぐ兄も帰ってくるし。沼田さんと離れたくない気持ちはあるけど、まだ心の整理がついていない。兄からの電話に助けられたと思った。
背中に沼田さんの体温を感じて、尋常じゃない程にドキドキしている。
「まだ、その……。節度を守ってですね……」
考えを、上手く言葉にできない。しどろもどろに言い掛けていたところで、沼田さんの声に遮られた。
「どこまでなら許される?」
脇の下から差し込まれた彼の手に、胸を揉み回される。先程、ボタンを外され開いた白いブラウスから出てしまっている……白のタンクトップ。それさえまくり上げられ……薄紫色のブラジャーの上から無遠慮に捏ねられ、焦ってしまう。
「や……だめです」
「何で?」
「まだ、ダメです」
「どのくらい待てば、許してもらえる?」
沼田さんの問い掛けを受け、言葉に詰まった。少し考えて答える。
「今日ここに来る前……喫茶店の駐車場で、一緒に花火を見る約束をしましたよね? 約束が果たされる時までに、心を決めておきます」
「分かった。けどさ。その前であっても。キスはしていいんだよな?」
「えっと……はい」
私たちは「キスの練習」という名目で、人目を忍んで会っている。もちろん大前提なので断らない。むしろ私の我儘を沼田さんが叶えてくれているので、申し訳ない気もしてくる。私の要望ばかり聞いてもらっているような状況だと思う。
だがしかし。「キスの練習」には「私が兄を振り向かせようと不意打ちでキスをする時の為、キスに慣れておく必要がある」という建前がある。よくよく沼田さんとの会話を思い返してみると。私の沼田さんへの恋心は、もう十分にバレているような……?
それに。彼が私を好きだと言ってくれた。
「好きって言ってもらえて、嬉しかったです」
そんな風に思ってもらえるなんて。だけど素直に喜べない引っ掛かりが、胸に残っている。柚佳さんの事と、沼田さん自身についてだ。
これまで沼田さんに柚佳さんの事を聞けないでいたのは、夢のような時間が終わってしまう気がしていたから。
沼田さんは、きっと……彼女を選ぶ。
仕方のない事だけど、でもやっぱり納得できない気持ちもあって。寂しさめいた、もやもやした思いを抱えていた。
もう一つの引っ掛かりは。沼田さんが、どこかいつもの沼田さんじゃないような違和感があるのと。私へ向けてくる好意の正体。
好きだと言ってくれる沼田さんの言葉を疑いたくないのに。いつどこで好きになってもらえたのかとか。どんなところが好きなのかとか。全然、見当がつかなくて戸惑っていた。
けれど、自分から尋ねる勇気を持てなかった。柚佳さんの事を聞けないのと同様に、少しの間くらい夢見心地でいてもいいんじゃないかと考えていた。
花火を二人で見る日……それは多分、この夢に決着をつけて現実に帰って来る日なんだろうな。
「沼田さんと、たくさんキスしたいです」
振り向いて顔を見上げる。兄が家に戻るまで、沼田さんと口付け合っていた。
沼田さんと初めて「練習」した日から、数日が経った。
今日の放課後、二度目の「練習」をする予定がある。前回会った際に約束していた。場所はカラオケ。
「沼田さんとカラオケ!」
とてもワクワクしている。
放課後になり、カラオケ店のある繁華街へ赴く。待ち合わせ場所に決めていたコンビニへ入る。沼田さんとの関係は二人だけの秘密なので……知り合いに怪しまれないよう別々に移動し、ここで落ち合う事になっている。
スイーツのコーナーを眺めるフリをしながら、内心そわそわしていた。到着するの早かったかな?
チラチラと見ていた出入口付近のガラス窓に、待ち焦がれていた人影を発見して嬉しくなる。
「沼田さ……ん」
コンビニに足を踏み入れた彼の名を呼ぶ。呼び掛けている最中、大変な事態に気付いた。ニコニコと緩み切っているだろう自分の表情が、一気に強張るのを感じる。彼の隣に……私たちの秘密を、一番知られてはならない人物が立っている。
「柚佳さん……」
呟いて呆然と見つめる。
沼田さんの彼女、一井柚佳さん。私と同じ灰色の制服姿で、綺麗な黒髪は短めのポニーテールにまとめられている。私より背が高い。昨日テレビで見たアイドルよりも、可愛い容姿だと思う。
「美緒ちゃん?」
柚佳さんも私を見て驚いている様子だった。普段も大きな優しい印象の目が、今は更に大きく瞠られている。
「悪い美緒。柚佳がしつこくて、振り切れなかった」
沼田さんに謝られて愕然とする。まさか私たちの関係もバレたのかな? 背筋が寒くなる。続け様に言い渡された。
「秘密を守れなくてごめん」
心臓の音が速くなって気付く。私はまだ……全然覚悟できていなかった。
直前で後退してしまう。
「お風呂、きっともう溜まってます。見てきますね……」
言い訳をして、彼に背を向ける。
心の準備が整っていない。一先ず浴室に逃げて、取り乱しそうな自分を落ち着けようと考えていた。
それなのに。あっさりと左手首を掴まれてしまう。
「美緒」
彼の声が私の名を紡ぐ。さっきから顔に感じている熱っぽさが増す。
振り向いたら、取り返しのつかない事になりそうな予感がする。だめなのに。手を引っ張られて、ゆっくりと振り向かされる。
下へ逸らした瞳を上げられない。沼田さんに捕まった手の甲辺りへ、視線を落としている。
「キスしていいか?」
尋ねられ、頭がパンクしそうなくらいに焦りが大きくなる。
こっちから「練習」をお願いしたのに断るのは変だと、慌てて導き出した結論が脳裏を掠めて……俯いた姿勢のまま首を縦に振る。
右頬に触れてくる。指の冷たさを感じる。目を合わせると……そうするのが当たり前に思えるくらい自然に、口付けが行われる。カチコチに緊張して、瞼を閉じていた。
「力抜いてて」
言われた通り、無意識の内に入ってしまう力を緩めようと努める。重なりが深くなって。奥で舌を舐められる感覚に、背中がゾクッとする。
前の人生の記憶でキスがどういうものか、薄らとだけど理解しているつもりだった。けれど実際に体験したキスは、思い描いていたイメージを上回ってきた。眩暈がしそうな程の幸せな気持ちになる。
流されそうな自分を律して、頬に添えられていた手を握る。微笑んで促す。
「沼田さん、手が冷たいです。風邪ひいちゃいますよ? お風呂に入ってきてください」
睨まれてしまった。
「えっと……キスが嫌な訳じゃなくてですね。ちょっと落ち着けたいんです、自分の心を。私、本当は……まだ迷ってて」
言いながら後退って、沼田さんと距離を置く。
「着替え! 取って来ますので。お風呂に入ってて下さいね!」
言い残し、二階へ逃げた。
兄の服等、準備した物を持って一階へ下りる。シャワーの音が止んだ。浴室ドアの開閉音が聞こえる。洗面所のドアの隙間から着替えを渡す。
沼田さんが着替えた後に交代した。沼田さんにはリビングで待っていてもらい、私も手早く入浴を済ませる。
洗面所を出た。リビングのソファーに彼を見付けて近寄る。
背凭れに上半身を預け、腕組みしたまま眠っている様子だった。少し斜めに座っている彼の正面へ移動し、端正な顔を見下ろす。
沼田さんが現在着用中の服は、さっき二階から持って来た兄の服。普段、兄が着ていなさそうな新しめの物を選んだ。紫色の長袖Tシャツに、黒い細身のズボン。見慣れない服装のせいか、私の知っている沼田さんじゃないような……変な違和感が胸を過る。
閉じられた目の下に、薄ら隈がある。……睡眠不足なのかな?
彼が僅かに身動ぎする。小さな声で呼んでみる。
「沼田さん」
「遅い」
低い不機嫌そうな声音が返ってきた。手を引っ張られて、彼の上に倒れ込む。耳元で囁かれる。ずっと欲しかった想いを聞いた。気が遠くなるくらい待っていた言葉。
少し笑う。彼の両肩を押して、上半身を離し見下ろす。
「あなたは誰ですか? 沼田さんは、きっと違う選択をします」
簡単に与えられた甘く耳に心地いいセリフは、きっと……私がもらっていいものじゃない。
こちらへ向けられている目が、不本意そうに細まる。
「そうか。『オレ』じゃダメ?」
揺るがない眼差しは昏い。薄く笑みを浮かべた口で言ってくる。
「――……」
状況に呑まれて対応が遅れた。腕を掴まれ後方に倒される。体勢の上下が逆転した。ソファーに仰向けに寝かされ、上から見下ろされている。
「いや」
「ダメだ」
拒否してみたけど、無下に一蹴された。唇を甘噛みされる。着ていたブラウスの胸元のボタンが、外されていく。
「私に資格はありません」
苦笑して伝える。今目の前にいる「彼」は、沼田さんにしか見えないけど。何かが、決定的に違うような気配を感じている。
「オレの事が大事なのに?」
言い当てられ、見つめ返す。
「絶対にだめです。大事だから。ダメなんです」
或いは、自分へ言い聞かせる為に言葉にした。今まで舞い上がっていたけど。彼が柚佳さんのものだという現実は、何一つ変わっていないのだ。涙が零れてしまい「すみません」と謝る。
「何をやってるんでしょうね、私。決めていたのに。本当に大事なものには、もう手を伸ばさないって!」
泣きたくないのに。勝手に涙が流れ落ちていく。「彼」は、怯んだような一瞬の間の後に……冷たい目付きで言及する。
「本当に大事なものを、別の奴に取られてもいいんだ?」
質問に苦笑する。強い眼差しに答えを返す。
「それが運命ですから」
「オレの運命は。決まってるの?」
ニコッとした表情で問われた。言葉に詰まる。瞳を覗かれる。
「まぁ、もう見付けたけど」
顔が間近に迫り、結論を伝えてくる。
自分の非力さを理解していたので。抵抗しても徒労に終わるだろう事は、すぐに想像がつく。だから抗わずに、求められるまま……キスを受け止める。
これ以上の接触はダメだと慌てている自制心と、更に深くを愛されたいと望んでしまう欲望のせめぎ合いで。思考が絡め取られ、ぐちゃぐちゃな心境になる。
その時、耳慣れた音が聞こえた。家の固定電話のメロディだ。身を起こす。ソファ前のローテーブル上に置かれていた子機を手に取る。電話に出ると、すぐに兄の声が聞こえた。
「美緒?」
「お兄ちゃん?」
「ごめん、時間がないから手短に話す。実は家に財布を忘れてしまったんだ。バスに乗って暫くしてから気付いた。たまたま外出先で会えた友達に電話代を貸してもらえたからよかったよ。沼田君とは話ができた?」
「えっと……うん、少し」
「分かった。俺、今から帰るから。心残りのないようにな」
兄が喋り終わった直後、電話が切れた。
「思っていたよりも早かったな」
電話の内容を聞いていた様子で、沼田さんが話し掛けてくる。振り向くより前に、腰を引き寄せられる。ソファに座る彼の脚の間に……腰を下ろす格好になる。
「沼田さ……ひゃぅっ?」
耳の後ろ辺りを舐められた。
「美緒……続きしよう」
切なげな声で望まれても。もうすぐ兄も帰ってくるし。沼田さんと離れたくない気持ちはあるけど、まだ心の整理がついていない。兄からの電話に助けられたと思った。
背中に沼田さんの体温を感じて、尋常じゃない程にドキドキしている。
「まだ、その……。節度を守ってですね……」
考えを、上手く言葉にできない。しどろもどろに言い掛けていたところで、沼田さんの声に遮られた。
「どこまでなら許される?」
脇の下から差し込まれた彼の手に、胸を揉み回される。先程、ボタンを外され開いた白いブラウスから出てしまっている……白のタンクトップ。それさえまくり上げられ……薄紫色のブラジャーの上から無遠慮に捏ねられ、焦ってしまう。
「や……だめです」
「何で?」
「まだ、ダメです」
「どのくらい待てば、許してもらえる?」
沼田さんの問い掛けを受け、言葉に詰まった。少し考えて答える。
「今日ここに来る前……喫茶店の駐車場で、一緒に花火を見る約束をしましたよね? 約束が果たされる時までに、心を決めておきます」
「分かった。けどさ。その前であっても。キスはしていいんだよな?」
「えっと……はい」
私たちは「キスの練習」という名目で、人目を忍んで会っている。もちろん大前提なので断らない。むしろ私の我儘を沼田さんが叶えてくれているので、申し訳ない気もしてくる。私の要望ばかり聞いてもらっているような状況だと思う。
だがしかし。「キスの練習」には「私が兄を振り向かせようと不意打ちでキスをする時の為、キスに慣れておく必要がある」という建前がある。よくよく沼田さんとの会話を思い返してみると。私の沼田さんへの恋心は、もう十分にバレているような……?
それに。彼が私を好きだと言ってくれた。
「好きって言ってもらえて、嬉しかったです」
そんな風に思ってもらえるなんて。だけど素直に喜べない引っ掛かりが、胸に残っている。柚佳さんの事と、沼田さん自身についてだ。
これまで沼田さんに柚佳さんの事を聞けないでいたのは、夢のような時間が終わってしまう気がしていたから。
沼田さんは、きっと……彼女を選ぶ。
仕方のない事だけど、でもやっぱり納得できない気持ちもあって。寂しさめいた、もやもやした思いを抱えていた。
もう一つの引っ掛かりは。沼田さんが、どこかいつもの沼田さんじゃないような違和感があるのと。私へ向けてくる好意の正体。
好きだと言ってくれる沼田さんの言葉を疑いたくないのに。いつどこで好きになってもらえたのかとか。どんなところが好きなのかとか。全然、見当がつかなくて戸惑っていた。
けれど、自分から尋ねる勇気を持てなかった。柚佳さんの事を聞けないのと同様に、少しの間くらい夢見心地でいてもいいんじゃないかと考えていた。
花火を二人で見る日……それは多分、この夢に決着をつけて現実に帰って来る日なんだろうな。
「沼田さんと、たくさんキスしたいです」
振り向いて顔を見上げる。兄が家に戻るまで、沼田さんと口付け合っていた。
沼田さんと初めて「練習」した日から、数日が経った。
今日の放課後、二度目の「練習」をする予定がある。前回会った際に約束していた。場所はカラオケ。
「沼田さんとカラオケ!」
とてもワクワクしている。
放課後になり、カラオケ店のある繁華街へ赴く。待ち合わせ場所に決めていたコンビニへ入る。沼田さんとの関係は二人だけの秘密なので……知り合いに怪しまれないよう別々に移動し、ここで落ち合う事になっている。
スイーツのコーナーを眺めるフリをしながら、内心そわそわしていた。到着するの早かったかな?
チラチラと見ていた出入口付近のガラス窓に、待ち焦がれていた人影を発見して嬉しくなる。
「沼田さ……ん」
コンビニに足を踏み入れた彼の名を呼ぶ。呼び掛けている最中、大変な事態に気付いた。ニコニコと緩み切っているだろう自分の表情が、一気に強張るのを感じる。彼の隣に……私たちの秘密を、一番知られてはならない人物が立っている。
「柚佳さん……」
呟いて呆然と見つめる。
沼田さんの彼女、一井柚佳さん。私と同じ灰色の制服姿で、綺麗な黒髪は短めのポニーテールにまとめられている。私より背が高い。昨日テレビで見たアイドルよりも、可愛い容姿だと思う。
「美緒ちゃん?」
柚佳さんも私を見て驚いている様子だった。普段も大きな優しい印象の目が、今は更に大きく瞠られている。
「悪い美緒。柚佳がしつこくて、振り切れなかった」
沼田さんに謝られて愕然とする。まさか私たちの関係もバレたのかな? 背筋が寒くなる。続け様に言い渡された。
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