世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました

芦田オグリ

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【04】冒険者ギルド

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「……追ってこない、よな」

 粗末な宿の一室で、ヒューは独りごちた。
 エルドヴァルドから貰った転移アイテム《旅渡りの秘石》を使い、バルディオンの国境付近へ、そこから越境し二日、街道を外れ、さらに脇道を選んでここまで来た。変装もし、足跡は残していない。さすがにアレックスでも、こんな辺境まで追ってくるはずがない。そう思いたかった。

 だが、胸の奥に残るざわめきは、なかなか静まらなかった。

 最初に異変を感じたのは、息を深く吸い込んだときだ。
 肺の奥が、きしりと鈍く軋む。喉の奥に、鉄の味が滲んだ。

「……っ、げほ……」
 咄嗟に布で押さえた口元に、咳が漏れる。布越しに伝わる生温い感触に、ヒューは眉をしかめた。
《魔瘴浸食症》。
 魔族領の中でもその最果て――魔王の居城のある迷宮《果てなき牢獄》の中に満ちる高濃度の瘴気を長期間・反復的に吸い続けたことで、体内に《魔毒》が沈着する。
 そもそもそこに辿り着く者が稀であり、一般的には知られていない。治療法も確立されたものはない。《聖女》セシィリアがもたらした《女神の加護》で、パーティー全体の魔毒抵抗力は底上げされたが、元々が英雄でも超人でもないヒューは、僅かずつだがその身を蝕まれていた。
 心配かけさせたくないから、誰にも言わなかったが、エルドには気づかれていたようだ。

(まだ、動ける……)

 そう自分に言い聞かせながら、無意識に左手を握りしめる。
 手袋の下、指の付け根が、じんと熱を持ったように疼いていた。
 ――何も、嵌めていないはずなのに。
 どんな気持ちで、アレックスはあの指輪を嵌めたのだろう。
 考えた途端、胸の奥がじくりと痛んだ。病のせいなのか、それとも別の理由なのか、ヒューにはもう区別がつかない。

「……考えても、仕方ねぇか」
 低く呟き、ヒューはゆっくりと息を整える。
 感傷に浸っていても、腹は膨れない。生きていくには、金が要る。

 寝台の脇に置いた小袋を取って中身を確かめる。残っている路銀は心許ない。これでは、数日も持たないだろう。
(エルドの奴も荷物くれるなら、ついでに路銀忍ばせといてくれよ……)
 いっそ貰った魔道具をいくつか売ろうかと思ったが、辺境の村では価値も分からないだろう。貰った褒賞はもちろん置いて来たし、路銀稼ぎが必要だ。少し進んだ街に、冒険者ギルドがある。そこに登録するのが、一番手っ取り早い。
 何も持っていなかった頃は、窃盗を繰り返し、路地裏に身を潜めて生きていた。少し成長してからは、せめて金持ちそうな奴や、悪そうな奴から財布をすり取った。ターゲットを変えても、盗みには変わりない。真っ直ぐ生きていくやり方なんて、分からなかった。
 それでも生き方を変えたくて、冒険者ギルドに登録しようとしたこともあったが、痩せ細った子供には務まらないと門前払いされた。
「……冒険者、か」
 小さく息を吐く。
 もう盗みはしない。アレックスの名が、胸に引っかかるからだ。
 正規の仕事で金を稼ぐなら、この辺境ではそれしかない。
(今なら、簡単な仕事くらい出来るだろ……)
 成長し、悪くない装備をしているし、見た目で侮られることはないだろう。アレックスと旅していたときは、あいつがいれば誰でもちゃんと話を聞いてくれた。
 ――ああ、そうか。

(一人になるなんて、十年以上ぶりか……)



 簡単に身支度を整え、マントの下に短剣と弓を隠す。
 鏡に映る自分の顔色は、相変わらず良いとは言えないが、動けないほどではない。
(まだ、少しは働けるだろ……)
 そう言い聞かせて、ヒューは宿の扉を押し開けた。朝の冷たい空気が、肺の奥に流れ込む。たしかにバルディオンを離れると、少し空気が澄んでいるような気がする。
(……よし、これなら動けそうだ)
 冒険者ギルドのあるサリオンの街まで、貴重な《旅渡りの秘石》を使うまでもない。乗合馬車に揺られ、半日ほどで到着した。
 街の通りは、すでに人の往来で賑わっている。バルディオンへの道すがら、ここで宿を取って滞在したことがある。
(懐かしいな)
 もうずっと昔のことみたいだ。ろくに祖国を出たことのなかった《竜騎士》のリオネスは新しい街に来るたびにはしゃいで、迷子になったのを捜してやった。《魔剣士》のガインは酒場の踊り子を口説きに通って、迎えに行ったものだ。お人好しの《聖女》セシィリアは人助けの頼みをいくらでも引き受けてくるから、旅も中々進まなかった。
 全員規格外の英雄ではあるが、誰もが人間らしい一面があった。懐かしい仲間の顔をしばし思い出す。
 入り組んだ路地をヒューは迷わず進み、見知った通りの先に、木造の簡素な建物が見えた。
 剣と盾の意匠が掲げられた、冒険者ギルドだ。
 ヒューは一瞬だけ足を止め、左の手袋の上から、指の付け根に触れた。
「……俺は、俺のやり方で生きる」
 誰に向けるでもなくそう呟き、木造の扉を押し開いた。

 酒と鉄と汗の匂いが鼻を突く。
 ヒューはフードを目深に被ったまま、中に足を踏み入れた。
 依頼の張り紙を眺める屈強な戦士、肩に杖を掛けた魔法使い、寝不足そうな斥候風の男。懐かしい雰囲気だ。
(昔は路銀稼ぎのために、アレクが登録してたっけ)
 駆け出しの戦士だったアレックスが、たまに仕事を受けて、凌ぐこともあった。彼が勇者と呼ばれるようになると、そんな必要も無く、各国から支援を受けられた。
(……普通の冒険者って、こんな感じだったよな)
 十年ぶりに戻ってきた“日常”が、やけに遠く感じた。あの頃は苦しかったが、楽しかったこともあったかもしれない。
(ヒューがいれば、罠も解除出来るし、敵も見つけられるし、鍵も開けられるから、すごいね!)
 生きるために身に着けた術を、尊い技のように、きらきらとした目でアレックスが褒めてくれた。
「ご登録ですか?」
 カウンターに立つ若いギルド受付嬢が、ヒューを見て営業用の笑顔を向ける。
「雑用でも罠解除でもいいから、出来る仕事があれば」
 そう言うと、受付嬢は少しだけ目を瞬かせた。
「手先が器用な方は大歓迎です。戦闘以外でのお仕事をお探しで?」
「一応……出来そうなのは偵察、探索、鍵開け、罠解除、撤退支援……」
「盛るなぁ」
 背後で揶揄するような声が聞こえた。
「痩せてるし、顔色もなんか悪いな」
「女みてえなツラしてるしよ」
「やめとけよ、兄ちゃん。装備売って、酒場ででも働きな」
「こら! ギルド内で騒がないでください!」
 受付嬢が慌てたように声を上げる。
「で、では、簡易診断をお願いしますね」
 水晶に手を触れるよう促され、ヒューは素直に従った。

 ――次の瞬間。
 水晶が、淡く、だが異様な密度で輝いた。

「……えっ? あれっ?」
 受付嬢の声が裏返る。
「危機察知、敏捷性、致命打成功率、索敵反応、魔法耐久……すみません、これって……」
「壊れてんのか?」
「い、いえ、壊れてはいませんが……斥候系としては、理論上限値に近い数値が出ているので……」
 背後で、ざわ、と空気が揺れた。
「上限値なんて、戦士でも出ないぞ」
「あんな光、見たことねえし、壊れてんだろ」
 ヒューは慌てて水晶から手を離した。
「きっと、前線に長くいたからだ」
「前線……? バルディオンの魔境線ですか?」
 受付嬢が訝しげに顔を上げる。
 ヒューは一瞬だけ迷い、曖昧に答えた。
「勇者を支援する部隊で、斥候を少し……」
「《魔王殺しの勇者》アレックス・ディア!?」
 受付嬢が甲高い声を上げ、興奮して立ち上がった。
「もしかして、魔境討滅戦に参加された、傭兵部隊の方でしょうか!?」
「まあ……」
「凄いです! 各国から集まった強者達が、魔王城攻略に挑む勇者パーティーを支援したんですよね!?」
 また背後がざわついた。
「それならたんまりと報奨金貰ってるはずだぜ」
「でも水晶玉の光り方見ただろ?」
「訳ありなんだろ」
 訳ありも訳ありである。傭兵部隊どころか勇者パーティーの一員で、その勇者に告白されて、逃げてきたのだから。
(登録するのに、水晶玉での診断があるなんて知らなかった……)
 フードの端を指で深く下ろしながら、ヒューは声を詰まらせた。
「……簡単な仕事が欲しいんだ」
「仮登録は必要無いですね。では登録名を」
「……ジャックで」
「ジャックさんですね」
 受付嬢が帳面にペンを走らせる。
「募集は掲示板にも張り出してありますが、ジャックさんは水晶玉のお墨付きなので、お願いしたいものを、ピックアップしました」
 彼女に提示されたのは、《小型魔物の巣の除去》《盗賊崩れの掃討》《森の異変調査》のいずれかだった。
(アレクの奴なら、魔物か盗賊だな)
「じゃあ、森の調査にする」
「かしこまりました。ではもう一度、水晶に手を……」
「え、また?」
「手続きです、手続き」
 やたらとにこにこし出したギルド受付嬢に促され、手続きを済ませると、好奇の視線を受けながら、ヒューは逃げるようにその場を離れた。
 こういう目立つのはいつも、アレックスだったのに。凱旋パーティーでも色々と話しかけられるのが嫌で、園庭の隅に逃げたのだ。
「……とりあえず、仕事は得られたな……」
 ギルドを出て、ヒューはほっと息をついた。一人で仕事をするなんて久々だ。アレクと旅に出るより前だな、と思い、また胸が痛んだ気がしたが、気づかないふりをして歩き出した。

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