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【11】黒い血
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「ワーテイル、またね」
リオネルが飛竜の首に手を置き、鱗を撫でる。彼らは契約をした竜と対話し、友となることが出来る。それは主従関係ではなく、対等なものであり、魂同士の繋がりだという。
一体と契約するのすら難しいという竜と、リオネルはこれまでに五体と契約している。
飛竜と目が合ったので、ヒューも小さく手を振った。機会があったらまた鱗を磨いてやろう。
アレックスも捕らえた神馬に名を付けて縛り、圧倒的な勇者の力で従わせているが、それは強引な主従関係――隷属契約に近いものらしい。エルドヴァルドに言わせると『少々乱暴な召喚術』で、アレックスの力が弱まれば、「シルヴァーンはたちまち彼の頭を踏み潰してしまうだろうね」と笑っていた。
つむじ風が巻きあがったかと思うと、ワーテイルの姿が消えた。
「ヒューに会えて嬉しいって言ってたよ」
「そっか。心配かけて悪かったな」
駆け寄ってきたリオネルが、ヒューの腕にぎゅっと抱きついてきた。
「少し背伸びたか?」
「そうかも。すぐヒューのこと追い越すよ」
「いやまだだろ」
いつの間にかヒューから見て目の高さくらいの背丈になり、屈まなくても自然に目が合うようになった。旅が終わると、そんなことにも気づく。
「もう十二だもんな」
「この前セシィが泣いてた。『旅に出たときは二十代だったのに……』って」
「まあ、旅も長かったから……」
「ねえ、どこの宿に泊ってんの? ボクも泊っていいよね?」
「一回バルディオンに帰ったら?」
「やだ。アレクにバレないうちにさ、早くハーケイルに行こうよ。それとも別んとこ行く? ヒューの故郷とか? 北のエストラだよね?」
「故郷単語には手紙を出してる。今はいいよ」
北の故郷はもう雪に閉ざされている頃だ。それに、死ぬ前にもう一度行きたい場所でもなかった。
やり残したことは、竜の卵を孵してやることぐらいだ。それからリオネルを母親ラドネーの許へ帰してやる時間くらいはあるだろう。
「……そうだな。別に、いいか……じゃあ、宿に来るか?」
「やった!」
リオネルが顔を輝かせる。胸に軋むような痛みが走ったが、ヒューは誤魔化すように微笑んだ。
「外套くらい買ってやるよ。その格好じゃ目立つし……」
「わーい、お店行きたい!」
好奇心の強いリオネルは、街を散策するのが好きで、立ち寄るたびに迷子になっては、必死で探し回った。幼い頃は本当に肝が冷えた。今思えば、居場所が分かる魔道具なんて作れるのなら、エルドに作っておいてほしかった。
「その子――いい鎧着てるねえ」
適当に選んだ店で、初老の主人が目を見張った。しまった、価値が分かる商人だ、とヒューは苦笑いをした。
「うん、竜の鱗の鎧!」
「……っぽく作った鎧だ」
無邪気に頷くリオネルに、慌てて言葉をかぶせる。
剥がれた竜の鱗を重ね合わせて作られた、ハーケイルの竜騎士だけが身に着けている《竜鱗鎧》は、軽量かつ柔軟性があり、そのうえ丈夫だ。使用した竜の鱗によって、様々な耐性を持っている。リオネルの鎧は数種類の竜鱗を頑丈に重ね合わせ、熱も冷気も雷撃もほぼ通さない上質なものだ。
「ははは、盗ったりせんよ。勇者様のお陰で、景気も良いんだ。これから旅に出ようって者も多い。旅装束が面白いように売れてね」
「子供用の外套、在庫ある? 鎧の上からでも羽織れるやつ」
「そんな子供じゃないよー」
「ちょうどいいサイズがあるよ」
気の良さそうな主人が、何枚か外套を持って来て、広げてみせた。
「素材は違うが、機能は似たようなもんだよ。好きな色や形で選んでいい」
「えー、じゃあこれ! ヒューのやつと色似てる!」
「お前着てみてから選べよ」
「槍も立派なもんだ」
背負っている長槍をヒューが外してやると、老主人が目を細めた。
「うん! ブリューナ……」
「特注の槍だ!」
慌てて言葉をかぶせる。
ハーケイルの竜騎士たちは、竜鱗鎧の背に《ハーケイル式竜騎士槍》という長槍を固定させている。それが基本の装備だが、リオネルの持つ長槍は、《光槍ブリューナク》という無二の神器だ。勇者の仲間だと一発でバレてしまう。
「……ははは、では槍を包む布もおまけしようか。良い武具を、あまり人目に触れさせては面倒なことにもなるからね」
「わぁ! ありがとう!」
リオネルは素直に喜び、ヒューは出来た店主に感謝した。
市場で食材を買って、宿に戻っていると、リオネルが不思議そうに尋ねた。
「宿に泊まってるのに、自分で作ってんの?」
「まとまった金を渡してしばらく滞在する客には、調理場貸してくれるんだよ。そのほうが節約になるだろ」
「報奨金貰ってないの?」
「エルドが口座に振り込んでくれた。でも、出来るだけ手をつけたくねーから」
「それも孤児院に寄付しちゃうの?」
「……まあ、そうするかもな」
「自分のために持っといたほうがいーよ?」
持っていても、役に立たないまま死ぬよりはマシだろとは言えず、そうだな、とヒューは曖昧に頷いた。
「宿のメシも美味いぞ。そっちがいいか?」
「ううん! 久しぶりにヒューのご飯食べたい!」
「いや、スープぐらいしか作んねーけど……」
「旅を思い出すね。懐かしいな。ボク、あのときのほうが良かったなぁ。いま、毎日パーティーとか挨拶とか、そんなんばっかり」
うんざりしたようにリオネルが舌を出す。
「魔獣退治とかしてるんだろ?」
「アレクはね。でもぜーんぶ一人で倒しちゃってるよ。いま魔族領やその近くは魔瘴が酷いから、アレク以外は行かなくていいって、エルドが」
「そうか……あいつも大変だな」
「全然! いい気味! ヒューを傷つけたんだから」
「傷つけられたわけじゃないって」
「『手籠め』でしょ?」
「そうじゃなくて……俺が、居づらくなったんだよ。勇者の仲間としてあそこにいるのも」
「仲間じゃん」
「そうだけど……」
「えー、ボク、ヒューがいなかったら途中でハーケイルに帰ってたかも。セシィもさ、寝てるときいっつもお腹出してて、ヒューが毛布掛け直してあげてたじゃん。じゃなかったらお腹壊して戦えてないよ。ガインのことも、いっつも酒場まで迎えに行ってたし」
フォローされればされるほど、本当にお母さんレベルの助けしかしていない。一応、偵察したり、罠を解除したりもしたのだが。
宿に戻ると、気さくな女将に事情を話して、リオネルのぶんの宿代を払った。
「子供って言っても、けっこう大きい子じゃないか。もう一つ部屋を用意するよ」
するとリオネルは頑なに首を横に振った。
「いい。ボク、ヒューと寝る」
「俺が床で寝るから、寝具だけ貸してくれ。あと、調理場借りる」
簡単な料理をし、部屋に戻ってパンと一緒に卓に並べた。座って胸の前で手を組むと、リオネルも真似た。
「ヒューの国ってさ、みんなこうやってお祈りすんの?」
早々に祈りを止め、スープを口に運びながら、リオネルが尋ねた。
「するよ。みんなじゃないけどな」
「女神様に感謝してるの?」
「俺はメシに感謝してる。今日も食えて感謝、だな」
飢えても凍えても、どれだけ祈っても、女神様は助けてくれない。でも何かにありつけたとき、自然と手は祈りの形を取り、目を閉じて感謝した。そうしないと、もう二度と与えられないような気がした。
「……たまに貰える、施しの日が楽しみ過ぎて、それでかもな。食べる前に祈るように言われてたし」
「女神様のこと、嫌いじゃないの?」
「生まれが悪いからって、神様にキレてもしょーがねーだろ。神様だって、人間を一人ずつ見てねーよ」
「そーだねー、アレクぐらいじゃなきゃね」
「そうそう。勇者ぐらいじゃねーと」
神の祝福を受けられる人間は、王様でも司祭様でもない、《勇者》だけだ。《勇者》は世界が乱れるときに、ただ一人現れる。その『ただ一人』を目指したり、捜したり――多くの者が求める、それが《勇者》で、アレックスだった。
「……ほんとに、勇者になっちまったな」
苦笑いで呟き、ヒューはパンを手に取って千切ろうとした。そのとき、喉の奥にせり上がってくる熱に、思わず口を押さえて身を引いた。
「ヒュー?」
勢いよく立ち上がったので、椅子がガタンと大きな音を立てて倒れた。リオネルが顔を上げ、ぽかんと口を開けて見つめている。詰まった息の奥から、どろりと嫌な感覚が溢れ出した。
「……あ、っ……」
は、と堪えられない息を漏らしたとき、口から黒い血が溢れ、押さえた両手を汚して、ボタボタと床に落ちた。
「ヒュー!」
リオネルが慌てて立ち上がり、膝をついたヒューに駆け寄った。黒い血が喉に引っかかりながら溢れ出て、激しく咳き込んだ。びしゃ、と嫌な音を立てて、黒い血だまりが広がっていく。
「黒い血!? なにこれ、魔毒……!?」
「……さ、触るな……」
感染するものではないが、清潔なものでもない。ヒューは首を振って、リオネルを制止しようとしたが、思いのほか力強い手が、しっかりと背中を支えた。
「どうしよ……苦しい……? あっ、ぜんぶ、吐いちゃったら!?」
血を詰まらせ、背を丸めるヒューの口に、リオネルが指を差し入れた。遠慮なく喉をこじ開けられて、ぐっと吐き気がせり上がる。
「はっ、……げほっ……」
むせながら、なんとか呼吸をする。空気が肺に満ちた。しばらく咳き込み続けたが、その間ずっとリオネルが背中を擦っていた。
「……《魔瘴侵蝕症》……? なんで……? セシィが《女神の加護》を使って、キャンセルしたんじゃないの!?」
泣きそうな声で、リオネルが憤りをあらわにした。
「盗賊、には、加護がねえの、かも……」
「冗談つまんないよ!」
はぁ、と息を吐き出しながら、ヒューは笑いかけようとしたが、出来ずに霞む視界の中で、リオネルを見つめた。もう力が僅かにも入らない。
「……悪い……ハーケ……ル、いけな……」
「喋んないほうがいいって!」
リオネルが涙混じりの声で怒鳴る。
こんなにいきなり、終わりがくるなんて。リオネルも竜の卵も置いて。――もう少し、もう少し生きねーと……そう思いながら、意識が遠のいていった。
リオネルが飛竜の首に手を置き、鱗を撫でる。彼らは契約をした竜と対話し、友となることが出来る。それは主従関係ではなく、対等なものであり、魂同士の繋がりだという。
一体と契約するのすら難しいという竜と、リオネルはこれまでに五体と契約している。
飛竜と目が合ったので、ヒューも小さく手を振った。機会があったらまた鱗を磨いてやろう。
アレックスも捕らえた神馬に名を付けて縛り、圧倒的な勇者の力で従わせているが、それは強引な主従関係――隷属契約に近いものらしい。エルドヴァルドに言わせると『少々乱暴な召喚術』で、アレックスの力が弱まれば、「シルヴァーンはたちまち彼の頭を踏み潰してしまうだろうね」と笑っていた。
つむじ風が巻きあがったかと思うと、ワーテイルの姿が消えた。
「ヒューに会えて嬉しいって言ってたよ」
「そっか。心配かけて悪かったな」
駆け寄ってきたリオネルが、ヒューの腕にぎゅっと抱きついてきた。
「少し背伸びたか?」
「そうかも。すぐヒューのこと追い越すよ」
「いやまだだろ」
いつの間にかヒューから見て目の高さくらいの背丈になり、屈まなくても自然に目が合うようになった。旅が終わると、そんなことにも気づく。
「もう十二だもんな」
「この前セシィが泣いてた。『旅に出たときは二十代だったのに……』って」
「まあ、旅も長かったから……」
「ねえ、どこの宿に泊ってんの? ボクも泊っていいよね?」
「一回バルディオンに帰ったら?」
「やだ。アレクにバレないうちにさ、早くハーケイルに行こうよ。それとも別んとこ行く? ヒューの故郷とか? 北のエストラだよね?」
「故郷単語には手紙を出してる。今はいいよ」
北の故郷はもう雪に閉ざされている頃だ。それに、死ぬ前にもう一度行きたい場所でもなかった。
やり残したことは、竜の卵を孵してやることぐらいだ。それからリオネルを母親ラドネーの許へ帰してやる時間くらいはあるだろう。
「……そうだな。別に、いいか……じゃあ、宿に来るか?」
「やった!」
リオネルが顔を輝かせる。胸に軋むような痛みが走ったが、ヒューは誤魔化すように微笑んだ。
「外套くらい買ってやるよ。その格好じゃ目立つし……」
「わーい、お店行きたい!」
好奇心の強いリオネルは、街を散策するのが好きで、立ち寄るたびに迷子になっては、必死で探し回った。幼い頃は本当に肝が冷えた。今思えば、居場所が分かる魔道具なんて作れるのなら、エルドに作っておいてほしかった。
「その子――いい鎧着てるねえ」
適当に選んだ店で、初老の主人が目を見張った。しまった、価値が分かる商人だ、とヒューは苦笑いをした。
「うん、竜の鱗の鎧!」
「……っぽく作った鎧だ」
無邪気に頷くリオネルに、慌てて言葉をかぶせる。
剥がれた竜の鱗を重ね合わせて作られた、ハーケイルの竜騎士だけが身に着けている《竜鱗鎧》は、軽量かつ柔軟性があり、そのうえ丈夫だ。使用した竜の鱗によって、様々な耐性を持っている。リオネルの鎧は数種類の竜鱗を頑丈に重ね合わせ、熱も冷気も雷撃もほぼ通さない上質なものだ。
「ははは、盗ったりせんよ。勇者様のお陰で、景気も良いんだ。これから旅に出ようって者も多い。旅装束が面白いように売れてね」
「子供用の外套、在庫ある? 鎧の上からでも羽織れるやつ」
「そんな子供じゃないよー」
「ちょうどいいサイズがあるよ」
気の良さそうな主人が、何枚か外套を持って来て、広げてみせた。
「素材は違うが、機能は似たようなもんだよ。好きな色や形で選んでいい」
「えー、じゃあこれ! ヒューのやつと色似てる!」
「お前着てみてから選べよ」
「槍も立派なもんだ」
背負っている長槍をヒューが外してやると、老主人が目を細めた。
「うん! ブリューナ……」
「特注の槍だ!」
慌てて言葉をかぶせる。
ハーケイルの竜騎士たちは、竜鱗鎧の背に《ハーケイル式竜騎士槍》という長槍を固定させている。それが基本の装備だが、リオネルの持つ長槍は、《光槍ブリューナク》という無二の神器だ。勇者の仲間だと一発でバレてしまう。
「……ははは、では槍を包む布もおまけしようか。良い武具を、あまり人目に触れさせては面倒なことにもなるからね」
「わぁ! ありがとう!」
リオネルは素直に喜び、ヒューは出来た店主に感謝した。
市場で食材を買って、宿に戻っていると、リオネルが不思議そうに尋ねた。
「宿に泊まってるのに、自分で作ってんの?」
「まとまった金を渡してしばらく滞在する客には、調理場貸してくれるんだよ。そのほうが節約になるだろ」
「報奨金貰ってないの?」
「エルドが口座に振り込んでくれた。でも、出来るだけ手をつけたくねーから」
「それも孤児院に寄付しちゃうの?」
「……まあ、そうするかもな」
「自分のために持っといたほうがいーよ?」
持っていても、役に立たないまま死ぬよりはマシだろとは言えず、そうだな、とヒューは曖昧に頷いた。
「宿のメシも美味いぞ。そっちがいいか?」
「ううん! 久しぶりにヒューのご飯食べたい!」
「いや、スープぐらいしか作んねーけど……」
「旅を思い出すね。懐かしいな。ボク、あのときのほうが良かったなぁ。いま、毎日パーティーとか挨拶とか、そんなんばっかり」
うんざりしたようにリオネルが舌を出す。
「魔獣退治とかしてるんだろ?」
「アレクはね。でもぜーんぶ一人で倒しちゃってるよ。いま魔族領やその近くは魔瘴が酷いから、アレク以外は行かなくていいって、エルドが」
「そうか……あいつも大変だな」
「全然! いい気味! ヒューを傷つけたんだから」
「傷つけられたわけじゃないって」
「『手籠め』でしょ?」
「そうじゃなくて……俺が、居づらくなったんだよ。勇者の仲間としてあそこにいるのも」
「仲間じゃん」
「そうだけど……」
「えー、ボク、ヒューがいなかったら途中でハーケイルに帰ってたかも。セシィもさ、寝てるときいっつもお腹出してて、ヒューが毛布掛け直してあげてたじゃん。じゃなかったらお腹壊して戦えてないよ。ガインのことも、いっつも酒場まで迎えに行ってたし」
フォローされればされるほど、本当にお母さんレベルの助けしかしていない。一応、偵察したり、罠を解除したりもしたのだが。
宿に戻ると、気さくな女将に事情を話して、リオネルのぶんの宿代を払った。
「子供って言っても、けっこう大きい子じゃないか。もう一つ部屋を用意するよ」
するとリオネルは頑なに首を横に振った。
「いい。ボク、ヒューと寝る」
「俺が床で寝るから、寝具だけ貸してくれ。あと、調理場借りる」
簡単な料理をし、部屋に戻ってパンと一緒に卓に並べた。座って胸の前で手を組むと、リオネルも真似た。
「ヒューの国ってさ、みんなこうやってお祈りすんの?」
早々に祈りを止め、スープを口に運びながら、リオネルが尋ねた。
「するよ。みんなじゃないけどな」
「女神様に感謝してるの?」
「俺はメシに感謝してる。今日も食えて感謝、だな」
飢えても凍えても、どれだけ祈っても、女神様は助けてくれない。でも何かにありつけたとき、自然と手は祈りの形を取り、目を閉じて感謝した。そうしないと、もう二度と与えられないような気がした。
「……たまに貰える、施しの日が楽しみ過ぎて、それでかもな。食べる前に祈るように言われてたし」
「女神様のこと、嫌いじゃないの?」
「生まれが悪いからって、神様にキレてもしょーがねーだろ。神様だって、人間を一人ずつ見てねーよ」
「そーだねー、アレクぐらいじゃなきゃね」
「そうそう。勇者ぐらいじゃねーと」
神の祝福を受けられる人間は、王様でも司祭様でもない、《勇者》だけだ。《勇者》は世界が乱れるときに、ただ一人現れる。その『ただ一人』を目指したり、捜したり――多くの者が求める、それが《勇者》で、アレックスだった。
「……ほんとに、勇者になっちまったな」
苦笑いで呟き、ヒューはパンを手に取って千切ろうとした。そのとき、喉の奥にせり上がってくる熱に、思わず口を押さえて身を引いた。
「ヒュー?」
勢いよく立ち上がったので、椅子がガタンと大きな音を立てて倒れた。リオネルが顔を上げ、ぽかんと口を開けて見つめている。詰まった息の奥から、どろりと嫌な感覚が溢れ出した。
「……あ、っ……」
は、と堪えられない息を漏らしたとき、口から黒い血が溢れ、押さえた両手を汚して、ボタボタと床に落ちた。
「ヒュー!」
リオネルが慌てて立ち上がり、膝をついたヒューに駆け寄った。黒い血が喉に引っかかりながら溢れ出て、激しく咳き込んだ。びしゃ、と嫌な音を立てて、黒い血だまりが広がっていく。
「黒い血!? なにこれ、魔毒……!?」
「……さ、触るな……」
感染するものではないが、清潔なものでもない。ヒューは首を振って、リオネルを制止しようとしたが、思いのほか力強い手が、しっかりと背中を支えた。
「どうしよ……苦しい……? あっ、ぜんぶ、吐いちゃったら!?」
血を詰まらせ、背を丸めるヒューの口に、リオネルが指を差し入れた。遠慮なく喉をこじ開けられて、ぐっと吐き気がせり上がる。
「はっ、……げほっ……」
むせながら、なんとか呼吸をする。空気が肺に満ちた。しばらく咳き込み続けたが、その間ずっとリオネルが背中を擦っていた。
「……《魔瘴侵蝕症》……? なんで……? セシィが《女神の加護》を使って、キャンセルしたんじゃないの!?」
泣きそうな声で、リオネルが憤りをあらわにした。
「盗賊、には、加護がねえの、かも……」
「冗談つまんないよ!」
はぁ、と息を吐き出しながら、ヒューは笑いかけようとしたが、出来ずに霞む視界の中で、リオネルを見つめた。もう力が僅かにも入らない。
「……悪い……ハーケ……ル、いけな……」
「喋んないほうがいいって!」
リオネルが涙混じりの声で怒鳴る。
こんなにいきなり、終わりがくるなんて。リオネルも竜の卵も置いて。――もう少し、もう少し生きねーと……そう思いながら、意識が遠のいていった。
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