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執念の疾走──必ず追いつく
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僕は村の出口にいた。
遠く、馬車がかすかに見える。
――あれだ。
カトリーヌたちに知らせる時間はない。
今追わなきゃ、もう二度と追いつけない。
僕は走り出す。
でも、どうする? 無闇に身体強化を使えば、暴走の危険がある。
風魔法か? けど、もしここで見失ったら――。
いや、考えてる暇なんてない。
「……風魔法!」
魔力が体を包む。
背中を押されるように、視界がぶれるほどの加速。
——けど、すぐに気づいた。
これはやばい。
風魔法が、僕の体力を"奪っていく"。
「くっ……!!」
ただ走るよりも、足が鉛みたいに重くなる。
魔力は確かに速さをくれる。けど……これは"消耗する速さ"だ。
ただの移動手段じゃない。
僕の命を削ってるみたいな感覚……!!
全開はダメだ。
「抑えれば…まだ走れる!」
魔力量が足りるかどうか分からないけど、これしかない。
もう、後戻りはできない。
僕は走りながら風魔法を纏った。
その瞬間、風が僕を押し出すように背中を押してくれる。
「絶対…絶対、追いついてみせる!」
馬車を追いながら、頭の中で考える。
収穫祭の時、父さんが言ってた。
怪しい動きがある――まさか、これのことか?
「……あり得る。」
フードの男。ババ抜きでミアを欲しがった。
ガスパード――あいつも裏で繋がってた?
いや、それだけじゃない。あの時、村人たち……異常だった。
「まさか……!」
ゾワリと背筋が冷える。
考えたくない可能性が、頭をよぎる。
人を操る能力。
「……だったら、全部辻褄が合う……!」
カトリーヌ。ライラを刺した村人。ミアを追い詰めた連中。
もし、あの時すでに誰かに操られていたとしたら――?
心臓が嫌な音を立てる。
あの男、やばすぎる。
でも、引っかかる。
「なんで僕やミアには使わなかった?」
もし僕を操れたなら、もっと楽に勝てたはず。
じゃあ、条件がある? それとも……?
考えがまとまらない。
けど、だんだん見えてきた気がする。
――視界の先、馬車の影が揺れた。
「はぁ、はぁ……ヤバい、息が上がってきた。」
風魔法で加速しても、体の消耗は止まらない。
むしろ、負担はどんどん増してる気がする。
思わず苦笑いがこぼれる。
「ちゃんと訓練受けておけばよかった、はは…」
その瞬間、ふと思い出す。
「いつか、カトリーヌと山を走るのもいいかも。」
僕は深く息を吸って、もう一度走り出す。
だけど――前方から、もう一台の馬車が近づいてきた。
「……何だ?」
追ってる馬車とは別だ。
街道の先から、こっちへ向かってくる。
行商人か?それとも誰か他の人か。
うーん、このまま行けば僕の村だ。声をかけるべきか?
いや、でも、馬車がもっと離れたらまずい。
伝えるだけなら…って、あ、もう少しで届く!
ギリギリで馬車が近づいてきた。御者が見える。
「おじさん!ミアが攫われた!!」
「は!?おじさんじゃない!おばさんだよ!!いや、"お姉さん"って呼びなよ!」
「あ、ごめん!でも、今はそんなこと言ってる場合じゃないんだ!村の領主に
伝えてほしい!急いで!」
無駄に時間を取るわけにはいかない。
「頼んだよ!」
すぐに馬車を離れる。
「何が起きてんだい……分かったよ!」
「村に入ったら気を付けてね!」
後ろから声がかかるけど、僕はすでにもう前を向いて走り始めてる。
あの馬車がどんどん遠ざかっていくのが目の前に浮かんで、焦る気持ちが強くなる。
僕はまた、必死に馬車を追い続ける。
「はぁ……伝えられた。これで、少しはマシか……」
とりあえず魔力はまだ問題ないはずだ。
風魔法を使って、これだけ走っても追いつけない。
「風魔法だけじゃ、追い付けないのか…?」
体に異変は…今のところ特に感じない。
さすがに眠くなるかと思ったけど…
それどころか、足がどんどん重くなってきた。
「くそ……こんなに遠くまで……!」
どれくらい走った? 振り返っても、エルムウッドの森さえ見えない。
子供の体力なんて、たかが知れてる。それでも、僕は走るしかなかった。
空が紫に染まりかけていた。
視界の先、馬車がだんだん霞んでいく。
その後ろ姿がますます遠くなるたび、心の中で焦りが広がっていく。
「頼む、どうして縮まらないんだ…」
足元がもつれて、視界が揺れた。
ガクッ!
「——ッ!!」
気づいた時には、地面に転がっていた。
肘を擦った。
ズキズキとした痛みが腕に走る。
目の前がぐるぐると回る。
息が苦しい。
でも、止まったら終わる。
ここで動けなくなったら——本当に、終わるんだ。
「……立て……!!」
声が、震えていた。
指に力を込める。
吐き気がこみ上げる。
けど、それでも——
「……僕は、まだ!!」
バッ!!
無理やり、体を起こした。
ふらつく視界の向こう、馬車がまだ見える……!!!
「ちくしょう…もう少しで…」
悔しさと焦燥感がこみ上げてくる。
「……嫌だ、離れないでくれ。」
足が動かない。心が折れそうになる。
「どうしても、取り戻さなきゃ――!」
僕は叫ぶ。自分に、運命に、抗うように。
「ぶっ壊せ……こんな運命!!」
その瞬間、体が熱くなる。
走るしかない。走らなければ、すべてが終わる。
「ミアァァァ!!!」
届いてくれ。
僕の声!!
気づけば、夜の闇が薄れ、空がわずかに白み始めていた。
どれだけ走ったのか、もはや分からない。
振り返る暇なんてない。
ただひとつ確かなのは――僕の足が、とうに限界を迎えていたことだった。
肺が焼ける。胸が裂けそうだ。
体力は、とうに底をついている。
転ぶ。起き上がる。
服は擦り切れ、ボロボロだった。
それでも、あきらめたくない。
こんなところで、止まるわけにはいかない。
僕は――完全に疲れ果てていた。
ミアに伝えたい。
今度こそ、あの手を掴みたい。
願っても、願っても。
馬車が僕を置いていく。
汗が気持ち悪い。
視界がぼやける。
ただ、無数の色が流れていく。
「あぁ…どこまでいくんだ、僕は。」
「本当に、どこかの国まで追いかけるつもりなのか…?」
遠くで鳥が鳴く。
……もう夜明けか。
「あの馬車、幻覚じゃないよな?」
地面がぬかるんでいる。靴が沈むたびに、足が取られる。
走るたびにバランスが崩れる。
「くそ…!」
膝が折れ、思わず地面に手をついた。
「もう…後悔したくないのに…」
心の中で、ただその思いがぐるぐる回る。
「僕は、限界なのか…?」
指先に、冷たい土の感触が広がる。
拳を握る力さえ、もう残っていない。
――止まった。
そのとき。
「大丈夫か、立てるだろ?」
背後から、聞き慣れた声が響いた。
振り向くと、そこには…
「えっ…?」
思わず目を擦る。でも、何も変わらない。
カトリーヌの声が、確かに聞こえた気がした。
「……カトリーヌ?」
幻覚か? いや、違う。 これは――。
脳裏に、彼女の姿が浮かぶ。
いつもの厳しい目じゃない。どこか、優しい目をしていた。
その瞬間。
「アーサー!!!」
胸を貫くような、力強い声。
「絶対諦めんじゃねぇ!!!」
響いた。
「カトリーヌ……?」
彼女が、僕に向かって力強く叫ぶ。
「こんなとこでくたばってんじゃねぇ!!!」
「お前にしかできねぇんだよ!!!」
叫びが、頭の奥まで叩き込まれる。
「アタシの弟子が! こんなとこで終わるなんて、絶対に許さねえ!!!」
カトリーヌの声が、胸をぶっ叩く。
何度も倒れた。何度も逃げた。
笑って、怒って、それでも——。
ずっと、カトリーヌと一緒にいた。
うるさいし、厳しいし、適当で。
でも、本当は優しかった。
気づけば、いつも隣にいた。
大事な弟子。
そんな風に、呼んでくれた。
きっと、最初からそう思ってくれてたんだ。
カトリーヌは、ずっと……僕を見てくれていた。
だから——もう一度、立ち上がらなきゃ。
「はは……ありがとう、カトリーヌ。」
涙を拭う。拳を握る。
次の瞬間、風が吹き抜けた。
振り返る。そこには、もう誰もいなかった。
「……あっ。」
もう少し見ていたかった。
でも、迷わない。
僕は、走る。
心臓がドクンと跳ねる。
絶対に、諦めない。
体中は泥だらけ、手は傷だらけ。
何もないはずの地面が、沈んでいくみたいだ。
足が、どこまでも沈んでいく。
それでも——。
無理やりでもいい。進め。進むんだ。
カトリーヌの言葉が僕を突き動かす。
「たとえ何かを失っても……」
「もう一度、動くんだ。」
咆えろ。何度でも。
「うあああ…!!!」
一歩。
もう一歩。
「……もう一歩だけ…!!」
「必ず、追いつく…!!」
声がかすれて、言葉にならない。
「ぐっ……まだ……」
体が重い。離れたくない。
「……だ……っ! ……あき…ら…め…」
世界が、遠のく。
言葉すら、まともに声にならない。
倒れたままじゃ、ミアに笑われる。
だから、心の中でだけは叫ぶ。
「……ミアに……会うんだ……」
だけど——。
腕を必死に伸ばしても、届かない。
雲が流れる。
涙が滲む。
膝が、地面を打つ。
腕に力を込める。
ミア。
よく喋る。
よく怒る。
すぐに偉そうにする。
でも——。
時々、ふと寂しそうな顔をする。
素直じゃないくせに、目の前の輝きには正直で。
本当に、めんどくさいやつだ。
それでも。
「……笑ってほしい……っ!」
ゆっくりと立ち上がる。
足を引きずる。痛みが走る。
それでも、足を前に出す。
「……ま…るな……」
止まるな!!!
それがどれだけしんどくても、止まれない。
「っ…も…すこ……し」
静寂が包み込んだ。
その瞬間、耳に届いたのは――
「お願いだから……私を、見つけて。」
ミアの声だ。響くように、鮮明に。
「ミ……ア…」
世界が止まった気がした。
目を閉じ、意識が朦朧とする。
呼吸が浅い。体が、限界を訴えている。
それでも。
「――あああああああ!!!!」
喉が裂けるような叫びとともに、体を叩き起こす。
足が、動く。
駆け出す。
どこまで走れるのか、わからない。
でも、行くしかない。
その時、道をそれた馬車がピタリと止まり、数人が降りて森へと足を踏み入れるのが見えた。
彼らは何かを担いでいるようだった。
胸の奥に冷たい予感が広がる。
奥歯を噛みしめる。
膝が笑い、今にも崩れそうになる。
それでも、進み続けた。
視界の端で、木々の影が揺れた。
ーーあそこだ。
ふらつく足を無理やり前へと押し出す。
木々は黒々と影を落とし、まるで何かを隠しているようだった。
風が吹き抜けると、葉がカサカサと揺れ、不吉な音を立てる。
(嫌な感じがする……)
だが、引き返すわけにはいかない。
僕は肩で息をしながら、朦朧とした意識のまま森へ向かう。
目の前の景色が歪む。
「まだ……間に合う……!」
無理やり足を前に出した瞬間、膝が折れた。
そして、ついに――森の入口に倒れ込むように足を踏み入れた。
何かが違う。
空気が変わった。
肌がざわつく。 まるで森そのものが僕を見ているような……。
その時――
胸の奥で、何かが動くのを感じた。
心臓がドクン、と一際大きな音を立てる。
その瞬間、
目の前の景色が少しだけ歪んだ気がした。
足が一歩、また一歩と進むたびに、僕の心臓がどんどん高鳴る。
心臓がさらに強くドクンと打つたび、
力が体内に染み渡っていくのを感じた。
――魔力ではない。
それは自然の力のような。
この先に何が待っているのか分からないけれど、もう後ろに引き返すわけにはいかない。
土の冷たさが足元からじわじわと伝わる。
普通の土じゃない、もっと深いものが、僕の体の中まで染み込んでくるような感覚。
「…何だ?」
無意識に足を進める。
無理に引きずるような歩き方でも、しっかりと大地が支えてくれる気がした。
ふと風が吹いて、木々がざわめく音が耳に届く。
それだけじゃない。土の下、何かが動いている気配を感じた。
「なんだ…?」
――ドクン。
心臓が、大地の鼓動に重なるように鳴る。
足元の土が、何かを訴えるように冷たい。
けれど、それは拒絶ではなく……呼びかけのようだった。
「……っ!」
体の内側で、何かが動く。
知らないはずの力が、僕の血の奥で蠢いている。
“行ける、もう少し…”
自分にそう言い聞かせながら、
足が、一歩。
また、一歩。
胸の奥が、熱い。
ただの疲労じゃない。
ただの魔力でもない。
何かが、流れ込んでくる。
森の息吹。
大地の鼓動。
空を駆ける風の気配。
「……これは……」
体の内側で、何かが目を覚ます。
ドクン。
もう、迷いはない。
僕は、進む。
遠く、馬車がかすかに見える。
――あれだ。
カトリーヌたちに知らせる時間はない。
今追わなきゃ、もう二度と追いつけない。
僕は走り出す。
でも、どうする? 無闇に身体強化を使えば、暴走の危険がある。
風魔法か? けど、もしここで見失ったら――。
いや、考えてる暇なんてない。
「……風魔法!」
魔力が体を包む。
背中を押されるように、視界がぶれるほどの加速。
——けど、すぐに気づいた。
これはやばい。
風魔法が、僕の体力を"奪っていく"。
「くっ……!!」
ただ走るよりも、足が鉛みたいに重くなる。
魔力は確かに速さをくれる。けど……これは"消耗する速さ"だ。
ただの移動手段じゃない。
僕の命を削ってるみたいな感覚……!!
全開はダメだ。
「抑えれば…まだ走れる!」
魔力量が足りるかどうか分からないけど、これしかない。
もう、後戻りはできない。
僕は走りながら風魔法を纏った。
その瞬間、風が僕を押し出すように背中を押してくれる。
「絶対…絶対、追いついてみせる!」
馬車を追いながら、頭の中で考える。
収穫祭の時、父さんが言ってた。
怪しい動きがある――まさか、これのことか?
「……あり得る。」
フードの男。ババ抜きでミアを欲しがった。
ガスパード――あいつも裏で繋がってた?
いや、それだけじゃない。あの時、村人たち……異常だった。
「まさか……!」
ゾワリと背筋が冷える。
考えたくない可能性が、頭をよぎる。
人を操る能力。
「……だったら、全部辻褄が合う……!」
カトリーヌ。ライラを刺した村人。ミアを追い詰めた連中。
もし、あの時すでに誰かに操られていたとしたら――?
心臓が嫌な音を立てる。
あの男、やばすぎる。
でも、引っかかる。
「なんで僕やミアには使わなかった?」
もし僕を操れたなら、もっと楽に勝てたはず。
じゃあ、条件がある? それとも……?
考えがまとまらない。
けど、だんだん見えてきた気がする。
――視界の先、馬車の影が揺れた。
「はぁ、はぁ……ヤバい、息が上がってきた。」
風魔法で加速しても、体の消耗は止まらない。
むしろ、負担はどんどん増してる気がする。
思わず苦笑いがこぼれる。
「ちゃんと訓練受けておけばよかった、はは…」
その瞬間、ふと思い出す。
「いつか、カトリーヌと山を走るのもいいかも。」
僕は深く息を吸って、もう一度走り出す。
だけど――前方から、もう一台の馬車が近づいてきた。
「……何だ?」
追ってる馬車とは別だ。
街道の先から、こっちへ向かってくる。
行商人か?それとも誰か他の人か。
うーん、このまま行けば僕の村だ。声をかけるべきか?
いや、でも、馬車がもっと離れたらまずい。
伝えるだけなら…って、あ、もう少しで届く!
ギリギリで馬車が近づいてきた。御者が見える。
「おじさん!ミアが攫われた!!」
「は!?おじさんじゃない!おばさんだよ!!いや、"お姉さん"って呼びなよ!」
「あ、ごめん!でも、今はそんなこと言ってる場合じゃないんだ!村の領主に
伝えてほしい!急いで!」
無駄に時間を取るわけにはいかない。
「頼んだよ!」
すぐに馬車を離れる。
「何が起きてんだい……分かったよ!」
「村に入ったら気を付けてね!」
後ろから声がかかるけど、僕はすでにもう前を向いて走り始めてる。
あの馬車がどんどん遠ざかっていくのが目の前に浮かんで、焦る気持ちが強くなる。
僕はまた、必死に馬車を追い続ける。
「はぁ……伝えられた。これで、少しはマシか……」
とりあえず魔力はまだ問題ないはずだ。
風魔法を使って、これだけ走っても追いつけない。
「風魔法だけじゃ、追い付けないのか…?」
体に異変は…今のところ特に感じない。
さすがに眠くなるかと思ったけど…
それどころか、足がどんどん重くなってきた。
「くそ……こんなに遠くまで……!」
どれくらい走った? 振り返っても、エルムウッドの森さえ見えない。
子供の体力なんて、たかが知れてる。それでも、僕は走るしかなかった。
空が紫に染まりかけていた。
視界の先、馬車がだんだん霞んでいく。
その後ろ姿がますます遠くなるたび、心の中で焦りが広がっていく。
「頼む、どうして縮まらないんだ…」
足元がもつれて、視界が揺れた。
ガクッ!
「——ッ!!」
気づいた時には、地面に転がっていた。
肘を擦った。
ズキズキとした痛みが腕に走る。
目の前がぐるぐると回る。
息が苦しい。
でも、止まったら終わる。
ここで動けなくなったら——本当に、終わるんだ。
「……立て……!!」
声が、震えていた。
指に力を込める。
吐き気がこみ上げる。
けど、それでも——
「……僕は、まだ!!」
バッ!!
無理やり、体を起こした。
ふらつく視界の向こう、馬車がまだ見える……!!!
「ちくしょう…もう少しで…」
悔しさと焦燥感がこみ上げてくる。
「……嫌だ、離れないでくれ。」
足が動かない。心が折れそうになる。
「どうしても、取り戻さなきゃ――!」
僕は叫ぶ。自分に、運命に、抗うように。
「ぶっ壊せ……こんな運命!!」
その瞬間、体が熱くなる。
走るしかない。走らなければ、すべてが終わる。
「ミアァァァ!!!」
届いてくれ。
僕の声!!
気づけば、夜の闇が薄れ、空がわずかに白み始めていた。
どれだけ走ったのか、もはや分からない。
振り返る暇なんてない。
ただひとつ確かなのは――僕の足が、とうに限界を迎えていたことだった。
肺が焼ける。胸が裂けそうだ。
体力は、とうに底をついている。
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服は擦り切れ、ボロボロだった。
それでも、あきらめたくない。
こんなところで、止まるわけにはいかない。
僕は――完全に疲れ果てていた。
ミアに伝えたい。
今度こそ、あの手を掴みたい。
願っても、願っても。
馬車が僕を置いていく。
汗が気持ち悪い。
視界がぼやける。
ただ、無数の色が流れていく。
「あぁ…どこまでいくんだ、僕は。」
「本当に、どこかの国まで追いかけるつもりなのか…?」
遠くで鳥が鳴く。
……もう夜明けか。
「あの馬車、幻覚じゃないよな?」
地面がぬかるんでいる。靴が沈むたびに、足が取られる。
走るたびにバランスが崩れる。
「くそ…!」
膝が折れ、思わず地面に手をついた。
「もう…後悔したくないのに…」
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「僕は、限界なのか…?」
指先に、冷たい土の感触が広がる。
拳を握る力さえ、もう残っていない。
――止まった。
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振り向くと、そこには…
「えっ…?」
思わず目を擦る。でも、何も変わらない。
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「……カトリーヌ?」
幻覚か? いや、違う。 これは――。
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その瞬間。
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胸を貫くような、力強い声。
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響いた。
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笑って、怒って、それでも——。
ずっと、カトリーヌと一緒にいた。
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でも、本当は優しかった。
気づけば、いつも隣にいた。
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そんな風に、呼んでくれた。
きっと、最初からそう思ってくれてたんだ。
カトリーヌは、ずっと……僕を見てくれていた。
だから——もう一度、立ち上がらなきゃ。
「はは……ありがとう、カトリーヌ。」
涙を拭う。拳を握る。
次の瞬間、風が吹き抜けた。
振り返る。そこには、もう誰もいなかった。
「……あっ。」
もう少し見ていたかった。
でも、迷わない。
僕は、走る。
心臓がドクンと跳ねる。
絶対に、諦めない。
体中は泥だらけ、手は傷だらけ。
何もないはずの地面が、沈んでいくみたいだ。
足が、どこまでも沈んでいく。
それでも——。
無理やりでもいい。進め。進むんだ。
カトリーヌの言葉が僕を突き動かす。
「たとえ何かを失っても……」
「もう一度、動くんだ。」
咆えろ。何度でも。
「うあああ…!!!」
一歩。
もう一歩。
「……もう一歩だけ…!!」
「必ず、追いつく…!!」
声がかすれて、言葉にならない。
「ぐっ……まだ……」
体が重い。離れたくない。
「……だ……っ! ……あき…ら…め…」
世界が、遠のく。
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だから、心の中でだけは叫ぶ。
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だけど——。
腕を必死に伸ばしても、届かない。
雲が流れる。
涙が滲む。
膝が、地面を打つ。
腕に力を込める。
ミア。
よく喋る。
よく怒る。
すぐに偉そうにする。
でも——。
時々、ふと寂しそうな顔をする。
素直じゃないくせに、目の前の輝きには正直で。
本当に、めんどくさいやつだ。
それでも。
「……笑ってほしい……っ!」
ゆっくりと立ち上がる。
足を引きずる。痛みが走る。
それでも、足を前に出す。
「……ま…るな……」
止まるな!!!
それがどれだけしんどくても、止まれない。
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「お願いだから……私を、見つけて。」
ミアの声だ。響くように、鮮明に。
「ミ……ア…」
世界が止まった気がした。
目を閉じ、意識が朦朧とする。
呼吸が浅い。体が、限界を訴えている。
それでも。
「――あああああああ!!!!」
喉が裂けるような叫びとともに、体を叩き起こす。
足が、動く。
駆け出す。
どこまで走れるのか、わからない。
でも、行くしかない。
その時、道をそれた馬車がピタリと止まり、数人が降りて森へと足を踏み入れるのが見えた。
彼らは何かを担いでいるようだった。
胸の奥に冷たい予感が広がる。
奥歯を噛みしめる。
膝が笑い、今にも崩れそうになる。
それでも、進み続けた。
視界の端で、木々の影が揺れた。
ーーあそこだ。
ふらつく足を無理やり前へと押し出す。
木々は黒々と影を落とし、まるで何かを隠しているようだった。
風が吹き抜けると、葉がカサカサと揺れ、不吉な音を立てる。
(嫌な感じがする……)
だが、引き返すわけにはいかない。
僕は肩で息をしながら、朦朧とした意識のまま森へ向かう。
目の前の景色が歪む。
「まだ……間に合う……!」
無理やり足を前に出した瞬間、膝が折れた。
そして、ついに――森の入口に倒れ込むように足を踏み入れた。
何かが違う。
空気が変わった。
肌がざわつく。 まるで森そのものが僕を見ているような……。
その時――
胸の奥で、何かが動くのを感じた。
心臓がドクン、と一際大きな音を立てる。
その瞬間、
目の前の景色が少しだけ歪んだ気がした。
足が一歩、また一歩と進むたびに、僕の心臓がどんどん高鳴る。
心臓がさらに強くドクンと打つたび、
力が体内に染み渡っていくのを感じた。
――魔力ではない。
それは自然の力のような。
この先に何が待っているのか分からないけれど、もう後ろに引き返すわけにはいかない。
土の冷たさが足元からじわじわと伝わる。
普通の土じゃない、もっと深いものが、僕の体の中まで染み込んでくるような感覚。
「…何だ?」
無意識に足を進める。
無理に引きずるような歩き方でも、しっかりと大地が支えてくれる気がした。
ふと風が吹いて、木々がざわめく音が耳に届く。
それだけじゃない。土の下、何かが動いている気配を感じた。
「なんだ…?」
――ドクン。
心臓が、大地の鼓動に重なるように鳴る。
足元の土が、何かを訴えるように冷たい。
けれど、それは拒絶ではなく……呼びかけのようだった。
「……っ!」
体の内側で、何かが動く。
知らないはずの力が、僕の血の奥で蠢いている。
“行ける、もう少し…”
自分にそう言い聞かせながら、
足が、一歩。
また、一歩。
胸の奥が、熱い。
ただの疲労じゃない。
ただの魔力でもない。
何かが、流れ込んでくる。
森の息吹。
大地の鼓動。
空を駆ける風の気配。
「……これは……」
体の内側で、何かが目を覚ます。
ドクン。
もう、迷いはない。
僕は、進む。
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※ 第5回次世代ファンタジーカップにて“超個性的キャラクター賞”を受賞。
※この小説は他サイトにも投稿しています。
『異世界ガチャでユニークスキル全部乗せ!? ポンコツ神と俺の無自覚最強スローライフ』
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> 仕事帰りにファンタジー小説を買った帰り道、不運にも事故死した38歳の男。
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異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました
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※※※※※
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バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
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バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
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