神の翼

斗弧呂天

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盗人

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城の女中は何者かの気配を感じ立ち止まった。
そこは城の上層階の廊下だった。
あたりを見回したが、やはり誰もいない。
気のせいだろうか。
手前の階段から足音が聞こえてきた。
見ると、警備兵であろう若い男が上ってきた。
「あの、ここで何を?」
女中は遠慮がちに話しかけた。
兵士は女中の存在を認め、近寄って来た。
「王からの命令で、ここの階のある部屋を警護するよう指示されました。」
「もしかして…北の塔の?」
「はい。姫様の戴冠式も近いので、念には念を入れて…と。」
女中は改めてその男を見上げた。
まだ二〇代であろう精悍な顔立ちは、女中の興味をくすぐるには充分であった。
「あなた、新人?」
「はっ、一週間程前に配属されました。トレーグです。」
「そう、ふふ、真面目なのね。今更あの部屋に警備に行く兵士なんていないわ」
「…あなたは、ここで何を?」
女中は洗濯籠を軽く持ち上げた。
兵士はうなずくと、ではここでと女中から離れていった。
しかし、少しして振り返り微笑んで言った。
「何かと物騒な事が多くなると思います。女性が城内を一人で出歩かない方がよろしいかと。特に、男性から狙われやすいような女性は。」
女中は、その兵士の後ろ姿に釘付けになった。

ーー男は、女中に向けた女用の笑みを即座に消した。
こういう場面で、男の顔の良さは役に立つ。
そして女中の勘違い甚だしい態度を思い出し、いつも通りの口を歪めた笑みを浮かべた。
女ほど自分を分かっていない生物はいないだろうと、男は思う。
全ての情報を自分好みに変え、全男性は自分に興味を持っていると思っている。
さっきのそばかすづらの女中もそういう類の女だった。
だからちょっと思わせぶりな態度をとってやるだけで、簡単に目の色を変えてくる。
あの女中の色気を匂わせた(と、本人はおもっているであろう)声を思い出すだけで、反吐が出そうだ。
男は小さく息を吐いた。

その部屋は、宝物庫にしてはいささか不用心なほどあっさり扉が開いた。
勿論鍵はかかっていたが、針金一本で簡単に外れてしまった。
『もうすぐフレッタ姫の戴冠式だ。各自気を付けろ。もし姫の身に何かあったらだからな。それと、一応北の塔の警備にもあたれ。いいな。』
憲兵のリーダーであろう中年男の話を盗み聞き、男は内心にやけた。
戴冠式などという一大行事のなか、警備しておいた方がいい部屋の中にあるものなど、たった一つだろう。
そのたった一つのものを男は待っていたのだ。
しかし、女中の話が頭をよぎった。

お宝がある部屋を、なぜ兵士は警備に行かないのだろう。
だらしなく垂れ下がった錠前を見つめ、男の疑問は更にひろがっていった。
ただ、いつまでもここで突っ立っているわけにはいかない。
兵士の甲冑を拝借しているとはいえ(その持ち主は、今頃地下倉庫の中で震えているだろう)今ここで見つかると面倒だ。
男は考えるのを一旦やめて、ドアに手をかけた。


部屋は全体的に埃を被っていた。
光が行き渡らず、薄暗がりの中に、城の備品であろう壺や椅子、置物などが放置されていた。
男は少し拍子抜けしたようだった。
確かにそれらを売り払えばそこそこの金額にはなるだろうが、男が求めていた獲物とは程遠かった。
まあ、今回はこれで我慢しようと、価値のありそうなものを選んで袋に放り込んでいると、男はなにかに気づいた。
壁だと思っていたそれは、色あせた埃避けの布を掛けられ、部屋の奥を占領していた。
男はそれに近づき、布を少しだけ捲った。
それは巨大なガラスのケースのようだった。
中身を見ようと、もう少しだけ布を捲る。
と、何かがぷつりと切れる感触があった。
突然轟音が響き、ドアに鉄格子が降りた。
しまったと思ったらもう遅かった。
次の瞬間肩の後ろの方に矢が突き刺さった。
壁に開けられた小さな穴から発射されたのであった。
間髪入れずに次々と矢が放たれたが、男はぎりぎりでかわし地面に伏せる。
…か。なるほどな。」
男はそう呟いて、耳をすませた。
矢が刺さった所から、血が滲んでいる。
ドアの向こうから、もう大勢の足音が聞こえる。
考えろ。
男はもう一度部屋を見渡した。
まだ矢が頭上を飛び交っている。
あった。
例のガラスケースの上に、明り取りであろう小窓が付いていた。
人ひとりくらいは何とか通り抜けられそうだ。
しかし、そのケースのせいで半分以上は隠れてしまっている。
男は更に視線をずらし、ケースの前の古びた椅子などが並んでいる場所を確認した。
そして、矢の嵐が止んだ瞬間、男は弾かれたように立ち上がり、そこに突進した。
既に背後では鉄格子が上がっていく音が聞こえていた。
男はまず袋を持って積み上げられた椅子に乗り、ガラスケースの上目がけ飛び上がった。
見事に上に乗ると、ケースは大きく揺れ、やがてゆっくりと窓と反対方向へ倒れだした。
男はそれを蹴って窓に飛び移り、間髪入れずに窓ガラスを蹴破った。
それと同時にドアが開き、屈強そうな兵士達が部屋に入ってきたが、男はお構い無しに窓の外へ飛び降りた。

その時だった。
ガラスケースの中の何かが蠢いた。
その瞬間、男は空中で意識を失った。
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