神の翼

斗弧呂天

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記憶

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男は猛烈な風の中、確かに自身の体が浮き上がった感覚を覚えた。
そして、それは渦の中を飛び出し、空に投げ出されたかと思うと、一瞬で方向を変えどこかに向かい始めた。
勿論足が地面を捉える感覚はない。
冷たい風が頬を流れ、恐る恐る男は目を開ける。
目の前は一面の霧だった。
眼下に薄らと森が見える。
男が住む森だった。
そうしても意味は無いが、背中を見る。
は規則的に力強く羽ばたき、どこかに向かっているようだった。

男は溜息をつこうとしたが、向かい風の中で、上手くいかなかった。
代わりに目を閉じた。
面倒なもん生やされちまったな。
そのとき、体が急降下し、男は小さく悲鳴をあげた。
どうやら目的地が近いらしい。
一直線でその翼が向かったのは、巨木群の中だった。
その巨木群は森の外れにあるおもに50メートル程の巨大樹で構成されている地帯だった。
男でさえ2,3回しかそこに足を踏み入れてはいなかった。
足が地面を捉え、無事着地すると、そこは丁度木々が途切れている場所で、中心に1本の枯れ木が立っていた。
男はゆっくりとその木に近づく。
辺りは薄暗く、花一つ咲いていなかった。
木の目の前に来ると、木がみしみしと鳴り、枝が揺れ動いた。
やがて幹の中から、1人の老人の顔が現れた。
森の番人エントだった。
エントは男を見ると、しわがれた声で言った。
『おや、これは珍しいお客じゃな。どうして…ここに勇者の翼が?』
「勇者?何のことだ。」
エントは重そうな瞼を瞬いた。
『貴方様のことじゃよ。勇者様。我らの救いの神。ナーテルダンの御加護を受けた者。そして、その証の翼を持つ者。』
男は頭をかいた。
「あー…多分人違いじゃないか?確かにこの邪魔くせえ翼はついてるが…勇者?冗談だろ。」
『なるほど。そなたが新しい宿主なんじゃな。わしはもう目は殆ど見えぬが、白い光に包まれた魂を感じる。あのお方の後継者、いや、生まれ変わりが現れた。』
男は溜息をつき、どかりとそこに座り込んで、あぐらをかいた。
「まったく。この森に俺の話を聞いてくれるまともな奴は居ないのか?まず俺は勇者でも何でもない。この翼だって勝手に生えてきただけだ。俺の望んだことじゃない。」
『そなたが望んでいないことは分かっておる。翼がお前を選んだのだから。』
「どういう事だ?」
『おや、まだ分からんか?翼がお前を選んだのじゃ。正確には、翼に込められた、あのお方のご意思が。なんと名誉なことではないか。』
「あのお方だの、宿主だの後継者だのって、いい加減にしてくれ。結局のところ俺は何なんだ!」
『さっきから言っとるではないか。勇者だ。』
男は頭痛がしてきた。
勇者?俺が?冗談じゃない。
大体俺はそんな立派な人間じゃない。
むしろそれとは正反対の道を来たつもりだ。
そう言いたいのを何とかこらえようとしていると、エントは男に尋ねた。
『どうしてお前はそんなにも翼を拒む?森の神々の祝福を受けているというのに。』
「…この翼の意味が分かってきたからに決まっているだろ。単なるお伽話だとばかり思っていたが。」
この忌々しい翼が生えてきてから、ずっと頭を掠めている、その
ルーフの民なら誰しもが知っている昔話だ。
『否定したいのだな。翼の器であることを。』
「…俺は、そんな大層な人間じゃない。」
男は黙った。エントも口をつぐんだ。
数秒の沈黙の後、男はどっかりと地面に座り込んで言った。
「いい加減このめんどくせえ翼にはうんざりなんだ。説明してくれ。知っていること全部だ。」
エントはうなづき、どこから話そうか迷う様な素振りを見せてからおもむろに話し出した。


『それは200年も前のことだった。』
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