神の翼

斗弧呂天

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「今日のはどうだディック。」
「へい、最近のごたごたで多少の落ち込みはありますが、気にするほどではないかと。」
狭い廊下を進みながら、オーナーであるディックはソーイにへりくだった態度で答えた。
「今月の売上の最高は。」
「ナターシャです。やはり娼館ここで一番若くて美しいですからね。」
「よし、そいつにはもっと客をとらせろ。で、最下位は?」
「ヴェイラです。やはり年齢が問題かと。」
「クビにしろ。」
「しかし、よろしいんですかい?新入りでまだ稼いでもいないのに。」
「そんなものナターシャの金ですぐに埋まるだろ。ただでさえ維持費が大変なんだ。切り捨てるところは即刻切り捨てろ。」
両隣のドアからは、くぐもった女達のが聞こえてくる。
最早それらが生活騒音のようにしか聞こえなくなっている彼には、さしたる興味がわかなかった。
不意に角の向こうから、ドアを乱暴に叩く音が響いてきた。
酔った男の声もする。
「お、おれだ!ダンだ!開けてくれるよな!?アンナ!どうして返事をしてくれないんだ?付き合ってくれって、なんで、何も言ってくれないんだ?!お、おれがこんなダメなやつだからか?好きって言ってくれただろ?おれのが好きだって、だ、だ、だから、おれ、くそみたいな女房も言うことをきかないガキも全部捨てて、お前のために、全部、ぜ、全部、なあ、アンナ!!」
酒と涙で赤くなった男の横顔に、ソーイの靴がめり込んだ。
男は床に叩きつけられるように倒れたあと、呻きながら這って逃げようとしたが、ディックが手を叩くと、屈強な部下二人が背後から現れ、男を羽交い締めにした。
訳の分からない言葉をまくし立てながら涙を流す男を取り押さえていると、部屋からアンナが出てきた。
「あ、アンナ!!おれ、変わったんだ!もうあのクソ女とも縁を切ったんだ!」
「ええ、聞いていたわ。」
部下がソーイに目で問いかける。
言わせておけと目で返した。
「ばっかじゃないの。お陰で私の商売上がったりなんだよ。何よ彼氏面して。一週間も付きまとって。いい加減にしな!禿げ親父が。」
アンナは男の顔面に唾をはきかけると、廊下の角へと消えた。
「そいつを表に叩き出せ。今後一切店に入れないようなざまにしろ。他の客の迷惑だからな。」
ソーイはディックを連れてその場を後にした。
背後から男の悲鳴が聞こえてきた。
「ディック。」
「へい?」
「さっき言ってたヴェイラって女は、確か子連れだったな。ここに来たのはいつからだ?」
「ちょうど一週間前ですが。」
「アンナがあの男に付きまとわれ始めたのが?」
「…一週間前ですな。」
「…。」
ソーイは小さく舌打ちをした。
「何か問題でも?」
「いや、今後の変更はさっきの通りだ。ヴェイラはクビにする。」
店を出てもソーイは空気が埃っぽいような気がした。
まあいい。
情で金は稼げない。

服屋はいつもの通り人気がなかった。
ソーイはカウンターに置いてある新聞を手に取り、椅子に腰掛けて眺めた。
暫く新聞を見つめていたが、ソーイの目は一文字も捉えてはいなかった。
「いらっしゃい。何かお探しですかい?」
新聞に目を落としながら言う。
しばしの沈黙。
そして棚の奥から男が出てきた。
黒いローブ姿で、フードで顔を隠している。
「日除け傘とブーツは売っているかな?」
声からして、思ったよりも若そうだった。
「そちらの端に置いていますぜ。」
男はその方を見る素振りも見せず、真っ直ぐソーイに向かってくる。
「ありがとう。」
「ついでにこちらなんてどうです?お安くしときますぜ。」
「いや、結構。」
ソーイはゆっくりと手を下にやり、カウンターの下に隠してある猟銃を手繰り寄せようとした。
しかし、もう少しで銃に手が触れようとしたところで、ソーイは諦めて手を引いた。
男はソーイの首元に当てた研ぎ澄まされた剣を少しだけ離してやってから問いかけた。
「よくお前のところに来る男がいるな。盗人家業をしている。そいつについて質問したいことがある。」
「…トルクのことか。」
男は頷いた。
「ふむ。率直に言うと、俺も知らない。」
「…何?」
「確かに昔少しだけ盗みの手伝いをしたこともあったが、あいつのことはほとんど知らないんだ。ただ言えるのは、少なくともあいつは俺の前ではトルクと名乗っていて、森に住んでる変人ってことぐらいだな。」
「森に?何故だ。」
「さあ?まあ仕事柄街に居づらいってのもあると思うが、あいつは自分のことを語るのを酷く嫌う。過去に何があったのか、俺にゃ到底聞き出せねえよ。」
「奴は森に住んでいると言ったな。どこの森に住んでいるんだ。」
「ここらで森って言ったら一つだよ。ここから北にしばらく行くとでっかい森があるんだ。年寄りは皆『森の精ナーテルダンの森』って言ってるがな。」
「ではそのナーテルダンの森に行けば、奴かいるのだな。」
「ま、恐らくは。」
「…分かった。礼を言う。」
剣をどけ、カウンターに大量の金貨が入った皮袋を置いた。
ドアを開けて出ていく男の背中を見やってから、ソーイは呟いた。
「…あの森に入れたらな。」

広場はこの前訪れた時よりも人が多かった。
誰もが口々に噂話や冗談を言い合い、どこからともなく音楽が聞こえてくる。
ルデアは人混みが嫌いだった。
しかし、道に抜けるにはここを通るしかないので、俯きながらなんとかやり過ごそうとした。
「皆のもの聴け!!」
いきなり中央に軍人らしき男が進み出て、声を張り上げた。
人々が立ち止まって、その人物に注目した。
「先日、我らルーフ国の姫君が、更には神の翼が行方不明になってから今日で一ヶ月となる!よって、王の命により、これらの犯人に賞金がかけられた!その額、百万デリル也!皆、一刻も早く犯人を探し出し、その首を王に捧げよ!以上!」
男が立ち去ると、その場にいた全員がひそひそと話し始めた。
「一ヶ月か…もうそんなに経つのね。」
「ええ、ご無事だといいのだけれど…」
「本当に翼は盗まれたのか?もしかしたら、真の勇者のところへ翼が向かったのかもしれないぞ。ほら、神話みたいに…」
「お前、まだそんなこと言ってるのかよ。神話なんて嘘っぱちに決まってるだろ。」
「可愛そうなのは姫様よ。戴冠式の前日にさらわれて…。」
「王もさぞかし気をもんでいるだろう。王家唯一の跡取りが。」
「確か王様、姫様を神の翼の継承者にしようと、色々稽古をつけていたんでしょ?その重役に耐えられなくなって、自ら城を出たんじゃ…。」
「いんやあの素直な姫様はそんな事しないさ。きっと。」
ルデアはしばらくそこに立ってまわりの話を聞いていたが、進む方向へ足を向けた。
何故このような時期で、姫が居なくなる?
そして神の翼が、何故あんな盗人に?
ルデアの疑問は、日に日に大きくなっていった。
森の方角を見やり、ルデアは心の中で呟いた。

お前は、一体何者なんだ?
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