神の翼

斗弧呂天

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「今なんて言ったんだ?ウォータリア。」
バルドゥルは目の前に座っている碧眼の君に訊ねた。
『お前の命を捧げよと言っているのだ。』
「なぜ俺が?」
『…お前のその背中のものが理由だ。』
ウォータリアがバルドゥルに手をかざすと、バルドゥルは痛みに呻いた。
背中の痕が膨らみ、波打ち、翼となって生えてきた。
その見事な翼は、目の前の森の神に敬意を払うように大きく広がった。
『…ああ、久しぶりだな、ウルラ。』
「ウルラ…やっぱりあの森の番人エントの言ったことは正しかったみてえだな。」
『その通りだ。だが、まだ語りきれていない部分があるようだな。時間が惜しいとはいえ、何も知らずに命を棄てろとは言わん。今こそ全てを語ろうぞ。』
ウォータリアはとぐろを巻いていた下半身の先でバルドゥルを優しく引き寄せてから話し始めた。


――このルーフが建国されるはるか昔。
まだ人間がこの世界に産み落とされるずっと前から、我々森の民はこの地で暮らしていた。
泉には人魚マーメイドが歌い、野原では小人妖精ピクシー一角獣ユニコーンが駆け、大地は緑溢れ歓びに満ちていた。
しかし、人間が森を切り開き、家を建て、我が物顔で住み着きおった。
おまけにあやつらときたら、民を見るなり化物と言い、石を投げおった。
我らが森の奥に引き下がらずをえなくなったとき、アビゲイルという大妖精フェアリーが我に会いに来た。

その者はフェアリーの長であると言った。
そして、我に森の民は人間に協力すべきだと言ったのだ。
なんでも、我らが人間の言う『国』というものを作る手助けをすると、我らの森をこれ以上破壊しないという約束を取り付けたそうだ。
その手助けというのは、我らの魔法で作物を実らせ、厄災から人間を守り、更には人間からも守るというものだった。
勿論我は初めは反対した。
それではまるで人間の奴隷ではないかとな。
しかしアビゲイルは、森の民のためだと聞かなくてな。
遂には根負けして条件を呑む許可を出してしまったのだ。
…それがいけなかった。
民たちは魔力を使って人間の欲求を満たした。
我々は森の安寧を約束された。
元々森の民の中で一番魔法の使いに長けているヴルスラという森の民がいてな。
その魔法一つで嵐が起きると言われていたほどだった。
人間側の欲求の一つである、敵からの襲撃を受けない安全な土地を与えるため、ヴルスラは国全体に結界を張った。
…このフォルバに張られているものと同じものだ。
その結界によって、外からの人間は決してこの国に辿り着けないようになった。
隣国ナハルザームの勢力が徐々に強まっているというのも聞き、嫌な予感がした。
森の民の中には、このような状況を良しとしない者も多かった。
人間が我々をこき使い、魔法を道具のようにしか考えていないと。
遂にはその派の奴らは、この森を出ていった。
どこかで人間の指図を受けずにひっそりと暮らそうとしたのかもしれない。
そしてその際に、百五十年間結界を張り続けていたヴルスラを
デルアリというドラゴンが、これをやった。
デルアリの爪が彼の体を捉えた時、ヴルスラの断末魔は森全体に響き渡った。
それがちょうど、五十年前だ。
ヴルスラの魂は今も、元いた野原を彷徨っている。
そしてそこへやって来た男に、ルーフ国の歴史を語り、使命を全うせよと伝えた。
…『神の翼』を持つ者として。

「まさか、あのエントが?」
『ああ、ヴルスラだ。後は分かるであろう?結界が消え、これ幸いとばかりにナハルザームが攻めてきて、ウルラがその命を犠牲にして森を守った。ただ一つ誤算があってな。』

ルーフの人間は、戦の最中この森へ逃げてきた。
我々は人間に良いように使われていたが、泣き叫び逃げ惑う人間に、同情の念も浮かんだ。
森の民たちはその人間達に近寄り、助けようとした。
森の奥まで行けば、流石に追手は見失うだろうと思ってな。
しかし途中で敵に見つかり、人間達は殺され、森の民は捕まり、見世物として売りさばかれたと聞いた。
…森の民はこの森の魔力を吸って生きている。
森の外へ出てしまえば、三日ともたない。
そうして森の民の約半数が死んだ。
…しかし厄介なのは人間の方だ。
人間はこの森の中で息絶えると、その魂が魔力を吸って肥大化し、叫びの怨霊タキシムに変身するのだ。
タキシムの叫びは周りの魔力をどんどん吸収し、負の魔力として放出する。
我々森の民にとって、負の魔力は毒も同然だ。
タキシムがこれ以上増えては、森の民は死に絶えてしまうだろう。
タキシムは我々の魔法はまず効かない。
元々その人間が持っていた憎しみが、魔法をかき消してしまうのだ。
人間のもつ、憎悪の念は、我々の魔法ですら跳ね返す力を持っている。
タキシムは、その仇を討つまで消えない。
もしくは、第三者が、必ずその仇を討つと約束をしなければな。
さらに言うと、タキシムに殺された人間もまた、タキシムとして蘇る。
…言いたいことは分かろう?名無し子ヴァルサ
タキシムを説得し、ルーフの脅威、ナハルザームを排除するのだ。
我々、森の民の未来のために。


「…。」
『荷が重いのは承知している。だが、お前の力なくして、ルーフ国、しいては我々のこの森は灰に沈んでしまうのだ。』
バルドゥルは自らの手のひらを見つめた。
あの日、真っ赤に染まった、その手を。
「…俺は勇者じゃない。当たり前だ。自分のことすらまともに守れず、誰からも感謝されず、ただここへ逃げてきて、何事も無かったことにして自分を誤魔化して…それでも…クズはクズ並に生きてきた。俺は盗人だ。勇者が他人の金品を盗んだりするのか?勇者が自分の肉親を亡きものにするのか?…この翼は神の祝福なんかじゃない。呪いだ。自分の道を、漸く誤魔化しきれる気がしてた時、このくそったれな翼が俺に生えてきた。こいつが俺を選んだ?だろ。…俺は何も出来ない。」
手を握りしめた。
あの日、小ぶりのナイフを握ったように。
「…………何も、救えない。」
ウォータリアはしばらく黙っていたが、とぐろを解き、岩から降りた。
そして、バルドゥルに背を向け、静かに言った。
『…ウルラがデアハラムへ行った理由を、時々考えるのだ。』
表情は伺えない。
『勿論、我々が人間を守るという原則を破った罪悪感からというのもあるだろう。
だが、ウルラは、いや、アビゲイルからずっと続いたフェアリーの王達は、人間と森の民、両方を守りたかったのかもしれぬ。
双方が手を取り合い、協力しあって生きる世界を夢見てな。
…私は、今でこそ、この場にいるが、あくまで我は森の管理者でしかない。
この森を本当に変えようとしたのは、あのフェアリー達だったのだ。
ひとえに、森を愛していたが故に。
それに応えた森の民は、フェアリーを神と崇め、信頼した。
…どれもこれも、我が出来たことではない。
我は、安全な森の奥から傍観することしか出来なかった。
何万年と生きてきたのが、このざまだ。
もしこのような事態にならなければ、我は殺されていたかもしれないな。…ヴルスラのように。
…しかし、そのは死んだ。五十年前に。
だから、これは年寄りの独り言だと思ってもらっても構わないのだが、』
ウォータリアは振り向いて、バルドゥルに向き直った。
そしてバルドゥルに近づき、肩を掴んだ。
どこまでも蒼い瞳が、一人の男を映していた。


『アビゲイル達が夢見た、人間と共存する理想の世界を、どうかもう一度私に見せてくれないか。』
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